90年代後半こそ日本の劣化の第一楽章

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306日本昔名無し
別スレより転載

>>302-303


『そこが難しい問題でね。確かに中心、メイン、メジャー、といった概念が
現在どこにあるのかわからないから趣味嗜好がバラバラで一見個性的で
多様性があるように見える。しかし逆に言うと中心があってこそ中心に反抗する
文化(サブカルチャーとかアングラとか呼ばれる文化)に活気が出てくる。
また、中心がしっかりしていると同時代感覚というのが共有される。その共有が
必ずしも悪い事だとも思えない。中心軸がしっかりしていればそこを尺度にして
自分の立ち位置を座標の中に見つけられるような利点もあるし、むしろそこで
現れる分布図こそが真の「個性」のようにも思う。今だと狭いコミュニティの
中で知った狭い価値観を体現するしかないだけであって、それは比較の上に
成り立ってないからどうも「個性」とは違うのではないか。そしてこのスレの
命題について言えば、共有できる中心軸を見失うと10年前が昨日の事のように
思い出され、その間の10年の印象が薄くなる。薄くなってるのに個性的で良い
時代というのもどこかおかしいんじゃないか、という気がする。』