#089
-教職教養-
*1 (地方教育行政法第4条@) 委員は、当該地方公共団体の長の被選挙権を有する者で、人格が高潔で、
教育、学術及び文化(以下単に「教育」という。)に関し識見を有するもののうちから、(地方公共団体の長)が、
議会の同意を得て、任命する。
*2 (日本国憲法第12条) この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の(不断の努力)によって、これを
保持しなければならない。又、国民は、これを(濫用)してはならないのであって、常に(公共の福祉)の
ためにこれを利用する(責任)を負う。
*3 (コフカ)…ゲシュタルト心理学の創始者の1人。発達にゲシュタルトの立場を導入し、心理現象を
ゲシュタルト心理学の立場から総括した『ゲシュタルト心理学の原理』(1935)を著した。
*4 ベルリン大学初代総長である(フィヒテ)の主な著書には『ドイツ国民に告ぐ』がある。
*5 (就学困難な児童及び生徒に係る就学奨励についての国の援助に関する法律第1条)
この法律は、経済的理由によって就学困難な児童及び生徒について学用品を給与する等就学奨励を行う地方
公共団体に対し、(国)が必要な援助を与えることとし、もって小学校及び中学校並びに中等教育学校
の前期課程における義務教育の円滑な実施に資することを目的とする。
-一般教養-
*1 (日本史) 9世紀になると中国の唐は勢力を失い、(菅原道真)により遣唐使が廃止され、わが国独自の文化が
発展する。特に(かな(文字))の発達は国文学を大きく発展させることになった。藤原氏は他の貴族を次々に退け、
娘を天皇のきさきにしてその地位を確固たるものとした。858年(藤原良房)が摂政となり、884年(藤原基経)が
関白になった。また浄土教が流行し、京都の宇治には(平等院鳳凰堂)が建てられた。しかし、貴族の栄華な繁栄ぶり
とは逆に、国司の横暴などにより、農村は疲弊し国は乱れていった。平将門や藤原純友が反乱(承平・天慶の乱)を
起こしたが、これらを鎮めたのは武士であった。その中で清和源氏と桓武平氏が大きな力をもち対立していくように
なった。1086年白河上皇が院政を始めると、その警備のため武士が起用された。やがて保元の乱、平治の乱を通して
(平清盛)の権力が急速に強まった。