#039
-教職教養-
*1 (学校教育法第10条) 私立学校は、校長を定め、大学及び高等専門学校にあっては文部科学大臣に、
大学及び高等専門学校以外の学校にあっては(都道府県知事)に届け出なければならない。
*2 (学校教育法第44条) 私立の小学校は(都道府県知事)の所管に属する。
*3 1838年、緒方洪庵が開いた蘭学塾は(適塾(適々斎塾))である。
*4 「健全な身体における健全な精神とは、言葉は簡単であるが、人生の幸福を言い尽くしている」
―これは(ロック)のことばである。
*5 (地方公務員法第30条) すべて職員は、(全体の奉仕者)として公共の利益のために勤務し、且つ、職務の
遂行に当っては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。
*6 (地方公務員法第31条) 職員は、条例の定めるところにより、(服務)の宣誓をしなければならない。
-一般教養-
*1 (日本史) 1868年新政府は、「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」で知られる(五箇条の御誓文)を発布し、
政体書の公布、東京への遷都、「明治」と改元、一世一元の制を決めるなど天皇中心の新しい国家の
樹立を目指した。1869年(版籍奉還)を実施、2年後には(廃藩置県)を断行した。さらに1871年四民平等
となり四年壬申戸籍を制定、1873年地租改正、徴兵令と、その地盤を築いた。あわせて幕府が結んだ
条約の改正を急務とした。明治政府は、「富国強兵」「殖産興業」という二つのスローガンを掲げ、国民
皆兵を目指した徴兵制をしいたり、群馬県に官営の(富岡製糸場)を建設したりした。製糸場での苛酷な労働は
『女工哀史』や『あゝ野麦畑』でよく知られる。四民平等の世になり武士の特権は廃止され、様変わりする
時代に取り残されるように武士の不満は高まり反乱が相次ぐ。1873年に(征韓論)で敗れて下野した西郷隆盛
を首領とした、鹿児島の不平士族が1877年日本最後の内戦となる(西南戦争)を起こすが、政府に鎮圧される。
維新の英雄西郷でさえ政府を倒せず、以降士族の武力での抵抗はおさまり、言論での抵抗へと方向を変えていく。
*2 (国語) (難読語) 罹災(りさい) 顛末(てんまつ) 憔悴(しょうすい)
幸先(さいさき) 喘息(ぜんそく) 枝折(しおり)