#096
-教職教養-
*1 (適応機制) @(投射(投影))…自己の欠点や不快なことに目をつぶるため、それを他人へ転嫁・帰属させること。
(例:誰だって欠点ぐらいある。そんなこともわからない先生なんてだめだ。)
A(合理化)…自覚されない自己の矛盾や不満を自我を傷つけないような受容しやすい説明によって正当化すること。
B(代償)(置換)…衝動(正・負)を本来の対象や目標へ向けずに別の目標へ向けること。(例:子どものいない夫婦が
ペットを可愛がる。)
*2 (ハーロウ)は生まれたばかりの子ザルを2種類の代理母模型で飼育する
実験を行い、各模型から授乳される子ザルの行動を比較した。両者とも授乳時以外は布模型に接触して過ごすことが確認された。
また、見慣れないぬいぐるみのような恐怖刺激を与えると、両者とも布製模型のほうにしがみついた。このことから、子ザルにとって
生理的欲求の充足が愛着形成の主要因とは言えず、接触の快感が重要であることがわかった。
-一般教養-
*1 (世界史) フランス革命とナポレオン フランスの封建的身分制度をアンシャン=レジームといい、3つの身分に
分かれていた。第1身分は聖職者で第2身分は貴族である。この2つの身分、人口にして1割にも満たない部分が国土の
約3分の1を所有し、免税などの特権をもっていた。1789年国王(ルイ16世)は三部会を召集した。しかし第3身分の代表が
国民議会を結成し反抗したため、国王はこれを武力で抑えようとした。これに対して市民が武器を取り(バスティーユ牢獄)を襲うと、
各地で反乱が起こった。同年国民議会は人権宣言を発表した。1791年(ルイ16世)と王妃マリー=アントワネットは国外に
逃亡しようとして捕えられ(=(ヴァレンヌ)事件)、1792年男子普通選挙が行われ(ロベスピエール)が実権を握ると翌年二人は処刑
された。しかし、彼も恐怖政治を行い独裁的だっため政敵に捕えられ処刑された。このような動乱の中、各国が革命に
干渉してきた。そこへ登場したのが(ナポレオン)である。彼は外国遠征して国民の信望を集め、(1804)年皇帝に就任した。
しかし1812年ロシア遠征の失敗後は各国軍に敗れた。混乱したヨーロッパの戦後処理のために開かれた会議が(ウィーン)会議であり
(ウィーン)体制である。