主婦の立場から雅子様を語ろうNO.2

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1000をこえてしまったのでまた新しいスレ立ち上げました。
雅子様の笑顔って心から笑ってない造られた笑顔って感じがして
身ごもった現在も本当に幸せなのって疑問に思うよね。
2可愛い奥様:2001/07/18(水) 20:09
皇室にお入りになるとどんどん魔女っ鼻になるのは気のせい?
3可愛い奥様:2001/07/18(水) 20:18
雅子さんとか皇室の方々って、
おうちでくつろいでる時とかどんな格好なんだろう?
おつきの人とか居るから、だらしない格好は出来ないんだろうな・・・
4可愛い奥様:2001/07/18(水) 20:19
くつろげるのってお風呂とトイレくらいじゃない?
5可愛い奥様:2001/07/18(水) 20:19
皇室にお入りになるとみんな同じ顔になるのは気のせい?
6通行人:2001/07/18(水) 20:23
>5 顔が同じに見えるのって笑い方だと思う。皇室流一般人への笑い方
ってあるんじゃないかな?その笑い方で同じ顔に見えてくるんだと思う。
美智子、雅子、きこって三人とも笑った顔の口元の形が同じだもん。
なぜかサーヤだけは違う気がするけど。
7可愛い奥様:2001/07/18(水) 20:25
結婚前の雅子さんのさっそうとした感じが好きだった。
皇室に入って見る影もなくなってしまって残念。
8通行人:2001/07/18(水) 20:30
>7本当だよね。雅子さん外務省で女性キャリアとかでマスコミにも騒がれていたよね
あの時の笑顔と今の笑顔ってぜんぜん違うんだよね。皇太子と結婚しないで
あのまま外務省に勤務していたらもっと幸せな人生が送れたきがするね。
無精子症の皇太子のせいで何十回も体外受精させられる人生ではなかっただろうに。
9可愛い奥様:2001/07/18(水) 20:32
>>8
おそらく30代で真紀子よりもずっと有能な
外務大臣となっていたことでしょう。
10可愛い奥様:2001/07/18(水) 20:33
>>9
無茶苦茶いうなよ・・・官僚なのに。
11可愛い奥様:2001/07/18(水) 20:33
雅子さんの友達から聞いたんだけど
性格は凄くいいし勿論頭いいけど、同じキャリアの女性でもっと頭の良いのがいくらでも居るそうだよ。女性週刊誌の幻想が大きすぎって言ってた。
12通行人:2001/07/18(水) 20:34
>>9同感
13通行人:2001/07/18(水) 20:35
雅子のお父上も外務省時代、税金を不正に使った事あるだろね。
14可愛い奥様:2001/07/18(水) 20:36
主婦のアイドル化してるよね。
159:2001/07/18(水) 20:36
>>10
そうね。
有能だからといって政治家になりたがるかどうかは
また別の問題だものね。失礼失礼・・・
16:2001/07/18(水) 20:37
>>13 今の皇室事態税金の無駄だろう。赴任治療でいくら税金を使ったのか
ちゃんと国民に報告してもらいたいものだよ。
17可愛い奥様:2001/07/18(水) 20:38
有能なキャリアが専業になった、みたいな幻想を抱いてアイドル化してるんだろな(藁
18通行人:2001/07/18(水) 20:40
>>15
雅子は外務省でがんばろうとしている時期に皇室の魔の手が差し出されて
がんばるにも皇室の圧力でねじ伏せられて皇太子と結婚させられちゃった
んだよ。雅子のお父さんの将来まで保証されて説得されたって言ってた
19通行人:2001/07/18(水) 20:43
>>17
雅子の追っかけやっている一般市民のおばちゃんがたまにテレビに出て
くるけどアイドルの追っかけ以上に情けなさをかんじちゃうな
20通行人:2001/07/18(水) 20:46
雅子に限らず皇室関係者の記者会見て家庭の心温まるようなエピソード
で全部が全部奇麗事のように聞こえるけど、たまには「昨晩皇太子と喧嘩して
一日口を聞かなかった・・・」なんて型破りな会見を雅子にしてもらいたい
もんだ。
21可愛い奥様:2001/07/18(水) 20:48
同級生だったのだが(ご学友っていうのか?(w)
皇太子とケンカするなんて考えられない
マジであんな人格者はいないと思われ
22通行人:2001/07/18(水) 20:48
雅子の目のしたのクマっていつになったら消えるのかな。宮内庁内なら
最新式のエステなんかも完備しているだろうにそれでもあのクマは治せないほど
辛い雅子の心境なのだろうか?
23可愛い奥様:2001/07/18(水) 20:49
>>20
そうだね。もっと自分の意見を表明して
もらいたいな。なんか、全部ヤラセ・・・といったら
言い過ぎだけど、なんか、準備万端て感じで不自然だよね。
24通行人:2001/07/18(水) 20:50
>>21
けんかするほど仲がいいって言うけど皇太子ご夫妻は相手に対して
ご不満はまったくないのかしら?
25:2001/07/18(水) 20:52
>>24
皇太子はともかく雅子は不満だらけ。でも黙っているしか出来ない
自分の立場の歯がゆさが目の下のクマに現れていると思われる。
26通行人:2001/07/18(水) 20:56
雅子はお腹の子は体外受精でこんな治療をして妊娠できました。って事を
公表したら、日本国民の子供の数は増えるだろうし、赴任で悩んでいる
夫婦にはありがたい話で皇室とはもっと身近に感じられるだろう。
27:2001/07/18(水) 20:58
>>26同感。税金を使ってるんだもんね。体外受精にはまだ偏見が
あるし、一般市民は保険がきかない治療に泣く泣くお金を使ってがんばっているんもんね
それを税金で治療しているのはずるいよ。
28可愛い奥様:2001/07/18(水) 21:00
ずるいって・・・(藁
29かわいい妻:2001/07/18(水) 21:01
雅子は意地でも皇太子の子を身ごもらなければ面白かったのに。
今までずっとそう思って雅子ってすごいと思ってたけど妊娠発表した時は
ショックだった。皇室の色にとうとう染まってしまったかって。
30:2001/07/18(水) 21:05
>>28ずるいよ。一般人は1回体外受精するのに100万円かかるんだよ。
(私経験者だから詳しいの)それも自腹で。私なんて1度失敗しちゃって
2度目にまたお金がかかるので経済的に断念したんだけどその治療を雅子は
うちの夫の安月給から徴収されている税金を使ってやっているなんて。
税金使っても良いけど治療代にかかった費用を公表してくれたらまだ
許せるけどさ。
31可愛い奥様:2001/07/18(水) 21:07
>>30
気持ちは良くわかるが、皇室にずるいという感情をその点だけで持つのはあまりに視野が狭すぎる。まぁその論点から発して他の部分にも目がいくようになれば勿論良いのだろうけれどね。
32:2001/07/18(水) 21:09
あんち皇室の人はこのスレを読むとおもしろいよ。http://www2.bbspink.com/test/read.cgi?bbs=hneta&key=987427041&ls=50
33:2001/07/18(水) 21:11
>>31そうかな体外受精経験者は特に失敗した人たちは
少なからずもこういう意見をもっていると思うよ。
34可愛い奥様:2001/07/18(水) 21:14
雅子さまもきこさまも、皇室にはいってから顔が
どんどんアンドロイド化してると思う。
きこさまも結婚前はあの笑顔もにこやかで感じがいい、
と思ってたんだけど、今はあのはりついたような笑顔が
ロボットのようで気持ちが悪い。
雅子さまも、ひきつり笑いの仮面つけてるみたいでさ。
私も昔の、口元きりっとひきしめたりりしい雅子さまが
好きだったのになー。
35:2001/07/18(水) 21:19
>>34 同感。あの手の振り方も嫌。雅子もキコも小刻みに手を揺らす
しぐさが同じで気持ち悪い。もっと一般人に愛情を注ぐなら
時には両手を上げて大きく振りながら手を振ってもいいと思うけど。
36発明家:2001/07/18(水) 21:24
@ かわしまきこ
A おわだまさこ

@ /\/\/\
A \/\/\/
って読むとおもしろいよ。
37:2001/07/18(水) 21:52
>>36本当おもしろいね。これはただの偶然か?はたまた宮内庁の陰画か?
38可愛い奥様:2001/07/18(水) 21:57
>>30
確かにお金の問題はあなたの言う通りだけど、雅子さまの実家だって
それ以外の事で、いろいろ持ち出しがあるらしいよ。
(美智子さまの時は、財産家ということで、億単位で実家から出費したらしい)
大和田家だって、1、200万円くらいなら、ポンと出せるお家でしょう。
39通行人:2001/07/18(水) 22:06
>>30 雅子さんちお父さん元外務省だもんね。1200万円くらい
軽いだろうね。
40:2001/07/18(水) 22:07
元外務省の事務次官だもん。汚いお金たくさんありそうよね。
41可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:11
>>40
不妊だからってそんなことでひがまないでよ。
不妊サイトで一番笑われるタイプじゃない、あなたって。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いんだから。
42可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:15
>>40
ただのヒガミに見えるからもうやめな。
43可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:17
≪列島に広がる祝福と気遣い≫

◇ゆかりの人々
 雅子さま「ご懐妊の可能性」のニュースは、ご夫妻とゆかりのある人たちにも伝わった。
 小和田家と家族ぐるみで交際していた尚美学園大の井口武夫教授(七〇)は「雅子さまはスポーツ好きで優秀なお子さんだった。前回のこともあるので、懐妊されたことはつつましやかに、心から喜んでいます。きっと優秀なお子さんが生まれることと思います」。
 雅子さまとボストンの高校で同窓だったピアニスト、月川真理奈さん(三七)は「大変うれしく思っております。デリケートな時期を過ぎましたら、音楽や美術などでお体を和ませる機会を早くお持ちになって、健やかな赤ちゃんのご誕生の日を迎えられますようお祈りしております」と気遣った。
 ご夫妻のお見合いの場となった宮内庁新浜鴨場の当時の鴨場長だった菱沼吾朗さん(六八)は「国民みんなが待っていたお子さま。これからお体を大事にしてください」。
 ご夫妻は毎年のように那須の山々で登山を楽しまれている。その案内役を務めてきたのが那須山岳会会長の大高登さん(七二)。「登山の際の仲むつまじいお二人の姿が思い浮かび、本当に喜ばしく感じます。雅子さまは(健脚の)皇太子さまと足並みをそろえて歩かれるほどで、生まれてくるお子さまは元気で健やかなことでしょう。お子さまと三人で那須の山にいらっしゃることを今から、楽しみにしております」と喜びいっぱい。
◇街の人々
 街の人々からは「本当に良かった」「おめでたい」という喜びの一方、「そっとしてあげたい」「騒がないで」など、雅子さまを気遣う声が聞かれた。
 息子の結婚式で上京した広島県安芸郡の主婦、池永豊子さん(六七)は「待ちに待った、という気がします。息子の結婚式と併せて二重の喜び」。東京都足立区の高校生、嶋田久恵さん(一七)は、「本当によかった。おめでとうございます。明日の日本を担う元気なお子さんを産んでほしい」とエールを送った。
 中には少し気の早い注文も。観光旅行で皇居を訪れた福岡県大牟田市の無職、塚本寿嘉さん(七九)は「皇位継承という問題になれば、子供は二人、三人と多い方がいい」と笑顔をみせた。
 高まる期待と呼応するように、雅子さまのお体を心配する声もあった。名古屋市の無職、坂野和隆さん(六二)は「国民的に喜ばしいこと。男の子が生まれれば最高にいいと思う」としながらも「一番、大事な時期なので、そっとしておいて」と話す。埼玉県所沢市の大学生、江積美保さん(二一)も、「この前は周りが騒ぎすぎた。高齢出産で不安な面があるかもしれないけど、周りのことは気にせず体を大切に頑張ってほしい」と気遣っていた。
http://www.sankei.co.jp/paper/today/national/na1/17na1002.htm
44可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:19
>>40
性格わりーな。
その性格治さなきゃ、不妊も治らないさ。
45可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:19
大変だよねえ。
プレッシャーだけで相当なモンでしょ。
46可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:20
コピペもいいって・・・>43
47デブ妻:2001/07/18(水) 22:21
いいじゃん2ちゃんなんだから、好きな事言わせてあげなよ。
48可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:21
 宮内庁は十五日午後五時半、皇太子妃雅子さま(37)が妊娠三か月である、と発表した。経過は順調で、十一月下旬から十二月上旬に宮内庁病院で出産される。先月十六日のご懐妊兆候の発表から一か月が経過し、安定状態に近付いたことや、皇太子さま(41)が今月十八日から英国訪問をされることから、この時期の正式発表となった。夏には、堤治・東宮職御用掛(東大医学部教授)や川口政行・東宮侍医長ら約十人の医師チームが結成され、ご出産に向けた準備が進められる。お生まれになるお子さまは、天皇、皇后両陛下にとっては三人目の孫で、男子なら、皇太子さまに次いで皇位継承順位第二位となる。

 宮内庁講堂で記者会見した古川清・東宮大夫によると、皇太子ご夫妻は医師から「順調でいらっしゃる」との報告を受け、喜ばれていたという。

 両陛下には、湯浅利夫・宮内庁長官が前日ご報告した。

 ご出産にかかわる医師については、古川東宮大夫は「出来るだけスリムで、効率的な医療体制のネットワーク作りを考えていきたい」とした。

 雅子さまは、三月末から四月初めにかけ、ご懐妊の兆候が見られ、宮内庁は四月十六日、「ご懐妊の可能性が出てこられた」と発表。その後、雅子さまは園遊会などの公務を休み、同十八日に紀宮さまの誕生日を祝う天皇ご一家の夕食会のため皇居に赴いた以外は、東京・元赤坂の東宮御所で静かに過ごされていた。

 この間、宮内庁病院に出向いての検査は行わず堤教授らが御所で診察を重ね、妊娠三か月と診断した。

 夏までに体制が整う医師チームは、現在の堤教授や川口政行・東宮侍医長ら四人のスタッフに加え、東大を中心とした医師が加わり、全体で十人規模となる。さらに、数人の看護婦も予定されている。

 ご出産までの間、皇后さまの先例に基づいて、儀式が行われる予定だ。妊娠五か月目の七月の戌(いぬ)の日には、安産祈願の儀式として、一般では岩田帯を締める慣習に当たる「内着帯式」が、九か月目には正式な「着帯式」が行われる。

(2001年5月15日)

http://www.yomiuri.co.jp/princess/p0515_01.htm
49可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:22
 ◆この上もない喜び
 ◇皇太子さまの留学先、英オックスフォード大学で指導教授を務めた ピーター・マサイアス博士

 素晴らしいニュースを聞くことができて、本当に幸せだ。

 皇太子ご夫妻はもちろん、天皇、皇后両陛下、日本のすべての人々、オックスフォードの多くの友人たちにとって、この上もない喜びである。

 ご結婚後、ご夫妻には何度かお会いした。昨年六月に東京で会った際には、皇太子さまがお続けになっている英国交通史の研究や、ご夫妻がそれぞれに思い出のあるオックスフォードについて語り合った。お二人のとても明るいご様子が印象的だった。

 ご夫妻は、現代的で国際感覚あふれる、すてきなカップルだ。お子さまの誕生で、さらに輝きを増すことだろう。

 ご誕生という次のうれしいニュースをどこで耳にするかは、見当がつかない。どこにいても、とっておきのシャンパンの栓を抜き、お子さまの健康で幸せな人生を祈って乾杯したい。

 ◆祝意を表したい

 ◇雅子さまが米ハーバード大在学中などに親交があった「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著者 エズラ・ボーゲル同大教授

 祝意を表したい。

 ハーバード時代の雅子さまは大変に思慮深い学生だった。日米関係、東西関係を改善したいという強い責任感を持たれていた。ちょうど日米間の通商問題が話題になっていたころで、彼女は米国の立場を理解しようと努力し、自らを“日米の懸け橋”と考えておられた。

 語学力に優れ、学生たちとも仲良くされていた。彼女の皇太子妃としての役割は何か、と尋ねられることがある。

 そんな時、私は、外務省で訓練を受け重大な責任を持たれたことが、皇室外交の向上に寄与していると答えている。

 彼女が皇太子妃になったことで、外界から隔絶された存在になってしまったとは思わない。

 外国からの賓客と重要な対話をなさる機会が、今後も豊富にあるだろう。雅子さまに、重ねて祝意を表したい。

(2001年5月16日)

http://www.yomiuri.co.jp/princess/p0516_04.htm
50あんち宮内庁:2001/07/18(水) 22:25
皇室ネタの話するとすぐこういう奇麗事記事を載せるやつがいて
気持ち悪いよ。おもしろくないんだよこんな長文!!
51可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:26
雅子さま にっこり

 ◆ご懐妊発表後、初の外出
 皇太子ご夫妻は十六日午前、昨年六月十六日に亡くなられた香淳皇后の月命日に合わせ、霊をまつってある皇居・吹上大宮御所の権殿に拝礼された。十五日夕、「ご懐妊」の正式発表があったばかりの雅子さまは午前十一時前、車で皇居・半蔵門に到着。「経過は順調」(古川清・宮内庁東宮大夫)という発表通り、にこやかな表情の雅子さまは黒い帽子にグレーの洋服姿。待ち構えていた報道陣に、小雨のなか車の窓を開け、にっこりと会釈された。

 皇太子さまは十八日から二十五日まで、ロンドンで行われる日本紹介行事「Japan 2001」などのため訪英。二十八日から来月二日までは、ご夫妻で静養が予定されている。

 雅子さまの外出は、先月十八日夜、紀宮さまの誕生日を祝うため御所で催された天皇ご一家の夕食会以来のこと。ご夫妻は「ご懐妊の可能性」が発表された先月十六日にも、二人で権殿に拝礼されている。

(2001年5月16日)

http://www.yomiuri.co.jp/princess/p0516_03.htm
52可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:28
皇太子さま英国へ、雅子さまお見送り 

 皇太子さまは十八日昼、成田空港発の日航機で英国公式訪問に旅立たれた。東京・元赤坂の東宮御所ではこの日午前十時半、白いスーツ姿の雅子さまが見送りに出て、皇太子さまの車に笑顔で手を振られた。
 皇太子さまは十九日未明(日本時間)、ロンドン・ヒースロー空港に到着し、ロンドン近郊のウィンザー城で行われるエリザベス女王主催の晩さん会に出席した後、二十一日にはロンドンの日本紹介行事「Japan 2001」記念レセプションでスピーチされる。二十五日帰国の予定。

 出発に先立って、「この催しが日英両国の相互理解を深め、実り多いものとなることを期待します。雅子にとっても思い出の多い英国を、今回は二人そろって訪れることはできませんが、留守の間、体を大切に過ごしてもらいたいと思います」との皇太子さまのコメントが発表された。

(2001年5月18日)

http://www.yomiuri.co.jp/princess/p0518_01.htm
53可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:28
不妊の暇人
54可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:28
皇太子ご夫妻が静養のため那須御用邸へ

 皇太子ご夫妻は二十八日午後、栃木県・那須御用邸での静養のため、東北新幹線でJR那須塩原駅に到着、福田昭夫知事らの出迎えを受けられた。
 雅子さまはご懐妊が発表されてから初めて地方を訪ねられるとあって、駅頭には市民ら約六百人が駆け付けた。「おめでとうございます」という祝福に、ご夫妻はにこやかに手を振ってこたえられていた=写真(代表撮影)=。

 この日のご夫妻はリラックスされた様子。ご夫妻は来月二日まで那須御用邸に滞在される。

(2001年5月29日)

http://www.yomiuri.co.jp/princess/p0529_01.htm
55可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:29
>>53
だろうね
56可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:29
雅子さま経過順調

 皇太子妃雅子さまは二十一日夕、ご懐妊発表後初めて皇居内の宮内庁病院を訪れ、診察を受けられた。体調は良好で、胎児も順調に成長しており、今後は定期的に同病院での診察を受けられるという。
 雅子さまは午後五時、皇太子さまに付き添われ車で同病院に到着。担当医の診察を終えた約二時間後、病院を出る際は、後部座席の窓ガラスを開けて報道陣に笑顔で会釈された。雅子さまは現在、妊娠四か月。

(2001年6月22日)

http://www.yomiuri.co.jp/princess/p0622_01.htm
57可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:29
こういう事するから…
58可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:29
不妊女ってホント根性腐れてるーー
59可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:30
雅子さまの「内着帯式」

 妊娠5か月を迎えられた皇太子妃雅子さまの安産を願う内着帯式が10日午前、東京・元赤坂の東宮御所「塩地の間」で行われた。戌(いぬ)の日に岩田帯を巻く一般の慣習に当たる。
 式は午前9時45分から始まり、モーニング姿の皇太子さまと和装礼服の袿袴(うちきばかま)を身につけられた雅子さまが向き合って着席。雅子さまが女官の介添えで、皇后さまから贈られた白の絹帯をはかまの上から回し、皇太子さまが正面でチョウ結びにされた。式の次第は皇后さまの先例にのっとった。ご夫妻はこの後、2人だけでお祝いの昼食をともにし、続いて雅子さまが皇居・御所に天皇、皇后両陛下を訪れ、式の報告をされる。

 妊娠9か月目には、帯を宮中三殿に供える正式な着帯式が行われる。

(2001年7月10日)

http://www.yomiuri.co.jp/princess/p0710_01.htm
60可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:30
首相「ご懐妊、うれしいね」、与野党もお祝い

 宮内庁が十五日に雅子さまご懐妊を正式発表したことに、政府や与野党幹部からお祝いの声が相次いだ。
 小泉首相は同日夕、首相官邸で記者団に対し、「久しぶりに明るいニュースで、みんなお喜びになっていると思う。本当にうれしいね。元気な赤ちゃんがお生まれになることを期待している」と述べた。その後、「お体を大切にされ、ご無事にご出産されるようお祈りするとともに、国民の皆様とともに、静かにお見守り申し上げたい」とするお祝いの談話を発表した。

 田中外相は「大変喜ばしい。国民の一人として楽しみにしている」と語った。

 自民党の山崎幹事長は「さわやかな初夏の薫風と共に運ばれてきた、本当に明るいニュースだ。元気なお子さまが誕生され、健やかにご成長されることを念願する」との談話を発表。公明党の神崎代表は「新世紀に入り、喜ばしい吉報だ」と述べた。

 保守党の扇党首は「一日千秋の思いだった。今まで色々な重圧の中で(雅子さま)ご本人もほっとなさったと思う」と語った。

 民主党の鳩山代表は「国民の一人として待ち望んでいた。ただ、あまり騒ぎ立て過ぎないことだ。良いニュースがずっと良いニュースで出産まで続くよう心からお願いしたい」と話した。

 共産党の市田書記局長は「どこのご家庭でも新しい命が誕生することは、喜ばしくおめでたい」とのコメントを出した。

(2001年5月16日)

http://www.yomiuri.co.jp/princess/p0516_01.htm
61可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:31
旦那はまだ帰ってこない
寂しく一人で2チャンしてる
こんな感じですかね?
図星だろー?
やーい不妊の暇人
62可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:31
ご出産準備、さっそく

 ご懐妊の発表を受けて、宮内庁病院やお住まいの東宮御所では、ご出産に向けた準備が動き出している。
 □宮内庁病院

 皇居内の宮内庁病院は、天皇、皇后両陛下や皇族方が利用される施設だが、紹介があれば一般の人の診察も行っている。

 皇后さまが一九六〇年に皇太子さまを出産された際は、お住まいだった東京・渋谷の東宮仮御所が手狭なため、初めて宮内庁病院が使われた。

 その四年後、病院は建て替えられ、秋篠宮妃紀子さまも、二人のお子さまを同病院で出産されている。

 □子供部屋

 東京・元赤坂にある東宮御所は、皇太子さまの誕生から二か月後の六〇年四月に完成した。

 当時は子供部屋や遊戯室などのスペースが設けられていたが、紀宮さまのご誕生以来三十二年ぶりに新生児を迎えるとあって、改めて子供部屋を造るなど、設備の手直しや、改装も行われることになりそうだ。

 一般の場合、市町村などに妊娠届を出すと、母子健康法に基づき、「母子健康手帳」(母子手帳)が交付される。「皇統譜」と呼ばれる特別な戸籍を持つ皇族方には、そのような手続きはないが、皇后さまが皇太子さまを懐妊した時は、渋谷区役所から母子手帳を取り寄せて参考にされたという。

 雅子さまも「母親教育」の一つとして、母子手帳を持たれることになるかもしれない。

(2001年5月15日)

http://www.yomiuri.co.jp/princess/p0515_04.htm
63天然破壊王 ★:2001/07/18(水) 22:31
ここなら歌っていいんですか?・
64可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:33
荒らせー
65可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:33
>>63
cocoスレならいいよ。
66私は不妊症妻:2001/07/18(水) 22:37
67可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:37
68可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:38
69可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:38
>>66
男だな
70可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:38
71天然破壊王 ★:2001/07/18(水) 22:39
ありがとうございます>>64
最近厨房や荒らしを無視放置が徹底できてきたんで、
放置されっぱなしだったんですよ.
でもご許可頂いたんで歌わせていただきます♪
曲はもちろん「波乗りジョニー」っす

あおいなぎさをは〜〜し〜〜り〜〜^
こいのきせつがや〜〜〜〜ってくる
ゆめときぼうのお〜〜〜おぞらに
きみがま〜〜^っている〜〜〜
あついほうしゃにま〜〜みれ
ぬれたからだにき〜〜〜すして
おなじなみはもうこない のがしたくない〜〜〜〜
きみをまもってやるよとかみにちかったよるなのに
よわきなさがとうらはらなままにからだうずいている
だからすきだといっててんしになってそしてわらってもういちど
せつないむねになみおとがうちよせる
いつかきみをさらってかれしになってくちづけあってあいまかせ
おわりなきなつのゆうわくにひとはさまよう
こいはかげろう・・・ああああ・・・・、よみがえる・・・♪
72可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:40
まだやってるんだ?ホントにヒマなんだね。
ジグゾーパズル面白いよ。やってみたら?
73可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:40
なんなのここ???
74可愛い奥様:2001/07/18(水) 22:41
皇居(二重橋)です。
http://www.kunaicho.go.jp/images/top/top-ph01.jpg
75可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:04
天然、歌下手ーーーーーーーーー!
音痴じゃん。
76可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:05
>>72
「ホントにヒマ」が、「マントヒヒ」に見えた。
疲れているんだな。
77可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:08
>>
トマトジュース飲んで感じる味が
塩味→健康
甘味→ちょっと疲れてる
酸味→かなり疲れてる
んだって。はなまるでやってた。お試しあれ。
78可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:09
>>77
ありがとう。
けど、トマトジュースなんて、二日酔いのときぐらいしか
飲まないからね。
いままでの経験だと、「塩見」を感じていたから、健康なんだな。
79可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:10
私熱が出るとトマトジュースが飲みたくなるのよねー
昔からなんだけど。
80可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:11
そんなことないもん!!!>>75
パフィならカラオケで満点取ったことあるモン♪

♪やわなはーとがしびれる〜〜ここちよいはりのしげき
わけもないのにときめく〜〜〜♪
81JASRAC:2001/07/18(水) 23:12
>>80
当協会の許諾は得ていただきましたか?
82可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:13
>>81
そんなの知らないもん♪
83可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:14
>>80
天然、今は可奥で荒らしてるの?
84可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:15
>>83
ううん♪
HN晒すと無視放置されるんで・・・.
淋しいから・・・.
85可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:17
わたし、天然より歌うまいと思う。
86可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:17
正体を明かしたらやはり無視放置しまった・・・.
でも名無しで書き込んでるのに・・・。
なんでばれたんだろうか・・・.
87可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:17
私も歌は下手。
カラオケに引っ張り出されるのが、一番イヤ。
88可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:18
>>86
そりゃ、ばれるよ。
89可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:19
>>85
でぶだからなあ声量は豊かなんだよ。
しかも喘息の治療の一環で腹式呼吸もできてるし.
あんがいうまいんだよ〜〜〜だ♪
90可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:19
ところでここのスレってなんだっけ?
91可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:19
>>88
ばれて欲しいんだよ。
名無しでも自己主張しないと気が済まない人だから。
92可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:20
>>87
私も嫌いでした.
でも一度はまったら病みつき・・・
一度ごいっしょしましょう♪
93可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:20
>>89
あえぎ声もすごいんだろうね。
「あ〜〜まぎ〜ごえ〜〜〜」てな感じで。
94可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:21
歌の上手下手は運動神経と相関がある、と聞いたことがあるが・・。
95可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:21
眠いから寝ます.
おやすみなさい♪
96可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:25
天然って文末「 . 」つけるんだ
97可愛い奥様:2001/07/18(水) 23:26
誇示したいんねー。
98可愛い奥様:2001/07/19(木) 17:28
93/01/20 東京朝刊 一面 05段
全力で守る/皇太子さま 言葉信じて/雅子さん おそろいで初会見=号外も発行

 ◆悩み、迷いを乗り越え
 皇室会議で結婚が正式決定した皇太子さま(32)と小和田雅子さん(29)は、十九日午後二時四十六分から約二十二分間、東京・元赤坂の東宮仮御所で記者会見された。この中で、雅子さんを結婚へと動かした決め手は、「雅子さんのことはぼくが一生全力でお守りします」という皇太子さまの言葉だったことが、明らかにされた。また、皇太子さまは周囲の声に、雅子さんは皇室入りと外交官という仕事を捨てることに、それぞれ悩み、乗り越えるまで長い道のりがあったこともしんみりと語られた。
 お二人によると、皇太子さまのプロポーズは、昨年十月三日、千葉県市川の新浜鴨場でのデートで。「結婚していただけますか」と率直に切り出されたが、雅子さんの返事ははっきりせず、十二月十二日に仮御所で会った際に再び申し込んだところ、雅子さんは「私でよろしいんでしょうか」と確認したうえで、「殿下のお力になれるのなら、謹んでお受けします」と承諾の返事をしたという。
 雅子さんのこの決心の裏には、皇太子さまからの「心を打つお言葉」があった。雅子さんによると、「皇室に入るには不安や心配があると思いますが、ぼくが一生全力でお守りします」「(皇室に来てもらいたいが)本当に幸せにして差し上げられるのか、悩みました」という誠実さあふれる二つの言葉だった。
 プロポーズに応じた際、雅子さんは「殿下の言葉を信じて二人でやっていけたらと思います。殿下に幸せになっていただけるよう、また私自身もいい人生だったと振り返られるようにしたいと思います」とも話したという。
 お二人の出会いは昭和六十一年。その時、皇太子さまは雅子さんに「心が通じ合うという感じ」という好印象をもったが、その後の交際中断については「(雅子さんの祖父がかつて社長を務めた)チッソの問題もあり、宮内庁でも慎重論が出て、中断もやむを得なかった」とされた。
 しかし、その間も「常に雅子さんのことが念頭に」あった皇太子さまは、そのことについて宮内庁に申し入れたことを明かし、「周囲の意見、考えも大切にしたいと思っておりましたので、雅子さんでいいということで固まった時は、大変うれしく思いました」と、ご自分の立場をわきまえ悩んだことを率直に口にされた。
 雅子さんも、外交官という職業への断ち切れない思いがあり、「外務省を去ることにさびしさを感じないと言ったらうそになる」と複雑な心境をのぞかせたが、「私が果たすべき役割は皇室という新しい道で自分を役立てること。今は悔いはありません」と言い切った。
 どのような家庭を作りたいかという質問には、皇太子さまは「安らぎのある明るい家庭」を挙げ、雅子さんはそれに加えて「苦しい時やつらいことがあった時に、いたわりあって助け合っていくことができるような家庭を」と述べた。
 また皇太子さまは、皇室入りする雅子さんについて「苦労があった場合には私が全力で守って、助けてあげたい」と、この結婚に寄せる強い決意を改めて示された。
 この日の会見には、外国特派員協会の代表としてロイター、ワシントン・タイムズ、CNNの三社も加わった。

http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/konojune/93/93n1c.htm
99可愛い奥様:2001/07/19(木) 17:28

毎日新聞特集記事(94年)

雅子妃のもっとも身近にいた人物に会った。小和田家のお手伝い、皆川薫さん(43)。
「今の雅子さまが、本来の雅子さまだと思います。おっとりした方です。キャリアウーマンは、
マスコミが作り上げたイメージに過ぎません」。結婚後、雅子妃の母優美子さん(58)は
「外務省で仕事をするより、結婚を選んだことはあの子にとって良かった」と話していたと明かす。

 皆川さんによると、雅子妃はお忍びを含めてこれまで東京・目黒の小和田家に5回ほど里帰りした。
うち2回は皇太子さまも一緒だったという。「かいがいしい感じで……。殿下に私が料理を出す時も
手を添えてくれたり、普通の新婚さんですよ。何かを変えようとして皇室に入ったわけじゃないんです。
皆さんが期待され過ぎている」と語る。

控えめな性格については、周囲の見方もほぼ一致する。

 皇室会議の日のロイヤルイエローのドレスを作り、今も雅子さまの洋服作りを手掛ける
ファッションデザイナー、角田明美さん(65)は「初めから静かで優しく、とてもバリバリの
キャリアウーマンという感じではなかった。おばあちゃまとまるで子供のように、コロコロと笑って
話されるのよ」と振り返る。
100可愛い奥様:2001/07/19(木) 17:29

雅子妃殿下33歳 御所内で初の単独会見
一部の皇室報道に疑問提起

皇太子妃雅子さまは九日、三十三歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、東京・元赤坂の東宮御所で記者会見に応じ、この一年の印象、外国メディアや国内週刊誌の皇室報道への疑問、皇太子妃としての立場などについて、率直に語られた。
(中略)
 これからの一年については「自分の立場で何かお役に立てることがあるのであれば、力を尽くしていきたい。皇太子殿下とご一緒に、日々の生活を明るく、生き生きと過ごしていくことができたらと思っております」と抱負を語られた。
 ご自身が、海外メディアで「姿を消したプリンセス」「沈黙する悲しみの妃」などと、繰り返し報じられたことは「ある一つの側面なり、一つのテーマというものを強調するあまり、少し事実にはないようなことを事例として挙げていたり、極端な結論を導いていたりしている」と分析。
 「私の姿が見られるのは列車や車に乗るときだけになったですとか、公の場にはほとんど姿を見せない、といったものもあったようですけれど、本当にそうでしょうか。少し極端に過ぎないでしょうか」と疑問を投げかけられた。
 特に、国内の週刊誌報道などについては「皇室なり、宮内庁なり、私に対して一定の先入観を持って、事実に基づかない憶測を中心として議論を進めている。そして、その上にとてもセンセーショナルな見出しがつけられていることがございます」と批判。「そういったことで、国民の中に皇室ですとか、皇族に対して誤解が生じたり、間違ったイメージが広がっていかなければいいけれど」と懸念を示された。
 皇太子妃の立場と自分らしさの調和については、「私の中に伝統的な部分と新しい部分と両方があって、その時々でどちらの要素をどのように生かしていくかということ」と話された。
 日常生活については「皇太子殿下には何事についても、なるべくよくご相談するように心がけております」と述べ、赤坂御所内で、皇太子さまのジョギングに自転車で伴走をしているエピソードを紹介された。
 最後に、初の単独会見の感想を聞かれると、「のどがからからになりました。今までは殿下がお隣にいらっしゃったので、安心感があったのですけれど。少し緊張して参りました」と笑顔で答えられた。

http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9612/html/1209side07.html
101可愛い奥様:2001/07/19(木) 17:29
雅子妃35歳誕生日会見

Q3:結婚されて5年を過ぎましたが、夫婦円満の秘訣は何ですか。夫婦げんかになったりした時は、どのように仲直りされますか。できればエピソードを交えお聞かせください。

 A:まず何よりも皇太子殿下がいつも大変に寛大なお心で、私のことを温かく見守って下さるということに感謝申し上げたいと思います。幸い、公務なども含め、一日のうちで二人でともに過ごす時間というものが長いものですから、いろいろなことをご一緒に体験することができますことを大変幸せなことと思っております。そして、そうですね、あの、それぞれが関心を持っておりますことにお互いに関心を寄せて、何ごとについても、いろいろと話し合うという雰囲気ができているように思います。夫婦げんかにつきましては、ご期待に添そえないかもしれませんが、仲直りが必要なようなけんかには、あまりなりません。ただ、相手の、相手に不快な思いをさせてしまったかしらと思う時には、素直に謝るということが大切なのかもしれないと思っております。それから、今、犬(注:参照)がおりますけれども、この犬がいるというのも夫婦の仲にとって、とても良いように思います。よく夫婦げんかは犬も食わぬと申しますけれども、けんかの種は割と良く拾って食べてくれるような気がいたします。(一同笑い)

http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/koushitsu/masako/3-01.html

Q4:皇室に入られた当初と現在とで、皇室に対するお考えやイメージはどのように深められたでしょうか。両殿下の皇室での役割、若い世代の皇族としてご自分たちらしさをどんな面で生かしていきたいとお考えですか。

 A:皇室に入りましてから、いろいろなことを経験する機会に恵まれ、大変ありがたいことと思っております。お陰さまで、初めのうちは、右も左もわからず、一つ一つのことを一から教えて頂いておりました。宮中のお行事や、それから公務なども次第に慣れてまいりまして、段々と楽しく感じるゆとりも生まれてまいりました。その中で、皇室の中では、あの、両陛下お始めが、国民の喜び、そして悲しみと伴のう深くお心にお留めになり、そして、あのご自身のお喜び、ご自身の悲しみとして、日々お過ごしになり、また、あの、国民の幸せというものを常に願っていらっしゃるということを幾度となく実感いたします。それから、また、私は以前、普通の生活をしておりましたので、考えてみますと、皇族の公務というものは、一般の方の目に映るよりもかなりたくさんあって、そしてまたあの多岐にわたるのではないかという気がいたします。特に陛下は、皇居でのご公務も大変多くおありになり、そして毎日、大変お忙しい日々を送っていらっしゃいます。そのあたりのことが、国民の皆さんにも広く理解されていると、よろしいんですけれども。そのあたりいかがでございましょうか。

 それから私たちの皇室での役割ということでございますが、やはり、皇室での役割としては、両陛下を私たちの立場でできる限りにおいて、お助けしていくということが大切なことだと思っております。そして、若い世代の皇族としてということでは、皇太子殿下は、いつも私たちと同じ比較的若い世代の人々がどのようなことを考え、どのようなことに関心があり、そしてまた、皇室にどのようなことを期待しているのかということを、常に視野に入れていきたいというふうにおっしゃっていらっしゃいまして、私もこのことを、とっても大切なことだと思っています。それから、殿下にはイギリスへのご留学の経験がおありでらっしゃいますが、その時に大変多くのことを吸収なさっていらっしゃったようにうかがえますので、そのような視点も大切にしていきながら、世の中の様々なことに関心を持っていくことができたらというふうに思います。昨年もお話ししたかもしれませんが、いろいろな新しい考え方ですとか、新しい技術、そういったものに触れていくということも、大切なのではないかと思っています。また、自分たちらしさということに、自分たちらしさを生かしていくということについては、皇室で長い間培われてまいりました伝統というものを大切にするということも、大切なことでございますし、また新しいものを取り入れていくということ、それからまた、自分たちらしさを大切にするということ、それぞれが大切なことだと思います。そしてそのような違ったいろいろな要素を、その時々で、どのようにバランス良く取り入れていくのかということについて、常に考えながら若い世代の皇族としてどのようなことができるのか、殿下とご一緒にご相談しながら、常に考えていきたいと思っております。

http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/koushitsu/masako/3-02.html
102可愛い奥様:2001/07/19(木) 17:29
Q5:最近、公務を離れて興味をもって取り組んでおられること、楽しみにしておられることはどんな事ですか。

 A:楽しみにしていることは、いろいろとございますが、そして以前お話ししたこととも重複するかもしれませんが、1年に何回か自然の豊かなところを訪れる機会に恵まれました折には、そこでいい景色を、きれい、美しい景色を眺め、そしてきれいな空気を吸って、そしてまた、山歩きなどをしながら、植物ですとか、あのそういったものについて、いろいろと教えて頂くこと、それからまた、そういう空気のきれいなところでは、夜には天体観測をしたりすることも大きな楽しみになっております。それから、日々の生活では、先程もお話しに出しましたが、犬たちとの散歩ですとか、いろんな触れ合いを通じて、たくさんの楽しみや喜びを見いだしております。

 それと今年の夏、クワガタムシ(ノコギリクワガタ)の、昆虫のクワガタですけれども、クワガタが、ここの、御所の窓の外の所で、弱っているのを見つけまして、私自身ここにクワガタがいるということ自体、驚きだったんでございますけれども、皇太子殿下がお小さいころに、クワガタやカブトムシもここにたくさんいたとかっていうことで、殿下も大変久し振りに御覧になられたということでしたけれども、クワガタが弱っておりましたので、保護いたしまして、飼育いたしました。そして、その後、雌を加えて、一緒に飼育いたしましたところ、繁殖いたしまして卵を産んで、それで今は幼虫を飼育しております。幼虫の飼育というのは、取り掛かってみて分かったんですけれども、クワガタの場合、成虫になるまでには3年ぐらいかかる、ということで、割と長い、3年がかりの仕事になるかしらと思っておりますけれども、子供のころに、親しんだ昆虫にまた触れることができて、そのことによって、いろいろな、たとえば虫ですとか、そういった小さな命一つ一つが、大変いとおしく思えてくるものでございまして、そのようなことから、現代の子供たちにも、そういう体験をすることっていうのは、とても大切なことなのではないかしらというふうに感じております。

 それから一つ新しいことといたしましては、皇太子殿下やそれからご家族やほかの皆様とも音楽、何か、アンサンブルですとか、そういったものを、演奏をご一緒できたら楽しいかしらと思いまして、フルートを始めたっていうことがございます。これは上達するまでには、長い道のりだと思いますけれども少しずつ、楽しく練習していかれたらというふうに思っております。ほかには、皇室の伝統でございます和歌、書道は、引き続き楽しく学ばせて頂いておりますけれども、たまに殿下とご一緒に絵を描くこともございます。絵と申しましても、大体あの、草花の写生なんでございますけれども、そうやって写生をしてみますと、写真とはまた違いまして植物の細かいところを、いろいろ見ることになって大変新しい発見がたくさんございまして、世界が広がるような気がいたします。このようにして、いろいろと新しいことを試してみますと、楽しい発見がございますので、大変幸せなことと思っております。

http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/koushitsu/masako/3-02.html
103可愛い奥様:2001/07/19(木) 17:56
雅子妃36歳誕生日記者会見

問3  ご公務でお忙しい日々を送っていらっしゃる中での気分転換やリラックス法があればお聞かせください。

皇太子妃殿下  確かに私たちの生活では,仕事と生活の境というものが余りはっきりしていず,ふだんの生活と公務が非常に近く結び付いているという面がございますので,ふだんの生活の中でうまく気分転換を図るということは確かに大切なことのように思います。公務の間に余裕を見いだすことのできる何日間というのがございます時には,幸い御用邸の方で過ごさせていただき,そこで山へ出掛けましたり,それから,自然の中でゆったりと過ごさせていただいているということは大変有り難く思っております。また,ふだんの生活の中では,まず皇太子殿下に何でも,何についてもお話ができるということを本当に幸せなことと思っております。やはり話をするということでいろいろな意味で気分が楽になるということは随分とあることなのではないでしょうか。
 それから,私にとりまして,今飼っております犬たちと一緒に過ごす時間というのもホッといたしますし,大切な時間となっています。例えば,一日の日程を終えて,あるいは夕方に公務があったりいたします時は,その公務の間の時間を見付けて,夕方,犬たちを連れてここの御用地の中を散歩いたしましたり,自転車で回ったりいたしますと本当に良い気分転換になります。もう少し時間があります時には,皇太子殿下とご一緒にテニスをさせていただきましたり,楽器のフルートの練習をいたしましたりもしますけれども,最近は,秋の日程が忙しかったこともあり,フルートの方はしばらくレッスンをごぶさたしてしまっているような状況になっています。後は,一日の終わりに,夜,本を読んだりというようなことも休息になるような気がいたします。


問4  今年は,北海道や岩手八幡平,那須などへの,皇太子様とのお出ましがありました。日常の生活も含めまして皇太子様との生活の中で夫婦のきずなを深められたことや新しく発見されたこと,そして,妻として皇太子様に望まれることがありましたら,お聞かせください。

皇太子妃殿下  今年は,北海道での冬の国体への出席の後,一日お休みを頂くことができまして,クロスカントリースキーを楽しむ機会に恵まれました。クロスカントリースキーを習うのは初めてのことでしたけれども,林の木立の中で木漏れ日を浴びながら滑るというのは,とても気持ちよく大変楽しい時間を過ごすことができました。夏には,先ほどおっしゃられた八幡平,そして,志賀高原の方に参ります機会を得て,そして,そこで美しい高原を歩き,また,案内の方から植物ですとか,自然のことについていろいろ教えていただくなど,大変楽しい滞在をさせていただきました。皇太子様と御一緒にこのような経験をさせていただいて,段々と世界が広がっていくということを大変うれしく思っております。
 ふだんの日常生活では,先ほどもちょっと申しましたけれども,皇太子様がなるべくいろいろなことについて一緒に考え,そして,話し合おうというお気持ちでいらしてくださることを大変幸せなことと思っております。そしてまた,例えば音楽ですとか,自然や動植物との触れ合い,天体観測,時折絵を描くことなどを通じて,それから,日々犬たちを伴って一緒に過ごす時間などを通じ,いろいろな楽しみを分かち合ってくださいますことを大変有り難く思っております。
 皇太子様は,大変お体がお丈夫でいらっしゃいますことを,私は心強く感じておりますけれども,これからも,いつもお元気でいらしていただけますようにと願っております。そしてまた,私自身,何かお役に立てますよう努めたいと思っております。

http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h11.html
104可愛い奥様:2001/07/19(木) 17:56

雅子妃37歳誕生日前記者会見 (2000年12月7日)

問2 昨年末には残念な出来事がありました。これまでのお気持ちをお聞かせください。

雅子さま
  国民の皆さんの期待もある中で、昨年の暮れの結果は私も残念に思っております。
 そしてまた同時に、非常に早い段階から、報道が過熱してしまったということについて正直申しまして、戸惑いを覚えたことも事実でございます。
 その間、皇太子殿下には、常に深い思いやりを持って、私を包み支えてくださいました。また両陛下にもこれまでずっといつも変わらず、温かく支え、お励ましいただきましたことを心より感謝申し上げております。おかげさまで、お医者さま方に大変良くしていただきまして、順調に回復することができましたことを深く感謝いたしております。
 そしてまた、国民の皆さまからも大勢お便りをいただきましたり、温かい励ましをいただきましたことも、忘れられないことでございます。どれほど多くの方々の善意に支えられて自分があるのかということを身に染みて感じました。国民の皆さんの温かいお気持ちにこの場をお借りして、深くお礼を申し上げたいと思います。

http://www.sponichi.co.jp/society/kiji/2000/12/09/03.html


問3 今年の夏には体調の理由から、斂葬(れんそう)の儀や地方でのご公務の日程を変更されました。9月以降には那須御用邸や裏磐梯などでご静養の機会も設けられました。この間のご体調やお気持ちをお聞かせください。
105可愛い奥様:2001/07/19(木) 17:56
皇太子殿下お歌
 我が妻と旅の宿より眺むればさざなみはたつ近江の湖(うみ)に

雅子妃殿下お歌
 君と見る波しづかなる琵琶の湖(うみ)さやけき月は水面(みのも)おし照る

平成12年歌会始お題「時」

雅子妃殿下お歌
 七年(ななとせ)をみちびきたまふ我が君と語らひの時重ねつつ来ぬ

◇平成13年(2001年)歌会始お題「草」

雅子妃殿下お歌

 君とゆく那須の花野にあたらしき秋草の名を知りてうれしき

http://www.zakzak.co.jp/spo/s-2000_03/image/s2000033007masako_b.jpg
http://www.shufu.co.jp/magazine/kousitu6/images/wata6_l.gif
http://www.sponichi.co.jp/society/kiji/2000/12/09/20001209010657.jpg
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/masako/graph/03.jpg
『元級友が明かす知られざる素顔』

「東京大学から外務省に入ったキャリアウーマンが皇室の
 因習の中で・・・でも私が見た雅子さまの実像は全然違う」

工藤雪枝(キャスター・ジャーナリスト)

●友人が妃殿下になった日

 1993(平成5)年の一月初旬、当時の小和田雅子さんが皇太子妃に内定したというニュースが発表となった日、私の家の留守番電話はパンク状態となってしまった。たまたまその日は、私は地方に出かけており、「内定」のニュースさえも気づかないでいた。そんな中、家に戻ってくると、日本のテレビ各局、また様々な新聞社、雑誌社からのメッセージが入っていた。
 どれも「もう既にご存知でしょうが、今回の件について、コメントをいただきたい」という非常にあいまいなものだったので、何だろうと思いつつテレビをつけて、私は大学時代の仲のよい友人が皇太子妃に内定したというニュースを知ったのだった。
 そのとき、既にテレビのキャスターとして、またジャーナリストとして仕事をしていた私にとって、職業的理由を鑑みても、その日を境に、これまでの「友人」は、もうお会いできない存在となった。またもちろん、現雅子妃殿下にとっては、その日を境に、自らの一挙手一投足が、世間の注目を浴びることになった。友人として、その幸せなニュースを心から祝福すると同時に、その日から、雅子妃殿下と私はもう気軽にお話ししたり、お会いできなくなるのかと一抹の寂しさを感じた日だった。
 雅子妃殿下と私がはじめて出会ったのは、86(昭和61)年、私が東大の法学部の学生だった頃、雅子さまが米国のハーバード大学を卒業されて、東大の法学部に学士入学されたのがきっかけだった。当時の私の親友が、学士入学組で、雅子さまと同じ系列の学校に高校まで通っていたこともあり、我々三人、また時にはもう一人加わって四人で食事をしたりしていた。その頃は、雅子様が皇太子妃になられるという噂さえ出ていなかった。雅子様は既に外交官試験に合格されたばかりだった。
 私達は雅子さまのことを、「オワ」というニックネームで呼んでいたのだが、外交官試験に受かって外交官として、様々な土地に赴任していくであろう彼女の結婚相手を心配して、「外交官になったら、やはり芸術家と結婚するしかないんじゃない。もし相手が作家とか画家だったら、オワの赴任するところに、どこにでもついてきてくれるわよ。」などと、今から考えると大変失礼極まりない「提言」までしていた。オワはそんな私達の提案を「そうね」といいながら、半ば面白そうに、微笑みながら聞かれていたのを思い出す。
 その後、オワが雅子妃殿下になられてから、大変な量の情報がメディアによって流された。私自身も、当時はテレビ朝日でフリーのキャスターとして仕事をしていたこともあり、テレビ朝日の皇室関係の特番やご成婚の際のニュース番組など数多くの番組の取材を受けたり、友人として出演もした。他の民放はもちろんのこと、海外のメディアでもアメリカの三大ネットワークのCBS、NBCをはじめ英国のBBSの取材を受けた。他にもニューズウィークの国際版が「静かなプリンセス」(原題「サイレントプリンセス」)という特集を組んだときにも、文章を寄稿した。しかし、雅子妃殿下に関する報道や記事を目にしたり、自分自身が取材される中で、次第に疑問に感じるようになったのは、雅子妃殿下の本当の姿がマスコミの都合で歪められていることだ。
 私自身は、たとえ短い期間であったとはいえ、親密なお付き合いを通じて、雅子妃殿下のお人柄や、本当の姿にいろいろな形で触れることができた。ところが、日本の、そしてまた海外のマスメディアは彼女の本当の姿を知らずに、多くの面で勝手に誤解し、また造られたイメージに振り回されているように思う。私自身、そういった面を少しでも是正できたらと考えて、これまで数多くのメディアの取材に応えてきた。メディアを通して伝えられる雅子妃殿下の情報が少しでも正確なものになるようにと、自分なりに使命感のようなものを感じて、できるだけそのような依頼に応じてきたつもりだ。
 しかし、テレビの場合でも、また活字の場合でも、私自身が言いたいこと、雅子妃殿下の人となりといったものが、「編集」という作業を経てみると、歪んで伝えられるということを身をもって体験するようになった。事実に近いことを話せば話す程、その部分は編集でカットされ、「不幸せで、かわいそうなプリンセス」というマスコミの望むイメージにそったコメントが部分的に使われるということを、嫌と言うほど経験した。
 たとえば、某民放の取材を受けたときなども、「雅子妃殿下はお幸せだと思いますか?」という問いに対して、私は「お会いしていないので、詳しいことは分かりませんが、いろいろな方から伺うところによると、お幸せだということですよ」と答えた。しかし、結局、番組で使われていたのは、「お会いしていないので、詳しいことは分かりません」というパートだけだった。その後の場面は、「友人にも会えない妃殿下、友人達も、妃殿下の今の生活がお幸せかどうか分からない」といった流れで作られた。
 私が結婚後の妃殿下にお会いしていないのは、自分がジャーナリストであることからこちらからご遠慮しているのが一つ。また宮内庁記者クラブの「慣習」で、マスコミ一社が代表して皇族に会うことは許されないという制約があるからで、決して、今の妃殿下が友人にも会えない閉ざされた環境にいらっしゃるということではない。
 そういう点も含めて、少なからず雅子妃殿下の素顔を見知った者として、また数多くのマスメディアの取材を受けてきた者として、我々日本人が、否、世界の人々が雅子妃殿下に対して抱いている幻想や誤解を少しでも改めるべく、この文章を書くことを決意した。雅子妃殿下を擁護するための文章を書こうとしている積りはなく、妃殿下に関する報道のあり方に疑問を感じる一ジャーナリストとして、様々な報道と事実の違いを明らかにしたいという一心から筆を執った次第である。
●ご結婚に至るプロセス

 多くのメディアの論調に見られるものだが(特に海外のメディアに多いような気がするが)、雅子妃殿下が「不幸」である理由の一つとして、そもそもご結婚にいたるプロセス自体が、周りからお膳立てされたもので、雅子妃ご自身の意志を無視したものではないか、ということを挙げている。
 皇太子殿下と雅子妃殿下との関係が結婚へと発展していくにあたっては、外務省関係者など、いわゆる「仲人」のような方々の存在があったことは、事実である。
 しかし、たとえそのような状況から始まったご関係であっても、雅子妃殿下は、「皇族の方に求婚されて断れないから」という理由で、ご結婚を決められたわけでは決してない。ご自分の意志でお断りしてもかまわないということは、最後まで自覚しておられた。プロポーズをお受けするにあたっては、周りのプレッシャーから決められたのではなく、あくまでご自身の意志で決断された。
 そもそも、雅子妃殿下が、皇太子殿下とのご結婚を承諾されたのは、92年12月12日のことだとうかがっている。その直前の11月、共通の友人の結婚式で、私と雅子さまとは席が隣同士となり、久々に、ゆっくりとお話することができた。
 その日は丁度アメリカの大統領選挙の結果が出る日と重なっており、二人で「クリントンが勝つとどうなるか?」などと話をしたのを覚えている。私が気軽な気持ちで、「オワは結婚はどうするの?」などと質問を差し向けると、「私はまだまだよ」などと屈託なく答えておられた。
 でも、あとでうかがったところでは、雅子様にはその半年ほど前から、皇太子殿下からプロポーズの意志が表明されていたという。それから半年程の間に、雅子さまは皇太子殿下の誠実なお気持ちに対して、ご自身も誠実にお応えしようという気持ちに次第になっていかれたとのことだ。
 学生時代から、雅子さまはどちらかというと、積極的に、あるいは自分から主体的に行動するタイプではなく、周りから何かを望まれて行動に出るとか、周囲の期待にご自身の気持ちを協調させていくというタイプの方だった。おそらく殿下の心からのお気持ちに応えるように、ご自身の気持ちを熟成されていかれたのだと思う。短いながらもしっかりとした殿下とのお付き合いを通して、雅子様の心の中に殿下に対する深い尊敬と信頼の念が芽生えたともうかがっている。
 正直なところ、私も突然の「内定報道」には、「オワの女性としての気持ちはどうなのだろう?」などと心配したこともあった。
 でも、実際、結婚のご内定が明らかになり、報道陣の前に姿を見せた雅子様は、私達友人がこれまで見たこともないような、幸福な女性でなければ見せられないすばらしい笑みを浮かべていた。それを見て、私は、「オワは本当に幸せなんだな」とホッとしたのを今でもよく覚えている。また、ご成婚の時のパレードでも、雅子妃殿下は本当に輝いていた。今、お二人の、仲睦まじいご様子をテレビなどで見るにつけても、お二人の気持ちはしっかり繋がれていると確信している。雅子妃殿下は、皇室の中での振る舞いその他のことでも、皇太子殿下の適切なアドバイスを最も頼りにされており、折りにふれ相談されていると聞く。
●「キャリアウーマン志望」は間違い

 これも多くのメディアで語られていることだが、雅子様は外務省のキャリア外交官としての華々しいキャリアをお持ちでありながら、もったいないことにそれを捨てて皇室に入ったという、彼女の「職業上の選択」を嘆く(?)議論がある。
 私は、この点で、マスメディアも、そして一般の人々も最も大きな誤解があると思う。多くのテレビ映像や、写真で報道された颯爽としたキャリアウーマンの雅子様は、キャリア指向の強い、バリバリの働く女性としての印象を与えたかもしれない。でも、私が知る実際の雅子様は、一般に流布している、いわゆる「男勝りのキャリアウーマン的資質」を、ほとんど持ち合わせていない。
 こう書くと、外務省時代の雅子さまに対して失礼かもしれないが、大学時代から、雅子様ほど、今では化石となってしまった感がある「大和なでしこ」のような方はいないというのが、友人達皆の意見だった。私達が数人で、お茶を飲んでいる時も、いつも話をしているのは私かもう一人の友人で、ご自分のほうから何か話をされるということはあまりなかった。雅子様ほどの聞き上手はいないというくらい、どちらかというと大変おっとりして、のんびりしたタイプの女性だった。
 雅子様は、世界各地で教育を受けた国際人でありながら、「自分はやはり日本人として、日本のために生きたい」と考えて、帰国を決意されたと聞く。私が見るかぎりでも、自分の考えを胸の中でしっかりと捉えて、表面的に大騒ぎしたりしない安定感を持っておられたという印象が強い。当時の東大の女子学生はキャリア指向を強く持ち、自分を全面的に打ち出していくようなタイプの女性が多かった中で、雅子さまはとても自然体だった。キャリアウーマンというよりも、いい母親になるのではという感じさえ私は持っていた。同時にどんな環境にも自然に馴染む柔軟性を持っていらした。
 そんな雅子様の資質を考えると、外務省のバリバリ外交官よりも、むしろ皇太子妃のほうがあっていらっしゃるように思える。流れる水のごとくどんなシステムにも、自分を合わせていく類まれなる資質をお持ちだったからだ。人を押しのけるようなアグレッシブな面とか我の強さといったことは、全くといっていいほど持っておられなかったので、私たちは雅子さまとお話ししていると、自然な安らぎを感じられた。外務省のキャリアを捨てたのがもったいないという感覚は、私たち友人には当時も今も基本的にない。
 また私の友人等から聞いた話では、何よりもご本人が、外務省の仕事に関しては、このまま続けていくと、体力的にも精神的にも疲れてしまうのではないかという気持ちを持たれていた時期もあったという。そういった意味でも、雅子妃殿下ご自身の後悔はないと確信している。東大法学部から外務省=キャリアウーマン志向というマスコミの見方は、あまりに短絡的ではあるまいか。別の見方をすれば、皇太子妃という「仕事」のスケールの大きさを考えると、雅子様は外務官僚以上の、重大な仕事につかれた訳でもある。
 大学時代から、雅子様は不思議なオーラをお持ちで、ほんの短時間しか彼女とお話ししたことのない人をも、あっというまに魅了する素晴らしい能力をお持ちだった。その資質は、むしろ皇太子妃として、よく生かされるのではないかとも考えている。彼女が教室にいらっしゃっただけでも、雅子様を取り囲む空気は何となくよそと違っているような存在感があったと記憶している。
 私は、当時から、雅子様は将来何か凄いことをしてくれるに違いないと、心の中で何となく確信していた。皇太子妃になられるとは予想していなかったが、今から振りかえって考えると、雅子様は初めからそう運命付けられていたのではないかという気もするくらいだ。
●ハーバード大学と日本の皇室

 これは主にアメリカのメディアを中心として海外のメディアが指摘することであるが、何故ハーバード大学まで卒業した才媛が、日本の皇室のように伝統的な、そして外からみると不可解な世界に入るのかという疑問がある。
 この疑問の背景には、皇室自体を何か神秘的でミステリアスで合理的でないものとする、一種、エキゾティズムの上に乗っかった思想があると思う。こうした議論をする人々にとって、ハーバード大学は、自由、合理性、そして西洋的なものの象徴であり、一方日本の皇室は、不自由、非合理性、そして東洋的なものの象徴なのである。
 さまざまな伝統やしきたり、そして独自の文化など、海外メディアにとって、日本の皇室というのは、「わけのわからない日本」の象徴として格好の材料になっている感がある。その理由として、皇室や日本についての知識の欠如が挙げられる。
 たとえば、アメリカのCBSが製作した世界の皇室や王室を取材する特別企画の「シックスティ・ミニッツ」の中で、アメリカ人特派員が、皇太子ご夫妻がお住まいの赤坂御所ではなく、お堀の前で皇居のほうを指差しながら、「この多くの緑と塀に囲まれた敷地の中で、いったい雅子妃殿下は何をしているのか、我々には少しも窺い知ることはできません。」という、事実誤認の記者リポートを行なっていた。
 加えて、これがまさにアメリカ的価値観であると思うのだが、事実がすべてクリスタルのようにクリアーでなければ、問題を感じるという「情報開示の国」アメリカと、一方、物事はすべてを明らかにするところに本質があるわけではないとする「隠しの美学」を持つ国日本のカルチャーギャップがある。
 海外メディアの多くが、ハーバード大学まで出た女性が、どういう理由か、何の価値もない生活に自分の身を置いているという発送で、今の雅子妃殿下を捉える。日本の皇室に対する、変な意味での神秘主義、そして実態がわかっていないのに、自分たちの価値観でだけそれを捉えようとする態度が感じられる。
 実際、皇太子妃というのは、インテリジェンスと感受性を必要とする職掌であると考える私にしてみれば、ハーバード大学を出たからこそ、皇室に嫁ぐというのももっともだという意見の一つぐらいあってもいい気がするのだが・・・。
●「かごの中の鳥」は本当か?

 ニューズウィークが大々的に雅子妃殿下の特集を組んだときにも、「かごの中の鳥」という言葉が比喩として使われていた。「かごの中の鳥」論は内外両方のメディアによってなされている議論で、雅子妃殿下は自由に買い物をしたり、赤坂御所の外に出たりすることができない、それが可哀相であり、雅子様ご自身も不自由に思っていらっしゃるに違いないというのである。
 このような報道は、私にはマスメディアの無責任さが感じられるところだ。故ダイアナ妃の場合は少し違ったかもしれないが、たとえば、英国王室のメンバーが自由に外出したり、また99年6月に結婚したエドワード王子やその妻ソフィーのようにそれぞれが職業を持つというのは、王室をある一定の距離を持って見つめるという、成熟したマスコミと一般国民の存在を前提にしていると思う。果たして、日本のワイドショーなどのメディアを見ていると、そうしたいい意味での皇室への「距離感」が可能であるかどうかは、はなはだ疑問である。
 ニューズウィークがとりあげた「沈黙するプリンセス」というテーマにしても、そうした状況を作り上げたのは、宮内庁もさることながら、今のマスメディアにも責任があるのではないだろうか。
 たとえば、お二人が、ご結婚内定後、初めて開いた記者会見の中で、雅子さまが、わずか数十秒ながら皇太子殿下よりも長くお話しになったというので、批判を受けたということがあった。こうしたことにもっと寛容にならなくては、皇室のドアは、我々に向けてますます閉じられてしまうだろう。
 もう一つ疑問なのは、雅子妃殿下ご自身が、こうした状況にフラストレーションを感じておられるかのような論調である。大学時代以降に私が知っている妃殿下のご性格を考えると、マスコミが言うような不自由さを妃殿下が感じておられるとは私には思えない。雅子様は皇室に入る際に、さまざまな制約があることを十分理解して、ご結婚を承諾されたはずだし、「沈黙」といってももともと自ら積極的にお話しされるご性格でもない。
 現在の雅子妃殿下はご自身の妃殿下としての立場を全うしようと尽くされておられるとうかがっている。そこは、英国の故ダイアナ妃が、二十歳という若さで、王室のメンバーになることの責任と自覚の欠けたまま結婚し、後になって「こんなはずはなかったのに」とがっかりされたのとは、全く異なっている。妃殿下は責任と義務のためには、自分の自由を犠牲にして尽くすことを潔く行える方だと思う。
 たとえのレベルが違うかもしれないが、雅子さまが、まだ小学生だった頃、クラスの「動物係」に選ばれたことがあった。その際、雅子さまは毎日誰よりも朝はやく学校に出かけては、動物の面倒を熱心に見ていたという。また、その後、大学時代も、外交官試験に受かってからは、私達と一緒によくお茶を飲んだり食事をしたりされていたが、私よりも歳が上で早く試験を受けられる状況にあったので、試験が済むまでは、お茶などに立ち寄ることなく毎日、授業が終わるとすぐに自宅に戻られて勉強をされていた。そうした意味でも、責任感と達成意欲の大変高い方であると常々思っていた。
 雅子さまはちょっと不思議なところというか、浮世離れしたところがあって、当時から、私や友人が語る大学の授業やシステムに対する不満なども全く感じない、いい意味での鈍感さをお持ちだった。普通、人間は誰でも、自分の置かれている環境に対して、「これがもっとこうだったらいいのに」とか、「これはこうあるべきだ」という考えを持つものだ。
 だが、雅子妃殿下の場合は、どんな理不尽なことが起ころうとも「柳に風」とばかりに、サラリと受け止めるという能力を持っておられた。最初に雅子様が妃殿下に内定したというニュースを聞いたとき、私ともう一人の「仲良しグループ」の友人は「大丈夫かしら?」と心配した。しかし、二人で考えれば考えるほど、雅子様の「柳に風」スタイルは、日本の皇室の妃殿下という難しい立場にお成りになるのに相応しいのではないかという結論に達したのだった。
 そのような雅子妃殿下の性格をよく表しているのが、これほど多くの報道がされているにもかかわらず、妃殿下はご自身に関する記事をほとんどお読みにならないということだ。故ダイアナ妃が、マスコミの取材対象となることを嫌がりながらも、一方で自分のことを扱った記事や新聞をチェックし、また時には自分の書いて欲しいことを書いてもらえるように、マスコミや友人に情報をリークしたり、新聞の記者やテレビのプロデューサー達をケンジントン宮殿に招いていたのとは大きな違いだと思う。
 日本の皇室でも美智子皇后は、ご自分の記事や番組をご覧になり、またご友人達にもご自身の気持ちをよくお話しになっているという。そのことで、美智子様のご様子が我々国民に比較的伝わりやすいということもあるようだ。
 しかし、幸か不幸か、雅子妃殿下にはそうした「欲」のようなものが一切ない。それがマスメディアや一般の国民からすると「不自由な、外界との接触が断たれた環境にいる」ように見えてしまう。
 そこに一般の人々が想像する「雅子妃殿下」像と実像との、大いなるギャップがあるのではないか。また、雅子妃殿下をよく知る方のお話によると、妃殿下は自分の妃殿下としての任務と責任を果たすことに懸命で、不自由や窮屈を感じるようなメンタリティではないとのことだ。
●お世継ぎ誕生のプレッシャー

 最近の女性週刊誌などは、皇室の「お世継ぎ問題」を抜きには存在しないというようなありさまだ。
 このテーマから抜け出せないところに、「キャリアウーマン」出身の妃殿下が、皇室に革命的な変革をもたらすことを期待しながら、一方で日本古来の家族制度的価値観から抜け出せないという、マスメディアの自己矛盾を感じる。
 お二人の間にお子様がまだ生まれていないことで、「もしかして夫婦として仲がよくないのでは?」という疑問を差し挟む向きもあるようだが、お二人に実際にお会いしている人々から話をきくと、雅子妃殿下は心から殿下のことをご尊敬しているし、お二人が一緒に(公の席ではなく、プライベートに)いらっしゃるときも、大変仲睦まじいご様子であるという。
 現在の雅子様は、カメラ、音楽、テニス、山登りなどを殿下と共に愉しむというご様子で、お二人にお会いしている方の話によれば、「ご結婚前は、充分時間があってしょっちゅうお会いしていたお二人というわけにはいかなかった分、ご結婚生活の中で恋愛感情をお育てになっている」とのことだった。そうした意味でも、ご結婚されて数年間はお子様がいないお二人の生活の中で、お二人の関係をさらに育んでいかれているのは、むしろ望ましいことで、夫婦仲のよろしいことの証左ではないか。
 ただ、お子様のことについては、雅子妃殿下ご自身もプレッシャーを感じておられるようだ。宮内庁関係者によると、天皇・皇后両陛下もお子様を早くと期待されている。また、宮内庁でも、お世継ぎができるまでは、外国訪問の行事は入れにくい空気があるらしい。
 実際に外務省には海外から招聘の申し込みが数多く届いているようなのだが、宮内庁にまわってきた段階で、なるべく控えるという結論を出さざるをえないという。たとえば99年は、ドイツで「ドイツにおける日本年」という国をあげてのイベントが始まっている。その名誉総裁でいらっしゃるのが皇太子殿下なのだが、そうした背景があってか、ドイツの招きを受けて、9月の開会式典に出席されたのは秋篠宮殿下だった。
 こうしたことは、日本にとってもまた諸外国にとってももったいないことであろう。いっそのこと、お世継ぎが生まれるまでという考えを改めて、積極的に外国訪問を行っていってはいかがだろう。
 皇太子殿下と妃殿下の魅力と資質をもってすれば、素晴らしい仕事をされると思うし、お二人ともまだ若く体力もおありになるのだから、以前にも行かれた中東だけでなく、いわゆる発展途上国にも行かれて、日本の皇室外交を充実していただきたいと願うものである。
●皇室の在り方

 最後に皇室の在り方について思うところを述べさせていただきたい。それは、いわゆる先例主義を廃止して、新しい皇室像を作り上げるために、皇太子殿下と妃殿下という若いカップルの資質をもっと生かしていくべきではないかということだ。
 今の皇室では、さまざまなことが、先例主義で規定され、先例がないものはなかなか実現にいたらないと宮内庁関係者から聞いた。
 確かに先例では、お子様を生む前に積極的に外国訪問に出るべきではないということになるのかもしれない。
 しかし、世の中は刻々と変化している。たとえば夫婦が共に仕事を持ち、あえて子供をつくらないという人々も確実に増えている。国全体でいえば、そうした夫婦の増加が少子化傾向に拍車をかけるという問題点はある。しかし、だからといって、若いカップルがお世継ぎ問題のことばかりクローズアップされるのはお気の毒である。常に国民と共にありたいと願う皇室を実現していくのであれば、皇室の有する価値観も過去の歴史にばかりとらわれるのではなく、同時に将来も見据えていく必要がある。
 皇太子殿下、妃殿下については、新しい時代に合った新しい価値観を作り上げる役割を担っている方々であると、私は認識しているし、マスメディアそして国民もそうした意味で彼らを暖かく見守っていくべきではないだろうか。
 私が、特に妃殿下にご期待申しあげるのは、たとえ地味でも構わないから、ご公務のなかからご自分が共感できるテーマを見つけられて、それと共に歩んでいっていただきたいということだ。今の、「お子様ができるまでは……」といった風潮の中では、難しいことなのかもしれないが、雅子様の人間的器の大きさを知る者として、大いに期待したいところだ。
 雅子様は、婚約後の記者会見の中で、「後悔のない、良かったと思える人生にしたい」とおっしゃった。果たしてそのために妃殿下は何を突き詰めていくのか、具体的に何を追及していかれるのか、もし私が雅子様にインタビューできるとしたら、その点をぜひうかがってみたい。
 単に家柄がいいなどの理由ではなく、雅子様のお人柄、そしてご自分で努力して手にいれたキャリア等を皇太子殿下が誰よりも評価したからこそ、お二人はご結婚されたと思う。そうした意味で、お二人のご結婚は日本人の意識を大きく変革したといえよう。今後も、皇太子殿下そして妃殿下の生きる姿勢が我々を勇気づけ、意識を共有しあえるものであってほしいと心からご期待申しあげたい。
115可愛い奥様:2001/07/19(木) 18:08
>1(自作自演ばかりだね)

あんたがそう思いたいだけ。
116可愛い奥様:2001/07/19(木) 18:14
雅子さま懐妊の兆候

 待ちに待った吉報が飛び込んできた。宮内庁は十六日、皇太子妃雅子さま(37)に「懐妊の兆候がみられる」と発表。長引く景気低迷など暗いニュースが多い中、二十一世紀最初の明るいビッグニュースに県内関係者は「元気なお子さんを」と早くも祝賀ムードに包まれた。
 皇太子さま(41)と雅子さまは、これまでおそろいで四度来葉。一九九四年三月、千葉市の幕張メッセで開催された世界フィギュアスケート選手権大会や九七年の東京湾アクアライン開通式典に出席され、“ロイヤルスマイル”を披露されてきた。

 近くは今から二年前の九九年二月四、五日の南房総方面へのご旅行。初日に立ち寄った館山市館山の県立安房博物館では房総の海と生活に関する資料を熱心に視察された。当時同館の学芸課長だった大原正義さん(48)=現大利根博物館学芸課長=は「中世海運史に詳しい皇太子さまが自ら雅子さまに説明されていた。仲むつまじさが印象的。三十分の予定が一時間近くに延びてしまいました」と振り返る。

 二日目は富山町の富山(標高三五〇メートル)に登られ、大島や富士山の眺(ちょう)望を楽しまれた。ガイドとして同行した同町内の浦辺和雄さん(77)は両殿下と交わした「ウサギの話」が忘れられないという。「お出迎えできなかったふもとの小学生たちが、学校のウサギをかわいがりながら雅子さまを思っていますと話したら、雅子さまはちょうどウサギ年でした」とまるで昨日のことのように話す。「石段で皇太子さまは雅子さまに必ず手を差し伸べて、いたわっていられました。懐妊のニュースを聞いて思わずバンザイです」。

 続いてご夫婦は県南房パラダイスを訪問。約一時間にわたり園内を散策された。当時写真を担当した広報の福原弘文さん(34)は「温室の中でお二人はいつも寄り添っていられた。周囲にも気軽に手を振られ、雅子さまはテレビで見るより、にこやかで柔和な表情のお方でした」と印象を語り、喜びを表した。

http://www.chibanippo.co.jp/news-box/2001/4-17/shakai.html
117可愛い奥様:2001/07/19(木) 18:14
≪列島に広がる祝福と気遣い≫

◇ゆかりの人々
 雅子さま「ご懐妊の可能性」のニュースは、ご夫妻とゆかりのある人たちにも伝わった。
 小和田家と家族ぐるみで交際していた尚美学園大の井口武夫教授(七〇)は「雅子さまはスポーツ好きで優秀なお子さんだった。前回のこともあるので、懐妊されたことはつつましやかに、心から喜んでいます。きっと優秀なお子さんが生まれることと思います」。
 雅子さまとボストンの高校で同窓だったピアニスト、月川真理奈さん(三七)は「大変うれしく思っております。デリケートな時期を過ぎましたら、音楽や美術などでお体を和ませる機会を早くお持ちになって、健やかな赤ちゃんのご誕生の日を迎えられますようお祈りしております」と気遣った。
 ご夫妻のお見合いの場となった宮内庁新浜鴨場の当時の鴨場長だった菱沼吾朗さん(六八)は「国民みんなが待っていたお子さま。これからお体を大事にしてください」。
 ご夫妻は毎年のように那須の山々で登山を楽しまれている。その案内役を務めてきたのが那須山岳会会長の大高登さん(七二)。「登山の際の仲むつまじいお二人の姿が思い浮かび、本当に喜ばしく感じます。雅子さまは(健脚の)皇太子さまと足並みをそろえて歩かれるほどで、生まれてくるお子さまは元気で健やかなことでしょう。お子さまと三人で那須の山にいらっしゃることを今から、楽しみにしております」と喜びいっぱい。
◇街の人々
 街の人々からは「本当に良かった」「おめでたい」という喜びの一方、「そっとしてあげたい」「騒がないで」など、雅子さまを気遣う声が聞かれた。
 息子の結婚式で上京した広島県安芸郡の主婦、池永豊子さん(六七)は「待ちに待った、という気がします。息子の結婚式と併せて二重の喜び」。東京都足立区の高校生、嶋田久恵さん(一七)は、「本当によかった。おめでとうございます。明日の日本を担う元気なお子さんを産んでほしい」とエールを送った。
 中には少し気の早い注文も。観光旅行で皇居を訪れた福岡県大牟田市の無職、塚本寿嘉さん(七九)は「皇位継承という問題になれば、子供は二人、三人と多い方がいい」と笑顔をみせた。
 高まる期待と呼応するように、雅子さまのお体を心配する声もあった。名古屋市の無職、坂野和隆さん(六二)は「国民的に喜ばしいこと。男の子が生まれれば最高にいいと思う」としながらも「一番、大事な時期なので、そっとしておいて」と話す。埼玉県所沢市の大学生、江積美保さん(二一)も、「この前は周りが騒ぎすぎた。高齢出産で不安な面があるかもしれないけど、周りのことは気にせず体を大切に頑張ってほしい」と気遣っていた。
118可愛い奥様:2001/07/19(木) 18:14
雅子さま懐妊の兆候に祝福の声

 皇太子妃雅子さまに懐妊の兆候がみられると公表された十六日、テレビなどで吉報を知った県民からは、「本当におめでたい」「お体を十分いたわって元気なお子さまを」など、お祝いの声が相次いだ。

 四年ほど前に皇居の清掃奉仕で雅子さまにお目にかかった青森市の野澤タエさん(68)は「よかったですね。私たちも待ち望んでいたこと。とにかく健康なお子さまを産んでほしい」と喜んだ。

 皇太子ご夫妻は一九九七年九月、青森市を主会場に開かれた全国育樹祭に出席、県内の視察などを通じて多くの県民と交流された。

 育樹祭で林業後継者代表として誓いの言葉を述べた大鰐町の三浦隆彦さん(37)、正之さん(34)、道広さん(31)の三兄弟は、式典前日のパーティーで皇太子ご夫妻から励まされた。

 今年十月に第一子が生まれる予定の正之さんは「緊張していた自分たちに柔らかい口調で優しく声を掛けてくださったことが印象的。本当に、おめでとうございます」。道弘さんは「雅子さまは人の目をまっすぐ見てお話しする方。元気な赤ちゃんを産んでください」と語った。

 ご夫妻が足を延された青森第二高等養護学校(青森市)の当時校長だった渡辺弘さん(61)は「雅子さまは目がとてもきれいな方で、子供たちに優しく声を掛けてくださった。お二人の仲むつまじい姿を目の当たりにしていただけに、ご懐妊の兆候があるというニュースは本当に喜ばしい。お体をいたわってほしい」と話した。

 ご夫妻が県りんご試験場(黒石市)を視察された時にご案内した当時の場長、工藤仁郎さん(63)は「つがるを収穫するお二人はリンゴもぎが珍しかったらしく、ちょっとはしゃいだ様子で手かごいっぱいに収穫されたことが思い出深い。お子さまが誕生するまで静かに見守って差し上げたい」と祝福していた。

※写真は黒石市の県りんご試験場を訪れ、色付いた「つがる」を収穫される皇太子殿下を笑顔を見守る雅子さま=1997年9月29日

http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2001/0417/nto0417_10.html
119可愛い奥様:2001/07/19(木) 18:15
信濃毎日新聞

ことし新年の歌会始で披露された皇太子妃、雅子さまの歌が印象深かった。今あらためて思い起こしている。ご懐妊の兆候という朗報に接してである。〈君とゆく那須の花野にあたらしき秋草の名を知りてうれしき〉
   ◆
九九年の暮れ、雅子さまは悲しい体験をされた。どんな喜びにも代え難いほどのご妊娠だったのに、診断結果は冷厳だった。それからほぼ一年、健やかな日常を取り戻された様子が一首から伝わる。秋の花咲くころ、御用邸のある那須高原で皇太子さまと過ごされた時のことだろう
   ◆
「君とゆく」の一言に、ご夫妻のむつまじい情愛がにじむ。あるいは「あたらしき秋草の名を知りて」には、悲しみを乗り越えて前向きに歩みだした心情が読み取れる。そしてきっちり結んだ「うれしき」に、万感の思いが凝縮しているかのようである。活力の戻ってきたあかしではなかっただろうか
   ◆
懐妊の兆候がみられる―との宮内庁の発表が、ことのほかうれしく響く。さまざまな重圧感を耐え抜き、皇太子妃として、一人の女性として最高の喜びが見えかかったからだ。だからなお、兆候が確かな現実となるよう静かに待ちたい。それが私たちのできる唯一のことだと信じている
   ◆
結婚されてから約七年十カ月、天皇陛下の述べられた「それはよかった」が、多くの国民共通の感激でもある。慎重な宮内庁のことだ。確信を持っての発表としても、やはり正式確認で胸をなで下ろす。そう先のことではないはずだ。

http://www.shinmai.co.jp/news/2001/04/17/001.htm
120可愛い奥様:2001/07/19(木) 18:15
久々に喜べるニュース   脚本家・橋田寿賀子さん

 「ご懐妊の兆候」が発表された時、テレビの街頭インタビューで、東京・渋谷の女子高生が「良かったじゃん」って答えていたのが印象的でした。「関心ない」とか「よく分かんない」とかじゃないんです。今回の雅子さまのご懐妊については、老いも若きも国民みんなが心から祝福しています。

 一昨年暮れの流産は悲しいできごとでしたが、このことを通じ、皇室と国民の距離はますます近くなったのではないでしょうか。

 この間、雅子さまがどんな思いで過ごされたか、みんな察してきたと思うんです。マスコミも以前に比べれば、静かに見守ってきた。私自身も1年4カ月前に「ご懐妊の兆候」を聞いた時より、3倍はうれしい。

 不況から抜け出せず、政治不信が極まる中で、久々に手放しで喜べるニュースです。ご懐妊をきっかけに景気がよくなるなんて見方があるようですが、まったく的はずれでもない気がします。

 それにしても、ご結婚から約8年、雅子さまが受けてきたプレッシャーを考えると、胸がつぶれます。

 私は、40歳の時に、4歳下の夫と結婚しました。その際、しゅうとめが、孫ができないのでは、と心配しないように、夫と同じ年ということにしたんです。当時、売れないシナリオライターで、子どもを産んで、家庭に入るつもりでした。実は子どもが欲しくて、まだ妊娠、出産できる体だという診断書を医師に書いてもらい、結婚しました。しかし、子どもはできませんでした。おしゅうとめさんは「まだかねー」「まだかねー」と。とても、つらかった。

 雅子さまは、皇太子さまの大きな愛のおかげで、随分救われたと思います。「あまり波風が立ちますと、コウノトリのご機嫌を損ねるのではないか」なんて、ユーモアを交えて、雅子さまをかばわれた。

 お二人のご結婚の際、「皇室の枠の中にはめられた皇太子妃にだけはなっていただきたくない」と本紙に手記を寄せたのですが、要らぬ心配でした。この8年、皇太子さまと山登りをされたり散歩されたりする雅子さまは、実にいい表情をされていました。一部に、婚約時の生き生きとした表情が少なくなったという声がありましたが、私はそうは思いません。精神的に対等でありながら、雅子さまが少し控えめにされているという印象で、日本の美風を感じさせる理想的な夫婦像でした。

 これから、国民やマスコミの関心は、男のお子様か、女のお子様か、ということに移るでしょう。男の子だったらいいけれど、女の子だったら、また同じことの繰り返しです。これを機会に、女帝を認める方向で議論を深めた方が、よほど健全ではないでしょうか。(談)

http://www.asahi.com/special/kainin/hashida.html
121可愛い奥様:2001/07/19(木) 21:33
>1(自作自演くん)
はじめのほうでたくさんレスしてるようだけど、
皇太子に嫉妬してんの?(藁
122可愛い奥様
>1
田中康夫でさえこう言ってる。

「おめでとう雅子さま」(Yomiuri Weekly臨時増刊5/15)
各界著名人が贈る「おめでとう」より

田中康夫長野県知事
国体でリラックスのお二人
「皇太子妃殿下のご懐妊の報に接し、心よりお喜び申し上げます。
 この2月の飯山国体の時に、お二人がとてもリラックスなさって
 お語らいになっていらっしゃるのを拝見し、大変仲むつまじく、
 とても喜ばしいことだと感じておりました。元気なお子さまが
 授かりますことをご祈念申し上げます。」