石堂順子さんについて Part.4 [転載禁止]©2ch.net
■後藤健二■ まとめ ■ その1
1967年生まれ 48歳 後藤健二(本名は城後健二?)婿養子 kenji goto JoGo のJoGoは婿入り姓とされている
が、母親の順子さんの父親が韓国軍のトップだった事からJoGo(除後など)韓国名や、在日朝鮮人である可能性あり。
・後藤さんは結婚3回目。
・1人目はロイター通信で翻訳家、中学生の娘あり。現在は大学の非常勤講師。2人目は職業・子供不明。
・3人目=現在の奥さん(城後倫子さん 40歳前後)、後藤とは3年前に結婚。
・城後倫子(じょうご りんこ)さんは東大大学院卒(都市工学専攻)、卒業後は国際協力機構(JICA)に就職(現在も勤務)。
2歳と0歳の娘あり。自宅は赤坂サカスに近い一等地にある高級マンションで倫子さんが購入したもので生活も裕福。
奥さんの稼ぎに支えられて戦場ジャーナリストをやっていられた。(赤坂はコリアンタウンとして有名)
16歳〜18歳 法政大学第二高等学校(両親離婚、順子さんが家を出て行く)
19歳〜24歳 法政大学社会学部国際社会学科(アメフト部)
1992年4月(24歳)親のコネを頼りに日立製作所の子会社(日立物流?)に就職するも嫌で3ヶ月で退社。
1992年7月(24歳)恵比寿のボディービルジムに就職。コーチとして働き始める。■500万横領+風俗店経営■
明るく人当たりも良かったので恵比寿店の運営を任せられる。オーナーの信頼を得るも金銭トラブルを起こす。
「1年くらい経った頃、会員の入会金と月謝、合わせて500万円もの額が、帳簿と会わない事が判明したのです。
本来お店に入っているはずのお金がなく、1日で30万円も勘定が違う事もありました。彼を問い詰めましたが、
無言を貫くばかり。結局、それが原因でジムを辞めてもらう事になりました」(オーナー談)
更に、後藤さんはジムで働く傍らで、風俗店を経営をしていた。(在日朝鮮人だからできた?)
「彼は風俗店をやっていたのです。家賃二十数万円の南麻布の高級マンションを借りていて、近隣住民から不動産屋
に苦情がきたと聞きました。彼の周囲に聞いてみると、うちのジムでも女性をスカウトしていたんです」(オーナー談)
当時のジムの同僚が語る。「確かに後藤さんは羽振りが良かった。2万円もするランチを食べたり、プジョーを乗り回していました。」
クビにされた後、百貨店系列のスポーツジムに就職。