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可愛い奥様:
★★★ 韓国人の本質を物語る事件・・・和夫一家殺害事件
日帝時代、朝鮮に移り住んだ日本人の中には、明らかに立派な人々も多かった。
ところが、和夫一家殺害事件のように、韓国人は自分たちの間違いを、
日本がやったから俺たちもやったんだというふうに弁明し、事件を矮小化、隠蔽しようと躍起になっている。
和夫の亡骸は、釜山に大切に移葬され、毎年、日本人の墓参りが絶えない。
以下は、和夫夫婦が死んだ日、ふだん彼から深い恩を受けていた金ソンス君が見聞きしたことを記録した証言だ。
事件当時、金ソンス君も加害者だったが、殺害行為には同調しなかったそうだ。
和夫氏は、日帝時代によく見られた、慶尚道地方の日本人地主だった。
地主とはいうものの、和夫の家族は日本政府の朝鮮移住政策にしたがって、乗り気ではなかった朝鮮生活を始めたものだ。
公務員だった和夫は、政府の命令にしたがって仕方なく朝鮮へ赴任したのだ。
そのころの日本は、一種の軍事独裁体制で、政府の命令に従わなければすぐに売国奴として排斥されそうな雰囲気があったという。
(中略)
貧しい小作人が食料がないと泣きつけば、喜んで食べるものを分けてやったし、村で誰かの葬礼があれば、
家族総出で駆けつけ、食事の支度はもちろん、自ら慟哭して、悲しみを分かちあうこともあった。
このように、和夫は人間への温かい愛情をもった、真の人間だった。
また、和夫は近くに行き場のない孤児がいると、連れ帰って面倒を見ていたが、
その数は、一人、二人と増え、四、五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。
けれども、和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し、自ら喜んで彼らの父、母を称した。
和夫の家族は、ふだん、このように朝鮮人を愛し、日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。
しかし、彼らは、日本の天皇が降伏宣言をした一九四五年八月十五日、
自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより、凄惨に殺害されたのだ。
その日、まさに万歳の声とともに、太極旗が波のように風になびきつつ、朝鮮人の世がやって来た。
神は、自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りしたと、和夫君に嫉妬したのか?
(続く)