1 :
可愛い奥様:
英週刊誌エコノミストは22日、「人生の宝くじ」と題し、2013年にどの国で生まれた子どもが最も幸
せかとした調査を行い、その結果を明らかにした。
韓国は19位、日本は25位だった。複数の韓国メディアが報じた。
エコノミスト誌は、各種のアンケートを介して測定した生活の質の満足度や収入などの客観的指標
を総合して順位付けした。
調査結果では、スイスが1位、豪州、ノルウェーと続き、4位以下は、スウェーデン、デンマーク、シ
ンガポールだった。
最下位はナイジェリア。北朝鮮は調査対象に含まれなかった。
韓国メディアは、「韓国19位、米国やドイツよりも低いが日本・フランス・英国・中国よりも上位」
「エコノミスト、韓国で生まれた子どもたちは、19番目に幸せ」などと題して伝えた。
韓国は調査対象80カ国のうち19位を記録し、16位の米国より3段階低く、25位の日本と49位の中国よ
り高かったと説明した。
発表の結果を見ると、小国の躍進が目立ち、10位までの国家のうち、半分以上がヨーロッパ圏でそ
のうちオランダだけがユーロ圏の国だったと解説。
ドイツは16位、フランスは26位、英国は27位とその成績は振るわなかった。
16位の米国については、エコノミスト誌は「(将来の世代が)団塊世代のばく大な借金を受け継ぐ
国」だと説明した。
今回の順位は、調査機関ギャラップが2006年に130カ国で実施した生活の質の満足度を時間の流れに
合わせて調整した11種類の変数を総合したもので、国内総生産(GDP)に基づく物質的な豊かさ、期
待寿命、離婚率を考慮した家族の幸せなどが変数に含まれている。
また、社会団体への参加をベースとした地域社会の幸福度や、議会での女性政治家の比率で測定し
た男女平等指数、気候条件なども含まれているという。(編集担当:李信恵・山口幸治)
http://n.m.livedoor.com/f/c/7178604 前スレ
死んだら次は生粋の韓国人に生まれ変わりたい奥様4
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1358170870/
2 :
可愛い奥様:2013/03/27(水) 23:28:40.29 ID:IZVW7d8f0
■ヘンドリック・ハメル (Hendrik Hamel) は、オランダ人で1653年7月に難破し済州島に漂着した
デ・スペルウェール号の乗組員で、同僚七人と1666年8月に脱出するまで13年間朝鮮に幽閉された。
・彼等は盗みをしたり、嘘をついたり、だましたりする強い傾向があります。 彼等をあまり信用してはなりません。
他人に損害を与えることは彼等にとって手柄と考えられ、 恥辱とは考えられていません。
■シャルル・ダレ (Charles Dallet, 1829~1878) は、フランス人宣教師で
1866年に逮捕・処刑された9名のフランス人宣教師の同僚
・朝鮮人は、金儲けに目がない。金を稼ぐために、あらゆる手段を使う。
彼らは、財産を保護し盗難を防ぐ道徳的な法をほとんど知らず、 まして遵守しようとはしない。
■ウィリアム・グリフィス (William Elliot Griffis, 1843~1928) は米国の牧師・東洋学者
・つらい現実には国産塗料を塗りたくり、黄金に見せかける。
さらに後世の事件に対しても、公的な虚飾が巧妙に施され、 敗戦すら輝かしい勝利に変えられる
■H・N・アレン (Horace Newton Allen, 1858~1932) は米国の医療宣教師・外交官で、
初期の米朝関係の確立に大きく貢献した。
・朝鮮人は陰謀の名手で、母親の乳首に吸いついているときから陰謀を企むことを好むらしかった。
■H・B・ハルバート (Homer B. Hulbert, 1863~1949) は米国の神学者で
1886ソウルの育英公院の教師に赴任した
・そのころから今まで、朝鮮は中国思想の奴隷となってきた。
模倣が朝鮮の最高の野心となり、この狭い地平を越えるいっさいの展望を失ってしまった
◇アーソン・グレブスト 「悲劇の朝鮮」
その嘘っぽい理論で結論を下す論法ときたらまったく驚くべきほどです。
自分が正しい場合がほとんどないにもかかわらず悪びれる様子がほとんどない。
◇ノース・チャイナ・ヘラルド紙 1905年5月5日号
朝鮮ほど贈賄や腐敗がよく見られる国もないだろう。 また、この半島ほどなんの理由もなくだましたり、
だまされたりすることが広く行なわれている国もない。
3 :
可愛い奥様:2013/03/27(水) 23:29:19.94 ID:IZVW7d8f0
イザベラ・L・バード(林尚得訳) 『朝鮮奥地紀行』
「狭量、千篇一律、自惚れ、横柄、肉体労働を蔑む間違った自尊心、
寛大な公共心や社会的信頼にとって有害な利己的個人主義、二千年来の慣習や伝統に対する奴隷的な行為と思考、
狭い知的なものの見方、浅薄な道徳的感覚、女性を本質的に蔑む評価などが朝鮮教育制度の産物と思われる。」
イザベラ・バード 講談社学術文庫 『朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期』
朝鮮の重大な宿痾(しゅくあ)は、
何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている、
つまり「人の親切につけこんでいる」その体質にある。そうすることをなんら恥とはとらえず、それを非難する世論もない。
朝鮮人が交易における、日本人懐柔法の手引書 「朝鮮人が日本人をあつかう6ヶ条の秘訣」
一、 遜辭 屈己接人辞氣温恭 (腰を低くして接する)
一、 哀乞 勢窮情迫望人見憐 (憐れみを誘う態度を取る)
一、 怨言 失志慷慨激出怒膓 (狂ったように怒る)
一 、恐喝 将加威脅先試嚇動 (威圧し脅す)
一 、閃弄 乗時幸會翻用機関 (あらゆる機会に乗じて翻弄する)
一、 変幻 情態無常眩惑難測 (ころころ態度を変えて惑わす)
明治7年4月に日朝交渉に臨んでいた日本側代表が確認した (公文別録・朝鮮始末391頁に記載)にあります。
『鉄の踵』を書いた米国の作家ジャック・ロンドンは20代後半、露日戦争で従軍記者として活動した。
「白人旅行者が初めて韓国に滞留する場合、最初の何週間かは気持ち良いこととはまったく縁遠い。
もし繊細な人なら二種類の強力な欲求の間で葛藤しながら大部分の時間を過ごすだろう。
一つは韓国人たちを殺したい欲求であり、もう一つは自殺したい欲求だ。個人的に私なら最初の選択をしただろう。」
4 :
可愛い奥様:2013/03/27(水) 23:31:37.77 ID:IZVW7d8f0
◇日本人が、絶対に忘れてはいけない、太平洋戦争後◇
○命からがら朝鮮半島を脱出した日本人。
・民間人(男も含む)の朝鮮/満州での犠牲者は、9万人に達するといわれている。 (太平洋戦争終戦後)
・朝鮮半島から、引揚げる日本人を襲ったのは、仲間であったはずの朝鮮人であった。(日本が敗戦すると急に態度を翻した)
・日本人の娘達が次々に、ソ連兵に犯され、朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々に辱められたうえ、虐殺された。
・追放や財産の略奪に止まらず、強制連行や虐殺などで、祖国の地を踏むことなく無念のうちにたおれた。
・朝鮮人の男女が数十人の団体でおしかけ、掠奪、強姦、虐殺を繰り返した。
・日本の博多港には、朝鮮で強姦された日本人女性の為の堕胎手術所が設けられた。二日市市保養所といわれる。
(当時堕胎は違法行為(堕胎罪)だったが、厚生省は超法規的措置として黙認)
金完燮『親日派のための弁明』の日本語未翻訳部分の内容で実話だそうです
「日帝時代、慶尚道地域の日本人地主であった『和夫一家』は、日本政府の朝鮮移住政策によって、
望みもしない朝鮮生活を始める事になった。普段から人情に厚かった和夫さんは、
小作料を収穫全体の10分の1しかとらず、村人達を家族のように考え、
朝鮮総督府の法令で規定された小作料の中から最低限しかとらなかった。
貧しい朝鮮の小作人が食べ物が無いと哀訴すると、喜んで食べ物を分け与えてあげ、村で誰かが亡くなると、
家族全員が駆けつけて食事の用意はもちろん、自ら慟哭までして悲しみを分け合った。
和夫さんはとても人間への暖かい愛情を持った人であった。また、和夫さんの家族は、
周囲に孤児がいると連れて帰って面倒を見ていたが、一人、二人と増えていき、
1945年にはいつの間にか施設孤児院の規模にまで増えてしまっていた。
しかも、和夫夫婦はこの孤児達を家族のように愛し、自ら喜んでその子達の父母と名乗った。
和夫一家は日頃から朝鮮人を愛し、日本の軍国主義を批判していた。だが、天皇の降伏宣言後、
自ら育てた『朝鮮人孤児達によって、むごたらしく虐殺された』
5 :
可愛い奥様:2013/03/27(水) 23:33:45.67 ID:IZVW7d8f0
和夫夫婦が死んだ日,金ソンス君が見聞きしたことを記録した証言。
事件当時,金ソンス君も加害者だったが,殺害行為には同調しなかったそうだ。
和夫氏は,日帝時代によく見られた,慶尚道地方の日本人地主だった。地主とはいうものの,
和夫の家族は日本政府の朝鮮移住政策にしたがって,乗り気では なかった朝鮮生活を始めたものだ。
公務員だった和夫は,政府の命令にしたがって仕方なく朝鮮へ赴任したのだ。そのころの日本は,一種の
軍事独裁体制で,政 府の命令に従わなければすぐに売国奴として排斥されそうな雰囲気があったという。
当時,朝鮮にいた日本人地主のなかには,朝鮮人の小作人たちから,法の規定以上の小作料を取り立てる,
怪しからぬ人々もいたが,ふだんから人情味の厚かった和夫は,小作料を収穫全体の十分の一とし,
村人たちを家族のようにみなして喜びも悲しみもともにした。自分たちの生活が困らなかったので,
総督府の法令にしたがって,やむをえず受け取らなければならない最小限の小作料だけをとったのだった。
貧しい小作人が食料がないと泣きつけば,喜んで食べるものを分けてやったし,村で誰かの葬礼があれば,
家族総出で駆けつけ,食事の支度はもちろん,自ら慟哭して,悲しみを分かちあうこともあった。このように,
和夫は人間への温かい愛情をもった,真の人間だった。
また,和夫は近くに行き場のない孤児がいると,連れ帰って面倒を見ていたが,その数は,一人,二人と増え,
四,五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。けれども,
和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し,自ら喜んで彼らの父,母を称した。和夫の家族は,ふだん
,このように朝鮮+人を愛し,日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。しかし,彼らは,
日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日,自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより,凄惨に殺害されたのだ。
その日,まさに万歳の声とともに,太極旗が波のように風になびきつつ,朝鮮人の世がやって来た。育て,
東京帝国大学 に留学までさせたAの主導下に,彼の家で教育を受け,育ち,成人した青神は,
自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りしたと,和夫君に嫉妬したのか? 彼がわ が子のように年たちが,
斧と鍬,スコップを手に,和夫のもとに押しかけた。
6 :
可愛い奥様:2013/03/27(水) 23:37:20.62 ID:IZVW7d8f0
和夫:(穏やかな目で)なんでこんなことを,子どもたちよ。
A:チョッパリ! 日本へ失せろ,失せちまえ。
和夫:(怒ったような声で)私が,お前たちにどんな間違いをしたというんだ。お前たち,みなが私の息子だ。
私はこの家の家長であり,お前たちの親だ。お前たちの祖国が解放されたことは,私もふだんから待ち
望んできたことだ。踊りでも踊りたい気分の日に,なんだって凶器をもって私の所に詰めかけたりするんだ。
私は決してお前たちをそんなふうに教育したおぼえはない。(涙を流しながら)ほんとうに悲しいことだ。
朝鮮の息子たちよ。私が愛を傾け,育ててきた結果は,
つまるところ日本人と朝鮮人は融和できないということなのか。お前たちが望むなら,帰ってやるわ。
A:意味深長な目配せをBに送る(財産をすっかり処分して帰ったら,おれたちはどうやって食っていくんだ?)
B:死ね,チョッパリ,シッパルノマ。
間髪入れず鍬が,和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に,数多くのスコップと斧が彼の体をずたずたに
引き裂きはじめた。このとき,和夫の妻が我慢できずに飛び出してきた。それまで黙っていたCは,和夫の妻を見て,
彼女の長い髪をつかみ,庭の奥まったところに引きずっていった。そしてなんと13人がかりで,
ほんの一週間前までお母さんとして恭しく仕えていた彼女を,強+姦しはじめた。
強姦に耐えられなかった彼女は,行為の途中で死亡し,Dは,ふだんお母さんと呼んでいた
彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず,内臓をひきずり出して,まき散らした。
和夫には,一人の幼い娘がいた。ふだん模範的でい い子だったヒミコさんは,放課後,家に帰ってきて,
両親の身に起こった惨状を見,気が触れてしまった。ヒミコが何日間も慟哭する声に,
近隣住民たちは眠れ なかったそうだ。その後,孤児になったヒミコは,食べ物を乞おうと,その付近をさまよったが
,朝鮮人は誰一人彼女に目もくれず,知らないふりをした。結 局,
彼女は9日後,村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。当時,ヒミコは小学校6年生の幼子だった。
7 :
可愛い奥様: