【日本のルーツ】百済の歴史が好きな奥様 3

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1可愛い奥様
画像:最近、百済の匠たちの加工品であるという分析が提起された日本の奈良正倉院の7世紀 硝子杯(写真左下)。
    左上は硝子杯脚支えの魚子紋、唐草紋を拡大した写真。右側はこの硝子杯の脚支えと瓜二つの紋を持った
    益山(イクサン)弥勒寺(ミルクサ)跡出土の金銅製舎利壷だ。 ハン・ジョンホ教授提供、<ハンギョレ>資料写真
http://img.hani.co.kr/imgdb/japan/news/resize/2012/1030/135155213406_20121030.jpg

高さ12p、優雅な円模様を本体にちりばめたコバルト色に輝く1300余年前の硝子杯の故郷はどこであろ
うか。 日本の古代の都、奈良にある日本王家の宝物倉庫、正倉院に所蔵された一級宝物 硝子杯の
製作地と由来した経路を巡って韓国・日本の文化財学界の関心が集中している。 ひと目見ただけでも
西域の風合いが感じられるこの遺物が百済で作られ日本に伝来したという日本現地専門家の研究結
果が発表されたためだ。

 このような見解を発表した専門家は、去る27日からこの硝子杯を含む正倉院所蔵品特別展(11月12日
まで)を開いている日本国立奈良博物館の学芸官である内藤栄だ。 彼は今回の展示図録に硝子杯を
分析した論文を載せ、脚支えなどの模様と製作技法から見て百済で匠たちが加工して伝来した可能性
が高いという見解を出した。 このコバルト色の杯はこれまで韓国・日本の学界で西域ペルシャ系統の様式
を持った遺物として、シルクロード交流の産物として手に入ったという見解が有力だったが、百済加工説が
提起されたことにより両国学界に少なからぬ波紋を起こすものと見られる。

中略
内藤は「百済と日本王室の密接な親交関係で匠たちが細工した多数
の工芸品を日本に贈り物として送ったという点、百済滅亡後に多数の王族の匠たちが日本に渡って行ったと
いう点等から類推して、この硝子杯は百済で加工されて伝来した可能性が高い」と主張した。

http://japan.hani.co.kr/arti/culture/13176.html
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