668 :
可愛い奥様:
義和団の乱(3)に出てくるP・フレミングの「北京籠城」によると、あるイギリス人の義勇兵はとても人間業とは思えない光景を見たと言って、こう語っています。
「隣の銃眼に立っている日本兵の頭部を銃弾がかすめるのを見た。
真赤な血が飛び散った。
しかし、彼は後ろに下がるでもなく、軍医を呼ぶでもない。
『くそっ』というようなことを叫んだ彼は、手ぬぐいを取り出すと、はち巻の包帯をして、そのまま何でもなかったように敵の看視を続けた」
※銃眼とは、敵を射撃したり監視したりするため、防壁・装甲板などにあけた穴のことです。
「また、戦線で負傷し、麻酔もなく手術を受ける日本兵は、ヨーロッパ兵のように泣き叫んだりはしなかった。
彼は口に帽子をくわえ、かみ締め、少々うなりはしたが、メスの痛みに耐えた。
しかも彼らは沈鬱な表情一つ見せず、むしろおどけて、周囲の空気を明るくしようとつとめた。日本兵には日本婦人がまめまめしく看護にあたっていたが、その一角はいつもなごやかで、ときに笑い声さえ聞こえた」
「長い籠城の危険と苦しみで欧米人、とりわけ婦人たちは暗かった。
中には発狂寸前の人もいた。
だから彼女たちは日常と変わらない日本の負傷兵の明るさに接すると心からほっとし、看護の欧米婦人は皆、日本兵のファンになった」
http://s.ameblo.jp/eatingpeach/entry-10764249692.html ご先祖様(;_;)ブワッ
669 :
可愛い奥様:2012/12/28(金) 17:20:58.17 ID:DXIDi9Mw0
>>660 これ酷いね・・・ 安倍政権でのNHK改革に期待するしかないわ・・・
本当にブサヨ共は左遷させて欲しい。元NHKの人もNHKの人は腐ってるって言ってたよね。
670 :
可愛い奥様:2012/12/28(金) 17:43:12.57 ID:v3souzN00
>>660 ■9.コロネル・シバ■
救援の連合軍が、清国軍や義和団と戦いながら、ついに北京にたどりついたのは、8月13日のことだった。
総勢1万6千の半ばを日本から駆けつけた第5師団が占めていた。
その他、ロシア3千、英米が各2千、フランス8百などである。
籠城していた柴中佐以下は、ほとんど弾薬も尽きた状態だった。
14日、西太后の一行は西安に向けて脱出した。
その午後、北京入城後最初の列国指揮官会議が開かれた。
冒頭マグドナルド公使が、籠城の経過について報告した。
武器、食糧の窮迫、守兵の不足、将兵の勇敢さと不屈の意志、不眠不休の戦い、そして公使は最後にこう付け加えた。
北京籠城の功績の半ばは、とくに勇敢な日本将兵に帰すべきものである。
柴中佐が日本軍将兵と日本人義勇兵にこの言葉を伝えると、嗚咽の声が漏れた。誰もが祖国の名誉を守り、欧米の人々からも認められた誇らしい感情を味わっていた。
柴中佐はその後も日本軍占領地域では連合軍兵士による略奪を一切許さず、その治安の良さは市民の間のみならず、連合軍の間でも評判となった。
柴中佐には欧米各国からも勲章授与が相継ぎ、またタイムズの記者モリソンの報道もあいまってコロネル・シバは欧米で広く知られる最初の日本人となった。
その後、総指揮官を務めたマグドナルドは駐日大使に転じ、日英同盟の締結を強力に押し進めていくことになる。
柴中佐と日本将兵の見せた奮戦ぶりから、日本こそは大英帝国が頼みにするに足る国と確信したのであろう。
(文責:伊勢雅臣)
国際派日本人養成講座
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogindex.htm 柴五郎中佐ですね
彼がいたからこそ日英同盟に繋がった