45 :
可愛い奥様:
しまい込んだメッセージ 大津・いじめ事件@
−「悪い友だちはいません」反省文残し3日後自殺−
昨年の夏休みから9月にかけ、父母の実家がそれぞれ営む店から何度も現金がなくなった。
「おじいちゃんおばあちゃん申し訳ありません。ぼくに悪い友達は一人もいません。
一生懸命働いて返します」。自殺の3日前、祖父母あてに反省文を書いた。
2011年10月11日。8時すぎ、中学2年の健次=当時(13)=は、
大津市の自宅マンション14階の手すりを乗越えた。
眼下には通い慣れた中学校の敷地が広がっていた。
遺書はなく、直後に警察が健次の部屋に入て教科書のぺージの隅々まで調べたが、
走り書きも見つからなかった。
葬儀は先生や生徒らの弔問を断り、親族だけで済ませた。「家庭の問題。そっとしておいて」。
両親は別居中で、父(47)は自責の念から、周囲が差し伸べる手を遠ざけようとした。
しかし翌日、同級生の親からいじめの存在を知らされ考えが一変する。
学校で何があって、健次はどんな思いを抱えて死んだのか。
「死人に口なしでは悲しい。自分はせめて健次の代弁者になりたい」。そう決意した。
いじめた生徒3人は、今も「最後まで友達だった。身に覚えがない」と言う。
だが、健次が亡くなった日、ある男子生徒は3人のうち1人と一緒に下校する時にはっきりと聞いた。
「おれ、やばいかも。関係あるかも」
下の姉は、健次が自宅で誰かに電話をかけ「お金に換えておばあちゃんに返すから、
貸したゲームやマンガを返して」と頼み込むのを聞いていた。亡くなる直前だった。
46 :
可愛い奥様:2012/09/04(火) 12:48:25.22 ID:Cw0Vf1if0
>>45の続き
半月後、学校は遺族の希望に沿う形で全校生徒にアンケートを実施した。
結果を見て、陰惨ないじめ行為の数々が映像のように脳裏に浮かび、父は吐き気をもよおした。
「先生はいじめに気付いていた」と指摘する声もあった。健次が
殴られたとき、先生は一度仲裁に入っている。
だが、相手を殴り返し「大丈夫」と答えたのでけんかと判断。
暴行を受けても笑みを浮かべる健次を見て、多くの同級生も深刻な状況は想像できなかった。
父は説明を求めて何度も学校に足を運んだ。「殴られて(本心から)へらへらしてるやつがいますか。
みんなと仲良くしたいから『いじめに遭っている』『助けて』なんて本当のことは言わない」。
11月の肌寒い日。いじめを見抜けなかったと繰り返す校長らに、
込み上げる思いを抑え切れず慟哭した。
中学生は子どもから大人に変わる、人生で最も繊細で心が揺れ動く時期とされる。
学校でのいじめと家庭の事情が複雑に絡み合う中、友達同士の遊びやじゃれ合いはどのようにいじめに発展したのか。
複数の関係者の証書から、大津市の中2男子自殺の背景を探る。
47 :
可愛い奥様:2012/09/04(火) 12:49:32.69 ID:Cw0Vf1if0
しまい込んだメッセージ 大津・いじめ事件A
「殺人者に仕立て上げられる」 加害者の「烙印」に反発
健次が自殺した2日後。同級生のてっちゃんの母は健次の父にメールを送った。
「ご自分を責めないで。少し歯車が違えばどの家にも起こり得ること。
私もひどい親。周囲のフォローで今までやってこられた」
当時はPTA役員。健次の父とは連絡を取りはじめたばかりで、健次一家の別居を気に掛けていた。
もう少し互いの家庭の様子を把握していれば、と後悔を伝えた。
四つの小学校区の生徒が集まるマンモス校。
集会では「クラス通信を発行するなど親同士が知り合う工夫が必要」と提案した。
だが、わが子が健次をいじめたとは考えもしなかった。
健次の父からの返信で疑いの目が向けられている、と悟った。
健次が家に遊びに来たり、泊まったりしたとき、てっちゃんと床やソファで折り重なるようにごろごろして笑い合う様子を見て、
仲良しの友人同士としか映らなかった。
いじめのうわさは瞬く間に広がった。周囲に避けられたてっちゃんは、学校に来られなくなった。
ほかの2人も同じだった。「黙っていれば、わが子が殺人者のように仕立て上げられていく」。
息子が社会的に抹殺される、と危機感を募らせると、今度はいらだちを込めたメールを送った。
「いじめかどうかは健次君にしか分からないはず。
仮に死を選ぷほどのいじめを受けていたとして、察知し助ける役目を担う家庭はどうだったのか。
責任転嫁としか言いようがない」
48 :
可愛い奥様:2012/09/04(火) 12:50:08.87 ID:Cw0Vf1if0
>>47の続き
昨年11月、学校は「いじめはあった」と認定した。保護者説明会で、てっちゃんの母は
「(学校から)軽々しくいじめの烙印を押されて、反省してないなんて。
鬼畜なんですか、私の息子は」と叫んだ。1カ月後には、夫が「私らがいじめを受けている」と訴えた。
グループの一人、和成の母も動揺を隠せなかった。当初は、健次の親しかった友人として、
ささいなことでも知っていることを話すよう息子を諭してきたが、
「いじめの判定が出て、もう完全にシャッターを下ろしてしまった」。
学校は、不登校に陥っている3人を授業に戻すため、指導でいじめを認めさせ、反省を引きだす必要があった。
個人差はあるものの3人とも「ちょっとやりすぎたかも」という気持ちはあると感じていた。
だが、親から「いじめ前提の指導は必要ない」と断られ、先に進めなくなった。
結局、平行線をたどったまま。いじめた3人はこれまで一度も遺族に説明や謝罪をしていない。
仏壇にお参りもできていない。「当初に謝罪を受けていれぱ、全然違った結果になったはず。
訴訟も起こさなかったかもしれない」。健次の父はそう話した。
49 :
可愛い奥様:2012/09/04(火) 12:53:22.37 ID:Cw0Vf1if0
しまい込んだメッセージ 大津・いじめ事件B
「家にいてもつまらない」 優しい末っ子の反抗
健次が亡くなる約8カ月前。父(47)と母(47)が別居した。半年の約束で始めた。
母は家を出て、別に部屋を借りた。健次はよく、母の家のインターホンを鳴らした。
切り干し大根など作ったおかずを出されると、いつもおいしそうに食べて帰って行った。
健次には2人の姉がいる。女性に囲まれて育ったからか、気が優しかった。
上の姉は度胸のあるタイプ。昔、弟を泣かせた子の家に「健次をいじめるな」と怒鳴り込んだことがある。
家事を取り仕切っていたが、昨年7月に母の元へ行き、健次は父と下の姉の3人暮らしになった。
家でも学校でも、健次はムードメーカーだった。いつもにこにこして、人懐っこい。
母譲りの乱視で丸いメガネをかけ、つまらない冗談で人を笑わせようとしてはすべる。
それが、また周囲を和ませていた。
しかし、中2になると、学校で先生に「家にいてもおもしろくないんや」と話していた。
「お父さんもお姉ちゃんも、みんな上や。いっつも命令される」
父の朝は早く、夜遅くの帰宅も多い。4月と7月の2回、父は担任に父子家庭になったことを話した。
少し目を配ってやってほしい、と伝えたつもりだった。
健次の成績はあまり良くなかった。ゲームばかりやっているからだと心配した父は、夏から塾に通わせた。
1人で2人の子に目を配れるのかという不安もあった。
「1教科でも試験で70点以上取ろう」とゲーム機を預かり、塾の先生に「頑張らせてやって」と頼んだ。
50 :
可愛い奥様:2012/09/04(火) 12:53:55.03 ID:Cw0Vf1if0
>>49の続き
健次はそのころ学校で、ゲームを通じクラスの男子2人と特に仲が良くなっていた。
1人は力が強く、フレンドリーなてっちゃん。もう1人は、お調子者でちょっと不良っぽいところのある順平。
休み時間に廊下でじゃれあったり、こっそりゲームをしたり。
てっちゃんの家は高台の閑静な住宅街にあり、健次が泊まりに行くこともあった。
健次の父方の祖父母はクリーニング店を営む。祖父(75)が力仕事を頼むと、
健次は「うん、行くよ」と気持ちよく返事をして手伝いに来た。
おっとりして誰かの悪口を言ったり、「いや」と言ったりすることがなかった。
だが、2人には夏すぎから孫に元気がないように見えた。父も何となく不安を覚えていた。
態度がどこか反抗的になり、仲が良いらしい友達から夜遅くに遊びの誘いの電話がかかってくることもあった。
珍しく祖父に「このごろ健次、反発するような言葉使うんやわ」とこぼし、
「気を付けて見ておいて」と頼んだ。