◆奥様が語る昭和の思い出14◆

このエントリーをはてなブックマークに追加
16可愛い奥様
帰省には寝台特急をよく利用してた。
まだ寝ない時間帯には、自分の席が上段の場合は下段の人の席が
「どうぞどうぞ座って」と親切に声をかけてきて同席させてくれて、
食べ物をお互いに交換し合いながら世間話が楽しく弾むのだけど、
意地悪そうな人だったり、怖そうなおじさんだったりしたら
座らせてもらえそうにない雰囲気だから、
通路の小さな椅子でじーっと無言で窓の景色ばかり見てた。

ある時、通路の椅子に座ってたら
下段の中年の酔っ払ったおじさんに
「お姉ちゃん、こっちに座って一緒に飲もうよ〜ねぇぇ〜」と
肩や背中をさわられてしまい、
「もう眠いので寝ます」と、まだ七時なのに上段に上がって
カーテンを閉めたっけ。
17可愛い奥様:2012/07/11(水) 16:55:18.01 ID:4ltPZCpj0
若いときは、どんな人と一緒になるかちょっと不安だよね。
朝になると寝台を片付けにくる車掌さん(?)の手際がカッコ良くて
ズーッとついてまわって母に叱られたっけ。
18可愛い奥様:2012/07/11(水) 17:08:05.36 ID:0fnxcStg0
あら、寝台列車懐かしい。子供の頃よく乗ったわ。
二等列車は三段ベッド、
一等は二段だったかしら。うちの帰省は三段ばかりw。
今はもうああいう寝台列車はないのよね?出不精で遠出しなくなったので、よくわからないけど。
今はあんな寝台、物騒よねカーテン一枚で…
19可愛い奥様:2012/07/11(水) 17:11:43.30 ID:0fnxcStg0
そもそも一等二等が古いわね。
今はグリーンと普通。
20可愛い奥様:2012/07/11(水) 18:36:56.64 ID:T3+A9uNiO
清酒←今は言わないか。も一級酒、二級酒ってあったよね。
21可愛い奥様:2012/07/11(水) 18:55:42.63 ID:fGXnisl40
学生時代、帰省列車に乗ると必ず隣の人が「これ食べませんか?」とか
話しかけて来て、ずっとお喋りして帰った記憶がある。
小さい時は知らない人がお菓子やミカンをくれたり、酔ってしまった
私を周りの人が心配してくれたりした。
新幹線ができて、知らない人同士喋るなんてことはなくなったし、子供に
食べ物なんかあげたら怒られそうだから、本読んだり音楽聴いたりするように
なってしまった。
22可愛い奥様:2012/07/11(水) 18:56:40.01 ID:hlkuXs+WO
寝台列車懐かしい。
私も東京から北海道への帰省は寝台列車でした。
石川さゆりの津軽海峡冬景色の世界そのもの。

夜に上野から寝台車に乗り翌朝に青森に着いて、青函連絡船に乗り換えで
半日がかりでした。
東京での失恋や職場でのつらい出来事、自信喪失、挫折感など様々な感情を
寝台列車&青函連絡船に乗りながらじっくり自分を見つめ直して
自分を整理してました。
悲しげな汽笛の音、雪景色、連絡船のドラの音…
ああいうゆるやかで情緒的な時間の流れ方はやっぱり昭和って感じがします。
23可愛い奥様:2012/07/11(水) 19:14:21.71 ID:KMMRz2o60
今のトワイライトエクスプレスなどとは明らかに違う
今の寝台特急はむしろ非日常空間という感じだと思う
その今の寝台特急でさえ北海道新幹線で消えると思う
新幹線のように単なる移動手段の鉄道は寂しいと思う
24可愛い奥様:2012/07/11(水) 19:17:49.92 ID:WRJ42FdsP
でも寝台列車は寝にくいよ。滅びるのも無理ないと思う。
25可愛い奥様:2012/07/11(水) 20:02:41.14 ID:ulazqCvcO
深夜放送でよく「旅のレストラン日本食堂」って聞いたな。
26可愛い奥様:2012/07/11(水) 20:05:30.25 ID:J8nDHj7t0
>>22
私の母が函館出身なので、子どもの頃に何度か青函連絡船に乗りました。
青森への車中で「もうすぐ青森?もうすぐ青森?」と何度も親に訊いていたら、
近くの席のおじさんから「まだ仙台にも着いていないよ」と笑われて、
地図を見てガーンと思ったことがある。あれは多分小3のとき。
北海道は夏休みが短いので、いとこ達の学校が始まると、
学校が終わるまでは親戚宅から出ずにいました。

北海道出身で東京にいる人に、つい地元に帰りたくないのか訊いてしまうと、
みんな口を揃えて「地元には就職先が無い」と言う。