(引用)
韓国には“おでん”がある。商店街の店先などに屋台が陣取って、
串に刺したおでんが音を立てて煮こぼれている風景をよく目にする。
日本のおでんと同じ具を使い、呼び名も“おでん”と同じ発音をする。
「おでんは、日本と同じね。発音までいっしょ」
日本からやってきた人間は、母国にもある同じ食べ物を見つけて、
ちょっとした驚きと親しみを素直に表現したくなる。
ところが、こんな発言をすると、多くの韓国人はまず反発する。
韓国の友だちは、私の言葉をこう否定した。
「メグ、それは違うよ!」
日本と韓国に同じ“おでん”という料理があり、
それも同じ発音で呼ぶという共有感覚を言葉にしただけで、
なぜ否定されなければいけないのだろう……?
訝る私に向かって、韓国の友だちはこう続ける。
「おでんは韓国で生まれた料理よ。日本人が勝手に真似したの」
そう。万事においてそうなのだ。彼女にとって、“おでん”には、
「同じ料理が日韓両国にある」ではすまされない問題が含まれているらしい。
おでんの発祥の地が日韓どちらであるかが大切なのだ。
そして、後発の国が食文化を“取り入れた”のではなく“勝手に真似た”ところが問題なのだ。
おでんが日本で考え出された料理だなんて、私は、ひと言だって言っていない。
が、多くの韓国人にはそう聞こえてしまうらしい。
こんな反応をされると、大人になりきれない私は、つい意地悪く反応してしまう。
「だったら、お寿司はどうなの?」
「米だって、もとを正せば、私たちの国がある大陸から、日本に伝わったんじゃない。
だから、お寿司だって韓国食生活を真似たのといっしょよ」
どんな些細なことでも、日本は競争相手であり、日本には負けないという感情が剥き出しになる。
日本と韓国の関係を対立軸の中でしかとらえようとしない韓国人の感覚が、私には理解できなかった。
「韓国に嫌われた私」金子 恵美著
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