【wali】山本太郎・割鞘ジュリ2【割鞘山】

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40可愛い奥様
wali師匠の実家自慢(いちご、割鞘山ブログより)
○祖父母が岡山で3000坪ある旅館を経営していた。
○実家は3000坪あり、お車寄せ、茶室、何面ものテニスコート、自家用機を所有。
○三菱財閥の別荘を祖父が買い取った。
○大叔母が皇室の女官になる。
○三笠宮様まが旅館に泊まられた。
○夫(wali師匠)は800年続く旧家の当主
○夫は27代目
○割鞘家は元は小山にあった小さい城で、
1634年(寛永14年)当時のご当主はスケショウエモンタダチカというお方、
毛利氏、水野氏につかえ、島原の乱で幕府軍に参加。翌15年(1635年)乱を平定させ帰還。
将軍家光にキリスト教徒の成敗が正しかったか?を問う書状を出し自決。
「鞘を割るような勢いで自らの命を絶つことは武士の鑑である」と評判になり、家光から
割鞘の家名を受ける。
○広島浅野藩の塩を扱う重職についていた。5代前(約100年前)が細間の娘と駆け落ちし、野崎家のたいか堂隣に
家を建てて住む。
○たいか堂が建てられたとき、割鞘家から100畳の畳が送られる。畳の裏に割鞘家の
サインがあった。
(注:たいか堂は児島の名家野崎家の使用人が住む離れ)
○夫の妹、叔母の昌子、美津子は岡山市のノートルダム清心女子大付属小から女子大の出身。
○同じ墓地に辰吉丈一郎の実父の墓がある。
○児島市民病院隣にある寿司屋のマスターが中学の先輩。

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