>>706の続き
1977年、島倉に依頼され手形を裏書されていた守屋義人が事業に失敗して手渡り手形を蒸発。借金の連帯保証人になり、これより島倉は
2億4000万円(当時判明分)の債務を負う。数億もの借金完済のため、写真集の発売、キャバレー回りなどをしながら、足掛け7年程で完済。
しかしこのような最中でも飢えをしらず、NHK紅白歌合戦も出続けた。
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1987年、NHK紅白歌合戦を辞退。史上初の30周年連続出場の大記録を樹立した。
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1988年、50歳、「人生いろいろ」が前1987年からこの年にかけて130万枚のヒットを記録。
山田邦子やコロッケによる物まねにより若者にも人生いろいろが受け、再び大ブレーク。
同年の第30回日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞。同年末の紅白に復帰。借金返済の目処がたつ。
しかし、姉・敏子が他界(目黒川に投身自殺)。
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1989年、51歳、美空ひばりが他界。訃報を聞いた千代子は仕事をキャンセル、直ぐ駆けつけ、3日間ひばりの
側から離れなかった。
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1993年、55歳、左胸にシコリを感じ検査すると乳癌が発覚。会見を開き自ら癌である事を発表。
手術は無事成功。
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