そして美智子さまは、東宮職医師団の見解の内容をご存じだったのか、雅子さまに直々にこんなことを話されたという。
「美智子さまは、雅子さまに近寄られ、“心ない雑音を気にしていては、先に進めませんよ。落ちこんだり、くよくよしないように”といった旨の助言をされ、雅子さまに手を添えられたそうです。
きっと報道を気にするのではなく、前を向いていきなさいという思いから、そんなことを述べられたのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)
振り返れば、美智子さまも1993年10月20日、59才の誕生日を迎えられた日、御所の応接室でお倒れになった。幸いに意識はすぐに戻ったが、失声症になられた。
それほどまでにお心を痛められたのは、美智子さまを皇室の“女帝”に擬した一連の“バッシング報道”に苦悩されたからだった。
だが陛下をはじめ、紀宮さま(当時)、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻ら、ご家族の温かい励ましに支えられ、哀しみをプラスの方向に転化された美智子さまは、それから7か月後にお声を取り戻された。
柔和なその微笑に、いまでは“国母”の思いを重ね合わせる国民も多い美智子さま。つらく厳しい状況も、いつかは必ず日が射すことを雅子さまにお伝えになりたかったのだろう。
※女性セブン2012年1月1日号
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