フィギュアスケート好きな奥様〜Part308

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401可愛い奥様
「真央は全てを捧げてくれる母親に恵まれていました」

 ここ数日とても苦しい時間を過ごしました。多くの人がそうだっただろうと確信しています。
 先週の金曜の夕方、私たちは真央の母が48歳の若さで亡くなられたことを知りました。
 真央の母が長い間具合が良くなかったということは、日本のフィギュアコミュニティの中には知っている人もいましたが、
この国のほとんどの人にとってはショックなニュースでした。
 今回のことについて私がとても感情的になるにはそう時間はかかりませんでした。なぜなら、私は真央親子のことを
真央が15歳のココマの時から知っているからです。
 真央の母の人生がこんなにも早く失われたことへの悲しみは、真央の将来への心配へと膨らんでいきました。
彼女のファンや大衆も同じ気持ちだったと思います。
 かけがえのない誰かを失って、それをどう補えというでしょうか。
 悲劇に見舞われるのに良い時なんてないとはいえ、今回の件はこれ以上ないくらい最悪のタイミングで起こりました。
真央がやっと本来のフォームに戻ってきたように思えたその時に起こったのです。
 これまで彼女がいくつもの困難を乗り越えてきたように、真央がこの苦しみを乗り越えられるようにと私たちはただ祈るしかできません。
しかし、今回のことは彼女がこれまで乗り越えてきた様々なこととは比べられないほどのことだというのが現実です。
 試合で3Aが飛べないことと、近しい人を失うことは全く別の問題なのですから。

 私と真央、そして真央の母とのお付き合いは2006年初めから始まりました。
彼女らが東京で行われた外国人スポーツ記者協会のディナーに招かれた時のことです。
そこで真央は2005年度日本トップアスリート賞(?)を受賞したのです。
 たいした宣伝期間も設けずに行われたにも関わらず、その日のイベントには記録的な人数が集まりました。
以後、その記録は更新されていません。多くの有名人が招かれているにも関わらずです。
 その夜外国人招待客たちが見せた真央への愛情や温かさに真央ママがとても感動していたのを、
私ははっきりと見て取ることができました。 真央と真央ママは、当時三才だった私の娘に特に心を奪われていたようです。
その夜、彼らは私に「あなたの娘さんはまるで人形みたいね」と言ってくれました。
402可愛い奥様:2011/12/15(木) 01:37:25.12 ID:9E6UjSJF0
 ディナーは月曜の夜に行われましたが、その週の土曜日に私はオフィスにいました。
すると、大きな箱を肩に抱えた配達員が私のデスクにやってきたのです。
彼を見上げた私は「なんだこれは?」と首を傾げました。

 「これは誰からだい?」
 そう問いかけると、彼はさっと差出人を確認し、驚いたようすで「浅田真央からだよ」と言いました。
 「本当に?」と私は答えました。
 その届物を何とか電車に乗って家に持ち帰った時のことを未だに覚えています。やっと玄関にたどり着いて
それを置き、娘に届け人が誰であるかを伝えると、娘は飛び上がって喜んでいました。
 箱を開け、そこからぬいぐるみが出てくると彼女の喜びはすぐにeuphoriaに変わりました。3歳の子供にとって、
これ以上素晴らしいことは起こらないでしょう。
 娘が座り込んで中身を漁っている間、私は真央親子の振る舞いや気品に完璧に打ちのめされていました。
名古屋からわざわざイベントにやってきてくれたこと自体が素晴らしいことなのに、こんなことまで。
 「なんという家族だろう」

 そして私たちのお付き合いは始まったのです。以後私たちは定期的に手紙でやりとりをし、
その間に真央は二度のワールドチャンプとオリンピック銀メダリストへと成長を遂げたのでした。
真央の母について私がもっとも印象に残っているのは、彼女が娘を売り込むときに、
常にプロフェッショナルなマナーでいたことです。
 『ステージママ』について私たちは色々な話を耳にしますが、彼女はそうではありませんでした。
 小さな頃から大会に連れ添ったり、コーチに手紙を送ったり、1年以上浅田姉妹を海外へ送り出してやったり。
彼女は娘の成功を手助けするために出来ることは何でもやってあげていました。
 彼女と会う時や手紙で連絡をもらう時にはいつでも「英語で日本のフィギュアスケートについて
記事を書いてくれてありがとう」と言ってくれたものです。こういう類のコメントは、
私にとって非常に大きな意味をもつものでした。
 最後に彼女と会ったのはほんの一年前、真央が新横浜で練習していたある日のことです。
彼女はこれ以上親切になれないだろうというくらい親切でした。これが彼女に会う最後になるとその時知っていたらと悔いるばかりです。
 
403可愛い奥様:2011/12/15(木) 01:38:02.92 ID:9E6UjSJF0
私たちが最後に手紙を交わしたのは更に数か月前のことです。八歳になった私の娘が真央に
バンクーバーオリンピック後のお祝いの手紙を送ったのです。
 それから数週間後、そんな手紙を送ったことも忘れかけていた頃、私の元に小包が送られてきました。
 中には真央親子からの温かいメッセージが添えられた娘への贈り物がいくつも入っていました。
スケート姿の真央を描いたオルゴール(?)もありました。今は私たちの家の目立つところに飾ってあります。
 そんなふうに私たち一家と浅田一家は付き合いがありましたが、私は一度もそれを彼女についての報道に
影響させたことはありません。批判すべき時には、私はちゃんと批判をしました。そして賞賛すべきところでは、
ちゃんと賞賛もしてきました。
 浅田親子はどちらも、それが私の仕事であることをよく理解してくれていました。

 最期に何を残したかでその人を判断できるとするなら、真央の母は金メダルを勝ち取れるでしょう。
 あまりに多くのアスリートや若者が愚かな振る舞いをする時代で、彼女はその経歴に一点の汚点もない二人の美しい姉妹を残したのです。
 それがすべてを語っています。過去の事例を見ると分かるように、フィギュアの世界で子供を育てるのは容易なことでなありません。
彼女はそれを二度も成し遂げたのです。
 私は多くのアスリートを知っていますが、真央は私が出会った中で最も愛されているアスリートです。
ここ数日間、日本国内でも世界中でも、彼女へたくさんの愛が注がれましたが、それはとても素晴らしいことでした。
こんな時になると、人はベストを引き出されるのでしょう。
 こんなにも若い年齢で母を失った悲しみは消えないでしょうが、それでも真央が前へ進んでいくfortitudeを見つけられるよう祈るしかありません。
 日本選手権まで2週間を切っています。真央は大会に参加するつもりだと月曜日に宣言しました。
 宣言通りに彼女が参加してくれることを願っています。
 『人生の20パーセントはあなたに何がふりかかるかで、残りの80パーセントはあなたがそれにどう対処するかにかかっている』と
かつて賢者は言いました。
 まさにその通りだと私は思っています。
   (おしまい)

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