皇室御一行様★part2212

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115可愛い奥様
続きます。

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・さらに09年の際は、「自分のことを言うのはちょっとはばかられたものですから、それで『(皇太子)ほか』と
いうふうに言いました」と遠慮がちに語られていた。
・「今回の『私』発言が、無意識によるものだとしても、それだけ今、秋篠宮の皇室における存在感が増している
ということをご自身がお感じになっているということの現れではないかと思うのです」(同ジャーナリスト)
・会見の終わりには、さらに驚かせる踏み込んだ発言をされていた。<私は『定年』という制度はやっぱり、必要
になってくると思います。><ある年齢で区切るのか、どうするのかというところを含めて議論しなければいけな
いのではないか>
・この発言の背景について、「穏やかにおっしゃっていますが、現状への強い危機感を、秋篠宮がお持ちだという
ことでしょう。これまでの秋篠宮ではなさらなかっただろうご発言です」(同ジャーナリスト)
・増していく秋篠宮の存在感。それは宮内記者たちも意見を同じくするところだという。「(11月15日『ご名代』
としての秋の叙勲と褒章授章者の御接見で)秋篠宮殿下は陛下に代わって“おことば”を読み上げられたのですが、
その声が小さくて聞き取り辛かったですね。一度に500人が出席していたので、後ろのほうの人たちには聞こえな
かったでしょう。それ以外は難なくこなされていました」(受章者の一人)
・その2日前、皇太子はご名代の立場で山梨県をご訪問。お召し列車内でカメラを片手にお手振りされたこと、その
後の長野県行啓でのポケットに手をいれたままでの視察が明るみに出た。
・「退院されたばかりの陛下が、まだ万全とは言えないご体調で、その5日後に早くも公務復帰(「東日本大震災
消防殉職者等全国慰霊祭」)されました。いかに陛下が震災被害を心配されているか、ということです。その陛下の
思いを一番おわかりになっているのは、秋篠宮さまではないかと思うのです。震災後、秋篠宮ご夫妻は、東宮職と
比しても非常に小規模な宮家職員たちに支えられながら、お見舞いを続けてこられた。被災地の人々の負担になら
ないよう、宮家の車で移動され、宮城県には日帰りで二度に分けて訪問されています」(両陛下に近い千代田関係者)