皇室御一行様★part2188

このエントリーをはてなブックマークに追加
357可愛い奥様
1/4
女性セブンと文藝春秋レポします。
新潮・文春レポ、いち早くセブンレポしてくださった奥様方乙でした。
雅子さんの部分だけです。詳細は皆様各自でご確認くださいませ。

女性セブン2011.11.24号
皇太子妃雅子さまVS東宮医師団「愛子さま入院」で衝突していた

1頁の記事

・退院時、愛子さんは病院からうさぎのぬいぐるみが飾られたピンクの花束をプレゼントされ、
愛子さんは“あ、うさぎちゃん、かわいい”ととても喜んだ。
マスクはしていたが、車までの足取りはスキップするように軽やか。(病院関係者)
・今回の入院を巡っては雅子さんと東宮医師団との間で思わぬ衝突があった。
「当初、東宮医師団としては“軽い症状”と考えており御所で安静をすすめたそうです。
しかし雅子さまは“もし悪い症状だったら大変だから入院させたい”と強く希望。
医師団としてもそこまで言われて万が一のことがあっては大変だということで
急遽入院の手続きを取り始めたようなんです」(宮内庁関係者)
・東宮医師団とは東宮侍医長を中心に3名の侍医で構成する医療チーム。
「ローテーションを組んで東宮御所に泊まりこみ24時間体制で対応」(皇室ジャーナリスト・山下氏)
・しかし東宮医師団は基本的に受け身で自ら行動を起こすことは少ないという。
「かつてのように毎朝の問診や体温、血圧測定はしない。
基本的には皇太子夫妻から“具合が悪い”という訴えがなければそれ以外の時間は
最新の医学書や論文を呼んで過ごす日々」(前出・宮内庁関係者)
358可愛い奥様:2011/11/10(木) 07:54:06.09 ID:Y+tA94Ny0
2/4
女性セブン続き

・雅子さんが医師団に不信を抱くきっかけは'07年の皇太子のポリープから。
東宮大夫は皇太子が定期検診を受けていたとしていたが、宮内庁長官が皇太子が検査が相当期間
行われていなかったと両陛下が不安を覚えていると指摘。
・また'09年には雅子さんの病状について医師団の見解発表日が二転三転するトラブルも。
東宮職は雅子さまの了承を得る必要があると説明したが、医師団と雅子さんとのコミュニケーションが
うまく取れていないことが明らかになった。
・「愛子さまは学習院女子の文化祭中にずっと“暑い、暑い”と言われて具合の悪そうな表情だったそうです。
雅子さまは“朝のうちに気がついていれば”と悔やまれ、医師団へ対してもさらに強い不満を覚えられたのだろう」
(別の宮内庁関係者)

〆は陛下の体調が万全ではない状況で天皇家を支えなければならない皇太子一家を取り巻く状況が
これではあまりに情けない
359可愛い奥様:2011/11/10(木) 07:54:44.61 ID:Y+tA94Ny0
3/4

文藝春秋2011.12月号
大型企画真相開封35アンタッチャブル事件史
宮内庁/雅子妃「ご懐妊の兆候」は一度ではなかった―友納尚子
特集記事の中の2頁程の記事
・最初に光明が差し込んだのは'99年12月3日、ベルギー皇太子の結婚式に参列するために出発する朝のこと。
実は出発前に懐妊の可能性があることが分かった。予想外だった。だがあくまでも『可能性』であり、
確認がとれたわけではなく、侍医も判断を出せずにいたといわれている。
・雅子さんが突然の欠席となれば非礼にあたる。皇太子夫妻は出発するまで行くべきかどうか悩んでいたという。
・出発まで時間がないので東宮職幹部も焦った。宮内庁幹部を通じて両陛下に報告。
情報が漏れないように外務省には知らせなかったという。
・皇太子夫妻はいつもと変わらない笑顔で旅立った。通常は同行しない侍医も同行。
高さ6センチのハイヒールを履いていたので宮内記者たちも妊娠の兆候があるならそんな靴を履くはずはないと
考えていたという。
・真相はこのハイヒールを履いたのは結婚式に参列する衣装に替えるまでの時間がなかったから。
一般人とは違い、訪問国に失礼のないように皇族の結婚式の衣装やそれに合わせた小物を揃えるまでには時間が要る。
・皇太子夫妻は7日に帰国、13日に雅子さんは宮内庁病院で超音波による検査を受け、懐妊が確認出来れば
発表する予定だった。
が、直前の10日朝刊で「懐妊の兆候」と大々的に報道され、宮内庁は13日夜に懐妊と発表できる段階ではないと発表。
後に稽留流産されたことは周知の事実。
たい


360可愛い奥様:2011/11/10(木) 07:55:15.76 ID:Y+tA94Ny0
4/4
文藝春秋続き

・だが懐妊の可能性は宮内庁関係者によれば「幾度もあった」という。
2000年7月、雅子さんは斂葬の儀を夏バテのような状態で欠席。
「この時も懐妊の可能性があったといいます。ベルギーご訪問の時よりもその兆しは強く
体調は思わしくなかったようです。度重なる検査や治療で酷くお疲れになって起き上がれなかったのです。
事前に儀式を欠席したいという意向を宮内庁側に伝えたところ理解されなかった。
この対応に雅子妃は精神的にも孤独感を持たれこの頃から以前のような肉声会見はおろか笑顔まで消えていったのです」
(東宮関係者)
・一週間後の岐阜でのインターハイ開会式では少し痩せたものの元気な姿を見せられた。
だが御所に戻ると「食欲もなく泣いておられたのか瞼が腫れていることがよくあった」(東宮職関係者)
・雅子さんの様子を当時の東宮職は「新聞にリークされたことで宮内庁幹部に不信感を持ち、
気分が沈みがちで部屋にこもりがち」という。(大意)
・だがその後、雅子さんは不信感を持ち続ける気力さえなくなっていく。
愛子さん誕生の産後の肥立ちが悪いことが引き金となり、適応障害が深刻化。
元気そうに見える時もあったので東宮職員ですらこれが病気だと気づかなかったという。
雅子さんは適切な治療を受けられなかったことから
「妃殿下としての自信をなくされていた」(元東宮職)という。

〆は今は愛子さまの成長こそが希望につながっている。
雅子妃の単独会見が再び開かれることを待ち望みたい