"「情報の良否が判断できないユーザー」の特徴は、話を単純にしたがること、
それゆえ最も知的負荷の少ない世界解釈法である「陰謀史観」に飛びつくことである。
ネット上には、世の中のすべての不幸は「それによって受益している
悪の張本人(マニピュレイター)」のしわざであるという「インサイダー情報」が溢れかえっている。
「陰謀史観」は、この解釈を採用する人々に「私は他の人たちが知らない
世の中の成り立ちについての“秘密”を知っている」という全能感を与えてしまう。
そして、ひとたびこの全能感になじんだ人々はもう以後それ以外の解釈可能性を認めなくなる。
彼らは朝から晩までディスプレイにしがみついている自分を
「例外的な情報通」だと信じているので、マスメディアからの情報を
世論を操作するための「嘘」だと退ける。こうやって「情報難民」が発生する。
彼らの不幸は自分が「難民」だということを知らないという点にある。"
"私が「情報貴族」と呼んだのは、「自分たちが所有している
情報についての情報」を集合的なかたちで形成できる集団のことである。
「情報難民」と呼んだのは、原子化されたせいで、自分が所有している
情報を吟味する「公共的な言論の場」から切り離されてしまった人々のことである。
もちろん、「情報難民」たちもネット上に「広場」のようなものをつくって、
そこに情報を集約することはできる。けれども、彼らがそこに集まるのは、
「自分に同調する人間がたくさんいることを確認するため」であって、
「自分の情報の不正確さや欠落について吟味を請うため」ではない。"
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