週刊文春の悪質な秋篠宮紀子妃殿下叩きを許さない

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67可愛い奥様
週刊新潮 2011/8/11・18日号
秋篠宮家「紀子妃殿下」氷のごときミーティング−侍女長がノイローゼ 1/6

東宮職の侍従や女官の去就については、これまでも度々メディアで報じられてきた。
が、お身内に2人の皇位継承者を抱える秋篠宮家でも、「侍女長」の重職にある女性が人知れず去っていた。
その背後には、筆頭宮家ゆえ懊悩される紀子妃殿下のお姿が見てとれるのだ。

 侍女長とは、宮内庁に設けられた特別職公務員ポストの1つである。
「御所における女官長、あるいは東宮での東宮女官長に相当する役職といえます。
お妃のいる各宮家に置かれ、おもに身の回りのお世話を担当します。これとは別に、
宮家は私費で『侍女』を雇うこともできます」(宮内庁担当記者)
 秋篠宮家が創設されたのは1990年。以来21年を経て、紀子さまにお仕えする侍女長は
6人を数える。が、その職に関して昨年発令された「ある人事異動」を巡り、
宮内庁内部では現在、ひそかに波紋が広がっているというのだ。
 菊池明子さん(仮名)という60代の女性が、その当事者である。
「09年7月に5人目の秋篠宮付侍女長に任命された彼女は、昨年11月末をもって
退任したのですが…」
 そう切り出すのは、さる宮内庁関係者である。後任には、予算を取り扱う主計課で
管理職を務めるベテラン職員が抜擢されたという。
「不思議なことに、本来は『官報』に掲載されて然るべき人事であるにもかかわらず、
今に至るまでこの件の記載が全くなされていないのです」(同)
 国の機関紙である官報には、原則として各省庁の課長職相当担当以上の人事異動が
掲載される習わしになっている。特別職の場合もこれに準じ、秋篠宮家をはじめ、
侍女長の人事は従来より公表されてきた。
 官報を印刷・編さんする独立行政法人国立印刷局に聞くと、
「私どもは各省庁から出稿されたものを正確に刷り上げるだけで、校閲などは行わず、
内容までは関知しておりません」(広報室)
68可愛い奥様:2011/09/12(月) 04:53:11.59 ID:qMG34/sF0
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 続いて宮内庁によれば、
「侍女長は内閣総理大臣による任命であり、官報掲載も内閣府で行っているため、
掲載されなかった理由はこちらでは分りかねます」(総務課報道室)
 埒が明かないまま、今度は内閣府に尋ねてみた。すると、
「官報は政府の広報誌という位置づけであり、情報を載せなかったことに対する
罰則はありません」(人事課)
 そう前置きしながら、意表を突く回答がー。
「今回の人事は、原稿としての情報はあったのですが、おそらく私どもの掲載漏れ、
内閣府のミスになるかと思われます」
 お役所らしからぬ潔さ。かくもあっさり非を認めるあたり、却って勘繰りたくもなるのだが、
案の定というべきか、「単純ミス」で片づけたがるその裏には、尋常ならざる“事態”が横たわっていたのだ。
 内閣府関係者が言う。
「菊池さんは、旧総理府時代からの職員。70年に採用され、内閣府官房への出向が長く、
総理官邸事務所で歴代内閣の裏方を務めてきた、いわば事務のエキスパートです」
 その活躍ぶりは、5人の総理のもとで8年7ヶ月の長きにわたって内閣官房副長官を務めた
古川貞二郎氏の回想録にも記されているほどである。
「09年3月に定年退職し、40年にわたる役所勤めを終えた菊池さんは、『これまでの
キャリアが勿体ない』といった周囲の勧めもあって、秋篠宮付侍女長のポストに推され、
同年7月に就任したのです」(同)
 が、実務のスペシャリストである彼女を待ち受けていたのは、想像を絶する世界であった。
「自身が過ごしてきた役所とはまるで異なるしきたりに戸惑い、またイメージと実際の仕事が
余りに乖離していたことで神経をすり減らした彼女は、体調を崩してしまいました。結果、
ノイローゼのような状態に陥り、着任してわずか1週間余りで出勤できなくなってしまったのです」(同)
 一体、宮邸で何があったというのか。
69可愛い奥様:2011/09/12(月) 04:55:13.24 ID:qMG34/sF0
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■朝礼が「反省会」に

 秋篠宮家には現在、15人の職員がおり、その内訳は宮務官と侍女長のほか、事務官が7名、
運転技官4名に調理師が2名。いずれも国家公務員である。このほか、冒頭で述べたように
民間人扱いとなる侍女が数名、お仕えしている。
 秋篠宮家の事情に詳しい宮内庁の古参職員が言う。
「通い勤めの職員らが出勤し、3人のお子様方がそれぞれ幼稚園や学校に出かけられたのち、
宮邸では仕事についての打ち合わせが行われます」
 主だったスタッフを一堂に集め、あるいは職種ごとに個別ミーティングを開くなど、その形式は
議題の内容やメンバーによってフレキシブルに変わるという。それでも大枠では、
「両殿下が同席され、その日の予定について職員との間で確認はなされるとともに、一日の仕事の
ご指示が出されます。いわば『朝礼』のようなものでしょうか。公務については、おもに殿下と
宮務官がやり取りされ、私的な生活に関する事項は、妃殿下からご指示が出されるのです」(同)
 後者の中心となるのは、やはり侍女長である。
「宮邸は大別して平屋造りの公室棟と2階建ての私室棟に分かれていますが、公室のなかでも
ご一家が暮らされる私室に近い場所に『女子詰め所』とよばれる侍女長らのスペースがあります。
その統括者たる侍女長は連日、妃殿下にお時間を賜り、その日の仕事のご説明を受けます。
ひと口に身の回りのお世話といっても、ご家族は5人ですから、あらゆる作業が生じます。
『今日はお庭の掃除をいたしましょう』、あるいは『この部屋のお片付けを』といった風に、
妃殿下が公室棟で指示を出されることもあれば、侍女長が私室に呼ばれることもあります」(同)
 そうした折、前日までの仕事ぶりについても紀子さまは細やかに、そして時には厳しいご意見を述べられ、
いわば“反省会”の様相を呈することもしばしばだという。さきの宮内庁関係者が言うには、
「この流れをみても、秋篠宮家のミーティングが単なる一日のスケジュール確認以上の性格を
帯びていることは明白です」
 つまりは『ダメ出し』を賜りつつ、新たに細密で高水準のリクエストが出されるという日々なのである。
70可愛い奥様:2011/09/12(月) 04:57:29.51 ID:qMG34/sF0
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■診断書を出した侍女長も

 先述した通り、秋篠宮家のスタッフはわずか15名。これに比して東宮には50人が詰めているという。
絶対的な人手不足の中で3人のお子さまを育て、さらにご家族内に皇位継承者が2人もおられるとあっては、
紀子さまの背負われる重圧は計り知れない。
 そんな状況で、筆頭宮家を支えていくという強固な責任感が、スタッフに対するご指示の「ハードル」を自ずと上げていく形になっているのではないかー。
 皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏も言う。
「侍女の仕事は微に入り細を穿つ内容です。赤坂御用地内にある宿舎から通うため、24時間勤務のようなもの。
基本的には紀子さまの身の回りのお世話が中心ですが、被災地にも随行するなど、両殿下とのご関係や
他の宮家とのお付き合いもある上、お子さまの教育については前例がほとんどない。両陛下のご意向を
伺いながら進めるわけですから、むろん過酷だと思います」
 その上で、こう指摘する。
「紀子さまはご自分のお考えをはっきりと仰るようですし、何よりお子様も多いですから、宮邸での仕事が
きつくなるのは道理です。『こうしてください』というご指示も、細かくならざるを得ないのでしょう」
 酷暑の熱気にむせ返った途端、体感温度が一気に零下へ。あたかも氷のごとき峻厳で鋭利なお言葉が、連日発せられるわけである。
 菊池さんについて、あらためて宮内庁に問うと、
「体調を崩し就任直後から勤務ができませんでしたが、明確な理由については本人から聞いておりません」
 ちなみに彼女の前任者もまた、わずか1年と数ヶ月でその任を退いているのだが、これについては、
 「家庭の介護のこともあり、退職を願い出たもの」(同)
 という。が、“異変”を訴えた侍女長は、実は菊池さんだけに留まらない。さきの古参職員が明かす。
「かつて11年にわたって秋篠宮付侍女長を務めた方がいたのですが、やはり最後は体をこわし、
『仕事は年度末までとするように』と書かれた診断書を提出するまでに至りました。彼女は、傍から見ていても
“今にも逃げ出してしまうのではないか”と思えるほどに憔悴しきっていました」
 この女性は直後、侍従職へと配置換えされ、ほどなく職を辞していった。
71可愛い奥様:2011/09/12(月) 04:59:37.57 ID:qMG34/sF0
秋篠宮家「紀子妃殿下」氷のごときミーティング−侍女長がノイローゼ 5/6

■警視庁にも「ご懸念」を

 紀子さまのお人柄について、宮内庁幹部に聞くと、
 「かつては、妃殿下から感じの読み間違いを指摘された側近もおりました。沖縄の染料に
ご興味をお持ちの妃殿下の前で、この職員は『紅殻』という字をうっかり誤読してしまった。
すると即座に『それはベンガラと読むのですよ』と仰ったのです。いうなれば、男性のネクタイの結び目が
曲がっていると気になってしまう、といった類のお話でしょうか。また、現在の宮邸は旧秩父宮邸を増改築されたわけですが、
98年頃、備品のことで妃殿下はたびたび用度課の職員をお呼びになり、応接セットやカーテンの色を
どうするか、といった内容のご指示を適宜、出されていました」
 それらもまた、お立場を全うしたいとの使命感からもたらされる行動であることは疑う余地もない。
そして、有形無形に発露されるそのご心情は、時に“外部”へと向けられることも。
 08年1月26日、ご夫妻がインドンネシア外遊を終えて帰国された翌日、悠仁さまが宮邸のお庭で
遊ばれている際に転倒、唇を4針縫うというケガを負われたことがあった。この時、
「悠仁さまは愛育病院まで救急搬送されたのですが、およそ2週間後にこの件がTBSのニュースで
報じられてしまいました。その直後、妃殿下は警備を担当する、警視庁警備部警衛課の警察官らに対し、
『あなた方から情報が漏れてしまったのではありませんか』と、直接に強いご懸念を表されたのです」(前出・古参職員)
72可愛い奥様:2011/09/12(月) 05:01:40.20 ID:qMG34/sF0
秋篠宮家「紀子妃殿下」氷のごときミーティング−侍女長がノイローゼ 6/6

 言うまでもなく、お子さま方のお世話もまた、侍女長らの大切な職務である。それにしても、
菊池さんの体調不良を受け、宮家における重要ポストが実質1年半近く「空位」だったわけである。
その後を継いだベテラン職員とて、
 「彼女は昭和天皇の侍従職、その後は皇太后職などを歴任してきたプロパー職員。その経験を買われて
抜擢されたのですが、異動ポストが比類なき激務であるのは重々承知しており、当初は固辞していました。
そこで上司が『2年で戻すから』と必死に説得し、宮邸に入ったのです」(前出・宮内庁関係者)
 皇室ジャーナリストの神田秀一氏が指摘する。
「さきの大震災に際して、皇族として最初に動かれたのは秋篠宮家でした。3月末には紀子さま、
眞子さまと佳子さまが被災者のために約3400枚のタオルを袋に詰める作業をされ、5月に入ると
紀子さまは三沢市や八戸市へ、6月中旬にはいわき市へ入られている。それもただの視察ではなく、
避難所でお見舞いをされているわけで、男子のお子さまを育てながら次々と公務をこなす紀子さまは、
相当ストレスをお感じになっていることと思います」
 秋篠宮家にあっては、仕えるものもまた「心構え」が必要とされるというのだ。
「侍女というのは宮家の生活に合わせて動く仕事。規則はあっても細則は殆どなく、日々の判断が
重要になります。公務員といえども役所の仕事とは180度異なり、『書類に判子がないから動けない』
ではつとまらない。どんなに優秀でも、能力を発揮できない方もいるかもしれません」(同)
 現在は体調も快復し、新たな仕事に就いている菊池さんを訪ねると、
「こんな季節にわざわざお越し頂いて申し訳ありませんが、今は一市井人ですので、官報のことなど、
何も存じ上げないのです」
 そう口にすると、足早に立ち去って行った。