週刊文春の悪質な秋篠宮紀子妃殿下叩きを許さない

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260可愛い奥様
女性セブン 2011年10月6日号
雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 1/12

 [ 秋篠宮家の侍女長が、紀子さまの仕事への指示の細かさと激務に
   体調を崩しノイローゼになり、出勤不能の状態になったと伝えられたー ]

 着袴の儀ーこれは、皇室のお子さまが5才を迎えるころに、
健康を祈って初めて袴を身に着けられる儀式で、一般の七五三にあたる。
9月6日に5才の誕生日を迎えられた秋篠宮家の長男・悠仁さまは、この秋、
着袴の儀を予定されている。

 悠仁さまは昨年4月、お茶の水女子大学付属幼稚園にご入園、
現在は年中組に進級されている。
「元気いっぱいで園庭を走り回ったり、虫取りや砂場遊びをなさっています。
また、年長組の園児が育てている野菜の成長を熱心に観察したりと
充実した幼稚園生活を送られているようです。
年中組になられてからは、園の行事などで、年少組の子の手を引いてあげたりと、
“お兄さん”の表情を見せられることも増えてきました。」(宮内庁関係者)
 悠仁さまは生き物が大好きで、今年はクワガタやカブトムシに加えて、
皇后・美智子さまから譲られた「ヤママユ」を幼虫から成虫になるまで
大切に育てられるなど、貴重な体験を積まれている。
 また、秋篠宮さまとご一緒に図鑑を広げては、昆虫や魚を調べられるなど、
さまざまなことに好奇心旺盛でいらっしゃるようだ。
 そんな悠仁さまのご成長ぶりを、誰よりも嬉しく思っているのが、
母である紀子さまであろう。
「幼稚園のお弁当は時間の許す限り、紀子さまが手作りなさっています。
悠仁さまが年中組になられてからは回数が増え、週に3回、お作りになることも
あるようです。
 宮邸のお庭で育てられたなす、ミニトマトなどを悠仁さまと一緒に
収穫なさって、それをお弁当に入れてあげたりもしているみたいですね」(皇室記者)
 紀子さまは、“親子で遊ぶ日”、“親子遠足”、“じゃがいも掘り”などの
幼稚園の行事にも積極的に参加され、悠仁さまに惜しみない愛情を注がれている。
261可愛い奥様:2011/10/06(木) 19:39:07.75 ID:jPDhz20p0
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雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 2/12

 ところが、そんな紀子さまを巡り、バッシングめいた批判が相次いで報じられた。

≪侍女長がノイローゼで出勤不能〜「紀子妃殿下」氷のごときミーティング≫
(『週刊新潮』8月11日・18日号)

≪宮内庁職員が「秋篠宮家に異動したくない」〜紀子さまの憂鬱、雅子さまのハツラツ≫
(『週刊文春』8月25日号)

 『週刊新潮』によれば、'09年7月に秋篠宮家の侍女長に就任した女性が、
昨年11月にわずか2年で退職。
 この侍女長は、紀子さまの仕事への指示の細かさと激務で体調を崩し、
ノイローゼのような状態に陥り、着任わずか1週間で出勤できなくなってしまい、
そのまま復帰できず、その職を退いたという。
 さらに彼女の前任の侍女長も、わずか1年数か月でその任を辞したとも伝えている。

 『週刊文春』では、紀子さまと職員の間で起こった仕事の手順などをめぐっての
行き違いに関する元職員の愚痴、悠仁さまの通園時の警備体制について、
紀子さまが不満を持たれ、皇宮警察が戸惑っているといった内容が紹介された。
 さらに一部宮内庁職員や皇宮警察には、
 「配属されるなら、秋篠宮家よりも東宮家(皇太子ご一家)のほうがいい」
 ともらす人間が増えているとまで報じている。

 紀子さまが皇室に嫁がれて今年で22年目。妃殿下として、ひたすらご公務に勤しまれ、
今回の東日本大震災でも、秋篠宮さまとともに何度も被災地、避難所を見舞われてきた。
そんな真摯なお姿に、国民の多くが好感を抱いている。
 また母親として、3人のお子さまの教育やしつけにも、熱心に取り組まれている。
 そんな中、噴き出した逆風。いったい、なぜ紀子さまがこのような状況に
立たれるようになったのだろうかー
262可愛い奥様:2011/10/06(木) 19:41:08.56 ID:jPDhz20p0
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雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 3/12

 【「皇室像」と「ご実家」 際立つおふたりのスタンスの違い】

 民間から皇室に嫁がれたふたりのプリンセス。だが皇太子妃・雅子さまと紀子さまを
比べると、自ずと際立つのは、その生い立ちと、妃殿下となられるまでの経緯の違いであろう。

 雅子さまの父・小和田恒氏(78才)は外務省のトップエリートで、現在は国際司法裁判所
所長を務めている。雅子さまは、そんな父の転勤で、幼少期から欧米で暮らした。
米国の名門・ハーバード大学に進んだ雅子さまは、帰国後、東京大学に学士入学。
その後、難問の外交官試験を在学中に突破し、父と同じ外交官の道を歩まれることに。
 そんな雅子さまは、皇太子さまからプロポーズを受けられたとき、外務省の職員として
働き続けたいという思いも強く、幾度も逡巡され苦悩された。だが、
 「雅子さんのことは、ぼくが一生、全力でお守りしますから」
 この皇太子さまの言葉に心を動かされ、出会いから約2000日、紆余曲折を経て、
雅子さまは皇太子妃としての道を選ばれたのだった。

 一方、紀子さまに父・川嶋辰彦氏(71才)は、元学習院大学経済学部教授。
川嶋家の住まいは当時、家賃3万3000円の学習院の3LDKの共同住宅。家には
テレビもなく、紀子さまは、慎ましやかな家庭環境の中で育たれた。そのため、
お妃候補に挙がったとき、格式や家柄を最重要視する一部の皇室内部や宮内庁関係者からは、
「宮さまのお妃としては・・・」と、反対の声もあったほどだった。
 '85年4月、学習院大学に進まれた紀子さまは、1年先輩の秋篠宮さまと出合われ、
恋に落ち、いつしかおふたりは愛を育まれた。学習院という環境の中で、紀子さまは
皇室への敬愛の念を抱かれるようになり、秋篠宮さまに親しみを持って接することが
おできになられた。そしておふたりは、自然の流れの中で結婚されたのだった。
263可愛い奥様:2011/10/06(木) 19:43:34.03 ID:jPDhz20p0
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雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 4/12

 雅子さまが外交官として約6年のキャリアを重ねたあと、皇室に嫁がれたのと比べると、
紀子さまは大学院まで進まれ、社会経験をされないまま、皇室に入られている。
 「外の世界を知らないで、皇室に嫁がれたことが、紀子さまがうまく皇室に
 溶け込まれた理由のひとつではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト・神田秀一氏)

 社会での経験が少ないという自覚からか、紀子さまはご結婚直後から頻繁に御所へ
皇后・美智子さまをお訪ねになり、さまざまなことを相談されてきたという。
美智子さまにとっては初めての嫁でもあり、紀子さまを“キコちゃん”と呼んで、
かわいがられた。
 「初めて民間から皇室へ嫁がれた美智子さまも、当初は理不尽ともいえるいじめに苦悩された。
 だからこそ、紀子さまに、自分と同じ思いはさせたくないと、皇族としての自覚の持ち方から身のこなし方、
 お召し物、さらには子育てについてまでアドバイスされたといいます」(皇室関係者)
 常に美智子さまを“お手本”にされ、紀子さまはだんだんと女性皇族としての品位を
身に付けられるようになっていった。

 例えば、紀子さまの美智子さまへの敬愛の思いは、こんな形となって表れている。
 悠仁さまが誕生される1年ほど前の'05年4月のこと。美智子さまは太平洋戦争で
苦難の道を歩んだ沖縄の人々に格別の思いを寄せられているが、その平和への思いに添いたいと、
眞子さまと佳子さまをお連れになり、プライベートで沖縄を訪ねられている。
これは両陛下の沖縄への思いを、ふたりの娘に伝える学びの旅であった。
 「このとき紀子さまは、沖縄の伝統的な弦楽器である"三線"に興味を持たれ、
 東京に戻られてからも、熱心に稽古されたそうです。これを伝え聞いた美智子さまは
 大変お喜びになったということです」(前出・宮内庁関係者)
264可愛い奥様:2011/10/06(木) 19:45:37.14 ID:jPDhz20p0
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 さらに'05年8月、この年の11月に、結婚されることになった紀宮さま(現在は黒田清子さん)は
"最後の思い出に"と両陛下とご一緒に那須御用邸で過ごされた。そこへ秋篠宮ご一家も
合流された。
 ところがご静養の2日目、次女・佳子さまが、夏休みの学校行事にどうしても出席せねばならず、
紀子さまは、佳子さまといったんご帰京。だが、紀子さまは佳子さまと再び那須に戻られたのだ。
那須塩原〜東京は、往復300km。その道程を、佳子さまを連れた紀子さまは"とんぼ返り"された。
 「一般的には、一度帰京されたならもう戻らなくてもと思うでしょうが、紀子さまとしては、
 両陛下が紀宮さまと最後の思い出を作られるうえで、少しでも、一緒の時間を持ち、
 お役に立ちたいと願われたのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)

 いまでも、週に1度は3人のお子さまを連れて、両陛下のもとをお訪ねになっているという。
お孫さんとの語らいは、両陛下にとって心和むひとときであり、そういう機会を作ってくれる
紀子さまに心から感謝されているに違いない。

 一方の雅子さまは、そういった機会をほとんど持たれなかったといわれる。
 「美智子さまは、皇太子さまが雅子さまと婚約なさったときから、東宮(皇太子ご一家)は
 独立しているという思いを大切にされ、東宮のことには、あまり口出しされないように
 なさってきたといいます。
  そうしたことから、雅子さまには遠慮があって、直接美智子さまに悩みなどを
 相談されることはあまりないようです」(前出・皇室関係者)

 あるとき、美智子さまと紀子さま、ご結婚前の紀宮さまが、3人で御所にお集まりになって
お菓子づくりをされることがあった。だが、そこに雅子さまがご一緒されることはなかったという。

 その背景には"皇室の伝統"を大切にされる紀子さまと、"新しい皇室"像への思いを
持たれている雅子さまとのスタンスの違いがあるのかもしれない。
 このスタンスの違いは、ふたりの妃とご実家の距離感にも、少なからず反映されている。
265可愛い奥様:2011/10/06(木) 19:47:38.16 ID:jPDhz20p0
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雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 6/12

 美智子さまは、皇室に嫁がれてから、ご実家の正田家とはほとんど交流を持たれなかった。
 「娘はあちらさまに差上げたのですから」というのが、美智子さまの母・正田富美子さん(故人)の
 口癖だった。紀子さまのご実家・川嶋家も同じスタンスをとった。
 「紀子さまが皇室に嫁がれた当初、御所へ出されたはずの手紙が、別の宮邸へ誤配される
 といった嫌がらせもありました。しかし、そんなつらいときでも、紀子さまはご実家の両親ではなく、
 あえて美智子さまに苦しい胸の内を打ち明けられたそうです。それは美智子さまの、
 ご実家には頼らずに皇室にふさわしい女性となられた姿を見習われてのことだったそうです。
 実際、紀子さまのご実家である川嶋家の人々が、宮邸を訪ねることはほとんどありませんからね」
 (前出・宮内庁関係者)

 それに比べ、雅子さまとご実家の小和田家の距離は、とても近い。特に雅子さまが
体調を崩されてからは、なおされである。
 「雅子さまは母・優美子さんを何より頼りにされていて、彼女が東宮御所を訪れる姿は
 たびたび見かけられています。また雅子さまは、双子の妹さんたちの家もよく訪ねられたり、
 ご静養先に妹さん一家を呼ばれることも少なくありません」(前出・皇室関係者)

 '04年、適応障害を発表され、長きにわたるご静養に入られた雅子さま。
その病状は一進一退を繰り返している。
 その間も、紀子さまは自らご公務を行う一方でご高齢の両陛下を気遣われてきた。
266可愛い奥様:2011/10/06(木) 19:49:39.28 ID:jPDhz20p0
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雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 7/12

 [ 帝王切開での出産を決断した紀子さまは「私は大丈夫ですから、ご安心ください」と
   気丈に振る舞い、その姿に美智子さまは涙を流された ]

 【紀子さまを悩ませる東宮との歴然とした差】

 そんな紀子さまを巡る環境を一変させたのが、悠仁さまのご懐妊だった。'06年2月、
皇太子さま、秋篠宮さまより下の世代の皇位継承者がいないことで、女性・女系天皇を
容認するための皇室典範の改正の議論が巻き起こっていたなかでの発表だった。男の子ならば、
秋篠宮さま以来、41年ぶりの男子ご誕生となるだけに国民の期待も高まった。
 この吉報を聞き、ことのほか喜ばれたのが美智子さまだったという。
紀子さまの健康面を案じて、安産にいいとされるトマトジュースを贈られたこともあった。

 しかし、紀子さまは胎盤の一部が子宮口をふさぐ、「部分前置胎盤」の状態となり、
ご出産は、皇室では前例のない帝王切開によるものとなった。美智子さまはいたく心配され、
毎日のように紀子さまに電話をされ、元気づけられた。
 「そのたびに紀子さまは、“私は大丈夫ですから、ご安心ください”といった旨を
 美智子さまにお伝えになったんです。そして気丈に振る舞う紀子さまに、美智子さまは、
 思わず涙ぐまれたそうです」(別の宮内庁関係者)

 そして'06年9月6日、悠仁さまがご誕生。天皇家は大きな喜びに包まれた。
 「秋篠宮ご夫妻としては、男の子がいなければ、眞子さま、佳子さまも将来、宮家を
 離れられるため、旧秩父宮家や旧高松宮家と同様に後継ぎがおらず、秋篠宮家が途絶えて
 しまうという危機感が強かったと思います。そのために男の子を望まれたんだと思います」(前出・神田氏)
 しかし、その思いとは裏腹に、国民の多くは"未来の天皇のご誕生"と喜び、
巻き起こっていた皇室典範改正論議もいつしか収まるほど幸せなムードに包まれた。

 しかし、悠仁さま誕生で、それまでひとつの宮家の妃殿下であった紀子さまのお立場は
ガラリと変わることになった。
267可愛い奥様:2011/10/06(木) 19:51:40.37 ID:jPDhz20p0
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雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 8/12

 「皇室典範が改正されなければ、皇位継承権第3位の悠仁さまは将来的に天皇になられる身。
 つまり紀子さまは将来の"天皇の母"となられる。紀子さまはその責任の重さとプレッシャーを
 強く感じられるようになられたと思います」(前出・神田氏)

 早速、紀子さまに思わぬ難題が降りかかる。実は秋篠宮さまは天皇になるための教育を
ほとんど受けられていない。
 つまり同じ家の中に帝王学を体現できる人がいないということで、悠仁さまに"天皇"という
立場を伝えにくいという問題が発生したのだ。

 さらに紀子さまを悩ませるのが、秋篠宮家と東宮では、その待遇に歴然とした差があることだ。
皇太子ご一家のお世話をする職員は、約60人だが、秋篠宮家には16人しかいない。
 「悠仁親王殿下が誕生された後に侍女長補が1人から2人に増えたりと、少しずつですが、
 充実してきていると思います。
  また秋篠宮家はプライベートマネーである皇族費を使って私的使用人を雇われていると思いますが、
 せいぜい2〜3人ではないでしょうか。それらを合計しても、20人前後。東宮職との差は約3倍にも及びます」
 (皇室ジャーナリスト・山下晋司氏)
 
 警備面では、秋篠宮家の側衛は約10人。一方の東宮には約30人が配置されている。
 「お住まいも、改築したばかりの東宮御所は広く、私室と事務棟がきっちりと分けられています。
  これに対し、秋篠宮邸は5人という世帯であるのに、東宮御所より狭い上に、職員が邸内で
 仕事をしています」(前出・宮内庁関係者)

 また天皇家(両陛下と皇太子ご一家)のプライベートマネーである内定費は、年額3億2400万円で、
1人当たり6480万円となる。ところが秋篠宮家のプライベートマネーである「皇族費」は、ご一家で5490万円。
 「秋篠宮家は必然的に慎ましい生活を送らざるを得ないのです。
  しかし、紀子さまとしては、“秋篠宮家には、皇位継承が2位と3位のふたりがいるのに、
 どうして東宮との間に、こんな待遇の格差があるのだろう”という思いが強く、釈然とされない
 ところもおありなのかもしれませんね」(別の皇室関係者)
268可愛い奥様:2011/10/06(木) 19:53:41.62 ID:jPDhz20p0
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雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 9/12

 [ 秋篠宮家の職員は東宮の職員に比べ圧倒的に仕事の量が多いー
   昼食は食堂に行かず、持参した弁当かパンという激務の日々 ]

 【普段の紀子さまはしゃきしゃき話される】

 “将来の天皇”を育てるという重責の中で、整わないバックアップ体制に、紀子さまも焦りがおありのことだろう。
 そのため紀子さまは日常生活の些細なことにも、神経を尖らせていらっしゃるようだ。

 幼稚園に登園される悠仁さまを、一部マスコミが、ビルの屋上から撮影し、グラビアに掲載したことがあった。
 「このとき、皇宮警察に対して、“こんなところから撮影されるなんて、どういうことなんですか”と
 紀子さまは血相を変えて激怒されたそうです。その怒りはなかなかおさまらず、
 所轄の警察官がビルの所有者のところに出向き、屋上に入り込めないよう、
 鍵を付けるという処置をしたと聞きました」(別の公室関係者)

 しかし、その紀子さまのいらだちが思わぬ波紋も呼んでいる。お茶ノ水女子大学付属幼稚園の
近所に住む主婦が、こんな不満を漏らす。
 「朝、犬の散歩に行くと、ちょうど悠仁さまの登園時間と重なったんです。そしたら私服警察官がやってきて
 “住所と名前は?”と職務質問みたいなことをされました。ただ散歩をしているだけなのに…。
 それで警察官に“不審者扱いされるなんて気分が悪い”といったら、
 その警官は “妃殿下が気にされているから、見えにくいところにいてください”というんです。
 そして再度、住所と名前を聞かれたので、“答える必要ないでしょ”と断ったら“私たちが叱られるんです”って」

 また愛子さまに比べると、悠仁さまが公の場に姿を見せる機会は極端に少ない。
例えば、愛子さまは学校の運動会などで取材設定の場所が設けられるが、悠仁さまは一切ない。
「多くのマスコミからは、“将来、天皇になられるかもしれない悠仁さまのお姿を拝見できないのは
残念だ”という声が後を絶ちませんね」(前出・皇室記者)
 これも紀子さまが悠仁さまについて必要以上に神経質になられている表れなのかもしれない。
269可愛い奥様:2011/10/06(木) 19:55:49.04 ID:jPDhz20p0
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雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 10/12


 そんな紀子さまのピリピリムードは、秋篠宮家の職員にも伝わっているという。
 「会見では、ゆっくりと鷹揚な語り口の紀子さまですが、普段はしゃきしゃきとした
 話し方をされるんです。宮家の職員に対しても、それはてきぱきと指示を出され、
 物事をはっきりとおっしゃるというタイプなんです。悠仁さまが誕生されてから、
 その傾向に拍車がかかっていて、細かい要望は増すばかりなんです。」(前出・皇室関係者)

 紀子さまの要求が高くなればなるほど、職員たちの負担も大きくなる。
 そんななか、こんな事態も起こった。各宮家の宮務官(男性職員のトップ)の任期は2年間だが、
今年3月には秋篠宮家の宮務官が、着任からわずか8カ月で退職したのだ。
 「秋篠宮家の職員は、東宮の職員に比べて、圧倒的に仕事の量が多いんです。
 公務の数も皇太子ご夫妻に比べて多いですし、それに伴う日程や時間の調整、
 取材撮影における相談ごとの連絡。
 さらにその仕事は身の回りのことにまで及び、悠仁さまの幼稚園への送迎など多岐にわたります。
 そのため、宮家の職員は昼休みに赤坂御用地内にある職員用の食堂に行くことすらできず、
 朝出勤時に弁当やパンを購入して持参する毎日なんです」(前出・皇室関係者)

 少ない人数で切り盛りする秋篠宮家の職員たち。だからこそ、いつも緊張した空気の中、
仕事を行うこととなる。紀子さまとしても、人数が少ないからこそ、どうしても個々に対する要求も
多岐にわたってしまう。
 「そんな状況下で、紀子さまから、細かい指示が次々と出されると、職員が少ない秋篠宮家では、
 ひとりひとりの責任が重くなり、どうしても仕事が過酷に感じてしまうこともあるでしょう。
  また本来、宮家の職員というのは、公私にわたってお世話をする立場です。しかし、短期間で
 ころころ人事が変われば、意思疎通が円滑にいきません。紀子さまとしては、それをいい方向にしたいと、
 新しい職員に逐一、アドバイスをなさるのでしょうが、信頼関係をなかなかつくれない職員からすれば、
 それが厳しすぎると映ってしまうのかもしれませんね」(前出・神田氏)
270可愛い奥様:2011/10/06(木) 20:00:35.06 ID:jPDhz20p0
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雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 11/12

 紀子さまが直面した将来の“天皇の母”というプレッシャーが、今回のような逆風を
呼んでしまったのかもしれない。

 【雅子さまに美智子さまに通ずるお姿が】

 その一方で雅子さまは、悠仁さまのご誕生で男児待望の声もすっかりトーンダウンし、
"お世継ぎ"のプレッシャーから解放された。 
 とはいえ、雅子さまは将来、“天皇の妻”すなわち新しい時代の“皇后”となられるお立場だ。
両陛下はともにご高齢で、ご体調も芳しくない。9月8日には美智子さまが左肩から腕にかけて
強い痛みを訴えられ、その後のご公務をいくつかとりやめられた。
 「こうした状況の中でも、雅子さまのご公務の回数は依然として増えていません。周囲からは
 “早くご公務に復帰を”の声が上がっていますが、復帰への道はまだ不透明です」(前出・宮内庁関係者)

 そんななか、秋篠宮家と同様に東宮でも側近が立て続けに入れ替わっている。
 '09年3月には両陛下の信頼も厚かった末綱隆氏が東宮侍従長を辞任。また愛子さまの養育係だった
福迫美樹子さんが'09年4月に、さらに元学習院幼稚園園長で、'08年4月に愛子さまの養育専任女官に
就いた小山久子さんが昨年12月に退任している。
 また今年1月には長きにわたって雅子さまに仕え、愛子さまからの信頼も厚かった木幡清子東宮女官長も
東宮から去っている。さらに今年7月には5年にわたって皇太子ご一家に仕えた野村一成氏が
東宮職トップである東宮大夫の職を勇退した。
 公務復帰もままならないなか、本来支えてくれるはずの側近も次々と入れ替わり、"チーム雅子妃"は
崩壊状態。このままでは“将来の妻”という役割がどうやってサポートされるのか、心配はさらに高まるばかりだ。

 だが、ここにきて少しずつだが、明るい兆しも見せられている。
 「東日本大震災の被災地や避難所に、雅子さまは皇太子さまとともに訪れられ、被災者を励まされています。
 病気になられてからは、これまで日帰りでの地方ご公務など、一度たりともありませんでしたから、
 大きな前進といえます」(前出・皇室記者)
271可愛い奥様:2011/10/06(木) 20:02:37.00 ID:jPDhz20p0
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雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 12/12

 未曾有の国難を前に、病気を押してでも被災者を見舞わなくてはとのご自覚を持たれたのか、
被災地を訪ねる雅子さまの姿には、どこか「皇室は祈りでありたい」という美智子さまに通じるものがあった。
 ふたりのプリンセスが背負われる重責。きっといま紀子さまと雅子さまは、そのプレッシャーのなかで、
それぞれの使命をさらに心に刻まれているのだろう。それは、皇室の新たな時代を築くために、
ふたりの妃が必ず通らなければならない道なのかもしれない。