週刊文春の悪質な秋篠宮紀子妃殿下叩きを許さない

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153可愛い奥様
週刊文春 2011年9月15日号
■悠仁さま5歳。皇室史研究第一人者が認めた「帝王教育の不安」 1/4

九月六日に五歳になられた秋篠宮家の悠仁さま。将来、天皇となられる可能性も高いが、
ご成長の様子はなかなかうかがい知ることができない。
「宮内庁が発表するのは、『昆虫がお好きで、幼稚園でも元気で遊んでいらっしゃる』
というような断片的な情報ばかりで、どんな環境でお育ちになっているか、
特に幼稚園については情報をシャットアウトしている。
愛子さまのように、運動会などの行事では取材機会をセッティングしてほしい、
と申し入れているのですが、応じる気配はありませんね」(宮内庁担当記者)

 お誕生日にあたり、宮内庁はご成長をあらわすエピソードと、写真や動画を公開したが、
宮内記者会との齟齬は埋まりそうにない。
「幼稚園は表向き『園児の安全を守るため』と言っていますが、『宮内庁がダメだと言っている』というのが本音。
そこにはやはり両殿下、特に紀子さまのご意向があるのでしょう。
何らかの情報漏洩があればすぐにご注意があるので、
幼稚園や警備関係者は神経質になっているようです」(同前)

 ベールに包まれた幼稚園生活。はたして悠仁さまは幼稚園でどのように
過ごされているのだろうか。
 九月五日月曜日の午前九時過ぎ。小雨が降り続くなか、ブロンズ色の日産フーガが
小誌記者の前を通り過ぎていった。乗っていたのは紀子さまと悠仁さま。
この日は悠仁さまが通われているお茶の水女子大学付属幼稚園(東京・文京区)の二学期の始業式だった。
「紀子さまは濃紺のエレガントな半袖のワンピース。悠仁さまは、ブルーのチェック柄の半袖シャツに紺色の半ズボンでしたね。
警察の厳重な警備態勢のなか、悠仁さまは構内の植え込みの中のダンゴムシやアリを覗き込んでいました。

 園児の一人から
『ひさひと君しってるよー。はなしたことある。おばあちゃんも見たことある』と聞いたことがあります。
紀子さまが公務でお忙しい時は、眞子さまや佳子さま、それに紀子さまの母・川嶋和代さんも
送り迎えに来ているようですね」(お茶の水女子大関係者)
154可愛い奥様:2011/09/21(水) 23:03:51.96 ID:4VMypLVu0
■悠仁さま5歳。皇室史研究第一人者が認めた「帝王教育の不安」 2/4

 同幼稚園は、明治九年に日本で初めて創設された幼稚園。
関東大震災で園舎が消失したが、その後、現在の園舎が昭和六年に完成した。
外壁には、フランク・ロイド・ライトが旧帝国ホテルのためにデザインしたものと同じ
シックなタイルが使われている。

 元幼稚園関係者が話す。
「園舎は、平屋建てで細長い長方形の建物。特徴的なのは幼稚園とは思えないほど天井が高く、
玄関を入ると、付き当たりのお遊戯室まで、幅の広い長い廊下がまっすぐ続いていることです。
板張りの木目が美しい、この廊下がいろいろな遊び場になる。
ござや敷物を敷いてお店屋さんごっこをしたり、廊下をおもちゃの電車の線路に見立てたり」

 廊下の片側には、年少から年長までの保育室が二クラスずつ並ぶ。その六クラスのうち、
悠仁さまは「池の組」。各クラスの入り口には、ステンドグラスがあしらわれており、
「池の組」のステンドグラスには、池に泳ぐ金魚とカエルが描かれている。

 園の事情を知るお茶の水女子大卒業生が話す。
「悠仁さまは、砂場遊びがお好きだそうです。各クラスからはすぐに園庭に出られる
構造になっていて、子どもたちに大人気の砂場は複数あります。水場もすぐ近くにあるので、
砂場にこしらえた池や川に水を流し込んだりして遊ぶんです。ジャングルジムやブランコ、
滑り台などもあります」

 この園庭は、昭和初期に傾斜地を利用して作られたという。園児たちが「お山」と呼ぶ
小高い丘には、樹齢百年以上という大イチョウがそびえ立つ。細い小道を降りていくとトンネルがあり、
それを抜けると広場に出るという、起伏に富んだ遊び場だ。
「よく考えられた配置になっています。夏休み明けの今の時期は、雑草が生い茂り、
そこでは草摘みや、虫取りができる。ぼうぼうに生えた雑草に紛れてかくれんぼもできます」(同前)
155可愛い奥様:2011/09/21(水) 23:06:10.84 ID:4VMypLVu0
■悠仁さま5歳。皇室史研究第一人者が認めた「帝王教育の不安」 3/4

◆ 秋篠宮殿下が「ゆうゆう!」

 愛子さまが通われていた学習院幼稚園と同様、お茶の水幼稚園の方針は「自由保育」。
同幼稚園で教育実習をしたという別の同女子大卒業生が解説する。
「子どもが『主体的に遊ぶ』ということを大事にしていますね。
たとえば『みんなで一緒に歌を歌いましょう』といった授業はしない。
園児たちは登園してエプロンを身につけたら、外で泥だらけになって遊んでもいいし、中でままごとをしてもいい。
一人でずっと同じ遊びを繰り返していてもいい。先生たちは子どもの中の『やりたい気持ち』が高まるのを待つんです」

 そんな幼稚園教育の一端が垣間見えたのが、八月十九日の消防博物館
(東京・新宿区)ご訪問だった。
「悠仁さまは、大正時代に輸入された消防ポンプ自動車に試乗されました。
ハンドルを回すと前輪が動くという説明を聞くと、『動いたの見たいー』とはしゃいで、
ご自身がハンドルを回して前輪が動くことを運転席からその都度降りて確認していました。
悠仁さまを秋篠宮殿下が『ゆうゆう!』と呼ばれていたのが印象的でした」(博物館関係者)

 活発で好奇心旺盛に成長されている悠仁さま。
 だが、「将来の天皇として、現状のままでよろしいのかと心配になってしまう」と、
皇室の伝統と文化を研究してきた所功氏(京都産業大学教授)は指摘する。

「皇室が二千年もの間、存続し得たのは、多くの天皇が日本人の『心の拠り所』であったからです。
それは血筋だけでなく、幼少時代から師傳によって帝王学を学び、君徳を養ってこられた
からに他なりません。万民の上に立つ公平無私な『仁』のお心は、一朝一夕には育ちがたい」
 身近に天皇や皇太子がおられる場合には、その日常的な言動が“生きた教科書”となる。
「たとえば今の皇太子殿下は昭和天皇の次の次を受け継ぐため、ご両親である両陛下のご意向で、
初等科一年の時から東大名誉教授の宇野哲人先生に『論語』を習い、修養を積んでこられた。
授業には両陛下もご一緒されました」(同前)
156可愛い奥様:2011/09/21(水) 23:08:12.96 ID:4VMypLVu0
■悠仁さま5歳。皇室史研究第一人者が認めた「帝王教育の不安」 4/4

 さらには「学友」の問題があるという。
「学習院では、幼稚園から大学まで一緒に育っていける学友を得ることができます。
皇族と華族のために創設された学校だからこその経験則もある。
お茶の水は元女子師範ですから、できれば来春、遅くとも小学校へ進む時、
学習院に移られ、一生を通じて心置きなくものを言い合える学友を多く作っていただきたい。
孤高の存在となる天皇にとって、真の学友は大きな支えとなるはずです」(同前)

 皇族は概ね五歳の頃に「着袴の儀」を執り行い、ご成長をお祝いするが、
悠仁さまの場合、被災者への配慮から延期されてきた。
「今秋に検討されていることが、先日ようやく発表されました。装束をお召しになることから
暑い時期ではない方が望ましいということもあったようです」(前出・宮内庁担当記者)

 来年は年長になられる悠仁さま。三年保育のあとで進まれるのはどちらの学校になるのだろうか。