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可愛い奥様:
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週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。
女性自身2011.4.12号
静止を振り切り、崩れた宮中三殿に10人が参集されて…
報じられない皇室ご一家の全身全霊17日間
美智子さま/「被災者の苦しみを分かち合いたい―」
灯火を止めて雅子さまと「救国の祈り」36時間!
4頁の記事
・「3月21日には、大震災が発生して以来、初めての宮中祭祀が行われました。
『春季皇霊祭の儀』です。参集されたのは天皇皇后両陛下や皇太子さま、秋篠宮ご夫妻ら10人の方々でした」(ある宮内庁関係者)
・実は今回、両陛下の祭祀ご出席に反対の声もあがっていたという。
「神楽舎の柱が地震で傾き、皇霊殿へ向かう廊下の天井板も崩れており、側近たちは
『余震も続いておりますし、非常に危険です』とお止めし、掌典長による代拝をお勧めしたのです。
しかし、天皇陛下と美智子さまは、“私たちに祭祀をさせて下さい”と、強くおっしゃったそうです」(宮内庁関係者)
・結局、祭祀は建物の中には入らず、庭から皇霊殿を拝む『庭上拝』という形式で行われることになった。
・当日の午前10時ごろは、東京では冷たい雨。通常なら陛下は衣冠束帯、美智子さまは十二単風の古装束をお召しになるが、庭上拝ということで、それぞれモーニングとローブモンタントの洋装でいらっしゃった。
・「春季皇霊祭は本来、両陛下が皇室の祖先に五穀豊穣や国民の幸せを祈る儀式です。
今回は、“日本をお守りください”“被災者をお救いください”と必死に祈られたことでしょう。いくら建物の倒壊の危険があるといっても、代拝ですませるお気持ちではなかったのだと思います」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
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可愛い奥様:2011/03/29(火) 07:21:59.00 ID:Z4mCBwCB0
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・陛下と美智子さまは、特に’97年から’01年の間、頻繁に東北各県を視察されている。
今回の震災で壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町にも’97年10月に訪れている。
・雅子さまが成婚ご初めて地方公務に訪れたのも岩手県。
雅子さまのお祖母様の実家も岩手県にあった。幼少期、お祖母様と二人で盛岡に旅行されたのも雅子さまにとっては忘れられない思い出だという。
・「“陛下と一緒に巡った地である東北へ、すぐにでも飛んでいきたい”そう美智子さまは願っていらっしゃると思います。
(中略)しかし救出活動は今も続いており、さらに放射性物質流出事故のため、お見舞いの日程のめどが立っていないのが現状です。
両陛下もいたたまれない思いでいらっしゃるでしょう。
3月16日には史上初めて天皇陛下のビデオメッセージが発表されましたが、ほかにも初めての試みが続いています。
それらはすべて両陛下のご意向によるものだそうです」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
・天皇陛下は宮内庁の幹部たちにおっしゃったという。
(以下太字)「ささやかでも宮内庁の施設を役立ててもらえないだろうか」
・このご指示により、宮内庁は24日に次の3つの支援を発表した。
1那須御用邸の職員用の風呂を近隣地域にいる避難者に開放。
2御料牧場の食料を避難所に提供。
3東京都に避難している老齢の患者を宮内庁病院でも受け入れる。
・実はこれらの施設のうち、栃木県にある御料牧場自体も甚大な被害を受けている。
「乳製品や肉加工品などの製造の施設に被害があり、各製品を製造できない状態であるほか、貴賓館、集会所なども使用できない程度の被害を受けています。
また職員の宿舎も居住できない程度の被害を受けています」(宮内庁総務課報道室)
・「(以下太字)まったく報じられていないのですが、御料牧場からの、御所や東宮御所、各宮家への食材の提供は、震災後にストップしています(太字ここまで)。
震災は皇室の食卓も直撃していたのです。今回発表された御料牧場からの備蓄提供という支援は、両陛下の“私たちの食事より、被災者を優先させて欲しい”という深いお気持ちも込められていたのです」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
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可愛い奥様:2011/03/29(火) 07:23:11.68 ID:Z4mCBwCB0
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・3月11日以来、両陛下は連日のように、震災関連の専門家から被害状況や対策についての説明を受けられている。
17日に両陛下に救護活動について説明した日本赤十字社社長・近衛氏は、
「(略)両陛下からの熱心なご質問の一つ一つに、被災者のみなさんへの思いがいかに深いものであるか、痛いほどに伝わってきました…」
・日々の専門家からの事情説明に加え、両陛下が続けていらっしゃるのが“自主停電”である。
「執務を行われる宮殿は可能な限り使用されず、さらに15日以降は毎日、お住まいである御所のブレーカーを一定時間落とす生活を続けていらっしゃいます。
1日に2回の停電をする場合は、合わせて4時間も電源を落とされています。
その間は、明かりや暖房を止めるだけではなく、電気を使わない暖房器具の利用も控えていらっしゃるのです。
夜にはそうそくや懐中電灯をお使いになり、暗い中で夕食を取られたこともありました。
計画停電は実際には直前になって中止になることもあります。しかし両陛下はその場合でも停電をおやめになりません。
陛下や美智子さまにならい、皇太子一家や秋篠宮ご一家をはじめとする各宮家も同様の生活をおくっていらっしゃるそうです」(前出・宮内庁関係者)
・震災発生の3月11日から27日までの17日間で、両陛下の“自主停電日”は13日間、のべ36時間にもなるという。
・「皇太子ご一家から秋篠宮家の幼い悠仁さまにいたるまで、皇室が一丸となり決行されている“自主停電”は、天皇陛下と美智子さまが呼びかけられたものです。
“国民と苦しみを分かち合いたい”という強いお気持ちのあらわれです。
さらに言えば、美智子さまが自主停電にこだわられているのは、この時間を“祈りのとき”とされているからに違いありません。(略)
灯火を消した闇の中で、両陛下がひたすら祈られているのは被災者の救済と、日本国民の幸せです。皇太子さま、雅子さま、愛子さまも、震災以来は東宮御所からお出かけにならず、お慎みに日々を送っていらっしゃいます。
雅子さまも、美智子さまと同じように、祈りのときを過ごしていらっしゃるのでしょう」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
〆は、天皇ご一家が心を一つにして捧げている“救国の祈り”は、きっと日本の未来を照らすはずだ―
続いて週刊女性。