皇室御一行様★part2043

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286可愛い奥様
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週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。
女性自身2011.4.5号
美智子さま/雅子さま/紀子さま「切なる愛!」秘話3話
2頁の記事

美智子さま/撮影3時間延長した陛下との「激励ビデオ」
・3月16日、陛下ビデオでお気持ちを国民に伝えられたが、ビデオメッセージは初めてのこと。
・「東日本大震災が発生したとき、陛下は美智子さまと宮殿にいらっしゃいましたが、
揺れが非常に大きく、宮殿の南庭に避難されました。
いまはお住まいである御所にいらっしゃいます。宮殿は非常に広く、両陛下がいらっしゃるということになれば、暖房のための電気量もかなりのものです。
両陛下はその点も苦慮され、執務のほとんどを御所で行われているのです」(宮内庁関係者)
・(以下太字)“国民と苦難を分かち合いたい”というお考えから、御所でも節電を実行されている。
・「具体的には計画停電の第1グループの時間に合わせて、御所の電気のブレーカーを落としていらっしゃいます。
また御所では放射線被ばくなど災害に関する説明を熱心にお聞きになっているのです」(宮内庁関係者)
・ビデオメッセージも御所の応接室で撮影された。
「撮影は、メッセージが流された16日の当日に行われ、美智子さまも立ち会われました。
(以下太字)もともとは午前中で終わる予定でしたが、実際に終了したのは午後3時だったのです」(宮内庁関係者)
・陛下のお言葉がNHKで放映されたのは午後4時半ごろ。収録されてからわずか1時間半後のことだった。
・「両陛下は一刻も早くお気持ちを国民に伝えたかったのでしょう。
98年の国際児童図書評議会の世界大会は、美智子さまの講演がビデオで発表されました。
今回の陛下のメッセージも、美智子さまのご発案だったに違いありません。
撮影は3時間以上延長されたそうですが、お二人で推敲に推敲を重ねていらしたからだと思います」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
287可愛い奥様:2011/03/22(火) 06:21:46.86 ID:h9GJepmT0
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雅子さま/“帰宅難民”の母子たちに届けた温もりの(美智子さま直伝)コンソメスープ!
・大震災当日、東京では帰宅難民があふれたが、学習院初等科も例外ではなかった。
・「11日には『6年生を送る会』が行われました。
愛子さまはすでに東宮御所に戻られていましたが、地震発生時は多くの初等科児童たちが学校に残っていました」(ある保護者)
・登下校には電車やバスを利用している児童も多い。交通網がストップしたため、初等科に戻ってくる児童もいたという。
・「結局、帰宅を断念し、初等科に泊まり込むことになった親子もずいぶんいました。
彼らには学校から乾パンや水、それに毛布も配られたのですが、不安もつのるばかりだったでしょう」(初等科関係者)
・しかし、夜9時ごろになって突然、初等科に思わぬ“救援物資”が届いたのだ。
「(以下太字)温かいコンソメスープと、オレンジジュースでした。雅子さまからの差し入れだと伺いました」(初等科関係者)
・「皇室には、お見舞いとしてスープを届ける習慣があるのです。
特に美智子さまはオリジナルのスープ・レシピをお持ちで、体調を崩した知人などに送られています。(以下太字)雅子さまも、この美智子さまのお心遣いをお手本にされたのでしょう」
・3月18日には、皇太子夫妻のウィリアム王子の結婚式欠席が発表された。
“今は国民みんなと心を一つにして復興を目指したい”雅子さまはそう決意されたはずだ。
288可愛い奥様:2011/03/22(火) 06:22:32.62 ID:h9GJepmT0
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紀子さま/7歳年下“最愛の弟”の乗った電車が津波で横転事故の惨劇!
・「(以下太字)紀子さまの弟さん(川嶋舟さん)が乗っていた電車は横転し、彼も現場付近の病院に搬送されました」(川嶋家の知人)
・3月11日、舟さんは、妻子の住む家に、仙台経由で電車に乗って戻る途中だったようだ。幸い大きなケガもなく、人々の救助、そして獣医師として馬の治療に奔走したという。
・「紀子さまは、二人きりのきょうだいということもあって、舟さんをとても可愛がっていました。舟さんのお子さんは悠仁さまと同じ4歳です。
(以下太字)舟さんの被災については、紀子さまは、お母さまの和代さんから聞いて大変驚かれたそうです」(前出・知人)
・紀子さまは小学3年生の時に、『私の弟』という題の作文を書かれた。
〈いつもいたずらをして、私を困らせる舟ちゃんですが、ほんとうは、わたしの心の中には、舟ちゃんのことをだいすきという心があるのです〉
・紀子さまは、最愛の弟が無事だったことをどんなに喜ばれたことだろう。
・しかし、いまだに舟さんは妻子とともに相馬市にいる。
「(以下太字)舟さんは、一度東京に戻って来たのですが、それは相馬市で不足している物資を取りに来るためでした。
すぐに妻子のいる相馬市に戻って、被災者たちの支援活動を続けています」(前出の知人)

〆は、紀子さまも、弟一家への闘いを見守り続けているのだ―

以上です。