皇室御一行様★part2040

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945可愛い奥様
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・笑顔を取り戻す愛子さまだが、その一方で雅子さまの学習院への不信感は払拭されることはなかった。
・10月20日、皇后美智子さまのお誕生日。雅子さまは午前中、お祝いのために皇居に参内。
この日、愛子さまが登校したのは最後の授業となる6時限目直前の午後2時過ぎのこと。
雅子さまは自分が戻ってくるまで愛子さまを待たせていたという。
・(以下太字)結局、自分がいなければ愛子さまを学校へ行かせることは出来ないという雅子さまの気持ちを如実に表す結果となった。
どんな批判を浴びても、愛子さまのことは他人任せにしたくない、雅子さまの誰をも寄せ付けぬほどの信念を示す結果となった。

■一に勉強、二に勉強、三に勉強
・昨年12月、’08年4月から愛子さまの養育専任の東宮女官として務めていた小山さんが退任。東宮女官への人事は、雅子さまのたっての希望で実現したといわれている。
・それがわずか3年足らずで退任となったわけだが、ある皇室関係者がその真相についてこう打ち明ける。
「教育方針の違いから、雅子さまと小山さんの間がぎくしゃくするようになり、
決定的となったのが愛子さまのいじめ問題を巡ってのこと。
小山さんは状況を冷静に判断したうえで、
“一学期をもって、付き添いをおやめになられては” と、雅子さまに進言したといいます」
・だが、雅子さまは小山さんの意見を受け入れることはなかった。
そこで小山さんは、“自分がいる意味が無い、お役目が果たせない”という思いを強くして、
その職を辞したといわれる。
・愛子さまの将来を思い、覚悟の進言をした側近を失ってまで、雅子さまがこだわった同伴登校。そのヒントは、小和田家のルーツにもあるようだ。
・雅子さまの祖父、毅夫氏は、新潟各地の旧制中学で教鞭をとり、市の教育委員長を務めるなど、一貫して教育者として活躍した人である。
この毅夫氏がいつも子どもたちにいっていたのが、「一に勉強、二に勉強、三に勉強」であったという。