皇室御一行様★part1989

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88可愛い奥様
まだまだ続きます。
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・おそばの者なら、妃殿下のお部屋の中のことだって、わかるはずだというかもしれないが、雅子さまの場合は「おやすみなさいませ」と言って
プライベートなお部屋に入られたら、なかで何があっても私たちにはわからない。天皇皇后両陛下は、侍従や女官がお部屋に入ることも、あまり
苦とお感じにならないらしいけれど、東宮御所は公私の部分がはっきり分かれている。それに雅子さまは何でもご相談される性格ではないので、
ご体調が悪くても、周りが気づいて差し上げることができない。(雅子さまに仕えたある東宮関係者)
・雅子さまは仕事に対して厳しいところもあり、私たちがしかられることも多い。しかし女官とはそういうものだと思わないと務まらない。
召使としての覚悟があるかどうか。語弊を恐れずに言えば、優秀な人ほど出て行きたくなるような仕事なのだ。(同関係者)
・側近の退職者はこの4年間で5人。2007年9月に楠田恵美子東宮女官、2009年3月に末綱東宮侍従長、2009年4月には
福迫美樹子氏が辞めている。天皇皇后両陛下に比べると、比較的若く、しかも短期間で辞めている退職者が目立つ。
・楠田さんの勤務は、2005年3月からの2年半。雅子さまの東宮女官の中で最も短かった。上智大学外国語学部英語学科を卒業し、
エール大学に留学経験もある。英語が堪能で、雅子さまが定期的に聴講されている国連大学へのお出ましの際には、大学の
事務方と流暢な英語で打ち合わせ。ご主人が亡くなってからは、近所の子どもたちに英語を教えていた。(前皇室ジャーナリスト)
89可愛い奥様:2011/01/19(水) 23:42:26 ID:RNReKedZ0

続きます。
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・雅子さまは優秀な楠田さんを気に入り、休日にも出られる日は出てもらうこともあった。しかし楠田さんは、御所には内緒で
休日や早く帰れる日にはまだ英語を教えていた。生徒には「もう教えてあげられない」と言っていたようだが、ぜひ教えてほしい
と請われた。ただ、休日に仕事が入れられるかどうかという話の時に、英語塾のことが知られてしまい、雅子さまからお叱りを
受けたという。このことが退職につながったもよう。(楠田氏知人)
・末綱氏の場合は、皇太子ご夫妻との関係が退任に影響したと言われている。就任当時は、2004年5月に皇太子の「人格
否定発言」があったこともあり、末綱氏の着任によって、千代田との関係改善が進むものと期待する向きもあった。
就任当初は「大丈夫。皇太子さまとは何でも話せますから」と自信を見せていたそうだが、天皇皇后との関係が深いことがかえって、
皇太子ご夫妻との関係を築く上で障害になったと見られている。(別の宮内庁関係者)
・退任の数ヶ月前から噂はあったものの、「長官まで務める」と見られていただけに、周囲は「東宮御所の仕事はそんなに
大変なのか」と受け取った。
・退任直前の末綱氏の、警察庁のOBや宮内庁長官を訪れて、苦しい胸の内を訴えていたという。「皇太子妃との関係がうまく
いかない。これ以上続ければ、かえってご迷惑をおかけする」と話し、時折涙を見せていたそうだ。期待が高かったのは本人も
承知していたから、無念だったはず。(同関係者)
・福迫さんの場合はどうか。愛子さまは福迫さんに懐き、オランダご静養にも同行。2006年新年の「ご近影」撮影中に
千代田サイドからクレームがつく“事件”が起こった。愛子さまがおむずかりにならないようにあやしたり、カメラマンの側で
愛子さまに向かって手を振って注意を引いたりしえいたのが、皇室ではありえない振る舞いと思われ、千代田側から苦情が伝えられた。
(皇室関係者)