皇室御一行様★part1989

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240可愛い奥様
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週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。
女性セブン2011.2.3号
東宮女官長退任で抜擢
「皇太子妃雅子さまの盾に!」新リーダー“命の献身”

3頁の記事

・愛子さまは年を追うごとにスケートの練習に熱心に取り組まれている。
・1月15日。東京郊外のスポーツ施設のリンクで新年初滑り。
午前10時過ぎ、愛子さまは皇太子さまと二人で姿を見せ、お友達数人と約2時間スケートを楽しまれた。
・この日午後から公務があった皇太子さまは、愛子さまをスケート場に送ったあとすぐに帰られたが、いつもは付き添われるはずの雅子さまの姿は結局見られなかった。
・「関係者の間では、“体調を崩されて同伴を取りやめたのでは”と、心配の声も上がったようだが、実はこの直前、雅子さまに不安を抱かせる出来事があった。
その影響もあったのかもしれない」(宮内庁関係者)
・その出来事とは、木幡東宮女官長が1月17日付けで退任することになったこと。
・これまで東宮には女官長を筆頭に常時5人が皇太子夫妻に仕えてきたが、最近では愛子さまの養育掛を務めていた福迫さん、
昨年12月には養育専任女官だった小山さんが退任するなど、側近たちが立て続けにいなくなっているのが実情。
・そして今回、女官たちを束ねる“トップ”である女官長までが退任するに至った。
雅子さまとしては心寂しいことであり、その不安もさぞかし大きいことだろう。
・元外交官夫人であった木幡さんが東宮女官に任命されたのは、雅子さまが皇室に嫁がれたのと時期が同じ93年6月。
「それだけに、常に雅子さまに思いを馳せる方だった。(中略)ときには関係各所とのパイプ役となり、またときにはクッション的な役割を果たし、日々腐心された姿が印象に残っている」(別の宮内庁関係者)
・木幡さんは03年に女官長に就任。宮内庁が雅子さまの病気を「適応障害」と発表してから、木幡さんの腐心の日々はさらに続くようになった。
・「公務がなかなか果たせない雅子さまに対して、厳しい意見を耳にすることもありました。
そんな時、木幡さんは必死に歯を食いしばるようにして雅子さまを支え、ときには盾にもなってお仕えしてきました」(前出・宮内庁関係者)
・雅子さまはそんな木幡さんを信頼され、木幡さんがいれば大丈夫と何よりの頼りとされるようになった。
241可愛い奥様:2011/01/20(木) 06:45:09 ID:axtx002F0
>>238
その書き込みは??ですよ。
雅子じゃあるまいし食事マナーはナルはしっかりしつけられてるでしょう。

今日は新潮、文春両方買いだわ。
電車の中吊りも二つ並んですごいことになりそう。
特に新潮が金銭の面でのことに言及してくれたのがすごくGJと思う。