皇室御一行様★part1956

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20可愛い奥様

■★■★■★■ 写真部時代の 秋篠宮様 ご活動内容 ■★■★■★■

< 3LDKのプリンセス > より

「 礼宮さまは高等科3年のときに写真部に入っていらしたんですが、

 そのとき写真部は、都内の有名女子高校に“美女3人の写真”を
                     ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
 スリーサイズ付きで求めたことがあるんです。
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 聖心とか雙葉からは断わられましたが、学習院女子部は協力してくれまして、

 3人の女生徒の写真が送られてきました。

 そのなかに、川嶋紀子さんが入っていたんです。


 おそらく、あのとき、礼宮さまの胸には紀子さんが焼きついたはずです」   

                              
21可愛い奥様:2010/11/26(金) 19:30:39 ID:9kmXTAW40
<今上天皇の発言>

平成13年(2001年)12月18日、天皇誕生日前に恒例となっている記者会見において、
今上天皇は翌年に予定されていたサッカーワールドカップ日韓共催に関する「おことば」の中で、

「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、
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 韓国とのゆかりを感じています。
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 武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。
 また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。」との発言を行った。

 この発言は日本では特に話題とならなかったが、韓国では大きな反響を呼び、
 「皇室は韓国人の血筋を引いている」、「皇室百済起源論」「日王が秘められた事実を暴露」などの
 発言意図から逸脱した報道も多く行われた。

なお、今上天皇は平城遷都1300年記念祝典の挨拶でも、百済とのゆかりについて同様の趣旨を発言している。
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これらについて水野俊平は、自著の中で朝鮮半島からの渡来人による古代日本における影響の
大きさを認めつつも、彼等の日本社会への同化の程度も大きく
(生母の高野新笠は百済系渡来人の武寧王から10代目であり、しかも6代前に
日本名(和氏)にして帰化もしている)、果たして彼等をして「韓国人」と見てもよいかどうか、
またそもそも和氏が武寧王の子孫であるかどうかも学術的に少なからず疑義を持たれていることを
指摘している。

桓武天皇の生母である高野新笠は百済武寧王を遠祖とする渡来人和氏の出身という記述が
続日本紀にあるものの、実際に武寧王の子孫であったかどうかは朝鮮側の資料から見ても
不明瞭であるため疑問視する学説もある。
22可愛い奥様:2010/11/26(金) 19:31:37 ID:9kmXTAW40

【政治】前原外相「陛下は外交安保にお詳しかった」 ご進講の内容には言及せず
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1290700288/

1 鉄火巻φ ★ New! 2010/11/26(金) 00:51:28 ID:???0

前原外相:「陛下は外交安保にお詳しかった」

前原誠司外相は25日夜、東京都内で開かれた自身を支持するグループの会合であいさつし、
天皇陛下にご進講したことを明らかにしたうえで「陛下は外交安保にお詳しかった」などと感想を述べた。

ご進講の内容については言及しなかった。会合には仙谷由人官房長官や

評論家の松本健一内閣官房参与ら約40人が出席した。


毎日新聞 2010年11月26日 0時23分
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20101126k0000m010129000c.html
           
23松本健一氏の本から抜粋・1 :2010/11/26(金) 19:32:49 ID:9kmXTAW40
松本健一 「昭和天皇 畏るべき「無私」」 という本を読んでいたら、興味深い記述がありました。
「皇室危機の本質とは何か」という1994年初出の文章です。抜粋して紹介します。

松本氏は、天皇制の無為無私の理想と遠いところにいると批判的で、とくに海外訪問とメディアへの
露出と、公務を増加させ、家族主義を前面に押し出す平成の皇室が皇后の意思によるものである
ことを批判しています。また、皇后が一々報道に介入することを嫌悪しています。

・天皇・皇后は個人としての好悪の情をはっきり表明する

→・天皇がまだ学習院の学生だった皇太子時代には「×××さんは民族主義的で、嫌な政治家だ」、
 「○○の書くものは嫌いだ」といった発言をしたと報道されていた

・最近も京都御所で「なぜ、私たちまで靴やハイヒールを脱がなくてはいけないのか。脱ぎたくない」と
 言ったと伝えられた

・今回の一連の皇室報道(皇后バッシング)についても、皇后が「幾つかの事例についてだけでも、関係者の
 説明がなされ、人びとの納得が得られれば幸せに思います」「事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを
 覚えます」といった要望を宮内庁職員や記者クラブにしている。事実と違う場合は徹底して争う、という明確な
 意思表示、自己主張をする(p137)。

・天皇・皇后は政治的な発言も進んでする(p138)
→即位後の国会で「憲法を遵守します」⇒国家元首と認識され、中韓から利用された

 細川首相の最初の内奏の折に「私より若い人が首相になったのは初めてです」、連立政権ができて旧野党
 関係者と言葉が交わせるようになったことも歓迎した

・美智子皇后は秋篠宮の結婚に際して、「秋篠宮家の繁栄を祈ります」旨の発言
→天皇家が祈るべきは宮家の繁栄ではなく、国民の不安、国家の安泰、民族の永続ではないのか(p138)
 
24松本健一氏の本から抜粋・2 :2010/11/26(金) 19:34:45 ID:9kmXTAW40

・1993年の訪中が問題になっている際、「自分たちは行きたい」と発言(p142)
 →宮沢政権は国民の反対を「天皇陛下が望んでおられるから」との発言で押し切り、
 天皇・皇后の希望を優先(p144)

・ベルギー王室の葬儀出席を口実に訪欧し、認証式の関係で細川政権誕生を4日遅らせた(p144)
→国事行為よりも 「ロイヤル外交」 を 優先(p145)

・1991年宮沢政権誕生時、 国際周産期学会とレセプション出席 のため、認証式を夜9時まで遅らせた。
→学会会長が皇后の手術執刀医&紀子妃出産の担当医だったため 「ぜひともお祝いにいきたい」 と
 いうことから (朝日新聞皇室記者が『文藝春秋』にも記している)(p145)

・天皇は相談されても「どうだろうな」ということが多く、結局は皇后が決めている(p146)

・紀子妃が秋篠宮の髪を直した写真を撤回させた事件
→皇后がああいう写真はよくないと言って引っ込めさせた(p149)

・皇后は女性誌であれ一般週刊誌であれ、テレビの皇室番組であれ、
 「ここは事実と違う。どうしてこういうことが正されないのか」と頻繁に言う

→自分の理想とする皇室像にそぐわないものを排除しようとする

・皇后が皇太子妃時代に常陸宮と皇居で聖書購読会を主催→教養として
 聖書を読むのはよいが、宮中でキリスト教を講義するのはやめよと昭和天皇が注意
→天皇に叱られたショックから失声症になった

→このことを松本氏が雑誌に書いたところ、宮内庁から編集長宛に
 「書かないでもらいたいのです」と圧力(p150-151)

・1993年の訪欧時、皇后が「バチカンにはどうしても行きたい」といって訪問し、
 フランスの修道院で修道女と二人だけで礼拝した(p155)