「日本の母は息子の性処理係」毎日新聞が捏造記事183
◇食品公害、再び許さぬ
森永ヒ素ミルク中毒事件 (1955年、昭和30年) の被害者運動を伝える 「森永ヒ素ミルク中
毒事件資料館」 が8月下旬、岡山市にオープンし、来館者が「食品公害の原点」に触れてい
る。館長の岡崎久弥さん (48) が、運動に尽力した父親の故・哲夫さんとの約束を実現
したもので、発生から55年がたった今も、食の安全とは何かを問い続けている。
■「解決」「治癒」
資料館は岡崎さんの自宅を一部改築した。哲夫さんが残した膨大な資料の一部と、ヒ素が混
入していたミルク缶や、皮膚が黒ずんだ被害乳児の写真が並んでいる。
岡崎さんの7歳年上の姉ゆり子さんも被害者の一人だ。生後2カ月から嘔吐 (おうと) や下痢
に苦しんだ。西日本一帯でも乳児が相次いで原因不明の病気にかかった。岡山大が森永乳業徳
島工場製のドライミルクからヒ素を検出し、岡山県がヒ素混入を発表すると、赤ん坊を抱いた
母親たちは病院や保健所に殺到した。130人の乳児が死亡し、被害者は1万3000人を超した。
哲夫さんは混入発表の3日後に被害者組織を結成。さらに翌年、「岡山県森永ミルク中毒の子
供を守る会」 を作り、自宅の土蔵を事務所として、夜中まで機関紙のガリ版を刷った。
しかし各地で被害者団体が作られたものの、わずかな補償金とビスケット2缶で 「解決」 とさ
れた。旧厚生省が出した通達に基づく診察で、多くの被害者は 「治癒した」 と診断された。公
害の責任追及があいまいな時代だった。 (つづく)
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■不安と怒りの日々
ゆり子さんには、おでこに小さな黒い斑点があった。ヒ素による色素沈着だ。小学生になると、
鏡を見る度に「ヒ素の刻印」におびえた。ひどい頭痛に悩まされ、本人も家族も「いつか発病
するかも」と不安にかられ、「何でこんな目に」と憤った。「これがうちの歴史なんだ」。岡
崎さんは自分の問題として受け止め、父の封筒折りなどを手伝った。
14年後の69年、事態は一変した。大阪大の丸山博教授の追跡調査で、粉ミルクによる脳性まひ
などの後遺症が明らかになった。被害者は「守る会」を中心に結束を強くする。73年に被害者
団体と旧厚生省、森永乳業の3者が交渉し、森永乳業が責任を認めた。財団法人「ひかり協会」
(大阪市)が発足し、被害者を救済する仕組みができた。しかし哲夫さんは「救済組織と被害
者団体は一定の距離を保つべきだ」と考え、活動方針の違いから86年に運動を退いた。そし
て「救済に至るまでの“公害の闇”を残したい」と、資料館設立を目指した。
00年秋、小学校教員だったゆり子さんが45歳で亡くなった。リンパ系臓器にがん細胞ができ
る胸腺腫だった。哲夫さんもその冬、末期がんで倒れた。昏睡(こんすい)状態に入る前、岡
崎さんは「最後の会話になる」と医者に告げられ、父の耳元で誓った。「資料は社会に生かす
ように残すからね」。父はわずかにほほ笑んだ。(つづく)
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■「食」巡る事件今も
父や姉の 「血の一滴」 が刻まれた書類の数々は、交渉記録や新聞の切り抜きなどA4判で約30万
ページを超す。岡崎さんはあまりの量に途方に暮れた。コンサルティング会社を経営していた
ため、葛藤 (かっとう) もあった。「公害事件の被害者として大企業と対峙(たいじ)した歴
史を公開すれば、仕事に影響するのではないか」 と−−。
そのころ、農薬やカビで汚染された米が出回るなど、食を巡る事件が相次いだ。
森永ヒ素ミルク事件では、原乳の品質を保つ安定剤に 「第二リン酸ソーダ」 が使われた。産業
廃棄物を再利用した成分で、そこにヒ素の混入があったが、安全検査もされていなかった。岡
崎さんには、食を巡る最近の事件が重なって見えた。「口に入る物は証拠が残りにくい。『ば
れなければ』と割り切った時に過ちを起こす」。岡崎さんは資料館開設を決意した。(つづく)
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■関心が歯止めに
ひかり協会によると、今年3月現在、全国の被害者は1万3429人。うち約710人に脳性まひや知
的障害などの後遺症がある。親の高齢化で被害者自身の暮らしをどうするかなど新たな課題も
生まれ、協会の前野直道専務理事は「済んだ話ではない」と話す。森永乳業は年間約17億円
を協会に支出しているが、事件の傷跡は消えない。
岡崎さんは今、資料館を訪れる人の真剣なまなざしを受け止めている。「食品を巡る事件に歯
止めを掛けるには」。私の問いに岡崎さんは答えてくれた。「企業のモラルも大切だが、最後
の防波堤は一人一人。過去を学んで痛みを共有してもらいたい」
食の安全を脅かす出来事は絶えず、誰もが当事者になり得る。新たな被害者を出さないため、
食品に関心を持ってもらいたい。地道な一歩が、越えてはならない境界線を企業に守らせてい
くと思った。
毎日新聞 岡山支局・椋田佳代 (2010年11月10日)
http://mainichi.jp/select/opinion/newsup/news/20101110ddn013040055000c.html