1976年11月の小欄に、ソウルに出張した中堅官僚の帰国談を紹介した一文がある。
彼は当時の官僚の学識と勤勉と清潔さを自負していたが 「向こうのお役人たち」
と議論して「はるかに追い抜かれているのでは?」 と思うことがあった。
例えば若くても政策を立案し鍛えられる機会の多さ。「国の安危は我々の肩にか
かっている」 との使命感。それらが国民の強烈な国家意識と結び付き、明治の日
本の熱気をしのばせるものがあるという。高度成長期の隣国である。
なんだ、34年も前に 「韓国おそるべし」 と気付いた役人もいたのに、政府は座視
したのか。それで北東アジアのハブ空港を仁川にさらわれ、家電業界は世界市場
でサムスンに勝てないのか。そう言ってしまうのは短絡的だろう。状況は以前と
違い、もっと込み入っている。
だが、わが国が総じて韓国の猛追を甘く見てきたことは否めまい。かの国の人々
には、石橋をたたくどころか、朽ちた橋でも一息に走り渡ってしまうようなとこ
ろがある。時には無謀とも思える果敢さとスピードに、今の日本は少なくとも一
部で対応し切れていない。
ソウルで先行した各国の首脳会議で韓国は初のホスト役を務め、誇らしげな報道
が伝わってきた。どこそこの首相がお忍びでホテル近くの寺を訪ね、鐘をついた
とか、早朝ジョギングをしたとか、ゆったりしたニュースもある。
もっとも、韓国が安泰なわけではない。日本を覆う危機感と悪条件をソウルの知
人に説明すると、「その程度で覇気を失うなら、韓国なんてとっくに滅びてい
るはずだ」 と笑った。当方も国難を乗り越えてきた歴史を忘れまい。
毎日新聞 (2010年11月14日)
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20101114k0000m070085000c.html