皇室御一行様★part1879

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711可愛い奥様

文藝春秋レポ主さん、輸入奥様乙です。

輸入レポでは1頁弱の記事とありましたが、実際は2頁に渡ります
かぶる箇所も有りますが補足レポ。

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文藝春秋 2010年9月号
「勝つ日本、40の決断」特集記事84ページの中の2ページあまりの記事

紀子さまご懐妊、美智子さまがもらされた感慨―岩井克己

・皇室に次々代の「世継ぎ」が一人もいない。にもかかわらず、皇太子夫妻に第二子誕生の気配はない。05年、天皇陛下の心労はピークに。
・前年(04年)には皇太子の「人格否定発言」があり、長期療養に入った雅子さまにこれ以上期待できない。
・前立腺がんなどの体調不良を抱えた陛下の「皇統断絶」への不安と苦悩は端で見ていられないほどだった。
・「愛子さまに継承権を」と皇室典範の根本改正に挑んだ小泉内閣。
宮内庁の官僚や官邸にも「安定政権のこの機を逃しては」との焦りがあった。
「皇室典範に関する有識者会議」はわずか十か月の審議で最終報告に達した。
・しかし古来から、皇位は男系の皇族以外は継げないというのがいかなる権力者といえども侵せない天皇の正当性の根源と信じられてきた。
反対の火の手はみるみる燃え広がり、小泉チルドレン含む二百人近い国会議員が反対・慎重論に回った。
・筆者(岩井氏)は、最終報告発表の会見に立った吉川弘之座長の足ががくがく震えているのに気づき同情を禁じ得無かった。
・女系容認も「皇統断絶の先取り」となるというジレンマの中であらゆる関係者が七転八倒して悩み苦しみ、険悪な争いになりつつあった。
・皇室た国家分裂の因を作る構図に天皇の苦悩は倍化されつつあるようにみえた。
712可愛い奥様:2010/08/10(火) 11:52:56 ID:nz3vGpfC0
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・06年2月7日。あと数日で改正法案上程が決まるという瀬戸際で、突然、白いコウノトリが舞い降りた―「秋篠宮妃が懐妊」
・改正の機運は一気にしぼみ、秋篠宮ご夫妻の「決断」に多くの関係者が救われた思い。
・皇后さまは、「あの二人なりに心配し、苦しみ悩んだ末に自分達に何が出来るか考えたのではないでしょうか」との感慨をもらした。
・2000年暮れ、ある側近は皇后さまに「秋篠宮家に男児でも…」と申し上げたら、皇后さまは「紀子ちゃんがどんなに苦しむか…
佳子ちゃん懐妊の時に遠慮もなく、と言われて、どんなに苦しんだか…」と嘆息しておられた。
・皇室内でもそんな声があったようだ。雑誌等でも「紀子様の妊娠は雅子様へのプレッシャー」など、秋篠宮両殿下の「人格否定」に等しい記事が散見された。
・恐らく秋篠宮ご夫妻はずっと「遠慮」され続けていた。
・しかし、皇太子夫妻にはまわりがいくら心配を募らせても一向に男児を運ぶコウノトリが舞い降りる気配は無し。
・01年、皇室の産婦人科担当医を四十年務めた坂本正一御用掛が退任。同年二月、お別れの挨拶で御所にて両陛下と長時間語り合った際、
別れ際に、「紀子様もそろそろ(限界が)来られている、お考えになった方がよい」との言葉に両陛下は深く頷かれた。
・同年十二月一日愛子さま誕生。しかし女子だった。皇位継承の危機は依然打開されず。
・それまで第三子について否定的に答えていた秋篠宮さまだが、愛子さま誕生の翌年(02年)の誕生日会見から答えが変わった。
「確かに子供たちが妹なり弟なりいて、何か世話をしてあげたいという気持ちがあるようないんしょうがあります」紀子さまのほうを見てにこやかに「どうですか?」
・この直後の同年十二月、秋篠宮さまのこの発言について記者団から問われた湯浅宮内庁長官は「皇室の繁栄を考えると、三人目を強く希望したい」と述べた。
・湯浅宮内庁長官の発言は両陛下、秋篠宮ご夫妻の気持ちをくんだものと見るべき。
この後、紀子さまは愛育病院に度々健診や体調の相談に通うように。

〆は皇統の危機、国論分裂の危機を救った決断ではあるが、「天の配剤」とでもいうしかないドラマ。
以上です。