皇室御一行様★part1714

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941可愛い奥様
「天性、慈悲心が深い」。これこそが皇后位に就くお方の必須条件だとオモタ。
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ttp://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100120/acd1001200750002-n1.htm
【元気のでる歴史人物講座】(54)昭憲皇太后 深い慈悲心、涙でお言葉
2010.1.20 07:49

 近代日本を世界に躍進せしめた明治天皇に内助の功を尽くされた昭憲(しょうけん)皇太后は天性、慈悲心が深かった。
 日清、日露戦争の時には宮中の女官とともに自ら包帯作りをされた。また病院を訪れ傷病兵を慰問された。
 一人一人に懇(ねんご)ろなお言葉をかけられ折々涙を浮かべられた。兵士たちは感涙にむせんだ。
 明治4年、わが国初の女子留学生がアメリカに派遣されるとき、皇后は5人の少女(8歳から15歳)を皇居に招いて励まされた。
 「よくぞ決心しました。見あげたものたちです。そなたたちが学成り、無事帰る日を待っている親の気持ちを
 日夜忘れずに励むように。体だけは十分気をつけるように」
 皇后は一人一人にやさしいお言葉をかけた後、紅葉の美しい吹上御苑にお連れになった。
 そのとき、12歳の山川捨松(すてまつ)(後の大山巌夫人)の肩に手をかけられて、
 「これ捨松とやら言いましたな。母恋しゆうて心ゆらいでも、せんない年でありましように」と言われた。
 皇后陛下の目は涙でいっぱいであった。
 自分らに対して皇后さまは親身で泣いてくださっていると思うと、捨松はたまらず、わあっと声をあげて泣いた。4人も大声で泣いた。
 後年、捨松はその時の感激を「私にとっては珠玉のような思い出です」と述べている。
 捨松らはこの感激を胸に抱いて彼(か)の地で日本女性の名に恥じぬ努力を重ねたのである。
 (日本政策研究センター主任研究員 岡田幹彦)