被爆後半年の広島、米調査団の遺族が写真提供
原爆投下の約半年後に広島や長崎を訪れた米国戦略爆撃調査団のメンバー、ハーバート・
スッサン氏(1922〜85年)の遺族が13日、広島市の広島平和記念資料館を訪れ、スッサン氏が
保管していた被爆地などの写真210枚を提供した。
広島で撮影された43枚のうち23枚は同資料館が確認していなかったカットで、担当者は「復興の兆し
がうかがえる貴重な写真」としている。
広島の焼け野原に建てられ始めたバラックや、補修された広島駅などを撮影。けがの癒えない
被爆者をとらえたものや、がれきの上に立つスッサン氏の写真もあった。ほかに、長崎分が37枚、東京や
京都などを撮影したものも含まれている。
同調査団は空襲の被害状況を調べるため、1945年末に来日。広島には46年3、4月に滞在した。
スッサン氏は映像班員として、被爆地の様子を8ミリなどで撮影しており、保管していた写真は
個人的に撮ったとみられている。
今回、写真の存在を知った同資料館が、米メリーランド州在住の長女レスリーさん(56)に提供を依頼。
13日、電子データとして保存した後、返却した。
同資料館で記者会見したレスリーさんは「父は生前、『自分も(残留)放射線を受けた。広島では
復興に向けたエネルギーを感じた』と話していた」と語った。
http://www.yomiuri.co.jp/zoom/20090713-OYT9I01032.htm http://www.yomiuri.co.jp/zoom/20090713-OYT9I01028.htm