文藝春秋12月号 雅子ヒが変えた平成皇室を読みました。20頁あります。1/2
櫻井よしこ姐さん>保阪、岩井>高橋>>>香山、な印象です。
香山と高橋は今に至っても秋篠宮樣と紀子樣の婚約が昭和帝の喪中だと
言い切っています。文中でどなたも訂正されていないのが残念。
レポするのは難しいので、各氏の発言から独断(と偏見?)で
引用します。です、ます調で書かれた文体を変えている程度(&お察しを)です。
櫻井氏:皇室文化というものは、ある種の先天的な感性がなければ身についていかない
ように思う。その感性というのは何と言っても日本に対する理解というか、
愛そのものだと思う(雅子の皇室への理解度が皇后陛下とは違うとの話を受けて)。
平成皇室の作り出した大きな課題は、次の時代に持ちこされてしまうのか。
問題は山積みしたまま。我々国民も自らの課題として引き受けていかねばならない。
保阪氏:昭和帝と香淳皇后の間には役割に関してかなりの差があったと思うが、今の
両陛下は役割にある種の等価性、バランスがあるように思う。
両陛下が外国で振る舞う一つ一つの言動、慎み深いスピーチ、そういった
細やかな礼節が昭和帝時代の日本のイメージを大きく変えているという良さを
我々はもっと自覚して知っておく方が良い。
「秋篠宮が天皇になる日」という原稿を書いたが、徳仁の次は秋篠宮だという意味
だった。一部では徳仁をスキップするととられ随分騒がれた。社会の底流に
秋篠宮樣のほうが天皇にふさわしいという理解/認識があるのかと感じた。
岩井氏:高円宮邸で徳仁と午前一時まで一緒にいた女がいると聞いて外務省応接室で
雅子に会った(昭和62年7月)。「どうして浩宮樣と会っていることが
分かったんですか!」「その件につきましては何も申し上げられません」の一点張り。
退散を告げると屈託の無い笑顔になったが、皇太子妃のイメージとは大分違い、
>「皇室って何?」な感じがあった(ここ原文ママ)。
眞子樣は再来年で成人の為、今年度予算の宮内庁の概算要求にはティアラの経費が
入っている。(
>>663奥、楽しみですね!)