1 :
鬼女への挑戦者:
女性が強くなった、賢くなったと言われて久しいですが
賢い、強い、そんな奥さまへの挑戦状です。
鬼女の奥さま方に
こちらが送り込む女性陣と対戦して頂きます。
対戦方法は…、そのうち分かると思います。
ルール
一、こちらからも既婚女性を送り込む。(ときに未婚女性あり)
一、勝ち負けの判定は奥さま一人ひとりの心に委ねるものとする。
一、こちらが勝ったあかつきには「鬼女」の看板を貰いうける。
以上の3つです。
2 :
鬼女への挑戦者:2009/07/05(日) 17:38:38 ID:QCj1t7hr0
このレスはすっ飛ばして構いません。
対戦後、気になったらお読み下さい。このまま次のレスにお移りください。
そもそも天・地・人があるべき場所に分かれてからというもの、夫婦の道は苦難の末に
盛んになった。ふたつの血族がうち解けて交わると、厳しくも行い正しい気風がじつに
顕著となった。
女性が気高い心を奮ってひとり傑出したとき、魯国は花を飛ばすように官位を授けた。
女性が厳しい節義に抜きん出てひとり目立ったとき、周国は豊かな実を結ぶように記録した。
彼女たちの立派な業績は麗しさを兼ね備えており、彼女たちの心根は優しく素直で、
道を外れることがなかった。
彼女たちのような人物は時代を隔てても、あい望まれており、十把一絡げにできないことは明白だ。
そうだとすれば、虞が興ったのは嬀水のほとりで堯のふたりのむすめを娶ったからであり、
夏国が盛んになったのは塗山氏がいたからである。
有娀氏と有娎氏は殷国の王業を広めて盛んにし、大姙と大姒は姫氏の王化を広め盛んにした。
馬皇后とケ皇后は他人に恭しく自分は慎ましくして、漢朝の徳義を押し広めた。
卞皇后と甄皇后は立派でしとやかであって、魏代のかぐわしい美名を宣揚した。
これらはみな宮中の奧にあって礼を極め、義に特に優れた人たちである。
恭姜のような者に至っては再嫁しないことを誓い、孟子の母は仁を求めた。
孟姫は守り役を率いて斉を治め、樊姫は決まりを授けて楚の荘王を覇者とした。
敬姜は文伯が剣を奉じさせたことを誹り、子発の母は子発が兵士に豆を分配していたことを責めた。
少君は礼法に従って行いを引き締め、孟光は隠遁の志を示した。
彼女らはすでに女性の決まりを明らかにし、かつ母たる模範をほしいままにしている。
劉向が以前に彼女らの事跡を『烈女伝』に集め、杜預が後になって『女記讃』を編纂したのは、
女性が守るべき手本をつぶさに述べ、女性が身につけるべき徳の教えを補うためである。
故に我も倣い、遡っては泰始年間(二六五〜二七四)から、下っては恭帝・安帝の時代まで、
ひとつには讃えるべき行いを、ひとつには記すべき技芸を、みな全て選んで収録し
これを伝を立てる理由とする。
3 :
鬼女への挑戦者:2009/07/05(日) 17:39:29 ID:QCj1t7hr0
昔の中国に三国時代と呼ばれる時代があります。
先頃、映画「レッドクリフ」が公開されましたが、その時代です。
日本で言えば卑弥呼の時代になります。卑弥呼は歴史書「魏志倭人伝」に登場しますが
その「魏志倭人伝」とは「魏国の歴史書内の倭人の伝」という意味です。
その魏(ぎ)という国は三国の中で最も強大な国で天下の覇者です。
(映画では敵国として描かれていました)
魏は後に重臣の司馬懿(しばい)に乗っ取られます。
そして司馬懿の孫が晋(しん)という国を建て、中国を統一します。
しかし、平和は長く続かず、北方の異民族に攻め込まれ滅ぼされてしまいます。
皇族の一人が長江の南へ逃れ、再び晋を建国します。
時代は5つの民族が入り乱れて争う五胡十六国時代となっていきます。
以前の晋を西晋、新たな晋を東晋といいます。
出来るだけ分かり易いように書いていきますので、お付き合い下さい。
4 :
一人目:2009/07/05(日) 17:43:20 ID:QCj1t7hr0
【 羊耽の妻、辛氏 】(ヨウタンの妻“シン氏”) 字:憲英(けんえい)
羊耽の妻の辛氏は、字(あざな)を憲英といい、隴西(ろうせい)郡の人で、
魏の侍中の辛毗(しんぴ)の娘である。聡明博識で目端が利いていた。
かつて、魏の文帝曹丕(そうひ)が、太子として立てられることになったとき、
曹丕は辛毗のうなじに抱きついて「辛君にはわたしの喜びが分かるまい?」と言った。
辛毗が憲英にその出来事を告げると
憲英は「太子は君主に代わって宗廟や社稷を祀る者です。君主に代わって心を砕かなくては
いけないし、国の主となることを畏れなくてはいけないのに、心配するところを
喜んでいたのでは、どうして長続きできるでしょう!そんなことでは魏は栄えないのでは
ありませんか?」と嘆いて言った。
5 :
:2009/07/05(日) 17:44:21 ID:QCj1t7hr0
弟の辛敞(しんしょう)は大将軍曹爽(そうそう)の部下となった。
曹爽が皇帝曹芳(そうほう)に従って城を出たとき、太政大臣の司馬懿が曹爽を誅殺しようと
企てて城門を閉じさせた。
曹爽の部下魯芝(ろし)は府兵を率いて関を斬り破って曹爽のもとに赴こうと辛敞を呼んで
同道を求めた。
辛敞は怖れて「天子が外におられるのに、太傅(たいふ…司馬懿のこと)が城門を閉じたので、
人は太傅が国家の不利益をはかろうとしていると言っています。
そんなことがありうるのでしょうか?」と憲英に尋ねた。
憲英は「知ることの出来ない事というのはありますが、わたしが今回のことをはかりますに、
太傅はまずそうせずにいられないのでしょう。明帝曹叡(そうえい)が崩御なさるに臨まれて
太傅のひじを掴んで後のことを委ねられました。このときの言葉はまだ人々の耳に残っています。
尚かつ曹爽は、太傅とともに信託されて任を受けられましたが、ひとり権勢を独占し、王室に対して
忠義でなく、人道に対して正直ではありません。この挙に曹爽が殺されるだけにすぎないでしょう。」と答えた。
辛敞は「それなら私は出ないほうがよろしいでしょうか?」と尋ねた。
憲英は「どうして出ないでいられましょう!職分を守るのは人の大義です。そもそも人は危難に
あっても、それでもなお職分に気を配るものです。人のために鞭を執る者がその仕事を捨てて
しまうのは不吉です。それに、人のための任にある者が人のために死ぬのは務めなのです。
お前はついていくだけですよ。」と答えて言った。辛敞はこうして出ていった。
太傅はやはり曹爽を誅殺した。事件が落ち着いたあと辛敞は感嘆して
「わたしが姉に相談しなかったら、あやうく徳義に背くところだった!」と言った。
6 :
:2009/07/05(日) 17:45:17 ID:QCj1t7hr0
その後、鍾会(しょうかい)が鎮西将軍となると、
憲英は「鍾会はどうして西方に出立するのですか?」と羊耽(夫)の甥の羊祜(ようこ)に尋ねた。
羊祜は「蜀を滅ぼそうとしてのことです。」と答えた。
憲英は「鍾会は事があるとほしいままに振る舞います。人の下につく生き方を長く続けることは
できないでしょう。わたしは彼が別の野心を持っていることを危惧しているのです。」と言った。
鍾会は出発に際し、彼女の子の羊e(ようしゅう)を参謀にしたいと上に願い出た。憲英は心配して
「過日わたしは国のために心配しましたが、今日は難儀がわが家にやってきました。」と言った。
羊eは大都督の司馬昭(しばしょう)に対して固辞したが、司馬昭は聞き入れなかった。
憲英は「行くのならばこのことに気をつけなさい! いにしえの君子は、家に入ると親に孝行し、
出ると国に臣節を尽くしたものです。職務にあってはその司るところを思い、徳義にあっては
その立脚するところを思って、父母に心配をかけさせませんでした。軍隊の間でやっていくには
優しさと思いやりがあるのみです!」と羊eに告げた。
鍾会は蜀に辿り着くとやはり反乱したが、羊eはけっきょく無事に帰ってきた。
(叛乱は失敗に終わり鍾会は死にました)
羊祜がかつて錦織りの夜着を彼女に送ったことがあったが、憲英はその華美なことを嫌い
裏返して着た。彼女の明察倹約ぶりはこのようなものであった。
泰始五年(二六九)に亡くなり、享年は七十九だった。
7 :
鬼女への挑戦者:2009/07/05(日) 17:52:36 ID:QCj1t7hr0
こんな感じに昔の既婚女性を送り込んでいきます。
8 :
二人目:2009/07/05(日) 18:13:56 ID:QCj1t7hr0
【 杜有道の妻、厳氏 】(トユウドウの妻“ゲン氏”) 字:憲(けん)
杜有道の妻の厳氏は、字を憲といい、京兆(けいちょう)郡の人である。
行い正しくしとやかで、見識と度量が備わっていた。十三歳のとき杜氏に嫁ぎ、
十八歳でやもめ暮らしになった。子の杜植、娘の杜韡(とい)はそろって小さいまま
残された。憲は若かったけれども、再婚しないことを誓い、ふたりの子どもを
いつくしみ育て、礼儀や節度を教えたので、杜植は成長すると世に名が知られるようになった。
杜韡もまた慎ましく、傅玄(ふげん)が後妻として求めたとき、憲はすぐさまこれを許した。
ときに傅玄は何晏(かあん)、ケ颺(とうよう)との関係が穏やかでなく、
何晏らがいつも傅玄を害そうとしていたので、当時の人々で婚姻に賛成する者はいなかった。
憲が傅玄の求婚を受け入れたので、杜家の内外の人々は恐れ心配した。
ある人が「何晏、ケ颺が権力を握っており、必ずや傅玄は害されるでしょう。
山を押し退け、卵に圧力をかけ、湯を雪に注ぐような無駄な行いをするだけです。
どうして傅玄と親戚になろうとするのです?」と忠告した。
憲は「あなたはその一を知っていますが、その他を知らないのです。何晏らは驕り高ぶって
贅沢をしており必ず自ら敗亡するでしょう。司馬太傅(司馬懿)の様子は獣が眠りについて
いるだけです。(先の羊耽の妻辛氏の話に出てきた、誅殺された大将軍曹爽が権勢を独占
していた頃の事です)
わたしは卵が破れて雪が溶けるのを恐れるからこそ、自然なとおりに行うのです。」と言って
そのまま傅玄と結婚させた。
何晏らはまもなく司馬懿により誅殺された。杜植はのちに南安の太守(今で言う県知事)となった。
9 :
:2009/07/05(日) 18:16:30 ID:QCj1t7hr0
杜植の従兄の杜預(とよ)が秦州刺史(しんしゅうしし)になったが、誣告されて
召し戻された。(刺史…日本で言うなら関東・関西・九州などの“地方”を統轄する知事)
憲は杜預に書を与えて「辱めに耐え忍べば三公に出世するとことわざに言います。
あなたは今いわゆる辱めを受けていますが、よくこれを我慢なさい。あなたは大臣の座に
つけるでしょうよ。」と戒めて言った。杜預はのちにやはり儀同三司(三公の次の位)となった。
傅玄の前妻の子の傅咸(ふかん)が年六歳で、かつてその継母に従って憲にご機嫌伺い
したことがあった。
憲は「お前は千里を走る名馬です。必ずや遠くに辿り着くでしょう。」と傅咸に言った。
憲の妹のむすめを彼に娶せた。傅咸もまたのちに天下で有名になった。
彼女の人を見る鑑識眼はこのようであった。享年六十六で亡くなった。
10 :
可愛い奥様:2009/07/05(日) 18:23:16 ID:eul4gMGA0
3行でおながい
11 :
可愛い奥様:2009/07/05(日) 18:25:27 ID:CI68/vaRO
英文でお願いできます?
12 :
鬼女への挑戦者:2009/07/05(日) 18:28:31 ID:QCj1t7hr0
>>10 3行じゃ無理ですよ。(^_^;)
>>11 漢文でいかがですか?(笑)
13 :
鬼女への挑戦者:2009/07/05(日) 18:32:18 ID:QCj1t7hr0
こんな感じになりますけど。。
杜有道妻嚴氏,字憲,京兆人也。貞淑有識量。年十三,適於杜氏,十八而嫠居。
子植、女韡並孤藐,憲雖少,……
14 :
可愛い奥様:2009/07/05(日) 18:49:15 ID:CI68/vaRO
カレーにする?
それともシチューにする?
15 :
鬼女への挑戦者:2009/07/05(日) 19:02:53 ID:QCj1t7hr0
じゃ、カレーパンでお願いします。
16 :
可愛い奥様:2009/07/05(日) 19:04:23 ID:8XYoKLoR0
私はフランス語で S'il vous plait
17 :
鬼女への挑戦者:2009/07/05(日) 19:16:39 ID:QCj1t7hr0
S'il vous plaît lisez comme c'est.
18 :
鬼女への挑戦者:2009/07/05(日) 19:20:37 ID:QCj1t7hr0
のんびり行きましょう。
19 :
可愛い奥様:2009/07/05(日) 19:32:27 ID:eul4gMGA0
上げんなボケ
20 :
可愛い奥様:2009/07/05(日) 19:48:59 ID:CI68/vaRO
それじゃ、サバの味噌煮にするわ。
21 :
鬼女への挑戦者:2009/07/05(日) 21:34:24 ID:8ipegtFR0
(^_^)
ゆるりと参りましょう。
22 :
可愛い奥様:2009/07/05(日) 21:36:30 ID:rLflQgyF0
なにそれこわい
23 :
可愛い奥様:2009/07/05(日) 21:38:49 ID:1jnzoIr+0
30才童貞室伏似だけど
需要ある?
24 :
鬼女への挑戦者:2009/07/05(日) 21:40:13 ID:8ipegtFR0
まだ終わってません。先は長いです。
長文は疲れると思って。
25 :
可愛い奥様:2009/07/05(日) 21:41:45 ID:mwIF9/nPO
>>23 ウホッには、
かなり需要があると思います!
26 :
可愛い奥様:2009/07/05(日) 21:48:11 ID:PgytmFKTO
今日は舞茸の味噌汁美味しかったわ。
27 :
可愛い奥様:2009/07/05(日) 21:58:27 ID:aod1n6yS0
うちは野菜たっぷり巻いて巻き巻き焼肉にしたよ。
夏に向かって栄養バッチリだわ。
28 :
三、四人目:2009/07/05(日) 22:16:13 ID:8ipegtFR0
【 王渾の妻、鍾氏 】(オウコンの妻“ショウ氏”) 字:琰(えん)
王渾の妻の鍾氏は、字を琰といい、潁川(えいせん)郡の人で、魏の太政大臣鍾繇
(りゅうよう)の曾孫である。父の鍾徽(しょうき)は、黄門郎(天子の相談役)となった。
琰は数歳にして文章をよく綴り、成長すると賢くて度量が大きくて上品で、古典を広く
読みあさって記憶していた。容姿は美しく、歌をうたうのを得意とした。礼儀作法は手本に
しっかり則っていた。王渾に嫁ぐと王済(おうさい)を生んだ。王渾がかつて琰とともに
座っていたとき、王済が庭先を走り過ぎたので、王渾は「生まれた子がこのようであれば、
人の心は慰められるものだ。」と喜んだ。琰は笑って「もしわたしが参軍どののところに
嫁いでいれば、生まれた子の元気はこうではなかったでしょう」と言った。
参軍とは王渾の中の弟の王淪(おうりん)のことである。
琰の娘もまた才知に優れてしとやかであり、賢い夫を求めていた。ときに兵家の子にたいそう
優れた者がいて、王済はこの人に娶せたいと思い、琰に相談した。琰は「わたしにその人を
見せてください。」と言ったので、王済は兵と小者たちが雑居しているところに連れていった。
琰は帳の中からこれを観察し、まもなく王済に「緋色の衣の人がお前の選んだ人ではありませんか?」
と言った。王済は「はい」と答えた。
琰は「この人の才能は飛び抜けて優れているが、環境が悪いので齢を早く取ってしまい、
その才能を開花させられないでしょう。婚姻を結んではいけません」と言った。こうして
止みとなった。その人は数年してはたして亡くなった。
琰が物事の善悪を見抜き将来まで見通す見識は、みなこのようなものであった。
王渾の弟の王湛(おうたん)の妻の郝(かく)氏にもまた徳義に適った行いがあった。
琰は貴族の出だったけれども、郝氏といつも互いに親しみ尊重しあっていた。
郝氏は身分が賤しいからといって琰に遜ろうとせず、琰も身分が高いからといって
郝氏の上に出ようとしなかった。時の人は「鍾夫人(琰)の礼、郝夫人の法」と言って讃えた。
29 :
可愛い奥様:2009/07/05(日) 22:49:03 ID:8ipegtFR0
焼き肉に生にんにくのスライスを乗せるととても美味しい。
30 :
28:2009/07/06(月) 00:29:30 ID:z3WOhi/C0
鍾繇(しょうよう)に訂正。
31 :
可愛い奥様:2009/07/06(月) 00:31:11 ID:q7IkymEd0
>>29 かつおにも美味しいわ、生にんにくのスライス。
32 :
可愛い奥様:2009/07/06(月) 10:17:43 ID:mvQJpOXG0
>>31 カツオはお肉よりもヘルシーだし、体にも良いからいいわね。
33 :
五人目:2009/07/06(月) 21:19:40 ID:fKiykm/30
【 鄭袤の妻、曹氏 】(テイボウの妻“ソウ氏”)
鄭袤の妻の曹氏は、魯国薛県(ろ国せつ県)の人である。鄭袤は先に孫氏を娶ったが、
早く亡くなり、曹氏を後妻として求めた。曹氏は自ら糸を紡いで働いて舅や姑を養う費用に
あて、彼らにたいへん孝行に仕えた。義理の姉妹たちにも礼節をつくしたので、みな喜び
満足していた。鄭袤が司空(三公の一つ)となり、その子の鄭默(ていぼく)らがまた朝廷の
官の一員として名を現してくると、時の人は彼らの栄耀尊貴な風を讃えた。
曹氏は勢力が盛んなことを深く畏れ、鄭默らが昇進するごとに、心配する様子を声と顔色に表した。
そういうわけで食事は贅沢をせず、服は洗濯したものを着た。鄭袤らが得た俸給は、曹氏が必ず
親類や縁続きの人々に分け与えて、出来る限りあまねくばらまかせたので、家には余分な財産が
なかった。
かつて、孫氏は黎陽(れいよう)に埋葬されていた。鄭袤が亡くなると、相談する人々は
孫氏は亡くなって長く経っているので、一緒にするのは難しいだろうと、合葬させたがらなかった。
曹氏は「孫氏は先妻でいらっしゃるのだから、道理からいっても陪葬されるべきです。どうして
ひとり魂を寄る辺なきままにさせておけましょうか。」と言った。そこで吉凶導従の儀を整えて
先妻の遺体を迎え、祭式のための衣服や夜着や机や敷物を用意し、親しく雁行の礼を執り行ったので、
聞いた者は嘆息しないではいられなかった。
思うに孫氏に比べれば叔隗の下についた趙姫※も讃えるに足りないだろう。
太康元年(二八〇)に亡くなり、享年は八十三だった。
34 :
:2009/07/06(月) 21:20:44 ID:fKiykm/30
※春秋時代の晋の献公(ここで語っている晋とは別の国。もっとずっと昔)は後妻を寵愛するあまり
太子を廃して自殺に追いこみ、後妻の生んだ子を跡継ぎにした。
献公の子のひとり重耳(ちょうじ)は策謀を避けて異民族国家の狄(てき)に亡命した。
重耳の臣下趙衰(ちょうすい)もこれに従った。趙衰は狄で叔隗(じょかい)というむすめを娶った。
叔隗は趙盾(ちょうじゅん)という男子を生んだ。重耳ら主従は妻子を残し、また流浪の旅に出た。
時流れ、重耳は帰国し晋公の座についた。晋公は自分の娘の趙姫を趙衰に嫁がせた。
趙姫は三人の子を生んだ。趙姫は狄にいる前妻の叔隗を迎えるよう固く請うた。
叔隗と趙盾が晋に入国すると、趙姫は趙盾の才能を認め、趙盾を後継者として立てるよう請い
自分の生んだ三子の地位を下げさせ、叔隗を正妻とし自分はその下についた。
35 :
可愛い奥様:2009/07/07(火) 13:15:02 ID:HVc3qH6G0
ああ 晩御飯何にしようかなあ?
昨日は魚だったし・・・
36 :
可愛い奥様:2009/07/07(火) 13:17:45 ID:z1nqo3Vg0
37 :
可愛い奥様:2009/07/07(火) 13:23:01 ID:1eFKFuykO
お昼に冷たいうどんにレタスとゆで鶏乗せてごまだれでたべた。
夜はラタトィユとオムレツとポタージュにする。
38 :
昔の既婚女性:2009/07/07(火) 20:52:55 ID:D7XXG2EH0
【 愍懷太子妃、王氏 】(ビンカイ太子妃“オウ氏”) 字:恵風(けいふう)
愍懐太子の妃の王氏は、太尉(国防大臣・三公の一つ)王衍(おうえん)のむすめであり、
字を恵風といった。貞淑で折り目正しい志をもっていた。
太子が廃されて金墉(きんよう)城に遷されたので、王衍は離婚を願い出た。
恵風は号泣したが実家に帰され、帰路を行くのに涙を流した。
侵略国の王・劉曜(りゅうよう)が首都洛陽を陥落させると、恵風をその将軍の
喬属(きょうぞく)に賜ったので、喬属は彼女を娶ろうとした。
恵風は剣を抜いて喬属を遠ざけ、「わたしは太尉公のむすめで皇太子妃だ。
反逆者の胡族に辱められるような不義をなすものか。」と言った。
喬属はかくして彼女を殺してしまった。
39 :
可愛い奥様:2009/07/07(火) 21:01:08 ID:PP3AdCmzO
今日は暑かったので、冷しゃぶ、デザートはスイカ。明日はお昼にお友達とニューオータニのサツキへマスクメロンのケーキいただきに行きます。
40 :
可愛い奥様:2009/07/07(火) 21:55:28 ID:PPzW6/9xO
あらっ奥様うらやましい!
ところでもうすぐ夏休み
何か予定は立てました?
41 :
昔の既婚女性:2009/07/08(水) 20:54:20 ID:UWgCmZ5x0
【 鄭休の妻、石氏 】(テイキュウの妻“セキ氏”)
鄭休の妻の石氏は、どこの出身の人か知られていない。若いのに堅い道徳心を
持っていると、十数歳のころに村里は彼女を評した。鄭家に嫁ぐと親族に重んじられた。
鄭休の前妻の娘がまだ幼く、また、鄭休の父の鄭布(ていふ)が死の床にあって、
庶子の鄭沈(ていちん)が生まれたので、これを捨てるよう命じられたが、
石氏は「どうして舅のお子を亡き者にさせようか!」と言って拒んだ。そのまま鄭沈と
前妻の娘を養った。
力があっても子どもには恵まれず、九年のうちに、三たび死産があった。
42 :
昔の既婚女性:2009/07/08(水) 22:09:14 ID:UWgCmZ5x0
【 陶侃の母、湛氏 】(トウカンの母“タン氏”)
陶侃の母の湛氏は、豫章(よしょう)郡・新淦(しんかん)県の人である。
かつて、陶侃の父の陶丹(とうたん)が申しこんで妾とし、陶侃が生まれたが、
陶家は貧しくて身分も低く、湛氏はいつも糸を紡いで金品を用だて、自分を犠牲にして
息子の交際を広めさせた。陶侃は若くして尋陽(じんよう)県の役人となったが、
かつて魚捕りの仕掛けを見張って、一壺の鮓(すし)を母に贈ったことがあった。
湛氏は鮓を封じて手紙を送り、陶侃を責めて「おまえが役人になって、官の物をわたしに
贈っているようでは、わたしを益することが出来ないばかりか、かえってわたしの心配を
増やしているのですよ」と言った。
鄱陽(はよう)県の孝廉※の范逵(はんき)が陶侃のところに泊まったことがあったが、
ときに大雪となったので、湛氏はそこで寝所の隅々まで薦(こも)新たに敷き詰め直し、
自ら馬を捌いて振る舞い、また密かに髪を切って隣人に売り、酒の肴と御馳走でもてなした。
范逵はこれを聞いて嘆息して、「この母がいなければこの子は生まれなかったろう!」と言った。
陶侃はついに功名が世に顕れた。
※孝廉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9D%E5%BB%89
43 :
可愛い奥様:2009/07/08(水) 22:15:54 ID:PndwoifGO
夏休みは海がある温泉いきたいと思うのですが東京からだとどこがいいでしょうか?
幼児2人連れです。
新潟とかどうでしょうか?
44 :
可愛い奥様:2009/07/09(木) 13:39:26 ID:BRUfJchR0
キッザニア今からでも予約できるかな?
45 :
昔の既婚女性:2009/07/09(木) 21:09:41 ID:PEphXhrZ0
【 賈渾の妻、宗氏 】(カコンの妻“ソウ氏”)
賈渾の妻の宗氏は、どこの出身の人か知られていない。
賈渾が介休(かいきゅう)の県令となったとき、劉淵の将軍の喬晞(きょうき)に
攻め破られ任地で死んだ。宗氏は顔かたちが優れていたので、喬晞は彼女を娶ろうとした。
宗氏は罵って「匈奴の獣めが!どうして人の夫を害しておいてその上無礼を加えようと言うのか、
ああどうしてなのか?どうしてさっさと殺さない!」と叫び、天を仰いで大声で泣いた。
喬晞はかくして彼女を殺してしまった。ときに年は二十余りだった。
46 :
可愛い奥様:2009/07/10(金) 01:06:53 ID:VZUlg+2r0
_,..,,__ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ↓ 部長
/:::;;;;;;;;`ゝ | どんな具合です?部長。 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
./;;;;;;;;;-_i´_ ヘ < 新妻のオマ●コは。 _,,,......_ | うむ、ワシのチ●ポの太さに
.|iiiiiii人. ` `i〕 \__________ /´ ヾミシ`ヽ. |. ようやく馴染んできたわい。
__/ ̄ i、 ノト'´ _,iヘ_ へ. `!,-、_!< キミのは全部入りきらんかもな?
./ ´ ̄ヽ / トi_!二l ̄ ノ ヽ \_____________
/ / / /, ,' , ト、 // ヽl∀)_ノ `ヽ、
.l゙ ;;.l l /, ' , ',ノ ;l / | :;, ̄ ヽ、
.! ;;;l i l ,' ' ,' ','./ イ l io,' :;l´ 、 i、
│ _;;ヾヽ |, , ' , 'i″ ヽ ヽ/ ̄´ `ヽ、 ;o', _;メ、 ヽ
! `,! l l; ;', ', ノ;; ;;l / `゙'''''''" ;;;;;ン、_ !
ヽ;;;;/ ! l ./;;;; ;;:! ,/  ̄ミヽ、 ( ( i っ ;;;;;;;〈 / ノ
/゛ ./'´/ ヽ.、 ,,;;;ノ/人ヾ ..:;ヽ ,-一!;;:,, _;;;;:::''''-ヽ/ / ズボボッ
巛 ! ;| (、 i_ ̄``ーヾ、リゞヽ, ヾ:::;;;リ i ,,,;;;;:;ヾξζ/、`、`/ ̄` ノ ≡≡ ズボボッ
. 巛 ト、_i!、`iメゝ' 、`、、ヾf) ノリ ::;;;;ヽ--┴―'´ ̄`ヽξ 、`、`i l_i_/ ̄ヽ、≡≡
/;',';';,゛ヾ、、`、`、、`、`ヽフ ;;:八ヾソ !ッ、__`、`、` 、`、`ヽ
./,',',',', ',;',;./`-、` 、、_ ` ;;);;;i′ !/_ ,-―ヽ、 l ζ `゙'''ー/゛ , , , ノ
ト ,',', ','/  ̄ ア゛,' ', , , ノソリi .!、_ノ゙ / ハ i、 ._ノ゙ ̄l ,' ', ,' ,'/
47 :
昔の既婚女性:2009/07/10(金) 20:53:57 ID:G9nI4wqx0
【 梁緯の妻、辛氏 】(リョウイの妻“シン氏”)
梁緯の妻の辛氏は、隴西郡狄道(てきどう)県の人である。梁緯が散騎常侍※になると、
西都が陥落し、劉曜に殺された。辛氏がことのほか美貌であったので、劉曜は彼女を娶ろうとした。
辛氏は地に突っ伏して大いに泣き、顔を見上げて「男は正義感の強いこと、女は再婚しないことと、
わたしは聞いています。わたしの夫はすでに死に、ひとり命を全うする道理がありません。
そのうえ婦人を再び辱め、殿はまたどうして用いようとされるのですか!いますぐにでも死んで
舅や姑に仕えさせて頂きたくお願い申しあげます。」と劉曜に言って、そのまま号泣して止まなかった。
劉曜は「貞婦である。身の処し方は任そう」と告げた。そこで辛氏は自ら首をくくって死んだ。
劉曜は彼女を礼をもって葬った。
※(皇帝の側近で勅書を伝達する係)
48 :
昔の既婚女性:2009/07/11(土) 23:57:28 ID:guw9325M0
【 許延の妻、杜氏 】(キョエンの妻“ト氏”)
許延の妻の杜氏は、どこの出身の人か知られていない。許延が益州別駕(べつが)※と
なったとき、李驤(りじょう)に殺された。李驤は杜氏を妻にしようとした。杜氏は号泣して
夫の死体を守り、李驤を罵しって「お前たち逆賊は道徳心がないから、死に早い遅いがあれば、
さぞ長生きがしたかろう!わたしは杜家のむすめ、死んでも賊の妻になぞなるものか!」と言った。
李驤は怒って、そのまま彼女を殺してしまった。
※(刺史の巡察に随行する官)
49 :
可愛い奥様:2009/07/12(日) 00:14:16 ID:Q74aihOF0
↓虞潭の母、孫氏
50 :
可愛い奥様:2009/07/12(日) 10:12:04 ID:k33hjldo0
正解
51 :
昔の既婚女性:2009/07/12(日) 10:14:09 ID:k33hjldo0
【 虞潭の母、孫氏 】(グタンの母“ソン氏”)
虞潭の母の孫氏は、呉郡富春県の人で、孫権(そんけん)の族孫のむすめである。
虞潭の父、虞忠(ぐちゅう)に嫁いだ。慎み深く従順で心根正しく穏和であって、
女性としての深い徳をもっていた。虞忠が亡くなったとき、遺児はたいそう小さく、
孫氏は若かったけれども、再婚しないと誓って、自らいつくしみ養い、苦労を極めた。
生まれつき聡明で感性が鋭く、物事の善悪を人よりはっきり見分けた。虞潭は幼い頃から
まず忠義を教えられてきた。その為あまねく広い声望を得て朝廷に讃えられた。
永嘉(三〇七〜三一二)の末年、虞潭は南康太守となった。杜■(ととう)の謀反に遭うと
部下を率いてこれを討った。孫氏は死を賭けて忠義を果たすよう虞潭を励ますとともに
その資産を傾け、戦っている兵士たちに食糧を送った。虞潭はこうして勝つことができた。
蘇峻(そしゅん)が乱を起こしたとき、虞潭は呉興(ごこう)県を守っていたので蘇峻を
征伐することになった。
孫氏は虞潭を戒めて「忠臣は孝子の家から出るとわたしは聞いています。お前は生を捨てて
義を取りなさい。わたしが老いているからといって足手纏いにしてはいけません。」と言って
家の召使いをことごとく遣わして、虞潭に随行させ戦いを助けさせ、彼女の着けている帯玉を
換金して軍資とした。
ときに会稽(かいけい)内史(長官)の王舒(おうじょ)が子の王允之(おういんし)を派遣して
督護(司令官)としたので、孫氏はまた虞潭に「王舒は子どもを派遣して征伐させています。
お前がどうしてひとりそうしないことがありますか?」と言った。虞潭はすぐに子の虞楚(ぐそ)を
督護として王允之と軍勢を合流させた。彼女の国を憂うる志はこのようなものであった。
武昌侯太夫人の位を戴き、金章紫綬を加えられた。虞潭が孫氏のために家に養堂を立てると、
王導以下の人々がみな敬意を払って面会に訪れた。
咸和(三二六〜三三四)の末年に亡くなり、享年は九十五だった。
成帝は使者を遣わして弔いその霊を祀った。諡(おくりな)を定夫人といった。
52 :
可愛い奥様:2009/07/13(月) 13:22:57 ID:ImX3jSbF0
↓みどり、泰葉、正蔵、三平の母、香葉子
53 :
可愛い奥様:2009/07/14(火) 08:04:39 ID:Y8d8UBl70
カレーウドン食べさせられた。くやしい。
54 :
可愛い奥様:2009/07/14(火) 08:13:06 ID:v62m2nRuO
カレーうどんは撥ねが怖い
今回は大丈夫と思って見つけた日には…
55 :
可愛い奥様:2009/07/14(火) 10:44:36 ID:7JqDoLP00
洗濯王子でシミ抜き法ググろうかな
56 :
昔の既婚女性:2009/07/14(火) 22:22:29 ID:+9xX7eFW0
【 周の母、李氏 】(シュウギの母“リ氏”) 字:絡秀(らくしゅう)
周の母の李氏は、字を絡秀といい、汝南(じょなん)郡の人である。
まだ若く実家にいた頃、周の父の周浚(しゅうしゅん)は安東将軍となっていた。
周浚がかつて猟に出た時、雨に遭い、絡秀の家でやり過ごそうとした。たまたま彼女の
父兄が不在だったが、絡秀は周浚がやってきたと聞いて、ひとりの端女とともに奧で
猪や羊を捌き、数十人の御馳走をそろえた。たいそう手際が行き届いていたにもかかわらず、
人の声が聞こえなかった。周浚が怪しんで奧を覗かせると、たいへん美しいひとりの女の子が
見えただけだった。周浚はそこで彼女に妾となるよう求めた。彼女の父兄は許さなかったが、
絡秀が「家門が病み衰えているというのに、どうしてひとりのむすめを惜しむのでしょうか!
もし貴族と姻戚となれれば、将来大きな利益を願うこともできるでしょう。」と言ったので
父兄はこれを許した。こうして周と周嵩と周謨を生んだ。
周らが成長すると、絡秀は「わたしが節を曲げてお前たちの家の妾となったのは、
実家のためを計っただけです。お前たちがわたしの実家と親しくしないのなら、
わたしはまたどうして余命を惜しみましょう!」と彼らに言った。
周らは母の命に従ったので、これにより李氏はとうとう貴族となることができた。
57 :
:2009/07/14(火) 22:23:32 ID:+9xX7eFW0
晋の中興のとき、周らはそろって高い地位に列した。かつて冬至に宴会をした時、
絡秀は杯を掲げて三人の息子に与え「わたしは長江を渡った当初より、落ち着く場所もないものと
思ってきました。意外にもお前たちがそろって高い身分となり、わたしの目の前にこうして
並んでいる。わたしにはもう何の憂いもありません!」と言った。
周嵩が立ち上がって「おそれながら仰るとおりではありません。伯仁(周)の志は大きいですが
才能は乏しく、名は重きを成していますが識見は暗く、人の悪いところに乗じるきらいがあります。
これは自らを全うする道ではありません。わたくし周嵩は性格が愚直で人と衝突するきらいがあり、
また世に容れられないでしょう。ただ阿奴(あど)だけが平凡でものの役に立たないので、母上の
傍にいることができるでしょう。」と言った。阿奴は、周謨の幼名である。のちにやはり周嵩の
言ったとおりになった。
58 :
可愛い奥様:2009/07/14(火) 22:28:26 ID:1YD92UQz0
うーん。バカ主婦にもわかるように書いてくれ。
59 :
:2009/07/14(火) 23:34:16 ID:+9xX7eFW0
レスありがとうございます。
>>56-57の「周の母、李氏」は
他の女性たちとは異なり、善くない例として挙がっています。
その辺がこの話を分かり難くしていると思います。
よろしければ、善くない例という認識でもう一度お読みになってください。
60 :
可愛い奥様:2009/07/15(水) 06:53:37 ID:tjsEvZD/0
烈女伝ってw わざと?w
61 :
可愛い奥様:2009/07/15(水) 07:14:32 ID:pedAC8wUi
マンガのようなシンプルさ、週刊誌のようなセンセーショナルさ、テレビのような面白さがないとあなたが教育したい主婦たちは読まないよ。
貴女だって、数学の本に楽しさを感じないんじゃないかな? もっと庶民のレベルに合わせて、わかりやすく書かないと、文字は読めても意味がわからない。
62 :
可愛い奥様:2009/07/15(水) 10:04:15 ID:TMVjy15S0
今日も暑いから熱中症に気をつけるのよ
63 :
1:2009/07/15(水) 21:51:03 ID:+0yi6/UI0
>>61 それは、弱りましたね。。
これは歴史書の訳文ですから、どうしてもこのようなものになります。
これでも普段歴史と縁遠い方にも分かり易いように噛み砕いているつもりなのですが
う〜む。。
これ以上噛み砕くと歴史のもつ雰囲気や原文の良さが損なわれる気がします。
64 :
可愛い奥様:2009/07/15(水) 21:53:44 ID:Q+QO4VEX0
65 :
1:2009/07/15(水) 21:58:37 ID:+0yi6/UI0
読者の方の頭の中に、歴史のモデルがある・ない で歴史に対する理解力が違ってきます。
歴史のモデルはそんなに簡単に作れるものではなく
ぼんやりとした理解を積み重ねていく内に、いつしか出来ているものだと思います。
週刊誌をある日突然読んでも、社会や芸能界について疎ければ
同じく頭に入ってこないのではないでしょうか。
こういうものは何度か接していくうちに自然と分かっていくものではありませんか?
歴史の話が分かる分からないは
学力なんかの問題ではなく、単純に経験の問題だと思います。
だから庶民というより初心者ですよ。
66 :
1:2009/07/15(水) 22:05:18 ID:+0yi6/UI0
中国のお話は、人名も、地名も、役職名も、習慣も
とにかく馴染みがないものですから、読み方すら分からないし、
初心者の方は地名を聞いても、そこがどこなのかイメージできないと思います。
そういうところが一層読む意欲を減退させているのではないかと思いますが
こればっかりは仕方がありません。
やや角張った物言いは歴史物ですから、無くすと雰囲気までなくなってしまいます。
よく分からない物は、何となくなままにお流しになり、
お話の内容だけ把握して頂ければ幸いです。
67 :
可愛い奥様:2009/07/15(水) 23:21:44 ID:rlOci0pa0
おもしろくない つかこんなクソスレよくたてたね。
68 :
可愛い奥様:2009/07/16(木) 03:05:07 ID:ASyNvHsi0
「教育というのは、答えを教えることではなく、何かを気付かせること。」というのをほかの板で見たけど、初心者のための入り口を開き、次の段階で興味を持つ人は厳密に勉強すればいいと思いますよ。
私たちだって歴史の中の一部なんだから、庶民のレベルに下げないと、いくら理想を
言っても主婦の耳に念仏。
69 :
可愛い奥様:2009/07/16(木) 09:52:05 ID:SI1Do0ev0
>>1 とりあえず
>>1が既婚女性ではないのならスレチなので
削除依頼出さないと違反ですよ。
歴史板などで立てれば良いのではないのでしょうか
70 :
可愛い奥様:2009/07/16(木) 11:54:16 ID:/PGsKnUN0
こんなのわかったとこで部屋がきれいになるわけでもないし
効率のいい掃除方法と毎日バランスのいい晩御飯考えられる頭のほうが欲しいにょ〜><
71 :
可愛い奥様:2009/07/16(木) 14:18:44 ID:9N1ll2/EO
鬼女は浮気したコトあるん?
72 :
可愛い奥様:2009/07/16(木) 15:48:00 ID:spMsXBaui
掃除婦と飯炊きと売春婦さん以外の道もある。
73 :
1:2009/07/16(木) 20:52:35 ID:IATs/GuD0
>>67 おもしろいんですよ。 可笑しいと言う方のじゃありませんけど。
>>68 普段歴史と縁遠い方にとってこれも一つの出会いだと思っています。
私は伝えるだけ。
ただ、私も2ちゃんでは長文はあまり読みたくないものですから
こういうスレは難しいなとは思っていますけど。
>>69 ?
大丈夫ですよ?
>歴史板などで立てれば良いのではないのでしょうか
歴史系の板ではこういうスレは成り立たないと思います。知っている人が集まる板ですから。
74 :
1:2009/07/16(木) 21:13:12 ID:IATs/GuD0
>>70 歴史から得るものは多いですよ。
歴史は失敗と成功のエッセンスに溢れています。
学校の社会科で学んだようなものは歴史ではありません。
あれはあらすじ。
本当の歴史は、昔を生きた人たちの人生にせまり
その人がなぜ成功したのか、あるいはなぜ失敗したのか
どんな考え方をしていたのか、どんな生き方をしたのか
そういうことを知って、考え、今に生かす。そういうものです。
歴史を知らないのは勿体ない。
>>72 「尊敬」が相互間に欠けているから、
相手を道具として見、また、相手の道具であることを喜べない。
75 :
可愛い奥様:2009/07/17(金) 01:43:19 ID:7DLBhuSu0
いいから私のおっぱいしゃぶれよ
76 :
可愛い奥様:2009/07/17(金) 20:48:25 ID:6xLS/3G20
なにそれこわい なんかスズメバチの味がしそう…
77 :
可愛い奥様:2009/07/17(金) 21:36:55 ID:p04fATOsi
78 :
昔の既婚女性:2009/07/17(金) 22:28:16 ID:71oUJ8ad0
【 張茂の妻、陸氏 】(チョウモの妻“リク氏”)
張茂の妻の陸氏は、呉郡の人である。張茂が呉郡太守となって、沈充(ちんじゅう)に
殺されると、陸氏は一家の財産を傾けて張茂の部曲(かきべ…私有兵)を率い
先頭に立って沈充を討った。※
沈充が敗れると陸氏は宮廷を訪れて意見書を奉り、張茂が勝利できなかった責任を陳謝した。
皇帝は「張茂の夫妻は忠誠で一門挙げて正義心が強い。張茂に太僕位を追贈するのがよかろう。」と
詔を下して言った。
※沈充は東晋に対する叛乱に組していた。
79 :
可愛い奥様:2009/07/18(土) 01:05:08 ID:SxXGq7eLO
歴史から学んでニート脱出したら?
80 :
可愛い奥様:2009/07/18(土) 03:25:13 ID:vx5xw6QB0
>>79 同意。自分の研究(?)を人の鼻先に押し付けて、挑戦状(笑)プゲラw
既婚女性を再教育するのが貴方の目的でしょうか?
私はボーヴォワールとか、ヨーロッパ系のフェミニズムか
日本の保守的な女性像の方がスキだな♪
中国の女性に人権などなかったし。
強く賢く生きても、男の力でねじ伏せられ、男の都合で生かされてきた。
儒教道徳に縛られた、服従の歴史でしかない。
美しくなければ史実にも登場しない。生き残りは大抵、強欲ババア。
哀れでしかありませんね。
中国女性の歴史に同情しますが、学ぶものは遥かに少ない。
81 :
1:2009/07/18(土) 12:22:33 ID:FTf1E3g00
>>79 誰がニートですか。 やめてもらえます? そういう事言うの。
ネットだからどうでも良いんだけど既女板だから面倒でしょ。
大体、午前1時や3時半に起きておられる方の言うことですか。
82 :
1:2009/07/18(土) 12:41:59 ID:FTf1E3g00
>>80 読みもしないで言わないで頂けますか。
“服従の歴史” 結構じゃありませんか。
人権なんて男性にもありませんよ。
強く賢く生きても、権力の力でねじ伏せられ、権力の都合で生かされてきました。
美しさも才能のひとつと考えれば、才能があっても埋もれていった男性は山といます。
更に才能に恵まれない男性の数に限りはないでしょう。
歴史に登場し、讃えられる人物は、才能もさることながら、人間に見るものが有るひとです。
それに服従していない人間は歴史にいません。
皆、王・皇帝に服従し、皇帝さえも父母に服従してきました。
女に生まれたから何だというのでしょうか?
フェミニズムと仰いますが、男性も生まれで職業や出世限界が決まっていました。
あなたは誰に対してフェミニズムを訴えるおつもりなのですか?
83 :
修正:2009/07/18(土) 12:45:16 ID:FTf1E3g00
>それに服従していない人間は歴史にいません。
それに、服従していない人間は歴史にいません。
84 :
1:2009/07/18(土) 13:07:16 ID:FTf1E3g00
儒教についてご存じでしょうか。
儒教は男尊女卑ではありませんよ。変わっていったのは唐の時代です。
儒教は、五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより
五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教えます。
仁…人を思いやること
義…利欲に囚われず、相手との間にある期待に応え、約束を守ること
礼…人を人として見ること
智…慎み深くよく考えること
信…人を信じること
どれも当たり前で大事なことではありませんか?
85 :
昔の未婚女性:2009/07/18(土) 21:29:13 ID:uQuwK7Ax0
【 尹虞の二人の女 】(イングのふたりのむすめ)
尹虞のふたりのむすめは、長沙(ちょうさ)郡の人である。
尹虞が先に始興郡太守に任ぜられたとき、起兵して杜弢(ととう)を討とうとしたが、
戦い敗れて、ふたりのむすめは杜弢に捕らえられた。ともに国有数の美貌をもっていたので、
杜弢は彼女らを娶ろうとした。むすめたちは「わたしの父は郡太守ですから、どうあっても
賊の妻になることはできません。死あるのみです!」と言った。杜弢は彼女らを殺した。
86 :
可愛い奥様:2009/07/19(日) 10:20:55 ID:lG0RPens0
無断転載されて可哀想。
恥ずかしくないんですか?
申し訳ないと思わないんですか?
87 :
昔の未婚女性:2009/07/19(日) 21:50:34 ID:3Jnuj5W+0
【 荀ッの小女、灌 】(ジュンシュウの若い娘“カン”)(荀灌)
荀ッの末娘の灌は、幼くして非凡なふしがあった。荀ッが襄城(じょうじょう)郡太守になると
杜曾(とそう)に包囲された。しかし味方は弱く糧食も尽きてしまった。もと部下で平南将軍の
石覧(せきらん)に救援を求めようと思ったが、抜け出る方法がなかった。
そこで灌はときに年が十三だったが、勇士数十人を率いて城の囲みを越え夜中に脱出した。
賊はすばやく追いすがってきたが灌は将士を督励して戦いながら進み、魯陽山に入って逃れることが
できた。自ら石覧のもとを訪れて援軍を求め、また荀ッの手紙を作り、南中郎将の周訪(しゅうほう)
に救援を請い、父と義兄弟の契りを結ばせた。周訪はただちに子の周撫(しゅうぶ)に兵三千人を
率いさせて石覧と合流させ、共に荀ッを救援した。
援軍が来たと聞いて賊が逃げ散ったのは、灌の働きである。
88 :
可愛い奥様:2009/07/19(日) 22:00:23 ID:dxEXPQ0RO
女に言うこと聞かせる方法、孫子の兵法に書いてんじゃん。
ちょっとは勉強しろよ馬鹿。
89 :
1:2009/07/19(日) 22:04:16 ID:3Jnuj5W+0
>>86 可哀想? 可哀想だなんて思いませんよ。
史書を著し、偉人の伝を後世に残そうとする先人は気高い精神の持ち主です。
その原本を筆で1字1字書き写して写本を製作した方たちもそうでしょう。
数百年もの間そのようにして伝わり、印刷技術が発明された後も
組版に1字、1字、活字を並べた人の大変な苦労の上に複製されました。
印刷本も何代も複製を経ていることでしょう。
現代に伝わる史書にはそれだけの重みがあります。
その史書の膨大な原文も、現代ではネットに掲載されています。
ネットに原文を打ち込まれた方たちも大変な苦労をなさったことでしょう。
頭が下がります。
著者や伝逓の大変な苦労も、
後世に伝えたい、後進に伝えたいという高潔な心が為せる業です。
翻訳して発表し、現代を生きる人びとに伝えようとする人間もまた同じでしょう。
90 :
1:2009/07/19(日) 22:25:19 ID:3Jnuj5W+0
あなたは歴史を知らなすぎます。
http://www.hoolulu.com/zh/ この先の黄帯の中を納得ゆくまでクリックして、歴史の大きさ・重みを知ってください。
一番古い「史記」は二千百年も昔に書かれました。
史書は二十五史だけではありません。数ある史書の一部です。
サイト主さんのご挨拶を読みましたが、転載を禁じるような心の小さな方ではありませんよ。
可哀想? 恥ずかしい? 申し訳ない?
なんて薄っぺらい考えでしょうか。
それこそサイト主に対する侮辱です。
あなたは読書感想文か何かと同一視されているのではありませんか?
91 :
1:2009/07/19(日) 22:34:24 ID:3Jnuj5W+0
このスレを立てるにあたって、私訳することも考えましたが、
ちょうどよい読みやすさで表現力にも言うところのない文章が既にあったので
馬鹿らしくてやめました。おかげさまで随分楽をさせて頂いてます。
感謝しながら活用させて頂き、初心者向けに読みを振ったり、説明を入れたり、
意味が通じにくい箇所は手を加えさせて頂いたり、また、一部訂正させて頂いて、
皆様に紹介しています。
サイト主さんへの謝意は最後に記すつもりでいましたが、格好が付きませんね。
92 :
可愛い奥様:2009/07/20(月) 00:15:48 ID:EcqbmTYy0
>>84 80です。
儒教・・・わざわざWikiを貼っていただかなくても、そのぐらいは一般教養ですよね。
論語って中学で習いませんでした?
フェミニズム 『スキだ』と言っただけで、フェミニズムを誰か対して訴える。などどおこがましい考えはございません。一般教養の範囲です。
ましてや誰かさんのように、ケンかを売るだなんて下品な発想は微塵もございませんわ。
貴方の目的がわからなかったので、他の国の女性論を引き合いに出しただけの事。
一人で、『列女伝』コピペ貼り続けても、空しいでしょ?w
普通、中国学というと、『古典文化を研究する古典学的な中国学と、同時代の中国を研究する現状分析的な中国学に2大別されると考える人は多い。』(中国学@Wiki)
↑私が書いたのは主に後者の件。
経済で言うとミクロ学とマクロ学ってとこかしら?(ニュアンス伝わるかな?)
貴方は、ミクロについての資料を貼り続けながら、相手に自分と『同じ』マクロ的な結論を求めてます。それってすっごく斜め上。
反対意見に対して『読んでない』とか『歴史を知らない』なんて、態度もすごく斜め上だと思いますよ。
モンテスキューの『中国停滞論』なんてのもありますよ。
皆さん、賢く謙虚な日本女性なので、こんなこと書きませんけど。
ちょとだけ、バカになってみましたw
93 :
可愛い奥様:2009/07/20(月) 00:19:26 ID:8Y53IAMDO
歴オタ しつけ〜w& キメ〜w
誰にも相手にされてねえし
94 :
可愛い奥様:2009/07/20(月) 00:21:32 ID:wKnNETPaO
ウナギうめぇw
95 :
可愛い奥様:2009/07/20(月) 02:37:05 ID:ghnW6zdu0
烈女伝とか言っちゃう子だしね
96 :
可愛い奥様:2009/07/20(月) 11:17:06 ID:FI7zZrhq0
97 :
可愛い奥様:2009/07/20(月) 11:21:41 ID:djKjhBJQO
98 :
可愛い奥様:2009/07/20(月) 11:24:03 ID:a/hiOMOD0
なんだここ
99 :
可愛い奥様:2009/07/20(月) 13:11:51 ID:8Y53IAMDO
ここは鰻を食って旨かったのを自慢し
他の既女に挑戦状を叩きつけるスレ
100 :
可愛い奥様:2009/07/20(月) 13:13:30 ID:EcqbmTYy0
ねぇ、ウナギの肝食べると眼圧上がった気がしない?
101 :
1:2009/07/20(月) 16:07:22 ID:7LQP1afw0
>>92 80さん、そんなに虚勢をお張りにならなくても結構ですよ。
肘を張ると疲れるでしょう?
ま、ま、お茶でも飲んで。
⊃ 旦~
確かに馬鹿に見えますね。
>>80は3行目「ボーヴォワール」で笑ってしまいました。
>>92に関しては、…見なかった事にしておきますね。
それと、誤解されてるようですが
あなたが対戦するのは私ではなく古の女性たちです。
どうぞぶつかってみてください。
でも興奮しているとき・疲れているときは読まないでくださいね。
心安らかで、集中力があるときに読んでください。
それに当スレは女性論ではありません。
102 :
1:2009/07/20(月) 16:19:54 ID:7LQP1afw0
>>95 2ちゃんで誤字を指摘されて笑われたのは初めてです。
よくお気づきになりましたね。うっかりミスです。
名称ですから「列女伝」と書くのが正解ですが
そうでなければ、異体字ですから「列女」だろうと「烈女」だろうと
どちらでも良いんですよ。あげつらうほどのことではありません。
103 :
可愛い奥様:2009/07/20(月) 18:26:04 ID:EcqbmTYy0
>>95 誤字の件は無視してあげてたのにww
あーそういう設定なんですね。メンドクサイ。
そういうの興味ないので、勝手に頑張ってください。
シモーヌ・リュシ=エルネスティーヌ=マリ=ベルトラン・ド・ボーヴォワール(Simone Lucie-Ernestine-Marie-Bertrand de Beauvoir,
↑Wikiでもこうですけど。なにか問題でも?
104 :
可愛い奥様:2009/07/20(月) 20:03:38 ID:ghnW6zdu0
つられて検索してしまった… 結構あるな
「ヴェートーヴェン に一致する日本語のページ 約 4,570 件中 1 - 10 件目 (0.78 秒) 」
まあ「もしかして: ベートーヴェン 」って言われたけどね…w
105 :
可愛い奥様:2009/07/20(月) 21:01:22 ID:8Y53IAMDO
>>100 眼圧あがったらまずいんじゃないの?
緑内障の初期症状だし
でもヤツメウナギは目に良いって言うよね
106 :
可愛い奥様:2009/07/21(火) 13:05:14 ID:mbUfCN5z0
>>104 中学生の時に読んだ古い本では、ボーボワールって表記だったと思う。
最近はできるだけ、カタカナでもBとVの発音を書き分けようとするのが風潮。
昔より帰国子女が多いからね。。。。自分もそうだし。
余談だけど、『ヴ』を使うと、ちょっと上品な感じしません?
デビ夫人→デヴィ夫人とかw
ビビアンウエストウッド→ヴィヴィアンウエストウッド
>>105 小さい頃から感じてる感覚だから、大丈夫だとオモ。
沖縄でヤギの刺身食べたときも同じ感覚があった。
どっちも強壮剤の効果あるらしいし、血圧の方が上がったのかも。。。w
ありがとう!
107 :
1:2009/07/21(火) 23:01:55 ID:bDiPFprS0
ああ、なるほど。
何を言っているのか分からなくて
>>104は誤爆かと思いました。
何が可笑しかったか、80さんにもいつか分かるかもしれませんね。
108 :
可愛い奥様:2009/07/21(火) 23:09:34 ID:bDiPFprS0
109 :
昔の既婚女性:2009/07/21(火) 23:11:21 ID:bDiPFprS0
【 王凝之の妻、謝氏 】(オウギョウシの妻“シャ氏”)
王凝之の妻の謝氏は、字を道韞といい、安西将軍の謝奕(しゃえき)の娘である。
賢くて見識があり、弁論の才能があった。
叔父の謝安(しゃあん)がかつて「『毛詩』はどの句が最も優れているだろうか?」と尋ねた
ことがあった。道韞は「尹吉甫(いんきつほ)の作った祝い歌は清風のように穏やかです。
仲山甫(ちゅうさんほ)の永遠の想いを詠んだ詩は心を慰めます」と讃えた。
謝安は「風流な人間だけが行きつく深遠な境地だ。」と評した。 また、かつて親族が集ったとき、
にわか雪が降ってきた。謝安は「何に似ているだろうか?」と言った。謝安の兄の子の謝朗
(しゃろう)は「空いっぱいに散かれた塩になぞらえるべきでしょうか。」と言った。
道韞は「柳の綿毛が風に乗って舞い上がるのに及びますまい。」と言った。
謝安はたいそう喜んだ。
かつて王凝之に嫁いで実家に帰ったとき、楽しくなさそうにしていた。謝安は「王凝之どのは、
王羲之(“書聖”)の子で、悪くない人物だが、お前は何が恨めしいのかね?」と尋ねた。
答えて「私の一門の叔父には阿大(謝安)、中郎(謝万)がおられ、従兄弟たちにはまた封、胡、
羯、末がおりますが、まさか天地の中に王君(王凝之)※のような駄目な人がいるとは
思いもしませんでした!」と言った。封とは謝韶(しゃしょう)のことであり、胡とは謝朗のこと
であり、羯とは謝玄のことであり、末とは謝川のことである。みなその幼名である。
(※王凝之も書で後世に名を残している人物)
また、かつて謝玄の学問が進まないのをけなして「雑事に心を囚われているのですか、それとも
才能がないのですか?」と言った。かつて王凝之の弟の王献之(おうけんし)が賓客と談議して
詩文の理論でやり込められそうになったことがあった。道韞は端女を遣わして、王献之に
「あなたのために囲みを解こうと思います。」と言った。そこで青い綾絹の幕を施して自分を隠し、
議論の展開に先立って王献之に伝えると客はやり込めることができなかった。
110 :
:2009/07/21(火) 23:12:57 ID:bDiPFprS0
孫恩の乱に遭遇したが、立ち居振る舞いは落ちついていた。夫と諸子がすでに賊に
害されたと聞くと婢に命じて輿を担がせ、刀を抜いて門を出て、乱兵がいくらかやってくると
手ずから数人を殺して、そこでようやく捕らえられた。彼女の外孫の劉涛(りゅうとう)が
ときに年数歳で賊はまたこれをも害そうとしたが、道韞は「問題は王家にあり、どうして他族に
関わりがありましょうか!どうしてもそのようなことをすると言うなら、私が先に殺されるが
ましです。」と言った。孫恩はひどく残虐であるが、彼女の言葉を聞いて態度を改めて、劉涛を
殺さないことにした。この事件以後は会稽でやもめ暮らしをしていたが、家中は真面目で厳しく
ないことがなかった。太守劉柳(りゅうりゅう)は彼女の名を聞いて、ともに談議したいと
願い出た。道韞はもともと劉柳の名を知っていたので、険阻なところを苦にもせずやってきた。
そしてもとどりにかんざしを刺しただけの飾り気ない姿で、とばりの中に座った。劉柳は贈り物を
用意し身なりを整え、別の長椅子で威厳をつくろった。道韞は人柄が雅で抜きんでて優れており、
述べる趣は清らかで上品であった。話の先が家のことに及ぶと、興奮して嘆き、涙が尽きなかった。
問われたことに余裕をもって答え、言葉の筋道が滞ることがなかった。
劉柳は退いて「本当に近頃は見ることのないような方だ。言気を仰ぎ見ると、人を心身ともに
従わせてしまう。」と感嘆して言った。
また、道韞の方は「親族が亡くなってからというもの、はじめてこのような方にお会いしました。
その問われるところを拝聴して、特別に心が開けた気がします。」と言った。
111 :
:2009/07/21(火) 23:16:49 ID:bDiPFprS0
道韞と同じ郡の張玄(ちょうげん)の妹もまた才能と性格が優れており、顧(こ)氏に
嫁いだ。張玄はいつも道韞に匹敵する女性として彼女を讃えていた。王・顧の両家で遊んだ
ことのある済尼(さいに)という者がいて、ある人が2人の事を尋ねると、済尼は
「王夫人(道韞)は心情が明るく朗らかで、林の下に吹く風のようにさっぱりしたお方です。
顧家の妻は心の清らかなこと玉に映った影のようで、学芸に優れた才媛でいらっしゃいます。」
と答えて言った。
道韞の著した詩・賦・誄・頌はそろって世に伝えられた。
(詩はうた、賦は韻文、誄は死者を讃える詞、頌は功績や人柄を讃える文)
112 :
可愛い奥様:2009/07/21(火) 23:17:55 ID:SgrOhyXHO
このスレきもいよ…
113 :
可愛い奥様:2009/07/21(火) 23:29:08 ID:boE1oy5wO
>>106 大丈夫ならいいんだけど…
家族が自覚症状なくて緑内障の手術したから
医者から「目が重く感じたことなかったですか?」って聞かれたって
もしついでがあれば眼科で診てもらうことをお勧めします
おせっかい御免
114 :
昔の既婚女性:2009/07/22(水) 22:35:03 ID:JBv6K80X0
【 劉臻の妻、陳氏 】(リュウシンの妻“チン氏”)
劉臻の妻の陳氏もまた賢くて弁が立ち、文章を綴るのを得意とした。かつて元旦に
「椒花頌(さんしょうの花を讃える詩)」を献上し、その詞に「天幕を巡って周回し、
夏殷周の三王朝がはじめて建国されました。春の太陽は散り輝き、澄んだ景色が広がり輝きます。
こずえに咲く美しく霊妙な花、ここに取って献上します。天子様のお顔色がこの花に影響を受ければ
長生きされましょう。」と言った。また元日と冬至の進見の儀で詩文を選んで、世に行われた。
115 :
可愛い奥様:2009/07/22(水) 22:52:59 ID:l0Hcceay0
なにこのクソスレ
昔の価値観押しつけられても困るんだが
116 :
昔の既婚女性:2009/07/22(水) 22:58:54 ID:JBv6K80X0
【 皮京の妻、龍氏 】(ヒケイの妻“リュウ氏”)
皮京の妻の龍氏は、字を憐といい、西道(さいどう)県の人である。年が十三で皮京に嫁ぎ、
年が越えない内に皮京が亡くなり、皮京のふたりの弟もまた相次いで亡くなったので、そのまま
後継ぎとする者もなく、またひとしきり世話をする親もなかった。憐は彼女が嫁いできたときの
衣装を金に換え、自ら機織りをして、数年間に三度の喪を挙げて、葬り終わると時節ごとの祭祀を
欠かすことがなかった。村里は彼女が賢いと聞いて、しばしば求婚するものがいたが、憐は決して
再嫁することがなかった。節を守って質素に暮らし、五十歳あまりで亡くなった。
117 :
1:2009/07/22(水) 23:08:57 ID:JBv6K80X0
押しつけませんよ?
読むもよし、読まぬもよし
自由です。
118 :
可愛い奥様:2009/07/22(水) 23:18:02 ID:l0Hcceay0
じゃあ削除で
119 :
可愛い奥様:2009/07/23(木) 02:16:51 ID:DbFRWa0n0
>>1 ローカルルール読みなさい
そして速やかに削除依頼だしなさい。
120 :
可愛い奥様:2009/07/23(木) 09:54:01 ID:2d8EdAumO
よそでやってよ
121 :
可愛い奥様:2009/07/23(木) 10:53:06 ID:mT+AmcTK0
全勝ですね。
はじめから負ける気がしなかった。
長文を読み飛ばした時点で自分の勝ちを確信した!
122 :
1:2009/07/23(木) 20:18:47 ID:eUUR+miC0
>>119 私、あなたに如何なる事も命令される覚えはありません。
あなたのその物言いは失礼というものでしょう?
先ずご自身の態度を問うべきではありませんか?
123 :
可愛い奥様:2009/07/23(木) 20:36:40 ID:80JyGeLh0
>>122 そういうご自身の態度はいかがですか?
あなた以外誰もこのスレを有用だと言っていませんが
独りよがり・独善的なことはやめて頂きたい
124 :
1:2009/07/23(木) 21:11:09 ID:NxUJkGjr0
>>123 あなたは思い違いなさってませんか?
有用だと言ってる人がいる・いないではなく
無用だと言ってる人がいる
これが事実でしょう。
スレは誰かの有用表明など必要としない
これも事実でしょう。
いかがですか?
125 :
可愛い奥様:2009/07/23(木) 23:18:13 ID:DbFRWa0n0
だから、ローカルルール
>既婚女性のみご利用ください。
>男性、独身者の発言と認められた場合は削除対象となります。
126 :
1:2009/07/23(木) 23:28:54 ID:tpA45eRI0
>>125 それが何か?
あなたこそお読みになった方が良いのではありませんか?
あなた独身でしょう?
127 :
可愛い奥様:2009/07/23(木) 23:41:19 ID:tpA45eRI0
128 :
昔の既婚女性:2009/07/23(木) 23:46:16 ID:tpA45eRI0
【 孟昶の妻、周氏 】(モウチョウの妻“シュウ氏”)
孟昶の妻の周氏。孟昶の弟の孟(もうぎ)の妻もまたその従妹である。二家はともに
財産が豊かであった。かつて、桓玄(かんげん)は平素から孟昶を重んじていたが、劉邁
(りゅうまい)が誹ってぶち壊しにした。孟昶がそれを知り、桓玄の信頼を失ったことを
たいへん恨んだ。劉裕(りゅうゆう)が桓玄を討つため起兵しようとした※とき、孟昶と共に
謀を定めた。孟昶は軍の食糧として供するため、財物を散じ尽くしたいと思った。彼の妻は
並でない婦人だったので、大事を語ることができた。そこで彼女に「劉邁がわたしを桓公に
誹ったため、わたしは一生落ちぶれて暮らすか、決断して賊となるかしなければならない。
君は幸いにも早いうちにその縁を切ることができる。苦境から脱けだして富貴を得ることが
できたなら、またよりを戻すしても遅くはないよ。」と告げた。周氏は「あなたの父母は
堂におられ、常ならぬ謀を立てようと望んでおられます。どうしてわたしごとき婦人が
止められましょうか!もし大事が成らなければ、官奴婢となって使役場で皆を養いましょう。
道理からいって離婚する気はありません。」と言った。孟昶は打ちひしがれた様子で長くぼうっと
していたが、起きあがった。周氏は孟昶を追って座り、「あなたのご様子を見ておりますと、
わたくしが財物を得たいだけにすぎないと思われているのではありませんか?」と言った。
そのとき彼女が生んだ娘を抱えていたので、娘を押しやって「これも売ることができます。
また何を惜しむべきでしょうか。ましてや資財など!」と言った。そのまま資産を傾けて
彼に給し、彼の用いるままに委ねたた。
129 :
:2009/07/23(木) 23:47:15 ID:tpA45eRI0
起兵のことが決行されようというとき、周氏は孟の妻に「きのう見た夢はとりわけ
良くないもので、家の中は洗い濯ぎ身を清めて不吉を除くべきでしょう。さらに赤色は
良くないので、わたしはすべて選び取って七日の間しまいこんで隠しておくのが善いと
思います。」と言った。孟の妻はこれを信じて、所有する赤い物を悉く集めて手渡した。
そこで周氏はそれらをとばりの中に置き、密かに赤い衣を作って孟昶に与えた。こうして
数十人分の赤い衣を得ると、それを家来に着させた。孟昶の隊は赤く燃えるが如くであり
とりわけ目立った。これらのことはすべて周氏から出たことであるが、家人もこのことを
知らなかった。
※先の「孫恩の乱」の乱れに乗じて桓玄は東晋の実権を握り、乗っ取って帝位に就き、
国号を楚とした。しかし桓玄はわずか3ヵ月で、劉裕のクーデターにより殺された。
孟昶の妻の話はこの時の話。孟昶の組した劉裕のクーデターは成功し、東晋の皇帝を
復位させた。のちに劉裕は東晋を乗っ取り「宋」(420年 - 479年)という国を建てた。
(この宋(そう)は10〜13世紀の「宋」と区別するため「劉宋」と呼ばれる)
130 :
可愛い奥様:2009/07/24(金) 01:37:40 ID:eGzfOtfd0
道徳心も恥もないのかな・・・。
ローカルルール読みなさい。
>既婚女性のみご利用ください。
>男性、独身者の発言と認められた場合は削除対象となります。
131 :
可愛い奥様:2009/07/24(金) 07:02:32 ID:MzNoRkRJ0
132 :
可愛い奥様:2009/07/24(金) 09:28:26 ID:lV2QivI60
キモオタが丁寧口調で歴史ネタ貼るスレはここでつか?
133 :
可愛い奥様:2009/07/24(金) 11:09:10 ID:VpwHa32U0
>>113 ホントに〜?あら、やだ奥様☆
通ってるスポーツジムが医療系なので健康診断受けてみます!
もし、早期発見だったりしたら、なんとお礼していいのやら。
134 :
可愛い奥様:2009/07/24(金) 11:15:21 ID:VpwHa32U0
>>132 はいそうです。
斜め上の粗チンがスレ主です。
135 :
可愛い奥様:2009/07/24(金) 13:11:14 ID:eGzfOtfd0
>既婚女性のみご利用ください。
>男性、独身者の発言と認められた場合は削除対象となります。
136 :
1:2009/07/24(金) 19:25:12 ID:F9HZbVhE0
>>130 >>135 もう頭に来た。
当然読んでますが何?
どうも私を男か独身者とでもお思いのようですが根拠は?
あなたに道徳心があるのですか?
あなたのやっているスレの進行妨害は善悪のどちらですか?
まさか善だなんて思ってないでしょうね?
あなたは私を男か独身者だとお思いのようなので
仮にそうだとしましょう。
それで、何故あなたはこのスレを攻撃しているのですか?
何か理由があるのでしょう?
このスレには明らかに既女でない者が立てた低俗なスレがいくつもありますね。
なぜこのスレを選んだのですか?
それに、そもそもあなたはLRの第5条が読めていないようです。
何故(ネナベも含む)だと思いますか?
既女が男を装って書き込みしてはいけないということですよ。
それはそうでしょう。既女の園に「男」がいたら空気が壊れてしまいますからね。
第5条は「雰囲気を守るためのルール」なのです。
で、まとめですが、お答え頂けますか?
あなたの善悪判断とは?語って頂けますか?
このスレを攻撃対象に選んだ理由は?
137 :
1 訂正:2009/07/24(金) 19:27:43 ID:F9HZbVhE0
>このスレには明らかに既女でない者が立てた低俗なスレがいくつもありますね。
この板には明らかに…
に訂正
138 :
1:2009/07/24(金) 19:48:31 ID:F9HZbVhE0
139 :
1:2009/07/24(金) 19:49:59 ID:F9HZbVhE0
140 :
可愛い奥様:2009/07/24(金) 20:33:34 ID:z6eV6nYS0
千年以上も前になくなった中国の「奥様」を引き合いに出さなくても、
現在に生きておられる奥様方も一生懸命夫を支え、
お子さんを育てていらっしゃいます。
長文なので中国奥様たちの活躍は読み飛ばしています。(失礼)
きっとあなたは偉業をなしえた
いにしえの奥様(お嬢様)の事を書き連ねていると思うのですが、
彼女らもその時代、「そうせざるを得なかった」ので「そうした」だけであって
きっとあなたも私も当時その国に生まれ、
その男性と共に暮らしていたのなら
多少形は違えど同じようなことを行っていたかもしれません。
どっちにしろ、たわいのない遊び場のようなところで
怒ってしまってはいけません。
古代中国の奥様に勝ったか負けたかはわかりませんが、
少なくとも
>>1さん自身がここの既女軍団に負けてしまうかも。
141 :
1:2009/07/24(金) 21:50:21 ID:F9HZbVhE0
>>140 レスありがとうございます。
いえいえ、全然失礼ではありませんよ。
しかしながら、
>きっとあなた〜行っていたかもしれません。
この部分は、せめてお読みになってから仰って頂きたいです。
勿論、私は全て読んでいますが、「偉業」とは思っていません。
そして「そうせざるを得なかった」というわけでもありません。
違う選択肢はあったのですから。
142 :
昔の既婚女性:2009/07/24(金) 22:01:27 ID:F9HZbVhE0
【 何無忌の母、劉氏 】(カブキの母“リュウ氏”)
何無忌の母の劉氏は、征虜将軍の劉建のむすめである。若くして折り目正しい志をもっていた。
弟の劉牢之(りゅうろうし)が桓玄に殺されたので、劉氏はこのことを思うたびに、いつも
報復を考えていた。何無忌が劉裕とともに桓玄打倒の謀を定めると、劉氏は何無忌の挙動が
おかしいことから気づいたが、喜びながらも言わなかった。ちょうど何無忌が夜に屏風の裏で
檄文を推敲していたとき、劉氏はこっそりと蝋燭の明かりを器で覆って近づき、ゆっくりと
腰掛けに登って屏風の上からこの様子を覗き見した。密事を知ったのち、泣きながら息子を
撫でて「わたしは東海の呂母(りょぼ)※の知恵にも及びません!すっかり真情に背いて、
いつも寿命が縮まることを恐れていました。お前がこのようなことを成し遂げられたら、
わたしは仇の恥を雪ぐことが出来ます。」と言った。そこでその謀に同心している者のことを
問いただし、事の中心に劉裕がいることを知るとますます喜び、そこで桓玄が必ず敗れ義軍が
必ず成功する道理を説いて、義軍への勧誘に務めた。後にやはりその言葉のとおりとなった。
※その昔、琅邪(ろうや)郡に呂育(りょいく)という見廻り役人がいた。しかし微罪で
県宰(県の長官)に処刑されてしまった。呂育の母は恨みに思い復讐を誓った。呂母の家は
富豪であったが、その財産を使って若者たちに酒をツケで与え、貧しい者達には衣服を
貸し与えた。数年してその財産が尽きかけた時、若者たちはツケを払いに来た。呂母は恨みを
打ち明けて息子の仇を討ってくれるよう頼んだ。若者たちは承諾し、ついには数千人を集め
県城を襲って県宰を捕らえた。呂母は仇を討ち、県宰の首を息子の墓に供えた。
143 :
可愛い奥様:2009/07/25(土) 00:14:47 ID:KtqUhMTZ0
もう反応せず、放置しようよ
埋めるのもありだろうけど、次スレ立てられちゃいそうだし
144 :
可愛い奥様:2009/07/25(土) 02:21:24 ID:WsbLW3020
了解
145 :
可愛い奥様:2009/07/25(土) 08:36:10 ID:tLI3t5F7i
チュプには、挑戦状の文字が読めませんでした。
======= 終 了 =======
146 :
可愛い奥様:2009/07/26(日) 10:18:51 ID:dvzmgI9t0
147 :
昔の既婚女性:2009/07/26(日) 10:21:21 ID:dvzmgI9t0
【 劉聰の妻、劉氏 】(リュウソウの妻“リュウ氏”)
劉聡の妻の劉氏は、名を娥、字を麗華といい、偽朝(前趙)の太保(右大臣)劉殷
(りゅういん)のむすめである。幼いころから物わかりがよくて賢く、昼は女の手仕事をし、
夜は書籍を口ずさんでいた。守り役の女性はいつもこれを止めていたが、娥は習い修めて
ますます励んだ。兄たちと経典の解釈を議論するたびに、意義理解は深遠で、兄たちは深く
感服していた。性格は親を大切にしてつき合いがよく、身のこなしはめりはりが利いていて
善かった。
148 :
:2009/07/26(日) 10:22:48 ID:dvzmgI9t0
劉聡が帝位を僭称したのち、彼女を召しだして右貴嬪とし、たいそう寵愛した。
にわかに皇后に立て、彼女を住まわせるための儀殿を建てようとしたところ、
その廷尉(九卿の一つ)の陳元(ちんげん)達が強く諫言したので、劉聡はたいそう怒り、
かれを斬ろうとした。娥はときに後堂にいて、密かに側近に命じて刑の執行を止めさせ、
手ずから意見書を奉って「伏して聞きましたところではわたしのために宮殿を営もうと
なさっているとか、いま昭徳殿に身を置いていますので、儀殿は急ぐ必要がありません。
四海(天下)はいまだ統一されず、禍や災難はまだ頻繁に起こっているのですから、
人力や資産を動かし用いるときには、もっとも慎重にならなくてはなりません。
廷尉の言葉は、国家の政治の大局に適うものです。それは忠臣の諫言であり、どうして
身のためでしょうか?帝王がこれを遠ざけても、また身を省みることにはならないのです。
わたしが陛下に申し上げたいのは、上には明君が諫言を納れる盛事をたずね、下には暗君が
諫言を遠ざける災禍に怒るということです。廷尉を優れた爵位で賞し、廷尉を封土でもって
報いるのがよろしいでしょうに、どうして意見をお容れにならないだけでなく、かえって
彼を殺そうとなさるのですか?陛下がこれわたしのためにお怒りになってなさるのであれば、
廷尉の禍はわたしより招いたものです。人は怨み国は疲弊して、罪はわたしに帰するでしょう。
諫言を遠ざけ忠臣を害するのも、またこれもわたしのせいでしょう。いにしえから国を敗亡させ
家を失わせるに、婦人から始まらなかった例はありません。わたしはいにしえの事跡をみるたびに
食事を忘れるほどの怒りを感じてきましたが、どんな意があって今日わたしが自ら同じことを
やるのでしょう!後の人がわたしを見るのに、またわたしが以前の亡国の婦人たちを見たのと
同様であれば、また何の面目があって髪を飾ってお仕えしておれましょう。陛下を誤らせ
惑わせた罪を埋めるためにも、この堂で死なせて頂くようお願いします。」と申し上げた。
149 :
:2009/07/26(日) 10:23:30 ID:dvzmgI9t0
劉聡はこれを見て顔色を変えて、その群臣たちに「朕は病気に罹っていて、喜怒の感情が
普通でなかった。陳元達は忠臣である。朕はこのことをたいへん後悔している。」と言った。
娥の書いた文を皆に見せて「外朝で公のような者が助けてくれて、内朝でこの后のような者が
助けてくれれば、朕は心配することがない。」と陳元達に言った。
娥の死に及び、偽朝は彼女を武宣皇后と諡した。
その姉の英は、字を麗芳といい、また賢くて物わかりが早く、学問を渉猟し、
詩文を作ってたくみに論じ、政治にも通暁している様子は、娥にも勝っていた。
かつて娥とともに同じく召されて左貴嬪に任ぜられ、まもなく亡くなり、
偽朝により武徳皇后と諡を追贈された。
150 :
可愛い奥様:2009/07/27(月) 21:00:30 ID:YOWypXuy0
ありえんw
151 :
可愛い奥様:2009/07/27(月) 21:06:42 ID:48JLctDwO
ある閉鎖間際のサイトで主婦に対する罵詈雑言。
大人なので、そこまで頭にはこないけど、少しだけイラっときました。
152 :
1:2009/07/27(月) 22:15:32 ID:79vsu8SL0
>>150 初めて内容に触れてくださったお客様です。ありがとうございます。
>>151 何の関係があってここに??
まるで私が犯人のようではありませんか。
せめて誤解を生まないように書いてください。
153 :
可愛い奥様:2009/07/28(火) 14:09:44 ID:y0Ko1/0/0
洗濯機壊れた。ショック!
154 :
昔の未婚女性:2009/07/28(火) 22:07:20 ID:5IMN/OEq0
【 王廣の女 】(オウコウの娘)
王広のむすめは、どこの出身の人か知られていない。顔かたちがたいへん美しく、
気概は男まさりのふしがあった。王広が劉聡に仕えて、西揚州刺史となった。
南方異民族の将軍の梅芳(ばいほう)が揚(よう)州を攻め落とすと、王広は殺された。
王氏はときに十五歳で、梅芳は彼女を妻にしようとした。彼女は不意をついて暗い部屋で
梅芳を討とうとしたが、当たらなかった。梅芳は驚いて起きて「どうして逆らうのか?」と
言った。王氏は罵って「獣め!わたしこそ逆らった賊を殺そうとしているのに、どうして
わたしが逆らったと言うのか?父の仇とは同じ天を戴かない、母の仇とは同じ地を踏まない
とわたしは聞いている。お前は理由もなく反逆し、人の父母を害し、しかもまた無礼にも
人を痛めつけようとしている。わたしが死なずにいるのは、おまえを殺したいがためだけだ!
いま死ぬのはもとよりわたしの天分で、お前が殺すのを待ってはいられない。おまえの首を
道端に晒すことができなかったのがただ心残りだが、死んで大いなる恥を埋めよう。」と言った。
語気激しく、言い終えると自殺した。梅芳はこれを止めようとしてできなかった。
155 :
可愛い奥様:2009/07/28(火) 22:28:13 ID:sy59rklQO
鬼女(笑)
156 :
1:2009/07/28(火) 22:33:09 ID:5IMN/OEq0
あら、よいところにお気づきになりましたね。正解。
157 :
1:2009/07/28(火) 22:34:12 ID:5IMN/OEq0
あ、いや違ったかな…?
158 :
昔の既婚女性:2009/07/28(火) 23:42:34 ID:5IMN/OEq0
【 陝婦人 】(セン県の夫人)
陝婦人は、姓と字が知られていない。年は十九であった。劉曜の時代、陝県でやもめ暮らしを
していた。叔母にたいそうまめまめしく仕えたので、その家は婦人を再婚させようとしたが、
この婦人は自ら顔を傷つけて再嫁しないことを誓った。のちに叔母が病死すると、その叔母に
むすめがあって夫の家にいたが、以前この婦人から暇を貰おうとして貰えなかったことを
恨んでいたので、婦人がむすめの母を殺したのだと誣告した。役人は真相を察することができず、
婦人を処刑した。ときに鳥の群れが死体の上で悲しい鳴き声をあげ、その声はたいへん哀れだった。
盛夏に死体を十日晒したのに、腐らなかった。虫や獣も傷つけることがなく、その辺りはついに
年中雨が降らなかった。劉曜が呼延謨(こえんぼ)を派遣して太守とすると、
婦人の冤罪であることが知られた。誣告したむすめを斬って、生け贄を捧げて婦人の墓を祀り、
諡して孝烈貞婦といった。その日、大雨となった。
159 :
可愛い奥様:2009/07/29(水) 01:40:14 ID:Ly3w1dDn0
むう、だいぶ読みやすくなったな。やや進歩したな。
160 :
可愛い奥様:2009/07/29(水) 01:46:58 ID:gTDj8GO40
161 :
可愛い奥様:2009/07/30(木) 21:34:10 ID:55yWNa8V0
162 :
昔の未婚女性:2009/07/30(木) 21:35:41 ID:55yWNa8V0
靳康女(キンコウの娘)
靳康のむすめは、どこの出身の人か知られていない。姿かたちが美しく、操が堅かった。
劉曜が靳康を誅殺すると靳康のむすめを妾として後宮に入れようとした。靳氏は「陛下は既に
わたしの父母兄弟を滅ぼしておしまいになった。そのうえわたしをどうしようというおつもり
なのですか! 反逆者を誅殺するとき宮殿を破壊し、植わっている樹さえ切り倒す と
わたしは聞いております。ましてやその子女を斬らないことがありましょうか!」と言った。
号泣して死を願ったので、劉曜はこれを哀れんで靳康の一子を赦免してやった。
163 :
昔の既婚女性:2009/07/31(金) 23:34:51 ID:dFiuzp9a0
【 韋逞母宋氏 】(イテイの母“ソウ氏”)
韋逞の母の宋氏は、どこの郡の人か知られていない。家は代々儒学を伝えて名を
挙げていた。宋氏は幼いとき母を失い、宋氏の父が自ら彼女を養った。宋氏が成長すると
彼女に『周官』の読みと意味を伝授して、「わが家は代々『周官』を学んで伝える仕事を
継承してきた。これはまた周公が決められたことで、基本的な決まりや古い詔、百官の等級
分類がここに備わっている。わたしには今伝えるべき男子がいないので、お前がこれを受ける
べきだ。決してお前の代で絶やしてはいけないよ。」と言った。
天下が争乱のさなかにあっても、宋氏は暗誦することをやめなかった。
のちに石虎(せきこ)のために山東へ移住させられることとなった。宋氏は夫と共に
小さな車を押し、書を授けた父を背負って、冀(き)州に到った。膠東(こうとう)の富豪の
程安寿(ていあんじゅ)を頼ると、程安寿は彼らを養い庇護した。韋逞はときに年少であったが、
宋氏は昼には薪取り、夜には韋逞を教えて、糸紡ぎの仕事も止めることがなかった。程安寿は
いつも感嘆して「学家に知識人は多いが、こんな人が他にいるだろうか。」と言っていた。
韋逞はかくして学問が成り功名を立てて、苻堅(ふけん)に仕えて太常(天子の宗廟の祭礼を
司る職)となった。苻堅がかつてその大学に御幸し、博士に経典のことを質問して、礼楽に
欠落があるのを残念がった。ときに博士の盧壼(ろこん)が答えて「学問が廃れて既に長らく
経ち、いにしえの書や注釈も落ちぶれてしまいました。年々綴られ撰されて正しい経典はあらかた
集まったものの、ただ『周官礼注』にまだその師がありません。私見として申し上げれば、
太常韋逞の母の宋氏が代々学問の家の女で、その父の学業を受け継ぎ『周官』の読みと意味を
習得しております。今年八十になり、耳目も支障ありません。この母以外に後学の諸生に
伝えることのできるものはおりません。」と言った。そこですぐに宋氏の家に講堂を立て、
学生百二十人を置き、赤いうすぎぬの幕を隔てて授業を行った。宋氏を号して宣文君とし、
端女十人を賜った。周官の学が再び世に行われ、ときに韋母宋氏と讃えられた。
164 :
可愛い奥様:2009/08/01(土) 13:21:42 ID:RPMk1Pg/O
今流行の『歴女』って奴?
自分の趣味他人に押付けんのやめなよ
そんなだから『チュプ』なんて呼ばれるんだよ
ていうか長々と書いてるけど貴女が何を伝えたいのかが解らない
貴女の書込んだの見て今の主婦もこう成るべきよと伝えてるの?
165 :
1:2009/08/01(土) 18:25:40 ID:Py1gmVIp0
別に何も。
読めもよし、読まぬもよし
自由ですよ。
ただ、
読まれた方と読まれなかった方とでは差ができると思いはしますけどね。
私が何を伝えたいか
それは、読まれた方には自ずと伝わっていると思いますが
読まれない方には伝わらないでしょう。
というか、私自身は何も主張していません。
機械的にこの場に歴史を伝えているだけです。
166 :
1:2009/08/01(土) 21:40:10 ID:zNRoZGce0
あら、大変なミスを…
>読めもよし、読まぬもよし
読むもよし、読まぬもよし
に訂正します
167 :
かばとっと:2009/08/03(月) 21:38:55 ID:n7eYZ0SK0
年賀状の配達は無事すんだかどうかわかりますでしょうか。
168 :
昔の女性:2009/08/03(月) 21:41:46 ID:RLGJbcji0
【 張天錫の妾、閻氏・薛氏 】(チョウテンシャクの妾“エン氏”“セツ氏”)
張天錫の妾の閻氏と薛氏は、ともにどこの出身の人か知られていない。
張天錫に同じように寵愛を受けた。張天錫が病のために床に就くと、彼女たちに
「お前たち二人はどうやって私に報いてくれるのか?わたしの死後、他人の妻に
なるのがよいか!」と言った。
ふたりは「殿下がもし亡くなるようなことがあれば、わたしたちは命を捨て
地下を掃除して差し上げます。誓って他の志は持っておりません。」と言った。
張天錫の病が重くなるとふたりの姫はともに自刎した。
張天錫の病が癒えると彼女たちを追悼し、夫人の礼で葬らせた。
169 :
昔の女性:2009/08/04(火) 21:30:54 ID:B8iBlc7n0
【 苻堅の妾、張氏 】(フケンの妾“チョウ氏”)
苻堅の妾の張氏は、どこの出身の人か知られていない。はっきりと善悪を区別し、才知と
識見があった。苻堅が江東に攻め入ろうとすると、群臣は固く諫めて従わなかった。張氏は
進言して「天地が万物を生み、聖王が天下を御するとわたしは聞いています。その性質に
従わないで伸びやかにいられるものはありません。黄帝が牛に車を牽かせ馬に騎乗したのは
牛馬の性質の違いに従ったものです。禹(う)が龍門を穿って、黄河の大量の水を流させた※のは、
水の勢いに従ったものです。周の后稷(こうしょく)が多くの穀物の種を播き、苗を植えたのは、
土地の気に従ったものです。殷の湯王が夏を滅ぼし、周の武王が商を滅ぼしたのは、人の欲に
沿ったものです。それゆえに拠りどころのある者は成功し、拠りどころのない者は失敗します。
いま朝臣の上下は皆口を揃えていけないと言っておりますのに、陛下にはまた何の拠りどころが
あるのでしょうか?『尚書』では『天が聡明なのは我が民が聡明なのに基づく』と言っています。
天でさえこのようであるのに、どうして人主がそうでないことがありましょうか!人君が国を
討とうという志をもつときは、必ず上に天の印を観察し、下に多くの兆しを採るとわたしは
聞いています。天の道は気高く遠大であって、妾のわたしの知るところではありません。
人間世界の事柄で兆し言えば、まだそのようなものは見えていません。諺に『鶏が夜に鳴くのは
行軍に利がなく、犬の群れが吠えると必ず宮殿の部屋は空っぽになり、兵が動揺し馬が驚くと
軍は敗れて帰ることがない』と言います。年の暮れがやってきて、夜ごとに犬の群れが大いに
吠えたて、多くの鶏が夜に鳴き、厩舎の馬が驚いて逃げようとするのが密かに聞こえ、武器庫の
兵器に物音が立っています。吉凶の理は、実にわたしごときが論ずるところではありませんが、
陛下にはこのことを詳しく思い起こして頂くようお願いします。」と言った。
苻堅は「戦争のことは婦人の関わり合うところではない。」と言って、そのまま兵を起こした。
張氏は従軍を願い出た。堅がやはり寿春(じゅしゅん)で大敗すると、張氏は自殺した。
170 :
:2009/08/04(火) 21:32:06 ID:B8iBlc7n0
171 :
昔の既婚女性:2009/08/05(水) 23:12:56 ID:CsXRIQW30
172 :
:2009/08/06(木) 20:28:11 ID:UaAMESJM0
173 :
昔の既婚女性:2009/08/06(木) 23:12:04 ID:ziFX+AQr0
【 苻登の妻、毛氏 】(フトウの妻“モウ氏”)
苻登の妻の毛氏は、どこの出身の人か知られていない。意気盛んで勇ましく
騎射をよくした。苻登が姚萇(ようちょう)に襲われたとき、砦は既に陥落していたのに、
毛氏は尚、弓を引き絞って馬に跨り、数百人を率いて姚萇と交戦して、おびただしい人数を
殺傷した。しかし衆寡敵せず、姚萇に捕らえられた。姚萇が彼女を後宮に納めようとしたので
毛氏は罵って「わたしは天子の后だ。どうして賊の羌(きょう族)に辱められたりしようか。
なぜ早くわたしを殺さないか!」と言った。そこで天を仰いで大声で泣いて「姚萇は無道で
先に天子(苻堅)を害し、今は皇后を辱めようとしています。天地の神々、どうして姚萇の
悪行をご覧にならないのですか!ご覧になっていただきたい!」と言った。
姚萇は怒って彼女を殺した。※
※毛氏の夫である苻登は先に出てきた苻堅の息子。
苻堅は五胡十六国時代の前秦の3代目皇帝。
苻堅は先の苻堅妾張氏伝末の大敗(
>>169-170)で力を失い、
前秦の将だった姚萇が独立して後秦を建国。
その後姚萇に捕らえられて殺された。
跡を継いだ4代目があっという間に戦死し、苻登が5代目皇帝となった。
苻登は氐(てい)族の毛氏を皇后に迎え、氐族の大軍団を率いて後秦に攻め込んだ。
快進撃を続けたが、本拠地を後秦に襲われ大敗北を喫した。そのときの話。
174 :
可愛い奥様:2009/08/06(木) 23:52:07 ID:UJAmaznK0
銀河w
175 :
昔の既婚女性:2009/08/07(金) 20:28:06 ID:TPhEg8Nz0
【 慕容垂の妻、段氏 】(ボヨウスイの妻“ダン氏”) 字:元妃(げんき)
慕容垂の妻の段氏は、字を元妃といい、偽朝(前燕…ぜんえん)の右光禄大夫(従二位)
段儀(だんぎ)のむすめである。年若い頃からしとやかで賢く、高い志をもっていた。いつも
妹の季妃(きき)に「わたしは決して凡人の妻にはなりませんよ。」と言っていた。季妃もまた
「わたしもやはり普通の男の妻にはなりません。」と返していた。隣人はこれを聞いて笑っていた。
慕容垂が燕王を称すると元妃を手にれて後妻とし、非常に寵愛した。偽朝の范陽王(はんよう王)
慕容徳(ぼようとく)もまた、季妃を娶った。姉妹はともに慕容垂、慕容徳の妻となって、ついに
その志のとおりとなった。慕容垂が後燕が帝位を僭称したのち、位を戴いて皇后となった。
176 :
:2009/08/07(金) 20:30:05 ID:TPhEg8Nz0
慕容垂がその子の慕容宝(ぼようほう)を太子に立てると、元妃は慕容垂に「太子の姿質は
ゆったりしていますが、優柔不断です。平和な治世を受け継ぐならば、情け深く道理の通った
君主となりましょうが、危難のときに世を救う英雄ではありません。陛下は大業を彼に託そうと
なさっていますが、わたしは彼に勝ち気な美点を見たことがありません。遼西(りょうせい)と
高陽(こうよう)の二王(慕容農と慕容隆)は、陛下のお子のうちの賢者であり、ぜひとも一人を
択んで後継者に立てるべきです。趙王(ちょう王)慕容麟(ぼようりん)は、邪で狡く謀反気が
あって、いつも太子を軽んじる気持ちを持っています。陛下がある日お隠れになられれば、必ずや
災難を引き起こしましょう。これは陛下のお家のことであります。ぜひこのことを深慮なさって
ください。」といった。慕容垂は受けいれなかった。慕容宝と慕容麟はこのことを聞いて、深く
恨みに思った。その後、元妃が再びこのことを言うと、慕容垂は「お前はわたしを晋の献公※に
させたいのか?」と言った。元妃は泣いて引き下がり、季妃に告げて「太子が良くないのは、
群臣の知るところです。それなのに主上がわたしを驪戎(りじゅう)の女(驪姫)と比べるなど、
なんとつらいことでしょうか!主上のご長寿の後には、太子は必ずや社稷を滅ぼしましょう。
范陽王(慕容徳)は普通でない器量をもっており、もし燕の命脈がまだ尽きていなければ、
彼は帝王となっているでしょう!」と言った。
※「叔隗の下の趙姫」(鄭袤妻曹氏伝、末)
>>34参照。
驪戎…異民族の驪戎という名の部族。
177 :
:2009/08/07(金) 20:31:28 ID:TPhEg8Nz0
慕容垂が死に慕容宝が偽帝の位を継ぐと、慕容麟を派遣して元妃に迫って「后はいつも後継ぎ
が大統を守ることができないと主上に言っていましたが、今は結局どうなっているでしょうか?
早く自殺なさって、一族に罪を連座させず、一族の身を守られるがよろしいでしょう。」と告げた。
元妃は怒って「お前たち兄弟は母に迫って殺そうとするほどだから、どうして社稷を保って守って
いくことが出来ようか!わたしは死を惜しんだりはしないが、国が久しからずして滅びるのを
心配するだけだ。」と言って、とうとう自殺してしまった。慕容宝は元妃が嫡統を廃そうと謀り、
母后の道に適っておらず、国葬を行うべきではないと発議した。群臣は皆そのとおりだと考えた。
偽朝(後燕)の中書令(中央官庁の長官)眭邃(すいすい)が朝廷で堂々と「子が母を廃する
前例がないとは言いますが、後漢の安思閻皇后は順帝により自ら廃されながら、それでも安帝と
共に祀られました。先の皇后の言の虚実は尚更知ることができませんので、閻后の故事のとおりになさるがよろしいでしょう。」と言ったので、慕容宝はこれに従って母后を祀った。
その後、慕容麟がやはり乱を起こし、慕容宝もまた殺され、慕容徳もまた尊号を僭称し、
とうとう元妃の言葉のとおりになった。
178 :
昔の既婚女性:2009/08/08(土) 23:02:15 ID:Kg6s0lLb0
【 段豊の妻、慕容氏 】(ダンホウの妻“ボヨウ氏”)
段豊の妻の慕容氏は、慕容徳のむすめである。才知があって、読書をよくし、鼓や琴の
演奏に優れた。慕容徳が帝位を僭称すると、平原公主となった。年が十四で段豊に娶された。
段豊が人に中傷を受けて殺され、慕容氏はやもめとなって実家に帰った頃、偽朝(南燕)の
寿光公(じゅこう公)余熾(よし)に再嫁させられそうになった。
慕容氏は端女に「"忠臣はふたりの主君に仕えず、貞女はふたりの夫を替えない"とわたしは聞いて
います。段氏は既に無実の罪で亡くなり、わたしは一緒に死ぬことが出来ませんでした。どうして
再び嫁ぐ気持ちが持てましょうか。いま主上は礼義を顧みずにわたしを嫁がせようとしています。
もし従わなければ、父母の命令に違えることになります。」と言った。そこで婚姻の期日を定めた。
慕容氏は姿かたちがしなやかで美しく、衣服と飾りは麗しく輝いていたので、余熾は彼女を見て
たいへん喜んだ。二晩泊まりを過ぎても、慕容氏は病気であると嘘をついたので、余熾もまた
彼女に迫ろうとはしなかった。三日して屋敷に帰り、沐浴して宴会に出た。しゃべったり笑ったり
しながらも落ち着いていた。夕方に至って密かに裳(スカート)の帯に書きつけたことには
「わたしが死んだ後は、段氏の墓のそばに埋めてください。もし魂魄に意識があるならば
段氏のもとに帰ります。」ということであった。そのまま浴室で自ら首を吊って死んでしまった。
葬られるとき、見物する男女は数万人におよび、「なんと公主はみさお正しいことか!」と
嘆息しない者はなかった。葬列が余熾の家の前を過ぎて余熾が挽歌の声を聞くと、むせび泣くこと
長らくであった。
179 :
昔の既婚女性:2009/08/09(日) 21:34:24 ID:7DzpMmpi0
【 呂纂の妻、楊氏 】(リョサンの妻“ヨウ氏”)
及び【 呂紹の妻、張氏 】(リョショウの妻“チョウ氏”)
呂纂※の妻の楊氏は、弘農(こうのう)郡の人である。美しく艶やかで激しい正義感を
持っていた。呂纂が呂超(りょちょう)に殺されると、楊氏と召使いの女たち十数人は城西で
呂纂の殯(かりもがり)を行うことにした。宮殿を出ようとすると、呂超が楊氏に珍奇な宝物を
与えようと思って外出し、人にこれを捜させていた。楊氏は激しい声で呂超を責めて「あなたたち
兄弟は仲良くすることがで出来ず、手ずから刃で殺し合いました。わたしはまもなく死ぬ人間
ですから、どうして黄金の宝が要りましょうか!」と怒鳴った。呂超は恥じて引き下がった。
また楊氏に伝国の玉璽の所在を尋ねると、楊氏は怒って「粉々にしてしまったわ。」と言った。
呂超は彼女を娶ろうとして、その父の楊桓(ようかん)に「后がもし自殺したら、禍はお前の
一族に及ぶぞ。」と言った。楊桓がこのことを楊氏に告げると、楊氏は「父上はもともと富貴を
図るために娘を売って氐に与えました。一度は我慢しましたが、再び耐えることが出来ましょうか!」
と言って自殺した。
ときに呂紹の妻の張氏もまた品行があった。十四歳のとき、呂紹が死ぬと、即座に尼に
なろうと願い出た。呂隆(りょこう)は彼女を見て悦び、彼女の操を汚そうとした。
張氏は「悦楽を慎むことこそ、人の踏み行うべき真の道です。誓って辱めは受けません。」
と言った。かくして楼閣に昇って自ら地に身を投げると、二本のすねはともに折れ、
仏の経典を口ずさむと、にわかに死んでしまった。
※呂纂は後涼の3代目皇帝(兄・側室の子)。呂紹は2代目皇帝(弟・正室の子)。
呂紹は呂纂に自殺させられ、呂纂は呂超に殺された。呂超は兄の呂隆に帝位に就くのを譲った。
伝国の玉璽とは、秦の始皇帝からずっと中国の歴代王朝および皇帝に代々受け継がれてきた
皇帝用の印鑑。
180 :
昔の既婚女性:2009/08/10(月) 23:20:17 ID:+A5VaSYv0
【 涼の武昭王、李玄盛の后、尹氏 】(リョウ王朝ブショウ王リ・ゲンセイの后“イン氏”)
西涼の武昭王李玄盛(李ロ)の后の尹氏は、天水(てんすい)郡冀(き)県の人である。
幼くして学問を好み、弁舌清らかで志を堅く守っていた。はじめ扶風(はふう)郡の馬元正
(ばげんせい)に嫁いだが、馬元正が亡くなると、李玄盛の後妻となった。再婚であったため、
三年もの間、物を言わなかった。前妻の子を可愛がる様子は自分の生んだ子をも越えていた。
李玄盛が西涼を興すにあたって、謀や経略について力添えすることが多く、このため西州の諺に
「李氏と尹氏は敦煌の王である」といわれた。
李玄盛が薨去すると、子の李士業(りしぎょう)が位を継ぎ、尹氏は尊ばれて太后となった。
李士業は北涼の沮渠蒙遜(そきょもうそん)を攻めようとしたが、尹氏は李士業に「お前が新しく
建てた国は土地は手狭で人口は少ないので、安んじるには土地と人を守って、失うのを怖れなくては
なりません。どうして軽はずみなことをするのですか。分不相応な願いは望むものではありません。
沮渠蒙遜は勇武にたけ、用兵をよくしており、お前は彼の敵ではありません。わたしが観るに、
沮渠蒙遜はここ数年来というもの兼併の志を抱いており、尚かつ天の時節と人事の流れは彼に
帰そうとしているようです。しかし今は我が国は小さいですが、政治を行えば満たされます。
満足を知る者は辱められないというのが、道家による明白な戒めです。
そのうえ先王が薨去なさるに臨んで、お前たちに兵戦を出来る限り慎み、時を待って動くよう、
懇切丁寧に遺命なさいました。お言葉はまだ耳に残っており、どうしてこの事を忘れることが
出来ましょうか!徳政に努めて国を治め、隣国を観察しながら力を蓄えるしかありません。
沮渠氏がもし淫らで粗暴となれば、人々はお前に帰順してくるでしょう。
お前がもし徳を打ち立てることがなければ、遠からずして沮渠氏に仕えることになるでしょう。
お前が出兵を行えばただ軍隊が敗れるだけでなく、国もまた滅びるでしょう。」と言った。
士業は従わなかったので、やはり沮渠蒙遜のために滅ぼされた。
181 :
:2009/08/10(月) 23:21:28 ID:+A5VaSYv0
尹氏は姑臧(こぞう)にやってくると、沮渠蒙遜が引見して彼女を労ったので、「李氏は
胡のために滅ぼされてしまうのに、また何の言うことを知りましょうか!」と答えて言った。
ある人が彼女を諫めて「母子の命は人の手に掛っているというのに、どうして驕り高ぶった
振る舞いをするのですか! 国が敗れたうえに子孫が皆殺しにされるのを、どうしてひとり
悲しまないのですか?」と言った。尹氏は「国の興亡や子孫の死生は、筋道立てて大きく
分かれるのです。どうして凡人の死と同じように、児女の悲しみを起こしましょう!わたしは
一婦人で死ぬことも滅ぶこともできません。どうして斧鉞にかかり命を落とすのをはばかって
臣下の妾となることを求めましょうか! もしわたしを殺すというなら、わたしはそのように
願うものです。」と言った。沮渠蒙遜は彼女を褒めて殺さず、子の沮渠茂虔(そきょもけん)の
ために彼女のむすめを妻として娶せた。魏氏が武威(ぶい)公主を沮渠茂虔に娶せると、尹氏と
むすめは酒泉(しゅせん)に移り住んだ。その後まもなくむすめが亡くなると、むすめの遺体を
撫でて泣くことなく、「お前は死ぬのが遅かった。」と言った。沮渠無諱(そきょむき)が
ときに酒泉を鎮めていたが、いつも尹氏に「后のお孫たちは伊吾(いご)におられるが、
后は行くことが出来ないのか?」と言っていた。尹氏はその言葉の意図をつかめず、
「子孫はさすらい歩き、醜いえびすに身を託しています。老年は命の余すところ、ここで死を
迎えるべきでしょう。匈奴の幽霊になることはできません。」と答えて言った。唐突に密かに
伊吾に逃れたので、沮渠無諱は騎兵を遣わして彼女を追わせた。尹氏は使者に「沮渠氏は酒泉で
わたしが北に帰るのをお許しになったのに、どうして追ってきたのですか? あなたがわたしの
首を斬って帰るのでなければ、戻りませんよ。」と言った。使者は敢えて帰るように強要しなかった。
享年七十五で、伊吾で亡くなった。
182 :
可愛い奥様:2009/08/10(月) 23:36:38 ID:oc+l+wN+0
何かからのコピペ?
「昔の既婚女性」って、今は独身ってこと?
183 :
1:2009/08/11(火) 00:04:29 ID:4n1/Qb7g0
今は土の中です。
184 :
可愛い奥様:2009/08/11(火) 00:13:48 ID:bd5Ctrz0O
いいえ、わたしはそこにはいません
眠ってなんかいません
185 :
可愛い奥様:2009/08/11(火) 00:19:29 ID:4uDFMTuoO
六道にでもいるんかい?
186 :
可愛い奥様:2009/08/11(火) 12:26:53 ID:R1Yxr+al0
>>1 ここは掲示板ですよ。
あなた個人のブログでもメモ帳でもない。
自分の意見を自分の言葉で書けないようなら、ここから出て行ったほうがいい。
ある日突然、スレがなくなることもありますよ。
いくらID変えても運営側は全部、わかっているのですよ。
188 :
忠臣曰く:2009/08/11(火) 21:53:47 ID:OGQsH3qX0
忠臣が言う。
季節を外れて霜が降りるが如く、世の秩序は乱れ
雪が降るが如く、節義が地に落ちているとき、
ピンと張りつめた強い心は
気候が寒くなって、色を落とさない松柏が枯れゆく他の草木とは違うのが明らかになるが如く
苦難に耐えて堅く節操を守る君子の姿にはっきりと表れる。
動乱の時にあって堅く節操を守る決心は上徳として明らかである。
それは君子だけでなく婦人にも言えることだ。
晋の政治が夷狄に打ち拉がれてからというもの、風紀を立てる者は稀で
素直な節操を守る者もあまりなく、互いに急いで卑俗になっていった。
節義は
劉淵・石勒の一族が支配する世で、凋落が頻繁に見られるようになり
苻堅・姚萇の一族が支配する世で、ついに没した。
その様は、石を割いて集めるようであり、
綺麗な花を咲かせるたおやかな草を川に投げ入れるようであった。
世には胡族にへつらって争うように装いを新たにするのが見えるのみであった。
一朝、漢の時代を去ると、いにしえを恋いうる情も何とも微かである。
戦乱が巻き起こり、軍馬が駆けめぐり土ぼこりが舞う世になって
人の踏み行うべき道を明らかにする教えは抜け落ちた。
道徳的な気風は廃れ、人々は健全な精神を失ってやりたい放題し、純朴さを忘れた。
節義の無い世はここに極まった。
189 :
:2009/08/11(火) 21:55:02 ID:OGQsH3qX0
恵風は喬属を責め (
>>38)
道韞は孫恩に立ち向かい (
>>109-101)
荀ッの娘は重囲の中、危急を解き (
>>87)
張茂の妻は強い敵に仇討ちし (
>>78)
苻登の后は死んでも再嫁せず (
>>173)
呂纂の妃は命を捨てて惜しまず (
>>179)
賈渾の妻宗氏や梁緯の妻辛氏は敵の情欲に逆らって早死にし (
>>45 ,
>>47)
王広の娘や靳康の娘は節義を守って終りに就いた。 (
>>154 ,
>>162)
彼女らが皆、このように正しい道を踏んで亡くなったのは
教化によるものではないのである。
天まで届くように聳え立つ高木の葉のような君子に
ゆたかに賛美ならしめる名高さがあるのは当然だが、
山深い谷底にゆれる冬でも枯れない葉のような気高い婦人もまた
正しい調べと言って恥じるものではない。
ここに挙げた
梁(はり)に縄を掛けても顧みず、剣に触れても当然のことのように落ち着いていた女性たちは
後世の風俗を正しくする者たちであり
以後、千年のあいだも称揚すべきであろう。
190 :
賛曰く:2009/08/11(火) 21:57:08 ID:OGQsH3qX0
論評に言う。
ゆったりと落ち着いていて訴えがましくない礼行は
やわらかい戒律を穏やかに角を立てずに生む。
列女伝は六行に従い、ここに四徳を昭かにする。※
風霜のような世の厳しい苦難や試練に遭っても、節操潔ければ、その誉れは国中を流れる。
女史官の赤い筆が彼女らの訓を残し伝えてゆけば、その清らかな強い香りは不変である。
191 :
:2009/08/11(火) 21:58:29 ID:OGQsH3qX0
※
六行(りっこう)とは
・孝 …よく父母に仕えること
・友 …兄弟と仲良くすること
・睦 …九族に親しむこと
・姻 …外戚に親しむこと
・任 …人のために力を致すこと
・恤 …慈しむこと
この心に従い、ここに
女性の四徳(しとく)
・婦徳 …操を守り、控えめに行動し、恥知らずな行いをせず、世間の掟に従うこと
・婦言 …言葉を選んで慎重に発言し、人前で悪口を言わず、人を厭わないこと
・婦容 …清潔でいること
・婦功 …家計をしっかりやり繰りしながらも、客が来たときは酒食をケチらずもてなし、
客と戯笑いをしないこと。
をあきらかにしている。
以上、『晋書』列女伝でした。
ここに載せたものは、あるサイトからの転載です。
正確には、それを普段歴史と縁遠い方にも読んで頂けるように手を加えたものです。
改変にあたるので引用元は明かせませんが
原訳者であるサイト主さんには深く感謝しております。
私は列女伝に感銘を受けました。
皆様に列女伝を紹介したく思ったのは、
第一に、女性で歴史に興味を持っているひとが少ないことから
おそらく列女伝の女性たちは世の女性に知られることのないまま
眠り続けるだろうと考えたからです。
それをとても惜しく思いました。
(ここは書き終えるとスレが2、3日で落ちて消えてしまいますが)
さて、このスレは「鬼女への挑戦状」ですが
私は既女と鬼女を区別して用いています。
鬼女の皆さん、よろしければ1から順にお読みください。
既女の皆様もよろしければお読みください。
決して損にはならないと思います。
193 :
可愛い奥様:2009/08/12(水) 06:52:12 ID:kIRBiEpk0
おばさんに挑戦ってwwwwwww
194 :
可愛い奥様:2009/08/12(水) 07:13:14 ID:X89oMDI0i
中国の女性は気が強いけど、異民族を支配したり、支配されたりして、国や紙幣を信用出来ないから、自立心が旺盛だと聞いたな。すぐ外国に行くし。
195 :
可愛い奥様:2009/08/15(土) 01:22:33 ID:X1T3ewjc0
お盆ですね
196 :
可愛い奥様:2009/08/15(土) 10:38:25 ID:Vxk7EeBJ0
そうですね。
里帰りしましたか?
197 :
可愛い奥様:2009/08/16(日) 00:38:30 ID:75/ilMzV0
お墓参りには行きましたか?
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つ ど え
え ら ば れ し 子 ど も た ち よ
韓国反撃総本部 Part 21
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199 :
可愛い奥様:
これ何?