『小泉純也』
鹿児島県川辺郡東加世田村小湊字小松原(現・南さつま市)出身。実父は在日朝鮮人。
家が貧しかったため、小学校を出ると鹿児島市内に出て、山形屋百貨店の丁稚となり、夜は鹿児島実業に通った。
代議士岩切茂雄の書生となって、日本大学法学部政治学科の夜学に通わせてもらい、
1930年に卒業。岩切の紹介で立憲民政党の職員となり、当時民政党の幹事長を務めていた小泉又次郎のもとに出入りし、
それが縁となり小泉家の家族と接するようになった。やがて小泉家に出入りするうちに又次郎の長女・芳江と恋仲になる。
二人の恋愛に又次郎は反対だったが、純也と芳江は又次郎の反対を押し切り駆け落ち同然に家を出て、
東京・青山の同潤会アパートで同棲。結局、又次郎のほうが折れて純也が代議士になれたら一緒になることを許すとして認めることになった。
以上 一部転載
と、父純也が祖父又次郎の養嗣子となったいきさつが書かれている。 これが本当とすると、かれ小泉純一郎は在日朝鮮人の末裔という事になる。
そういう噂話は以前からネットではよく見かけたが、あるいは根拠があるのかも、、という程度
にしか信じていなかったが、世界的な規模で多くの人が利用するこの”Wikipedia”、誰でも書き込み自由、編集参加自由となっているが、多方面の人が目にする機会が多い事ゆえ、もし事実に反する
のであれば、既に抗議が入って訂正されている事であろう。
この旧姓鮫島家は当該地の名家とあり、鮫島姓を名乗るようになった経緯にも
疑問点あり、とは以前他の文献で読んだ事があるが。
(不思議な事に鹿児島県加世田市万世小松原の鮫島家一族には純也と言う人物は存在しない。朝鮮総連の情報筋によると、
小泉純也は鹿児島の朝鮮部落(加世田) から出てきたのにも関わらず、いつの間にか鹿児島の名門である「鮫島」を名乗っていたと言う話だ。
昭和5年に日本大学法学部政治学科を卒業した時には、日 本国籍(朝鮮戸籍)を有していたが、昭和5年度の卒業生名簿には鮫島の姓は見当たらず、
見知らぬ朝鮮姓が明記されている。 )
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