文藝春秋五月号
「雅子妃すべての悲劇の始まり」by友納尚子
平成12年の皇太后葬儀。なぜ欠席を余儀なくされたのか
元宮内庁関係者談として、
「ご結成の本当の理由は、ご懐妊の可能性があったため医者に無理を
しないよう止められていたのだ」
その後も遠方への公務などを控えられたが、結果的に胎嚢が発見されず
科学的流産になったという。
また末綱元東宮侍従長の辞任について、”雅子妃との不仲による辞任”と
報じた記事もあったが、真相は異なるとして、
「東宮侍従長はあくまで皇太子殿下にお仕えしており、雅子妃には
東宮女官長がいますから、ご夫妻一緒のときにお話しされるだけ。
不仲かどうかと騒がれても、もともと妃殿下と接触の機会は少ない。
妃殿下のご要望は東宮大夫がお伺いするのが普通」(東宮関係者)
また、末綱氏は”片道切符”ではなく戻るという内々の約束で、
侍従長に就任した。今年に入って、雅子妃の回復がみられ(たため)、
(皇太子が)末綱氏の人生を考え、今年の退任に賛成なさったもの。
ほかにも、猪瀬直樹氏が「官僚から皇太子夫妻を守れ」との記事を
書いています。相変わらずの駄文ですが。