ポスト読んできた。
これまでメディアの取材は一切受けなかった元女官の告白ということで
期待したけど、目新しい情報はなし。美智子さまage記事。
目新しいと思われるものだけ。
・元女官は昭和50年代半ばに女官として仕え、80歳を過ぎた現在も
ときおり御所にあがり両陛下とお話をされる関係。
(本人が特定できる情報を書いているので、語った方の基本情報としてカキコ)
・先日、元女官が御所にあがったが、美智子さまはとてもお元気なご様子。
天皇陛下も、昨年末は体調が悪かったようだが、今はきちんとした日々の生活で
無理は一切せずなるべく歩くことに努めていらっしゃる。
・昭和58年のアフリカ三カ国を昭和天皇の名代で回り、帰路タイに立ち寄ったとき
美智子さは疲れが出たのか39度台の熱をだされた。
予定は無理だと思ったが、美智子さまは「誰にもこのことを話してはいけない」と
おっしゃり、全ての予定をこなされた。精神的に強い女性。
・女官に上がりたての頃、大相撲観戦があったが美智子さまは風邪をひいていた。
自分が「お出ましを控えたら」と言ったら、美智子さまは
「そういうのはとんでもない考え。お相撲さんはじめ関係者や、見にくる人たちなど
待っている多くの人たちがいる。それを考えたら、休んでもいいでしょうというのは
とんでもないことだ。あなたは根本的に何もわかっていない・・」
・自分が勤めていた当時の美智子さまは朝5時起き。
散歩をして子供たちのお弁当をお作りになる。当直女官(4日に1度のシフト)が
お手伝いをするのだが、てきぱきしていらっしゃるので、ただ見ているだけのことも。
・秋篠宮さまのご結婚は、兄より先に結婚するということで反対も多かったが
今上陛下と美智子さまが相談され「ふたりがともに歩もうとするのなら
応援しよう」ということで、お二人の結婚を後押しした。
入内後の紀子さまのご苦労は大変だったようだ。揶揄されたり、雑音が飛び交っていた。
(都市伝説のことか?)
しかし、美智子さまは「大丈夫よ」と常に暖かい眼差しで見守ってこられた。
ポスト続き
以下は特に目新しくもないが、身バレ承知で元女官が述べたということでは
価値があるかもと思われるもの。
・美智子さまは、自分たちの前でも紀子さまのことを「紀子ちゃん」とよぶが
雅子さんのことは「雅子さん」。
・昨年末の羽毛田氏が会見で「皇室そのものが雅子さまのストレス」という
マスコミの報道に「両陛下が傷つかれた」と述べたが
事実本当にショックを受けられている。それを最も悲しいことだと
考えていらっしゃるだろう。
・「70歳までここにいる」と言っていた末綱氏が辞任したのは
一つには雅子さんの病気の回復が遅れていること。
もう一つは、雅子さんとのコミュニケーションがとれなかったこと。
雅子さんとは話ができないので、何を考えているのかわからない。
雅子さんは、突然私的に外出することもあり、そうなると警視庁と
皇宮警察との間でトラブルが起こることになりやすい。
「末綱は何をしているんだ」と言われ、板ばさみになりかわいそうだった。
和み情報
・サーヤが結婚して2ヶ月ほどたったころ、両陛下はサーヤの新居に遊びに行かれた。
レタスを手土産に携えられたのだが、サーヤ曰く「(マンションで狭いから)
もうおくところがなくなっちゃったくらい」
(レタスの入ったダンボールを持ってる美智子さまを想像してワロタw)