皇室御一行様★アンチ編★part1426

このエントリーをはてなブックマークに追加
正田家は東宮御所にほとんど出入りしなかったし、昭和天皇と親しくお茶一杯飲んだことはない。
そのつらさを知っている天皇皇后は、皇太子の結婚が決まると前例に囚われず細々と気を遣った。
婚約が決まった後、婚約者と御所でのデートを許し、4人で食事をした。
天皇皇后の兄妹、小和田家、川嶋家の家族ら31人を赤坂御所に招き、「お披露目」の夕食会を開いた。
天皇皇后は、自分たちの方から嫁に近づき、温かい家庭を築こうと努めた。

かつて「定例御参内」というのがあった。
毎週金曜日の夜、東宮一家が吹上御所を訪ね、昭和天皇皇后と食事を共にした。
皇后も一時は拒否反応があったが、後に振り返って、「陛下をお直(じき)に、お目にかかれること」、天皇は「陛下が自然にされることを側で見ていること」が参考になり、子供たちの帝王学になったと語っている。

夫妻は御参内を復活し、食事をしながら宮中の風を伝え、天皇のあり方を3世代で語りたかったのだろう。
しかし「拒否」された。
08年2月、羽毛田長官は苦渋に満ちた顔つきで切り出した。
「愛子様の参内が依然少なく、両陛下も心配しておられる」。
前任の湯浅利夫も退任前の05年、「機会をつくって、両陛下と意思の疎通を図っていただきたい」と苦言を呈している。