皇室御一行様★アンチ編★part1340

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701可愛い奥様
>>465
『FACT』10月号続き。

A「皇后と雅子妃の違い」(中味は天皇家の歴史の中での兄弟について)
 雅子妃の日常は、親が東宮御所に出入りし家族と行き来を繰り返し、実家の別荘で静養など、これらはすべて「私」である。
一方の美智子皇后の実家は、娘は皇室に差し出した今や公人であるという認識だった。
皇后の母、正田富美子の臨終のとき皇后は秋篠宮と紀宮だけを連れて行き天皇、皇太子は遠慮してもらったのは、
皇位継承者の見舞いは「おそれ多い」と考えたからだ。
ヤンチャ坊主だったアーヤが皇太子夫妻に諫言するまでに大きく成長したのは、皇室の危機感であろう。

兄弟についていえば、昭和天皇と、秩父宮、高松宮の間には、はっきりした確執があった。
ヒトラーと会見し国家改造論に共鳴していた秩父宮と昭和天皇は、三国同盟などについて激論する。
高松宮とも終戦をめぐりたびたび衝突する。敗戦責任をとつて退位し、幼い皇太子に譲位する構想も一部では考えられたが、
「そうなると高松宮が摂政になる」と懸念している。
兄姉弟間の継承は過去に27例ある。古代の5〜7世紀は兄弟継承が多く、27代安閑天皇から28代、29代は、
26代継体天皇を父とする。30代敏達、31代、32代、33代(推古・女帝)の4人は、
欽明天皇の子だ。当時は兄弟間で皇位を継ぐのが通例だった。
それに逆らったのが38代天智天皇で、弟の大海人皇子を即位させずにわが子の大友皇子を即位させた。
39代弘文天皇である。そこで大海人は兵を挙げ(壬申の乱)、天皇を追い落として自害させ40代天武天皇となった。

皇位継承という観点から皇太子と秋篠宮の関係を見ると、秋篠宮が皇太子に継いで継承すれば127代となる。
次は悠仁親王で再び直系に戻り,秋篠宮家の血統が続く。

以下続く。