皇室御一行様★アンチ編★part1204

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519可愛い奥様
静岡福祉大学教授   高橋紘

『これがあの日の写真にある暖炉ですか』品川区の通称、池田山にある正田邸。
宮内記者会にいた1976年5月31日午後。私は応接間で皇后の母富美子さんに尋ねた。
彼女はけげんそうな顔をしながら、笑顔を見せて言った
『私どもの家では、昔から火をとても大事にしてきました。家を建てるとき、暖炉だけはしっかり作って下さいと注文したほどです
家では火だけがご馳走で、この周りにみんなが集まっていろんな話をしていました』
58年皇太子明仁親王と美智子様の婚約がきまった。その夜、一家は記念撮影をし、それが
翌日の朝刊に載った。分厚い花柄の絨毯、柔らかそうなソファー、光のすけるレースのカーテン
の両袖には厚地のカーテンが房掛けでまとめられている。暖炉の上には西洋の人形や置時計
油絵。
『私達は倹約家なんです。服も繕って着ますし、不要な電気は消します。この家も何回も手入れしてるんですよ』
正田夫妻は32年ドイツから帰国し落ち着いた西洋館を建てた。戦時中は大工の兄弟夫婦に留守を託した。
『焼夷弾があたりましたが、放り出してくれて無事でした』
連合国軍総司令部は水洗トイレ、車庫付の洋館を接収し、英軍の将校夫婦が3年いた。
一家は近くの社宅に越した。美智子さんの結婚式の朝の写真に登場するこの家は2003年
解体された。
皇后の父英三郎氏が亡くなり相続税を物納したためである。今はねむの木の庭になっている。
正田家の出自については多くが語られており、述べるまでもない。
英三郎氏は99年6月、95歳で亡くなった。終戦の年、41歳の若さで父の貞一郎氏が創設した
日清製粉社長に就任、被災した各地の工場を再建し、経営手腕と国際感覚が評価されていた。
どんな人物評も『温厚な人柄と』極めて好意的。54年経済同友会の幹事選挙では39人全員
の支持を獲得した。経営評論家の三鬼陽之助氏は『経営に対する日ごろの真剣な態度と
同時にそのふくよかな態度が、満票を勝ち得た理由』としている

あとは、叔父叔母の方たちのお話です。小和田家が長いです・・・・・ww