18 :
可愛い奥様:
まこおたからのこぴぺさせてください
【東宮妃の病状】
帯状疱疹を患い入院、以後、公務を休んでいる雅子妃の症状は、
育児ストレスから発した精神障害「心身症型自律神経失調症」。
出産後、ホルモン分泌のバランスが崩れるのはよくあることだが、
完璧主義の女性は出産後も育児の不調に悩み、ノイローゼ状態が
継続。雅子妃はストレス発散の機会が少ないまま、心身のバラン
スも崩してしまった。
もともと雅子妃は低血圧で朝が弱く、公務があるので「頑張っ
て起きなくては」と思っても、だるさ、手足の痺れ、偏頭痛、
顔のひきつりが深刻に。しかし身体に鞭打って起床し、朝食も
抜きのまま公務に出掛けるので、貧血で顔色もすぐれない……と
いう悪循環が繰り返されて来た。03年末、疲労が頂点に達したと
きヘルペス・ウィルスに侵された。
雅子妃は現在、週の半分以上は寝間着のまま昼間も東宮御所奥
私室2階の御寝所で横になる生活で、御所内での投薬治療も続け
ている。<続く>
19 :
可愛い奥様:2007/09/08(土) 01:40:51 ID:6FvRyqkF0
【原因を作った”公園デビュー事件”】
雅子妃の02年来の悩みは、「愛子内親王が傅育官だけに囲まれ、
同年代の子供と触れ合う機会が無い」ということ。1歳児の段階では
親と離れての友達遊びができるわけではないが、「今から他の子供と
触れる機会がないと、将来、友達と正常な関係が築けなくなる」……
几帳面な雅子妃は育児書通りの子育てに固執していた。
そこで雅子妃は03年1月、林田英樹東宮大夫に「お友達作り」の
対応を要請。大夫は、港区役所子育て推進課や、東京都庁福祉局
子供家庭部に、愛子内親王の「お遊び友達」となれる母子数組をリ
ストアップするよう依頼した。しかし、内務省管轄の警察組織や自
治体を総動員して候補者を探し、完全な身元調査を行ったうえで
御所に上げた戦前の「御学友」とは異なり、港区や東京都にそんな
調査能力があるわけでもなく、警察の身元調査には限界が……。
結果、このルートでの「お遊び友達」作りは頓挫してしまう。次に、
東宮女官の親戚を探し、愛子内親王と遊ばせる試みが何度かあった。
ところが、親が雅子妃に遠慮してしまうこともあり、こちらもすぐ沙汰止みに……。
「妃殿下は、かなり落ち込んでおられたのですが、しばらくして林田
東宮大夫に、『愛ちゃんを連れて近くの公園に行き、近所の子供たちと
遊ばせたい』とおっしゃり始めたのです。東宮大夫は大反対したのですが、
余りに強い御要請だったので『何度か試されるだけでしたら……』と、
渋々認めたのです」(宮内庁東宮職職員)。<続く>
20 :
可愛い奥様:2007/09/08(土) 01:41:58 ID:6FvRyqkF0
【”公園デビュー事件”の顛末】
初の「公園デビュー」は03年5月13日に、港区立みなみもとまち公園で実現。
しかし問題は2回目以降だった。「公園に雅子さまと愛子さまが来る!!」という
噂は、あっという間に近所の主婦に伝わってしまい、6月23日午前10時、再び
皇太子一家がみなみもとまち公園に現れると、情報は主婦たちの携帯電話
連絡網で一斉に広がり、ビデオやカメラを持った母子が大勢詰め掛ける騒ぎに
発展した。ビデオ撮影に成功した主婦の一部はテレビ局のに自ら映像を提供、
翌24日のワイドショーが大々的に報じてしまう。
皇太子夫妻は困惑したが、依然、公園で遊ぶことにこだわり、「暫く時間を
置いて別の場所に行く」という善後策を立てる。しかし、7月3日と15日、港区・
神宮外苑児童遊園への外出も結果は同様で、やはりビデオと写真がマスコ
ミンい流出。各メディアは美談仕立てて大々的に報じた。
たかが1歳児の公園遊び……しかし思い詰めた母親にとっては、世界的大
事件より重い出来事である。4回目の公園行きの失敗で雅子妃は塞ぎ込み、
直後の7月27〜28日に予定されていた長崎県への高校総体視察をドタキャン。
皇太子の単独出席という事態となった。雅子妃は更に、「今後の地方訪問で
2泊3日は無理。1泊2日にとどめてほしい」と要請し、秋以降の地方視察の
大部分は1泊2日となった。雅子妃は、林田
東宮大夫ら宮内庁東宮職幹部が、自分と夫の子育て方針に鈍感であることに、
強い憤りを感じているという。<続く>
21 :
可愛い奥様:2007/09/08(土) 01:43:16 ID:6FvRyqkF0
【宮内庁と東宮妃の確執@】
皇太子夫妻の側近には林田東宮大夫と小林秀明東宮侍従長がいるが、
林田は旧文部省、小林は外務省出身で、夫妻との付き合いは短く、4人の
東宮侍従も全員が他官庁からの出向組。女官は高木みどり東宮女官長ら、
93年御成婚当時からの長い者が多いが、海外生活の長かった雅子妃と話の
合う人はなく、雅子妃の周囲には、苦悩を打ち明けられる人間がいないのが
現状。01年12月の出産直後には、雅子妃が宮内庁幹部と「育児休暇」をめぐり対立している。
「妃殿下は、『育児休暇は働く女性の社会進出のためにも必要だし、
時代の流れ』として、向こう1年間は育児に専念したいと要望されました。
ところが宮内庁幹部はそろって大反対。『皇后陛下は3宮殿下ご分娩後、
すぐに御公務に復帰された』という前例と、『皇太子妃殿下が1年も公務を
休むことに世間の理解が得られるかどうかわからない』というのがその理由です。
そして宮内庁は雅子妃の意向に反し、02年2月8日の青少年読書感想文
コンクール表彰式で公務復帰されることを勝手に公表してしまったのです」(宮内庁東宮職職員)。
このとき湯浅利夫宮内庁長官が根拠にしたのが、「産後8週間を経過すれば
女性の就業が許される」趣旨の労働基準法第65条。出産2ヵ月後の公務復帰も
この条文を援用したもので、長官の役人根性も見事というほかない。ところが
元官僚の雅子妃もさるもの、「労働者が1歳以下の赤ちゃんの養育のために休暇を
申し出た時、事業者は拒めない」とする新・育児休業法の規定を持ち出し、
「皇太子妃としての自分が働く女性のモデルにならなくては」と強く反論した。
しかし、東宮御所での話し合いの結果、湯浅長官が「社会にはまだ、
育児休暇を取りたくても取れない女性が多いのですから」と説得し、結局、雅子妃が折れた経緯がある。<続く>
22 :
可愛い奥様:2007/09/08(土) 01:44:04 ID:6FvRyqkF0
【宮内庁と東宮妃の確執A】
しかし雅子妃の抵抗は続く。03年3月24日、長野市で開催の世界フィギュアスケート選手権大会が、
出産後初の地方公務として予定されたが、「4ヵ月の乳児と母親が離れて夜を過ごすのはよくない」として、
日帰りを要求。長野新幹線が開通したとはいうものの、首都圏以外の地方公務で皇族が日帰りをした
前例はなかったが、ここでは宮内庁が折れた。雅子妃は「公務を軽減し、自分のペースで携わらせて
ほしい」という言い分があるのだが、宮内庁は「皇后陛下・皇太子妃時代の御前例」を盾に、ほとんど
聞く耳を持たないでおり、育児休暇をめぐる軋轢も尾を引く結果に。
03年の雅子妃は、地方公務は12回計27日。ほぼ1ヵ月近くを地方で過ごしている。これに都内での
行事、宮中行事が加わるため、一般女性と比べれば「出張日数」は多い。この「27日」は夏以降の
2泊以上の公務が減ったうえでのもので、本来はもっと多いはず。雅子妃の過労の一端が過密スケ
ジュールにあるのは確かである。雅子妃のヘルペス発症後、湯浅長官は「お疲れについては客観的
なものが出なかったため対応が困難だった」、林田大夫は「御公務を減らしてはきたものの、
中途半端だった」と言い訳したが、24時間態勢で東宮侍医が見守っているにもかかわらず、
雅子妃の体調に注意を払わなかった宮内庁幹部の責任は大きい。<続く>
23 :
可愛い奥様:2007/09/08(土) 01:45:05 ID:6FvRyqkF0
【東宮妃の独善化】
とはいえ、雅子妃が一方的な被害者、という見方にも大いに疑問が残る。宮内庁からすれば、
雅子妃の「自己流」や「わがまま」に振り回されているという思いが強い。「妃殿下の最大の後ろ盾は、
皇太子殿下と皇后陛下です。最近は、妃殿下が宮内庁幹部と対立するとすぐに御自身で皇后陛下へ
電話で御相談申し上げ、皇后陛下が折を見て湯浅長官から事情を聴かれる、という構図があります」(宮内庁東宮職前職員)。
また、雅子妃は、田園調布雙葉学園の友人から、子供の知育にいいという外国製のおもちゃの
情報を仕入れ、購入したい旨を東宮女官に要請。しかし日本で取り扱っている店がなく、女官は似たような
商品を見つけてきたものの、「本物でなければ意味がありません。真剣に探しているのですか?」とムッとした、
というエピソードは、東宮御所内でかなり有名だという。「その事件の後、小林東宮侍従長自らあちこちの
輸入玩具代理店や総合商社に電話をして、欧州の製造元を突き止めました。そして侍従長自身の
外務省人脈を使い、おもちゃ製造国の駐日大使に連絡し、現地購入を要請、わざわざ東京まで送ってもらったそうです。
振り回された職員にしてみれば『また、妃殿下のアレですか……』とぼやくことしきり」(宮内庁東宮職前職員)。
また雅子妃は、愛子内親王にABCの歌や英単語を熱心に教えているが、かなり本格的なので、
林田大夫が「愛子内親王殿下は日本皇族なのですから、まずは、日本語から教えられてはいかがでしょうか?」
とアドヴァイスした。これに対し雅子妃は、「愛ちゃんの教育は私どもが責任を持ちます」と不機嫌になったことも。
「雅子さまは御婚約前からキャリアウーマンのイメージが強いですが、これは明らかに”作られた虚像”。
確かに仕事はできるし、官僚としての事務処理能力には優れていましたけど、外交官として大切な人脈づくりは
得意ではなかったのです。もともと彼女は友達が少なく、内向的な性格。生真面目で融通が効かず、
原則論に固執する癖がありますね。育児に集中し柔軟な対応ができないのも、彼女の性格が影響しているのだと思います」(全国紙社会部デスク)。<続く>
24 :
可愛い奥様:2007/09/08(土) 01:46:10 ID:6FvRyqkF0
【今後の東宮妃】
当面の焦点は休養期間だが、宮内庁は、2004年3月下旬に予定されていた皇太子夫妻初の訪米を完全に見送り、
4月29日に佐賀県で開かれる「みどりの愛護の集い」で復帰させたいと考えている。これに対し雅子妃も心境を記した
文書で、「なるべく早く公務に復帰」と明記。しかし一方で「体力と気力が充実させるまでにはしばらく時間がかかるかもしれない」とも。
「実は、妃殿下は、今度もまた『年末まで公務を休むことはできないでしょうか』と懇願されておられます。
『春までの御静養』も、2〜4月は皇室行事が少なく、それまでなら休養が目立たないという湯浅長官と林田大夫の思惑で発表されたのですから。
妃殿下は精神・神経系統の御病気なので、本来、治る時期を明示することなどできません。
東宮侍医の中にも、それはおかしいと言っている人もいます」(某東宮侍医と同窓の内科医)。
ただ、雅子妃が「年末まで」と主張するのも、自身の病気治癒のためというより、「3歳まで子供は母親が家庭で育てるべきである」という、
いわゆる「3歳児神話」に取り付かれている(12月で愛子内親王は3歳)からだという。
「3歳児神話」は小和田優美子夫人が強く信奉しているが、児童発達学的にはほとんど根拠が無い。この問題に関しては、
雅子妃と宮内庁が原則論を捨てて双方の対立を公表する以外に、解決の道は無い。(2004年1月記)