大阪人が嫌いな奥様part2

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125可愛い奥様
【大阪人ってどういう人?】

朝鮮人気質を持ちながら、そのすべての面において朝鮮よりもショボく、スケールの小さい、

小さな小さなリトル朝鮮人の人々。チビッコ朝鮮人。小日本ならぬ小朝鮮。

中華思想を持ちながら、中国朝鮮よりショボい、小さな小さな「大阪中華思想」を持っている人々。

チビッコ中華思想。気質が似ている分、朝鮮人、中国人からしたら、赤子の手をひねるように組みし易い人々。

行政は朝鮮人、同和に乗っ取られ、東京の10分の1にも満たない中国人に公道を占拠され、勝手にシナ市場を開かれ、

それを自力で排除することも出来ず、10年間もほったらかし、びっくりした東京のテレビ局が全国放送で晒しても変わらず、

一年後に「まだ変わってないよ〜ゲラ」と晒されてようやく、一旦沈静化w自浄能力たぶんゼロ%の人々。

同和、層化とつながりが深く、韓国大好き、コリアンビレッジ、ヨン様に会いたい、コリア国際学園開校、

キティちゃんのまわしをつけて、土俵に上がろうとする・・・こんな女性知事を選んどいて、

「フサエを何とかしてれーーー」と真顔で言える。こんな人々。

外国人の参政権を支持、帰化朝鮮人丸出しの人々。層化大好きの人々。

それでも、自分たちの住むところは日本一で、中心で、素晴らしく、自分たちは優秀だと。大阪中華全快の人々。

過去の歴史を誇るくせに、自分の祖先は語らない知らない人々。常に自己陶酔していないと気がすまない人々。

常に自分たちが優位で自分たち以外は下だと思っていないと気がすまない人々。
126可愛い奥様:2007/06/22(金) 21:45:22 ID:1IDhNxEB0
【大阪人は何故ウザいのか?その答えは江戸時代にある】

江戸時代の大阪は、経済特区で様々な特権を与えられ商都として発展した。

一部の武士、富商を除いて、90%の大阪人は丁稚やそれ以下。丁稚は農村社会からはじかれた犯罪者など。

土地も持たず、資産も無く、あるのは自分の身一つ。人権や生活保護も無い時代。隷属的生活。

富商には納税義務があったが、丁稚やそれ以下の零細商人にはなかった。払いたくても払えなかった。

幕府もそれを了承した。士農工商Bに入れなかった。まさに棄民扱い。済州島の人と同じ。

丁稚の生活は1日12時間労働が基本で、休日は盆と正月のみ。50人入れば半分は病気で死ぬ。

丁稚と平手代はいつでも解雇できたので、だいたい15〜6になるまで病気になって実家へ帰された。まさに使い捨て。

「天下の台所」の歯車として搾取された。株仲間というギルドを形成したので、下から這い上がるのは困難だった。

衣食足りて礼節を知るというが、大阪人にそんな余裕は無かった。他地方の農民や職人などとは違う。

年貢払っとけば、楽できた。農民の落ちこぼれの大阪人が農民を憎むのも仕方が無い。

大阪人の自己中、事大主義、依頼心の強さ、虚言癖、捏造好き、異常なプライド、帰属意識の無さなど

朝鮮人と同じような気質は、苦しい生活環境から生み出された。朝鮮と同じ生活レベルだったのだ。
127つづき:2007/06/22(金) 21:46:24 ID:1IDhNxEB0
こんな状況で、和の文化も儒教も、忠義も江戸しぐさも粋も育つ訳がない。ありえない。

一部の上流層を除いて大阪人は今のウザい性質を磨いていったのだ。松尾芭蕉も大阪を嫌がった。

明治以降、上流層が芦屋などの阪神間に移住し、大阪は丁稚しかいなくなった。そこへ済州島から

難民が大量に移住し、丁稚+済州島の棄民コラボレーションが完成した。

彼ら同士がくっつき、帰化することでますます香ばしくなっていく。岸和田はその最先端を行く。

【松尾芭蕉も嫌がる江戸時代の大坂人】

「元禄元年(1688)の4月13日に、旅の松尾芭蕉は河内から大坂へ入り八軒家の宿に泊まった。

いまの天満橋の南詰めあたりである。三十石船の発着で昼夜を問わず騒がしい。

「気づまりで興を失うた」「無礼者が多く倦んだ」と、江戸へ手紙を書いて嘆き、早々に兵庫へ向けて発った。

大坂の町や人が肌に合わなかった。大阪のせわしなさや無作法は、元禄の昔から変わらない。」

「大阪学」 大谷晃一(帝塚山学院大学名誉教授)

http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/letter/takutai01.htm 大阪でうんざりした芭蕉