秋篠宮紀子嫌い全員集合112 半眼贔屓

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40可愛い奥様
噂の真相 1993年 4月号
皇太子妃・雅子を生んだ 小和田家の犯罪のルーツを徹底追跡!

【要約】
祖父・江頭豊こそ水俣病を タレ流した公害企業・チッソの社長をしていた人物であり、
六年前、一旦浮上していた小和田雅子の名前が妃候補からはずされたのも、
その存在 が最大の理由だったといわれている。

1988年の初め、当時の宮内庁長官・富田朝彦が皇太子に「チ ッソの件が付随しますから、お諦めください」
と進言していたことを、 後に富田自身も認めているほどだ。

ところがその5年後、小和田雅子は再び妃候補に浮上し、今度はそのまま皇太子妃に決定。
宮内庁は内定に際し、自らこのチッソ問題をこう説明した。

「江頭氏は社長といっても水俣病が発生した後に日本興行銀行から派遣されたもの。
公害病発生とは無関係で責任はない」「水俣病は既に和解が進んでおり、解決済み。地元でもチッソについて悪い反応はなくなっている」と
管野弘夫東宮大夫や山下和夫東宮侍従長が内定前から、記者相手のブリーフィングなどで
しきりに『江頭氏に責任はない』ということを強調していた。
水俣病といかに無関係かを説明する幹部もいた。
さらには藤森昭一宮内庁長官が、会見で正式に『(江頭氏に)法的責任がないことが判明した』と言明したのも異例中の異例。

しかもマスコミは宮内庁のこうした説明にいっさい疑義をもつことな く鵜呑みにし、言い分をそのままたれ流した。
江頭豊が日本興行銀行からチッソ専務取締役となったのは、1962年。64年には副社長、同年暮れには社長に昇格している。
公害<発生時>にいなかったという意味では、宮内庁の説明どおりかもしれない。
むしろ、江頭は水俣病問題の処理のためにメインバンクの興銀から送り込まれたカタチになっている