「皇太子殿下がお茶会をなさいますので、おいでいただけませんか」
という連絡が東宮職の侍従の方からあったのは昭和六十二年の十月でした。
お茶会というのは、宮様が御所に女性の方をお呼びになって一緒にご歓談
されるという会で、私も以前、ご一緒させていただいたことがありました。
宮様お一人では、ちょっと気詰まりだし、同窓だった私を同席させて、話
をはずませようということだったんでしょう。その時は、女性二人と宮様、
そして私という顔触れでした。ですから、これが二回目となります。
「どなたがいらっしゃるのですか」
と聞くと、
「小和田雅子さんという外務省の方がお一人です」
ということでしたが、それを聞いて「アレッ」と思ったんですね。という
のは、宮様はたいへん慎重な方ですから、女性を一人だけ呼ぶというのは、
「これはちょっと特別だな。前回とは違うな」という直感が働いたんです。
そのお茶会が東宮御所で開かれたのは、昭和六十二年の十月二十四日の
土曜日でした。私はその時、雅子さんに初めてお目にかかりましたが、
雅子さんは、同じ年頃の女性に比べれば身のこなしにスキがなく、お話の
され方もとても丁寧で、宮様の話にじっと耳を傾けていらっしゃいました。
宮様も、学生時代に何をやっていたとか、どこに旅行されたとか、いつ
になく積極的にお話をされてました。
その後、すぐに私はイギリスに留学することになり、帰国したのは平成
三年の二月ですので、この間、お妃問題についてどのような動きがあった
のかはまったく知りません。
私が帰国したとき、宮様は記者会見で言われた「三十歳までには…」と
いう年齢を過ぎておられましたが、お妃問題は進展していないようでした
し、宮様が、結婚に消極的な気分になっていらっしゃるといったことも洩
れうかがいました。私も何かお役に立てるのならと思い、お側の方とお話
をしたことがありましたが、
「『このようないい方がおられるのですが』と殿下にお薦めしても、
『小和田さんはどうなのかな』とおっしゃるんです」
ということでした。ただ、まだ当時はチッソの問題などもあって、宮内
庁としては雅子さんとのお話を再開するところまでは至ってなかったので
しょう。