皇太子と雅子様 夫婦別々の食卓

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776可愛い奥様
皇太子夫妻が、子作りに熱心ではなかったと思われるソース

週刊文春 06年2月23日号
 元宮内庁関係者が明かす。
 「天皇皇后が『お世継ぎ』を望まれるご意思は強く、いわば『デューティ(義務)』
だとお考えでした。ところが皇太子ご夫妻は『子どものことは自分たちで考える』
というお考えだった。その後も天皇皇后は、皇太子ご夫妻が四年間も子宝に
恵まれないことについて何の対策もお取りになっていないことをお知りになって、
さすがにご心配が募られたようです。そこで、宮内庁御用掛で皇后さまの掛かり
つけ医であった産婦人科医の坂元正一氏にいろいろとご相談されました。ところが
坂元さんは皇后の信頼が厚いためか、皇太子ご夫妻から警戒されてしまったそう
です。坂元さんは『自分のことを両陛下の側の人間だと思われるらしく、敬遠され
てしまう』と嘆いていた」 そこで坂元御用掛の代わりに東宮侍医長が皇太子
ご夫妻におうかがいを立てることになったという。97年頃のことだ。「東宮侍医長は
温厚な人だったので苦慮したようですが、失礼なことは承知の上で、
『基礎体温表を出していただけないでしょうか』とお願いに上がったのです。それが
皇太子ご夫妻のご不興を買ってしまった。『他人が口をはさむものではない』
と厳しいご返事をいただいたと聞きました。その後、東宮侍医長は遠ざけられ、
雅子さまへのお目通りは一切許さなくなり、連絡はメモのやり取りだけに限定された
そうです。彼はまもなく東宮御所を去ることになりました」
777可愛い奥様:2006/06/13(火) 21:12:00 ID:swPJwDpV
噂の真相 2000年2月号

「結婚5年目に入る直前の97年4月くらいに、プロジェクトチームができ
たようですね。中心になったのは坂元正一東大名誉教授。 この坂元
教授が東大の教え子たちの中から、不妊治療のスペシャ リストを選ん
でチームを作ったのです」 (宮内庁病院関係者) 「不妊治療のプロジェ
クトは現宮内庁長官の鎌倉節の肝煎りで坂元 教授に依頼してスタート
したんですが、スタート直後、坂元教授が 皇太子本人に意志を確認した
際に、本人から 「自分たちで計画的にちゃんとやります」 ときっぱり断ら
れているんです。その後も鎌倉長官は、いろんなルートを使って打診した
ようですが、皇太子は頑としてクビをたてにふらなかったらしいですね」
(元宮内庁担当記者) 「雅子妃は当時、不妊治療と名のつくものをすべ
て遠ざけていたほど。主治医にさえ脈をとらせず、体重も教えないほどの
徹底ぶりだったようです」(同) そして、皇太子夫妻の拒否によって計画は
頓挫。体外受精の権威を擁しているはずの「チーム」も具体的には何の
治療行為もないまま、98年初め、 いったん解散している。