1 :
可愛い奥様:
時々、ああなんだか良いこころだなあ
頭が下がっちゃうなあと思う事があるのですが
どこのスレに書いていいかわからないので立ててみました。
思いついたらぼつぼつお願いします。
2 :
可愛い奥様:2005/07/15(金) 15:33:22 ID:J7ydRloI
デブの女の人がシルバーシートに我が物顔で座ってた事
3 :
可愛い奥様:2005/07/15(金) 17:18:48 ID:r8vjwG5I
公衆トイレのウンコを流さないで放置してあること
4 :
可愛い奥様:2005/07/15(金) 17:19:42 ID:Loya/Bu0
>3
中国人や台湾人はそれ普通にやるよ
5 :
可愛い奥様:2005/07/15(金) 20:03:35 ID:aAy6gVbT
中国はトイレ普及遅れてるものね。
関西に行くと公衆トイレに「使用後は流しましょう。」て張り紙があった。
その辺から来る民族が多いって事でしょうか。
6 :
可愛い奥様:2005/07/15(金) 21:26:51 ID:P2e7R80O
中国人女性は、平気で道端で用を足している。
民族のバイタリティーを感じさせる。
7 :
可愛い奥様:2005/07/15(金) 21:28:39 ID:ayUuBs/M
8 :
可愛い奥様:2005/07/15(金) 21:30:50 ID:/o/64gq8
自動改札に2枚同時に切符をいれれること
9 :
可愛い奥様:2005/07/16(土) 16:29:03 ID:ZDc4HqcG
音を出さずにオナラができること
10 :
可愛い奥様:2005/07/16(土) 20:59:32 ID:FgacdH8v
はなをかんだ後、ティッシュを開けて中味を見ている人が多い。
11 :
可愛い奥様:2005/07/16(土) 23:59:33 ID:JKWAN0U3
585 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2005/07/05(火) 02:04:11 ID:FIupOoZY0
雨の夜、自転車で駅に向かう途中、曲がり角に差し掛かると突然原付がぶつかってきました。
あまりの痛さに声も出せずにうずくまっていると、最初は大丈夫ですか?と声をかけてきていた運転手が
私の返事がなくて怖くなったのでしょうか、いきなり逃げ出しましたw
痛いのと悔しいので泣きながら家に戻ると(現場は家からほんの1qくらいのところでした)
何を思ったのか母親が家の外に飛び出していきました。
車のエンジンをかけ、そのまま車を走らせどこかへ行く母親を唖然と見送り
仕方がないので救急箱をあけて自分で手当てをしていると、しばらくして母親が戻ってきました。
どうしたの?と聞くと「犯人つかまえた!」というのです。
私はうずくまってて事故相手の顔も原付もどんなだか覚えてないのでそれは有り得ないよと笑っていましたが
すぐに交番のおまわりさんが来て事情を聞いてびっくり。
母は車で近所を徘徊、すると雨の中、夜なのに懐中電灯も持たずに原付を止めて車体を見ている男を発見。
娘をひいた犯人だと確信した母は車を降りて、どうかしましたか?と声をかけました。
すると男は「ちょっとこすっちゃったみたいで・・・」と言ったので
「ナンバー覚えましたよ。あなた人をひいたでしょう」というと
原付に飛び乗ろうとしたので押さえつけて肩にかけていたそいつのカバンを奪い携帯で110番したそうです。
なんていうかあまりにも無謀な母に驚きました。
身長も150pしかないくせに男の人につかみかかるなんて。
その後わたしの怪我を見てかわいそうだとわーわー泣き出した母は別人のようでした。
12 :
可愛い奥様:2005/07/17(日) 01:21:08 ID:4vSwf+yQ
13 :
可愛い奥様:2005/07/17(日) 16:49:11 ID:c5oePzvK
クルマを運転している人で、信号待ちのときに、鼻くそをほじくっている人が多い。
14 :
可愛い奥様:2005/07/17(日) 17:41:31 ID:YFH6vf9r
>>3 そういえば、チェゲバラの旅行記読んだら
南アメリカ北部では便器以外の床に拭いた紙を捨てるのが
習慣になってるって嘆いてた。
チリ人女性には不思議な性的魅力があるとも書いてて、
アニータを思い出した。
15 :
可愛い奥様:2005/07/18(月) 11:26:11 ID:aYsPfHjm
ウンコの中に、ニンジンやトウモロコシがそのまま残っていること。
16 :
可愛い奥様:2005/07/18(月) 16:08:08 ID:gPtNw+qn
便秘が続くと、オナラばっかりで、ミが出なくなること。
17 :
可愛い奥様:2005/07/19(火) 21:16:38 ID:i4lCW41p
鬼女板にこんなに汚いスレがあったこと
18 :
可愛い奥様:2005/07/19(火) 21:18:09 ID:5yLHwdAo
おかしいなあこんなはずじゃなかったのに・・・ま、いっか
19 :
可愛い奥様:2005/07/19(火) 21:32:41 ID:iNsscT67
>>18=
>>1さん?
かわいそうに・・・
ま、いっかじゃないよ、諦めるなよw
20 :
可愛い奥様:2005/07/19(火) 21:37:45 ID:qu9jdTMQ
>11は感心したというか感動しました。
「母は強し!」ですね。
自分も娘がいるので、同じことをすると思う。
ただし、11に出て来たお母さんの様な直感力には自信ないけど。
21 :
可愛い奥様:2005/07/19(火) 22:43:37 ID:5yLHwdAo
応援ありがとう。>11みたいにイイの見つけたらすぐ貼ります。
22 :
可愛い奥様:2005/07/20(水) 13:08:57 ID:c6KwgNcH
知人の娘が3歳で亡くなった。
ウイルスが脳に入ったかなんかの病気だったと思う。
入院して1週間だった。
娘が入院してる時、知人の奥さんが病院のベッドで寝ついた我が子を見て
缶コーヒーを買いに外に出ようとしたら、
寝ていたはずの娘が「おかーさーん」と呼んだ。
奥さんがあわててベッドの傍に戻ったら
「おかーさん、心配掛けてごめんね」
と3歳の子供とは思えない言葉を消え入るような声で言って、
小さな手で奥さんの手をきゅっと握ったらしい。
それが最後の言葉だったとか。
23 :
可愛い奥様:2005/07/20(水) 13:16:57 ID:aP26vGDV
祖母が弱ってきて、寝たきりになった時、遊び盛りだった私は
見舞いにも行かなかった。
母から、もう何もわからなくなってしまって意識もない、いよいよだと
聞かされて、さすがに心苦しく思い顔見せに行くことに。
病室に入ると、やせ細った姿の祖母がいました。
母に「手にぎってあげなさい」といわれ、そっと握ると
意識のないはずの祖母が手を強く握り返してきて、目からは涙が・・・
握った手のぬくもりから、幼い頃手をつないでいろいろなところに
連れて行ってもらった記憶か蘇って号泣してしまいました。
祖母がなくなったあと、遺品の中からスケッチブックが。
まだ意識のあった頃に病室で書いたと思われるそれには
私や、孫たちの絵で埋まっていました。
24 :
可愛い奥様:2005/07/20(水) 18:42:16 ID:nQsQeEJn
高校生の時に付き合ってた人がデートの別れ際に私の目の前に交通事故にあった。
私が救急車をよんで彼は「全然大丈夫だから」と言って救急車に乗り込んだ。
ほんとにその時は全く平気っぽくみえて私も安心していた。でもその夜に彼が死んだ。
なんにも感じなかったし、彼が死んだことを受け入れられなかった。
お葬式の日も私は全く悲しいとかそういう感情もなくて、彼が死んだことになにも感じなかった。
そんな自分を責めたりもしたけど、どうしても悲しくなかったし、泣くこともできなかった。
周りはすごく私に気を使ってくれたんだけど、そう言う風に気を使われるのも私にとっては
うっとおしいだけだった。
半年ぐらい経って友達と死んでしまった彼のことを話していると
なぜだか急に涙があふれてきて私は泣き崩れた。自分でもびっくりするぐらい涙が出て、
悲しいって感情は無いのにどうして涙だけが出るのかわからなかったけど、
彼氏が死んでから半年経ったその時私は初めて泣いた。
25 :
可愛い奥様:2005/07/20(水) 19:58:44 ID:6j0GNBXj
ガンで3年前に亡くなった主人。
看病疲れでうとうとしてしまうと、必ず
自分の布団を私にかけてくれていた。
元気な時は口うるさくて頑固で、何をしてあげても
感謝の気持ちも何も表してくれなかった。
そんな主人の最後の言葉は
「いろいろありがとう。ひとりにして申し訳ない」
でした。
26 :
可愛い奥様:2005/07/20(水) 21:02:01 ID:NzykDM4p
私は看護婦で病棟に勤務していたことがあります。
整形外科が主なので、まず死んでしまうことは稀で
みんな手術が終わると元気になって退院していくことが多かったのです。
しかし、そこは混合病棟で昨日まで元気に花の世話をしていた人が亡くなるということもありました。
また、小児科病棟に異動になった時には
小さな子供が病気と戦い、亡くなっていく姿に耐えられず私は看護婦をやめました。
今は、一人でも多くの人が病気で亡くならないよう予防の分野を広めようと
保健師をしています。
みなさん、『親と健康のありがたさは失って初めてわかる』って本当ですよ。
27 :
可愛い奥様:2005/07/20(水) 21:45:48 ID:55e6UxEP
20歳の頃、一人暮らしをしていた私は遊びほうけていた。
たまに実家に帰ると、小学生の頃から飼っている老犬が気だるそうに顔を上げて
私の帰りをよろこんでくれた。
尻尾をフリながら出迎えてくれていたが、繋がれた鎖はそのままで
散歩に行くことさえ俺は億劫になり、用事を済ませては、すぐに実家を後にした。
そんなことが1年くらい続き、21歳の誕生日に母から電話が入った。
誕生日のお祝いの電話と昨日、犬が死んだとの事の知らせだった。
なんだか不思議な運命を感じながら、しばしの間散歩に連れて行ってやれなかった
ことを悔やんで、泣いた。
28 :
可愛い奥様:2005/07/21(木) 06:15:34 ID:X7EJ6I6o
私の祖母は今年の6月に死にました。
祖母は両親以上に私のことに気を使ってくれて、
家族の中では一番世話になったといってもいいくらいでした。
今年の4月、私は進学のため実家を離れることになりました。
そのとき祖母は癌でいつまで生きられるか解らなかったのですが
祖母は私が出発するとき見送りに来てくれました。
そして一ヵ月後ゴールデンウィークに家に帰りましたが、
もう祖母はほとんど寝たきりでほとんど話すことが出来ませんでした。
それからは祖母の様子を電話で聞いたりしましたが
状態はどんどん悪化していったようです。
そして6月のある日、この日も何気に家に電話しました。
いつもどおり母が出て祖母の様子を聞いたところ、
「今おばあちゃんと話せるけど代わる?」と言われました。
せっかく話せるなら話そうと思い祖母に代わってもらいました。
しかしいざ話すとなると何を行っていいのか解らず
「大丈夫?」としか言えませんでした。
すると弱々しい声で「大丈夫だよ。そっちはどうだい?」と返ってきました。
「こっちも大丈夫、元気でやっているから」とだけ言いそれ以上は何もいえませんでした。
まあどうせ夏休みに帰るからその時にもっと話そうと思っていました。
その翌日、普段電話などかけてこない父から電話がかかってきました。
嫌な予感がしていましたが、それが本当になってしまいました。
それは祖母が死んだと言う知らせでした。
そしてすぐに実家に帰り葬式がありました。
今でもあの電話をした時の事を思い出すと
最後に話せてよかったと思う反面、とても後悔しています。
話せるときに話しておけばよかったと。
29 :
可愛い奥様:2005/07/21(木) 15:12:45 ID:yYaMZ6Xo
肺ガンで亡くなった母は、医師に自分だけに告知するようにして、家族には病名を
言わないようにと言ってたらしい。
父は「ポリープがある」としか聞いていなかった。
自分ひとり病名を抱えて、退院後もガッツポーズして見せたり運動したり元気だったけど
体は痩せていった。
退院したのにどうしてと思ったのに、なぜかそれを聞くことができなかった。
ある日とても一人で動けなくなったとき、タクシーで病院に行って初めて父が母のレントゲンを
見せてもらった。肺中にたくさんの癌・・・。
そして1ヶ月もしないうちに母は亡くなった。
遺品を整理していたら母の日記がでてきた。
家族のこれからの心配ばかり綴った日記。
もっと長生きしていろんなことしたいよ、と涙のあともあった。
健康に人一倍気遣っていたのにどうして自分が?と。
最後のページには「ずっと(自分を抜きにした)家族で
暮らせるといいね,お父さん」と記して終わっていた。
もしも病名を知っていたら、会社を辞めてでも一緒にいたのに。
どうして私は退院したからと安心して会社に行ってしまったんだろう。
一人で苦しんでいたかもしれないのに。
そんな私も結婚して家を離れたけど、週1回父の所へ顔をだす。
父は毎日、自分が食べるものと同じ物を朝と夜、母の仏前へ供えている。
30 :
可愛い奥様:2005/07/21(木) 19:00:07 ID:ZPBPEZej
三つ下の妹がいました。体の弱かった妹は入退院を繰り返し、
そのたびに母が付き添うので、寂しくてたまりませんでした。
ある日、うちにいた妹に「妹なんていらない。犬の方がよかった。」
って言いました。「ワン!」って妹が言いました。半年後に妹は
この世からいなくなりました。どうしてあんなこといったんだろう。
ごめんね、お姉ちゃんがばかでした。
31 :
可愛い奥様:2005/07/21(木) 20:59:31 ID:UPXVQlQH
昔付き合ってた彼が癌で他界したと聞きました。
現旦那に会うまで、一番忘れられなかった人です。
ちょっとした行き違いから別れることになって、いい思い出しか思い浮かばない人でした。
彼以外の人と結婚して子供にも恵まれ、
幸せに暮らしてた私の元に飛び込んできた悲報でした。
共通の知人からの電話で知ったのですが
私が結婚してることもあり一報を入れるのを悩んだようです。
でも、彼から私にメッセージがあるということで連絡をくれました。
後日知人と会い、彼が私宛に書いた手紙を受け取りました。
封筒には「○○○○様」と私の名前がフルネームで書いてありました。
他界する数日前に書いたものだということでした。
その手紙は思ったよりもしっかりした筆跡で綴ってありました。
「君と別れたこと、幸せにするという約束を果たせなかったことを
ずっと悔やんできました。
でも今やっと気持ちが落ち着き、君の幸せを心から喜べそうです。
旦那さんと末永く仲良く暮らしてください。
君と再会する日が少しでも遠い日であることを願っています。」
32 :
可愛い奥様:2005/07/21(木) 21:56:21 ID:wPPjyh07
みなさん、それは感心した事なのか?
33 :
可愛い奥様:2005/07/21(木) 22:32:50 ID:20QlFLkv
私が彼と最初に出会ったのは会社の懇談会でした。
ふとしたことから一緒に遊ぶようになり、付き合いはじめました。
私はもともと打たれ弱い性格だったので、彼にグチってしまうことが
多かったのです。
でも、彼はそんな私に嫌な顔一つせずに、優しい言葉をかけてくれたり、
励ましてくれていました。彼はグチ一つこぼさず、明るい人だったので、
「悩みがないなんていいねー。」なんて言ってしまったりすることもありました。
彼との別れは突然訪れます。彼が交通事故で亡くなったのです。
彼のお葬式に行っても、まったく実感が湧きませんでした。
お葬式の後、彼の両親から彼の携帯を渡されました。
何気なく携帯をいじっていると、送信されていない私宛のメールが
たくさんあるのに気付きました。
そのメールには仕事のグチや悩みごとなどがたくさん書いてありました。
その瞬間、私は彼の辛さに気付かなかった自分のくやしさや、無神経な言葉を言った
自分への後悔、常に私を気遣っていてくれた彼への感謝で涙が止まりませんでした。
あの日から1年以上になりますが、その携帯は大切にとってあります。
34 :
可愛い奥様:2005/07/21(木) 23:06:32 ID:0jgg8EPi
ヤフーニュースのアクセスランキング今日の1位が
「劇団ひとりのやらしい連れ込みテクニック」だったこと。
大衆のニーズか。つられて読んでしまった。
35 :
可愛い奥様:2005/07/22(金) 07:46:28 ID:4dJ4nVzY
父がガンで亡くなる何日か前のこと。姉から聞いた話だけど
父は
「コーラが飲みたいなあ。こうさ、シュワアッと酸がキいてるヤツでさ」
とコーラを欲しがったらしい。それを聞いていた母と姉は
一目散にコーラを買ってきて、自分で起き上がれない父をそっと起こして
ゆっくり飲ませたそうだ。
喉にはタンがいっぱいたまっているからか、なかなかうまく飲めなくて
コーラの炭酸ですこし喉も痛かったのか、顔をしかめたりしたけど
コップたった10分の一程度しか飲めなかったけれど
飲み終わった後に「はあ、うまい。コーラってこんなにうまかったっけ?」
ととてもうれしそうに笑ったそうだ。
親父は入院してそれまで、食べ物飲み物を欲しがったこと全然なかったから、
母も姉もうれしくなって、残りのコーラを二人で分けて乾杯したらしい。
36 :
可愛い奥様:2005/07/22(金) 21:52:43 ID:dNXjaEmm
昔付き合ってた彼が癌で他界したと聞きました。
現旦那に会うまで、一番忘れられなかった人です。
ちょっとした行き違いから別れることになって、いい思い出しか思い浮かばない人でした。
彼以外の人と結婚して子供にも恵まれ、
幸せに暮らしてた私の元に飛び込んできた悲報でした。
共通の知人からの電話で知ったのですが
私が結婚してることもあり一報を入れるのを悩んだようです。
でも、彼から私にメッセージがあるということで連絡をくれました。
後日知人と会い、彼が私宛に書いた手紙を受け取りました。
封筒には「○○○○様」と私の名前がフルネームで書いてありました。
他界する数日前に書いたものだということでした。
その手紙は思ったよりもしっかりした筆跡で綴ってありました。
「君と別れたこと、幸せにするという約束を果たせなかったことを
ずっと悔やんできました。
でも今やっと気持ちが落ち着き、君の幸せを心から喜べそうです。
旦那さんと末永く仲良く暮らしてください。
君と再会する日が少しでも遠い日であることを願っています。」
37 :
可愛い奥様:2005/07/22(金) 22:52:12 ID:8RwIYSf9
高校生の時、私はスーパーでバイトをしていました。
大きくはないけれど市内に店舗が6店ありお正月は
全店合同での新年会がありました。新年会も終盤に
なったころ、うちの店長から実は社長が手術で翌日
入院すると聞かされました。
次の日私は定期を買いに駅まで行き、偶然札幌の病院に行く
為、小さなバックを持った社長と店を抜け出して見送りにきたと
思われるエプロン姿の奥さんを見つけました。挨拶しようかどうか
迷ったけどアルバイトの私の事なんて覚えてないかなと思い声を
かけませんでした。そして数週間後、私はバイト先で社長の死を
知らされました。ガンだったそうです。。。旅行に行けば従業員
全員にお土産を、修学旅行には餞別やお年玉をくれる優しい社長
でした。バイト後、1度家まで送ってくれたこともありました。
あれから7年。後を継いだ息子さんは売上の悪かった店を次々
閉店し今では2店舗。私の働いていた店もなくなってしまいましたが
私はなぜあの時、ひとこと声をかけられなかったのだろうといまだに
悔やみます。
38 :
可愛い奥様:2005/07/23(土) 10:36:36 ID:a5vKKyvr
妹の友だちだった。
幼い頃から脳の病気を患っていて、手術の繰り返しで四肢もまともに
機能しなくなってしまって、それでもがんばって歩いて学校に登校
していた。
小学生の頃、一度帰宅時間にその子と一緒になったことがあって、
友だちの姉として面識の会った私はなんとなく一緒に帰ることに
なった。
片足が麻痺していて歩くのにとても時間がかかるその子。
私はその日遊ぶ約束をしていて、正直早く帰りたくて仕方がなかった。
会話もあまりはずまなくて、その子の家まで送るべきだったのに、
「いいよ。私ひとりで帰れるよ」
と言うものだからそれに甘えて途中で別れた。
数年後、あの子が長くないと母に教えられて妹と見舞いに言った。
個室で、脳の病気のせいでその子とわからないくらい頭が肥大していて、人工呼吸器も苦しそうで意識は殆どないようだった。
その子の母はもの凄く冷静で、淡々とあと一週間かなとつぶやいてた。
母は号泣していたけど、私と妹はなんと言ったらいいかわからなくて、
ただ突っ立ってその子を見守っていた。
まだ15歳だったのに、そのまま死んでしまった。
その子の家に行ったら、まだ部屋がそのままになっていて、机に
飾られた写真、元気そうに笑ってる写真を見ていたら一緒に帰った
あの日のことを思い出した。
「おねえちゃんおねえちゃんって、**はひとりっこだからすごく
嬉しそうだったのよ」
そんなこと言われて、おうちまで送ってあげればよかったなと思ったら
涙が止まらなかった。
ごめんね。
39 :
可愛い奥様:2005/07/23(土) 20:24:55 ID:6mJiE/lg
看護学生だった頃の話。
受け持った患者さんはずっと昔に家族と生き別れになった方で、
生活保護をうけながら1人で生活されている方でした。
面会にくる家族もなく、もう最終末期、今週一杯持つかという
状況でした。
ある日、検温に行き、何事もなく終え、部屋を出ようとすると
酸素マスクのしたで何か必死に言ってる。何回聞いてもうまく
聞き取れず、繰り返すこと10回近く。よく聞くと、「水」
と言っていて、吸い飲みから水を口に入れました。すると満足
され、目を閉じました。それを見て部屋を後にしようとすると
消えてしまいそうな声で「あぁ・・・・」と聞こえ、振り返ると
手招きしています。
また何かを必死で言っていますが、聞き取れず、「ごめんなさい、
もう一度おっしゃっていただけますか?」と言うと、酸素マスクを
外し、とぎれとぎれに、しかしその方にとって精一杯の声で
「あ・・・り・・・が・・・と・・・」
と私の手をとり、おっしゃいました。毎日悪くなっていく患者さん
をみるのが辛くて、実習に行きたくなくなってしまったり、正直
その患者さんを見るのが恐くなっていたので、そんな自分に情けなく
なり、思わず患者さんの横で泣いてしまいました。
その患者さん、翌々日の朝、私が病棟についてしばらくして
お亡くなりになりました。なくなる瞬間にもご家族の方は誰もおらず、
私と病棟スタッフが立ち会いました。
あの「ありがとう」は今まで聞いた「ありがとう」の中で、
最も重たいありがとうでした。私のほうがお礼を言いたい気持ちで
一杯です。
40 :
可愛い奥様:2005/07/23(土) 22:03:06 ID:JMwtpV38
私の母は躁鬱病で入院していました。
ある日、母が入院していた病院から「お母さんおうちに戻られてます?」と電話がありました。
まだ退院は先だと思っていたので不安になって「帰ってませんが、うちの母病院にいないんですか?」と聞くと、
「こちらの手違いかもしれません。」とだけ言われました。
心配になって家で1人オロオロしていると、父からすぐ電話がありました。
私が「ママどうしたの?病院にいないって。」と言うと
「ママは今パパと一緒だから大丈夫だよ。」と父は言いました。
安心して家で待っていると、伯母が急にやってきて母が病院のそばで自殺したと告げました。
私は伯母に連れられて泣きながら既に葬儀場にいる父の元へ行きました。
父は確かに母と一緒でした。
電話で私が母の事を聞いたとき、あまりの悲しみに私にどう伝えていいか分からなかったようです。
この日生まれて初めて父が泣き崩れるのを見ました。
41 :
可愛い奥様:2005/07/24(日) 13:46:56 ID:5gp3cykv
幼い頃、隣家に住んでいたおじさんが、夕方に近所をぐるりと
散歩するのが日課で、帰り道などによくすれ違って軽く挨拶
をしていました。
しかし、いつのまにかそのおじさんの姿が見えなくなって、たいして気にも
止めていなかったのですが、ある日突然母におじさんが亡くなった
ことを知らされました。
隣の家に挨拶に行きました。大きい人だったから大きなお棺に窮屈
そうに入って、目を閉じてしんとしているおじさんを見て、あの
外を散歩していた人と同一人物だとはとても思えなくて、子供だった
私はひどく混乱しました。
その日以来、あたりまえですが外を歩いてもおじさんがいないんです。
あたりまえのように存在していた人が消えてしまったこと
が、いなくなってしまったことがひしひしとわかって、
このとき初めて死というものを知ったような気がします。
42 :
可愛い奥様:2005/07/24(日) 16:12:41 ID:ZPvj9nRX
高校生の頃のことです
叔母が入院したので、母と一緒にお見舞いに。
その病院は私の姉が入院していた病院で、
姉は白血病のため、4歳で亡くなっていました。
まだ私が生まれる前の出来事で、
ほとんど姉の事は聞くことも無かったため、母に
「この病院にお姉ちゃん入院していたんだよね」と話しかけました。
「来たついでに入院していた病室見て行こうか」と母は言いだし、
姉がいた病室前に行きました。
そこはすでに病室では無く、風呂場になっていて、母も
「ここもずいぶん変わったなあ・・・」と感慨深そうに
「ここに病室があって、ここにお店があって、お菓子を買った。」と
当時の院内の様子をいろいろと話しだしました。
それまで姉のことをほとんど口にしなかった母としては珍しいことです。
「それで、最後はなんでお姉ちゃん死んでしまったの?」
なんとなく姉の最後の様子を聞きたくなっただけなのですが、
母から返って来た言葉は
「お金が続かなかったんよ・・・」
それまで懐かしそうに病院の説明をしていた口調とは
うって変わった、重い一言でした
裕福ではない我が家では長期の治療費、
特にひきりなしに続く輸血代金の捻出は相当厳しく、
金の切れ目が、我が娘のこの世との切れ目とさせてしまった無念さが
それきり無言になってしまった母の背中からにじみ出ていました。
そして、なぜ姉の事は口にしなかったのかも。。。
どうしても女の子が欲しかったからもう一人生んだ。それがお前だ。
元気に育ってくれたし、これからも元気でいたらそれだけでいい。
といってくれるお母さん、いつも親不孝者してごめんなさい。
43 :
可愛い奥様:2005/07/24(日) 21:55:44 ID:q6/QS7Hw
私は小さい時から中耳炎で、しょっちゅう耳が痛くなって治療のために耳鼻科に行っていました。
小学校に入ると私が耳鼻科に行くために学校を休んだり早退したりすると
クラスの子に「病気でもないのに、授業を受けたくないから仮病を使っているんだ」と
散々からかわれて辛い思いをしていました。
うちの母は片耳が難聴で聴こえないんですが、おばあちゃん(母方の)がそれを気にしていつも
「ごめんね、お母さんの耳が悪いから○○ちゃんの耳も悪くなってしまって」と私に謝るのです。
小学3年生のある日、おばあちゃんが急にうちに遊びに来て「これから巣鴨に行こう」と言い出しました。
当時は子供すぎて巣鴨に何があるなんて知らなくて、ただおばあちゃんと出かけるのが嬉しくてついて行きました。
巣鴨に着くとおばあちゃんは長い行列に並んで
「ここはとげぬき地蔵様があるんだよ、お地蔵様の自分の体の悪いところを洗うと
身代わりになって治してくれるの」と言いました。
私たちの順番になるとおばあちゃんはシワシワになった手でタワシを持ってお地蔵様の左耳を
ゴシゴシと擦りながら「○○ちゃんの耳がよくなりますように」と一生懸命洗ってくれました。
帰りにおばあちゃんは「あんみつ食べて行こうか」と言って一緒にあんみつを食べました。
おばあちゃんは6年ほど前に亡くなったんですが、おかげで今では中耳炎も良くなり、
ここ5年は中耳炎で耳鼻科に行ったことが一度もないくらいになりました。
おばあちゃん、中耳炎良くなってきたよありがとう。
44 :
可愛い奥様:2005/07/24(日) 23:52:51 ID:Acsu/Lkl
なんでこんな流れ?w
いい話多いからいいけど。
45 :
可愛い奥様:2005/07/24(日) 23:56:24 ID:nzkp+B6l
そういうスレのニーズがあったのか。
46 :
可愛い奥様:2005/07/25(月) 07:37:55 ID:sCh2fnnE
一昨年死んだじぃちゃん。
脳梗塞で倒れて、左脳をやられたので利き手が使えない、言語障害があるなど
結構重度だったけど、何年か入院した後は自宅療養。
新聞読んだり、こっちの言うこともわかってたし、倒れる前のじぃちゃんと
なんら変わりなく私は接してた。
でもやはり歳とともにどんどん弱っていった。(その間20年)
もう危ないと言われ、ちょうどゴールデンウィークだったので会いに行った。
ほとんど意識があるかないか、口から水分も取れなくなってきたので
明日になったらいつも来てくれている訪問看護の方に電話して
点滴にしてもらおう、って言ってたその日。
自発呼吸を補助する酸素マスクと、喉にからまったタンの音が絶えずしていたのに
ふと聞こえなくなった。あわててじぃちゃんのところに行ったらすでに呼吸停止。
ばぁちゃんは医者に電話を掛けてたが、連休中、通じない。
その場にいた私と母はもうパニックで、じぃちゃんに呼びかけたり
体をさすったり脈を計ったり…「ばぁちゃん!救急車!救急車!」
って叫んだんだけど
いつも穏和なばぁちゃんが「黙りなさい!救急車呼んだところでどうなるの!」
と怒鳴った。みるみる紫色になり、口を数回パクパクして最後にフーっと息を吐き
じぃちゃんは死んだ。
ばぁちゃんはもう助からないってわかってたんだ。医者に電話したのも
死亡確認とかそういうのの為で、医者が到着するまで
死後硬直が始まる前に、手を組ませたり、あごひもを結んだりしてた。
そしてひげを剃りながら「おじいさん、よくがんばったね。楽になったでしょ。
よかったねぇ、よかったねぇ」と話しかけてた。
その時初めて涙が出た。死に際にじぃちゃんのそばにいず、電話をかけてたのも
きっと見たくなかったんだろう。死にゆくじぃちゃんを。
私もあんなに取り乱さないで、もっとじぃちゃんをゆっくり送り出せばよかった。
それをちょっと後悔している。
47 :
可愛い奥様:2005/07/25(月) 20:01:47 ID:d8HxkLIe
私が23歳の頃、就職1年目の冬、私の誕生日の日のこと。
職場の人たちが「誕生パーティーをしてあげる!」というので、家に、「今日は遅くなるよ。
ゴハンいらないから。」と電話を入れたら、父が「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい。」
と言う。「だってもう会場とってもらったみたいだし、悪いから行く。」と私が言うと、いつもは
温厚な父が、「とにかく今日は帰ってきなさい、誕生日の用意もしてあるから。」とねばる。
「???」と思いながら、職場のみんなに詫びを入れて帰宅した。
家にはその春から肋膜炎で療養中の母と、電話に出た父。食卓にはスーパーで売ってるような
鶏肉のもも肉のローストしたみたいなやつとショートケーキ3つ。
「なんでわざわざ帰らせたの!私だってみんなの手前、申し訳なかったよ!」と言ってしまった。
父は何か言ったと思うが、覚えていない。母が、「ごめんね。明日でもよかったね。」と涙ぐんだ。
私は言い過ぎたな、と思った。でもあやまれず、もくもくと冷えた鶏肉とケーキを食べて部屋に戻った。
その2ヶ月後、母の容態が急変し入院した。仕事帰りに病院に行くと、父がいた。廊下の隅で、「実は
お母さんは春からガンの末期だとわかっていたんだよ。隠していてごめんね。」とつぶやいた。
呆然として家に帰ったあと、母の部屋の引き出しの日記を読んだ。あの誕生日の日のページに
「○子に迷惑をかけてしまった。」とあった。
ワーッと声を出して泣いた。何時間も「ごめんね。」といいながら泣いた。夜が明ける頃には
涙が出なくなった。すごい耳鳴りがした。
4,5日して母は死んだ。仕事をやめて、看病していた父も数年前に死んだ。
父が準備したささやかな誕生日パーティーをどうして感謝できなかったのか。
母にとっては最後だったのに、、、。
父も数年後に死んだ。こんな情けない自分でも、がんばって生きている。
48 :
可愛い奥様:2005/07/25(月) 21:25:44 ID:pQAq64oZ
一週間ほど旅行に行って帰ってくると猫がいなかった。
親に聞くと、私が旅行に出た日にいなくなったそうだ。
心配していると次の日、帰ってきた。
でも、ぐったりしていて、病気だという事はすぐに分かった。
獣医に連れていくと保っているのが不思議だ、でももう保って
1日くらいだと言われ、ショックで泣き崩れた。
そしたら猫が苦しいだろうに、私の手を舐めて小さく「ニャー」
と鳴いた。
その日から、猫は1週間、生きた。
苦しそうでミルクもスポイドでしか飲めなくて、何もしてあげら
れない自分が悔しくて涙が出た。
なのに、私が泣くと猫のほうが、手を舐めて私を慰めてくれた。
最後は、私の膝の上で、ちょっとだけ苦しそうに鳴いて逝った。
病気になっていた事、気付いてあげられなくてごめんね。
旅行に行って、一番苦しい時に私を捜してたのにいなくてごめんね。
無理矢理頑張らせて、1週間も長く苦しませてごめんね。
みんなに言われたよ。
「あんたに会いたかったから、帰ってくるの待ってたんだよ。
あんたと、少しでも長く一緒にいたかったんだよ」
って。そうだね、きっとそうだったんだね。
苦しかったののに、私ばかり泣いてごめんね。
私のそばにいてくれてありがとうね。
今も、あなたが大好きです。
49 :
可愛い奥様:2005/07/26(火) 00:23:45 ID:6F0yl8If
今日も良い話をありがとう。
50 :
可愛い奥様:2005/07/26(火) 08:10:32 ID:EH9VMjkZ
立て続けに読んで朝から号泣・゚・(ノД`)・゚・
51 :
可愛い奥様:2005/07/26(火) 08:21:42 ID:URahaR97
私が中学3年生のとき、お母さんは家族に見守られて亡くなりました。
私は静かに泣いていました。
数日後、病室の整理の時家族当ての手紙が発見されました。
父・兄・私宛にそれぞれ1枚ずつあり、私宛には
『○○は今も勉強嫌いで遊んでばっかりかな?遊ぶのはすごくいい事。○○は友達も
たくさんいて元気で活発ですごくいい子。でもやるべき事はちゃんとやれる人間になりなさい。
その年でかわいらしい髪型をしているあなたはきっとおしゃれさんになると思うな。
お母さんも服が大好きでした。あなたはどんな服が好きかな。できれば今風の格好じゃなくて
女の子らしいトラッドなお洒落さんでいて欲しいな。これからも自分を信じて強く生きてね。』
今私はお母さんの手紙どおりの生き方ができていると思っています。
大好きなお母さんが生きていればって思うけど、それでも前向きに生きていける
つよい自分になれるようがんばっています。お母さんも天国で強く、元気に
頑張ってね。
52 :
可愛い奥様:2005/07/26(火) 21:46:33 ID:Ly4Ja63k
私の母は私が8歳の頃に死んだ。リンパ癌だった。12月に亡くなった。
10月の運動会では私と兄がリレーの選手だったから見に来てくれた。でも、母の体は
痩せ細り1人では立っていられないほどだった。前々から母は入退院を繰り返していて、
病気だという事は父から聞いていた。でも、軽い病気と信じていた。
母も私や兄を心配させないために元気そうに装っていた。
運動会が終わって、すぐに母はまた入院した。
それから何回もお見舞いに行った。日に日に母は弱っていく。もともと細い体
が、もっと細くなり、骨と皮だけのようになってしまった。
家に帰っても、父は仕事でいないし兄はまだ帰っていなくって鍵っ子だった私。
いつも明るく装っていたけれど、ほんとはとっても寂しかった。
そんな生活が続いたある日。学校に行こうとしたら病院から電話があった。
3人で急いで病院に行った。そこには母がベッドで寝ていて、なぜか機械も外されていた。
初めて父が泣き崩れた姿を見た。それがなぜだか私には、すぐに分からなかった。
『お母さん。どうしたの?』声をかけても返事がない。すると、父に抱き寄せられ
『お母さんは天国に行ったんだよ。お母さんは今まで苦しかったんだ。
でももう苦しまずに過ごせるんだよ。一緒にさよならしようね。』やっと、母が
死んだということがわかって涙が溢れた。
その後お葬式の時は、友達が来ていて照れ笑いしていたけれど、だんだん
悲しみが増してきた。そして今。もう私は30歳になりました。
お母さん、私の姿見えますか?
辛い事も悲しい事も今まで乗り越えてきた私だから何があっても大丈夫。
心配しないでこれからもずっと見守っていてね。
これからも元気で頑張るよ!
53 :
可愛い奥様:2005/07/27(水) 20:32:30 ID:gOsdejmJ
よいしょっと。
54 :
可愛い奥様:2005/07/27(水) 20:55:06 ID:PU07CrCg
どこが感心した事やねん
55 :
可愛い奥様:2005/07/27(水) 21:10:18 ID:FMEEnuqN
おばあちゃんが風邪をこじらせて入院したと親から電話があり、
今度の休みにお見舞いに行けと言われたけど
彼氏と約束があったので、その次の週に行くことにした。
そしたらその間に脳出血を起こしてしまい
私がお見舞いに行った時にはすでに意識がなく、
もう回復する事はないと言われた。
あの時、すぐに行ってれば、最後に何か話せたのに・・・
おばあちゃん、ごめんなさい。
56 :
可愛い奥様:2005/07/27(水) 22:07:30 ID:h2O65NNc
丁度、一年前にうちで飼っていた犬が寿命で逝きました。
その日友人と学校帰りに寄る所があったので帰りが少し遅くなり発車する前の人気の無い電車の中で携帯を持っていなかった私は
友人から携帯を借り、「今から5時電で帰るから」と母に連絡をしました。
母はその事に返事をした後すぐに「ロロ(うちの飼い犬の名前)が死んだよ」と言ったのです。
「うそっ」あまりにいきなりなことだったので信じられませんでした。
母の話によると、その日の昼にロロは息を引き取ったそうです。
動物の葬式をしてくれるお寺の御住職さんは「私は40年ここで住職をしてますが、18年も生きた犬は初めてです」
と言っていたそうです。
携帯を切った後、思わず私は友人に「ロロが死んだって…」と言ってしまいました。
言わずにはいれなかったのだと、今になって思います。
携帯で聞いた事を私は友人に全て話しました。
話しているうちに涙が出ていました。友人は
「18年も一緒ってことは小さい頃から飼っていたんだからそれはつらいね」と言いました。
慰めや優しい言葉よりも、当たり前の事を言ってくれた友人には感謝しています。
しばらくして、家族とロロの墓参りに行きました。
墓参りと言っても、ペット霊園ではなく、動物専用の共同の一つのお墓なので、お墓の周りには色々な花やペットフードが
たくさん供えてありました。
お墓の両脇に犬と猫の石像が立っているのですが、犬の石像を見た時、私は驚きました。その石像はロロにそっくりでした。
大きさも同じ位でした。「この石像、ロロにそっくりだね」と私が母に言うと、母は「そうでしょ」と言いました。
帰る時に私はその犬の石像の頭を撫でてから帰りました。
またロロに会いに行こうと思っています。
57 :
可愛い奥様:2005/07/28(木) 08:36:54 ID:V/bF1/pz
ウチの母の同僚の話。
働かない夫と別れ、母一人子一人で細々と生活していたが息子が白血病に。
母子家庭で医療費はかからないものの、何とか重病の息子を助けようと
夜も寝ないで働き、仕事がないときは病院で息子に付きっきりだった。
笑顔を浮かべるのがやっとの、やせ細った息子の体は、薬の副作用で
黄色くむくんでいた。
衰弱が著しく、「もはや回復は不可能」と医者に言われ母親は黙って
病室の息子の手を握っていた。
すると息子はそっと目を開け「お母さんごめんね。親孝行できなくて。
でも、僕が死んだらそんなに働かなくてももういいんだよ。」
そう言った。
数日後、息子は11歳で亡くなった。
その子のお葬式の後
「生きててくれてありがとう」
そう母親に言われた。
58 :
可愛い奥様:2005/07/28(木) 22:26:34 ID:x4apAJoK
バイト先の店長の話です。
店長は在日中国人でレストランバーを経営しています。
顔は怖いけどいつも明るく、子どもをそのまま大人にしたような
ひとでした。
そんな店長の父親が1ヶ月の入院の後、癌でなくなりました。
店長は末っ子で父親にとても可愛がられていたようでした。その話をよく聞いて
いたのできっと店長は物凄い悲しみに打ちひしがれているのだろうと
思っていました。
しかし店長は3日後には店に出勤してきました。
いつも通りの明るい店長でした。気丈に振舞っているのだと思いました。
それから一ヶ月が過ぎた頃私は店長に尋ねました。
「僕もいい年になってきたけど、絶対親の死なんて受け入れられそうに
ないです。年齢なんか関係ないのかも知れないですけど・・・。店長は
凄いですよね。いつも通りに明るく振舞って」
すると店長がいつもとは違う少し悲しそうな顔で言いました。
「親父の葬式時に俺はずっとビデオを撮ってたんだ。葬式の様子や
きてくれた人達を。そしたら親戚の1人が俺に言ってきたんだ。「お前、
自分の父親の葬式なのによくビデオなんかまわせるな」って。確かに
おかしいのしれないけど、なんか実感がなくて。涙も出なかった。
でもいつか、もっと時間が経って、そのビデオをゆっくり見ることが
出来たら、俺は1人で泣きたい」
私はそれを聞いて「あぁ、この人は男だな」と思いました。
59 :
可愛い奥様:2005/07/29(金) 08:46:47 ID:tSrlUakx
大好きだった友達が、交通事故で死んだ。
彼に会いに行く途中だった。
知り合いの車に乗せてもらっていく途中、運転していた知り合いが
事故を起こし、彼女だけ車から投げ出されて死んだ。
即死だった。
突然の死で、通夜も葬式も全然実感がなく、ボケ〜っとしているうちに
終わった。
葬式の帰り道、桜が満開でものすごくきれいだった。
東京に住んでいた彼女は4月早々に花見を済ませ、
彼女と一緒に花見に行った友人は、彼女が桜を見ながら
彼の話を楽しそうに語り、彼から来るメールを気にしていたと言う。
「彼女はもう桜を見ることが無いんだな」と思った瞬間、
号泣してしまった。
あれから4年、桜を見るたびに彼女のことを思い出し、胸が苦しくなる。
60 :
可愛い奥様:2005/07/30(土) 09:36:52 ID:9a3bJwns
高速道路の料金所に勤める人が、ラジオに投稿した話より
料金所のブースで待機していると、1台の軽ワゴン車が
入って来た。運転しているのは70過ぎのお爺さんで、
助手席には誰かの遺影と思われる写真が。幸いなことに、
後続車が途切れていたので、私は思い切って、
『失礼ですが、どなたのお写真ですか?』
と尋ねてみた。すると、そのお爺さんは答えられた。
『ワシの家内ですわ! 長患いの末、77歳のワシを
残して、72歳で逝きましたんや! 入院中から、
“元気になったら、京都や琵琶湖に行きたいわ!”
なんて言うてましたんやけど、あかんかってな…
それで、49日も済んだし、今から京都と琵琶湖に
連れて行ってやりますねん!』
僅か20秒足らずの出来事であったが、私は大きく心を
打たれた。私は今年63歳になり、妻は還暦を迎えるが、
これからも2人で手を取り合って生きて行こうと思う。
この話を聞きながら、自分は不覚にも目頭が熱くなった。
今から13年前、自分を婚約者が肝臓ガンで亡くした。
元気であれば今年38歳、中学生か小学校高学年前後の
子供の母親になっていた筈である。自分は今年40歳に
なるが、今だ独りである。彼女の死後、何度も見合いの
話は来たのだが、全て断って来た。好きになった女性も
何人か居た。しかし、結婚まで話が進んだことは無い。
未練がましいと言われれば、そうかも知れないのだが、
最期まで自分のことを愛し続けてくれていた彼女のため、
自分は独りを貫き続けている。そんな自分であるから、
そのお爺さんの気持ちは痛いほど分かる。
桜の花が散り、初夏の気配が感じられるようになる頃、
彼女の38回目の誕生がやって来る。
61 :
可愛い奥様:2005/07/30(土) 17:36:06 ID:0EaUyCgD
伯父がホスピスに入って数ヶ月後のことでした。
お見舞いに行っていた父から「ハンバーガー買っていってやる、何がいい?」と電話がかかってきました。
うちの父はハンバーガーとか嫌いなのに急にそんなことを言うなんておかしいなと思いました。
そして父がハンバーガーを買ってきて
「これ伯父さんから“子供たちにハンバーガーでも買ってやれ、ハンバーガーならSちゃんも好きだろう”ってお金くれたから」
私は泣きながらそのハンバーガーを食べました。
それからすぐ3日後、伯父は亡くなりました。
小さい頃から伯父に迷惑をかけてばかりいた私。
伯父の「ありがとう」という言葉は一生忘れません。
私も伯父に心からありがとうと言いたいです。
そしてこれからも天国から見守っていてください。
62 :
可愛い奥様:2005/07/31(日) 11:46:58 ID:wo4UOItP
友達が、20代前半で第二子を妊娠中→検査で子宮ガン発見。
若いとガンの進行が早いこと、絶対に母体が無事では済まないこと、
お腹の赤ちゃんにも転移する可能性が高いことなどを告げられていたのに、
彼女は「子供を殺すことは出来ない」と、産んだ。
産後、全身にガンが転移した状態で、手術すら出来なかった。
命がけで産んだ赤ちゃんも、すでにガンが転移していた。
赤ちゃんは小さな体で何回も大手術をうけたけど、ダメだった。
たった半年も生きることは出来なかった。
やせ細って、意識も朦朧としている中、彼女はベッドの上で毎日毎日、
「赤ちゃんはどう?」「淋しがってない?」と周囲に聞いていた。
お見舞いに行った友達は、赤ちゃんがすでに亡くなっていることを知っていたので、
「もう赤ちゃんに会ってくれた?可愛いい?私も早く会いたい」と言われるたびに、
涙をこらえるのが必死だった。
ドラマでこういうシチュエーションの時、「私の命はどうなってもいいんです」
なんて言って、出産して、運がよければ母子ともに無事。
悪くても母親が死んで「あなた(子供)を助けるために、お母さんは・・・」
なんてことが多い。現実は全然違うんだと言うことを思い知らされた。
何一つ良い事はなかった。この事が無かったら、向井亜紀さんのように
子供を諦めたケースを「結局自分の命の方が大切なんだな」なんて
冷たい目で見てしまったかもしれない。
命がけで産んだ我が子の苦しみも、死も、何も知ることなく
死んでしまった彼女。残された3歳のお兄ちゃん。
何が正しいことなのか、わかりません。
今でも思い出すと辛くて悔しくて泣いてしまう話です。
63 :
可愛い奥様:2005/08/01(月) 07:43:08 ID:F/ZW+NAW
今から12年前、当時私には彼氏がいました。
クールで口数が少ないけどかっこいい同級生の彼のことが好きになって
私から熱烈にアタックして付き合うことになったんです。
付き合うことになったのはいいけど、
彼は私が憧れてたような愛情表現がなかったんです。
ぶっきらぼうだしいつまで経っても名字で呼び捨てだし…。
ただ、私と二人で喋ってる時はほかの人には見せないような
とても優しい目で真っ直ぐ私を見てくれてました。
それでも私は不安になってました。もしかしたら女としてではなく、
自分の姉妹を見るような感覚なのかなって。
思い切って彼に気持ちを確かめようと思ってた矢先、
彼は車に轢かれて突然亡くなってしまいました。
手を繋いだこともなく、彼のぬくもりを知らないまま
私の目の前から突然去って行きました。
押しつぶされそうな悲しさをこらえながら彼のお葬式に出席しました。
お葬式が終わり、泣きはらした目で会場に背を向けた時に、
彼のお母さんに呼び止められました。お母さんも泣きはらした目をしてました。
「これ…中身読んじゃったの…。ごめんね。あなた宛の手紙だったの…」
そういって封の開いた封筒を渡されました。
ふらふらと家に帰り、もらった封筒の中身から紙を取り出しました。
彼の字を見た途端、その場にへたり込んで大声で泣いてしまいました。
その手紙には
『○○へ 面と向かってでは どうしても照れくさくて言えないから
手紙で勘弁して欲しい。
○○のこと一番大切に思ってる。
誰よりも幸せでいてほしい人だと思ってる。 □□より』
と書いてありました。
彼は私の不安な気持ちをちゃんと察してくれてたんです。
しばらくは小さい子供の頃に戻ったように泣き狂いました。
64 :
可愛い奥様:2005/08/02(火) 07:44:52 ID:pPD1XBvF
大好きなおじいちゃんがいた
本当に大好きで、私のこともすごくかわいがってくれた
でも、私が小学二年生の時に癌でなくなってしまった
最初おじいちゃんが病院からはこばれてきたとき、なんでかわからなかった
なぜか、うちで療養するのだろう と思っていた
でも、いつまでも目覚めないおじいちゃんと しんみりとした親戚をみていると
わかってしまった
でも私は泣かなかった
通夜のせきで、お父さんが泣いていた
おじいちゃんを霊柩車ではこぶ光景を見たとき、初めて
おじいちゃんとの記憶が頭のなかにあふれた
お母さんの服で涙をふいてごまかしていた
ブランコをこぐ私 おもちゃをたくさんかってくれたおじいちゃん
昔、近所の公園に夜おにいちゃんといこうとした私を
おじいちゃんが危ないからととめた でも私はいってしまった
おじいちゃんの気持ちを考えていなかった
入院中にだって、あまり顔をださなかった
でも、今の歳になってつらくなる 大好きだったのに 大好きだったよおじいちゃん
65 :
可愛い奥様:2005/08/03(水) 07:33:08 ID:ptJy0jmP
小4の夏、縁日でウズラのひよこを買った。
今思えば、よくあるように、すでに弱っているひよこだったが、
子どもの私には単におとなしいひよこにしか見えなかった。
餌を買って名前を付けて、ずっと見てても飽きないほど可愛いと思った。
次の日の朝、どう見ても弱っているのがわかった。餌も食べてない。
でも能天気な私は学校から帰る頃には元気になるだろうと思って家を出た。
学校ではひよこのことなんて忘れていた。
下校の時間になって思い出して慌てて走って帰ってくると、
ドアを開ける音を聞いて頭をもたげ、「ピー!」と
それまでに聞いたことがないような大きな声でひと鳴きして
コクリと頭をうなだれて死んだ。
どう見ても私の帰りを待ってから死んだようだった。
66 :
可愛い奥様:2005/08/03(水) 09:36:41 ID:DLl/kAoJ
最近感心した事???
67 :
可愛い奥様:2005/08/03(水) 09:42:45 ID:AjyNka8R
なんか違うスレになってるね
68 :
可愛い奥様:2005/08/03(水) 10:44:47 ID:C+srkh8c
小さな川沿いの、人が1人通れるぐらいの細い道を歩いていると、
向こうからちっちゃい自転車に乗った4、5歳の男の子がやってきた。
通れるように片隅に避けて待っててやると「すいませーん!」と
大きな声。たった4、5歳でもしつけで、こんな事が
言えちゃうんだなー。いい年したババァや親父なんかでも
言えない奴は言えないのよ。
69 :
可愛い奥様:2005/08/03(水) 10:51:58 ID:dbpOKkow
友人が25年の住宅ローンを10年足らずで完済した。
宝くじが当たった訳ではなく、臨時の収入があった訳じゃなく
毎日の節約の積み重ねで貯金し払ったそうです。
超感心した。家の旦那の前では言わないでね、と思った。
70 :
可愛い奥様:2005/08/03(水) 10:58:43 ID:dbpOKkow
それともう一つ。
家の旦那が「2ちゃんをやるな」としつこく言うのですが
別に悪い事をやっている訳ではないと言い無視していました。
そして昨日出かけている間に、LIVE2ちゃんが消されていた。
ただの削除じゃ残ってるんだよプwと思ったがきちんと消されていた。
感心した上、とても不便。
71 :
可愛い奥様:2005/08/03(水) 11:05:49 ID:SWmhi+pE
スレチガイだけどどうしてそんなに2ちゃんを嫌がるのか知りたい。
72 :
可愛い奥様:2005/08/03(水) 13:25:39 ID:FJuNOxGr
>>65 私にも小学生の頃同じ経験あります!
5羽飼って、三日目、最後の一羽は学校帰りに玄関開けた瞬間一声鳴いて…。
待っててくれたんだよね。
73 :
可愛い奥様:2005/08/03(水) 13:34:54 ID:IIgl/JlS
天国のおばあちゃんへ
私が小学1年の時、みんなが自転車を持っているのに
親がどうしても買ってくれず、私が自転車を持っていないことで
友達から仲間はずれにされているのに気付いてくれて
かわいい自転車を買ってくれてありがとう。
でも2年生の時にその自転車で転んで頭を打ってケガをしてしまった時、
おばあちゃんがすぐ家に来てくれて「私のせいだ」と言って
すごく心配して気にしていて、転んでケガした私が悪いのに本当にごめんなさい。
おばあちゃんありがとう、これからも天国から見ていてくださいね。
74 :
可愛い奥様:2005/08/03(水) 13:57:52 ID:VvsfdxCi
俺には一つ下の彼女がいた。俺は当時バンドのギターをやっていて、彼女を少し疎かにしていたかも知れない。
ある日、仲間と学園祭に向けて練習していた日。彼女から電話があり大事な話があるとの事。
練習を中断し待ち合わせの場所まで猛ダッシュで走ると、雨が降っているのに傘も差さず(俺もだが)
ずぶ濡れで待っていた。俺も見るや否や泣き出した。
「…あのね、がっくん。私もうがっくんの彼女じゃいられないの…」
「どうして?!何があったんだ!」
彼女は泣きながら俺に話した。
学校帰りに、二人の男に「ヤられた」事。写真も撮られ、更に暴行まで受けていた。
話を訊いていると、涙が雨に紛れて頬を伝っていた。同時にその男を殺したいという感情も生まれた。
「…どんな男か覚えているか?」
俺は訊いた。すると、相手の二人組は顔を隠しておらず特徴的な顔つきだった為、見れば分かると言った。
俺は四日程街を彷徨った。そいつらが彼女にした事を償わせる為に。
そして、ついに見つけた。例の二人組の片割れが。俺は興奮した。
後ろから近づき思いっきり殴りつけた。
そこからはよく覚えていない。ひたすら殴り続けた。俺の拳は血だらけになり、果てには警察に捕まった。
学校は退学。親には見離された。相手はレイプ犯だと言うのに…そいつを殴って何が悪い?
結局彼女に会えたのはそれから一ヶ月と少し経ってからだった。
以前よりは元気を取り戻したようだったが、まだ事件の事を引きずっているようだった。
俺は本当にこの人の為だけに人生棒に振っても良いと思えた。
それから数ヶ月。彼女は自殺しました。
霊安室にはいつもと変わらない、寝てるだけのような彼女がいました。
そこでした最後のキスは、冷たく…死の味がした。
…日本でも性犯罪が多いけど。
加害者はただヤりたいだけだろうがな。被害者は泣き足りないくらい辛いんだ。
俺の彼女みたいに自殺する人だって多くいるだろう。
既女の皆さんにお願いだ。やろうと思ってる奴、今なら遅くない。人が傷付く前にやめろ。
やった奴、俺がぶっ殺す。
75 :
可愛い奥様:2005/08/03(水) 14:11:34 ID:dbpOKkow
いや・・気持ちは分かるけど、既女に言っても・・。
でもってスレタイ読んでる?
てかコピペかなぁ。
76 :
可愛い奥様:2005/08/04(木) 00:54:43 ID:FbSKGCJZ
高速道路の最高速度が100`になっていたこと!
77 :
可愛い奥様:2005/08/04(木) 06:33:54 ID:DJQPT9WI
スレタイが「感心したこと」なのに
中身は「身近な人が死んだ時のスレ」なんだね。
こぴぺまでして、ネタスレにしなくてもw
78 :
可愛い奥様:2005/08/04(木) 06:37:18 ID:nWHeFbQd
/!/{ / ヾ--r
_ /  ̄ <_
_>`´
>>5 ___<_
> r‐'" ̄ ̄ ノ ̄ ̄`ヽ、―ニ 二
/ , | `ヽ/ ´`ヽ _ 三,:三ー二
 ̄/ | ノヽ--/ ̄ , ` ̄ ̄ ̄
/ /⌒ヽ,| ミ } ...| /!
レ l d _}`ー‐し'ゝL _
| ヽ、_, _,:ヘr--‐‐'´} ;ー------
|/| \ ノ`ヾ:::-‐'ーr‐'"==-
ヽ/l/|` ー------r‐'"  ̄ ̄
|└-- 、__/`\-:、
__,ゝ,,_____/ \_」 \
79 :
可愛い奥様:2005/08/04(木) 07:52:51 ID:QIzDlv/r
俺が小学六年生の頃。友達に誘われて少年野球チームに入りました。
野球の経験は全く無いのに、入って何日かしてすぐ試合に出ました。
相手のピッチャーの球は全然見えなかった。けれどセンター前のヒットを出せた。
その事が嬉しくて家族に報告すると、次の試合に父親と弟が見に来てくれる事になりました。
試合の日、緊張しながらも準備運動をし、試合に備えていたのですが、
運悪くスタメンでは出られせんでした。
途中で出してもらえる、ずっとそう思ってたのに。結局その日は出してもらえませんでした。
悔しくて帰り道、一人で泣きながら帰りました。
家に着いてからは恥ずかしくて部屋に篭っていると、父が来て
「こういう時もある。今度の試合では絶対出れる。」
と励ましてくれました。
今まで僕に無関心だと思ってた父が励ましてくれたので嬉しくなり、同時に涙が流れました。
その後、僕は肩を壊し野球を諦めざるを得ず、中学校では無意味な三年間を送りましたが、
今は弟が野球をしているのでいつかテレビに出る事を期待して応援しています。
80 :
可愛い奥様:2005/08/04(木) 22:54:33 ID:FwUnEzL4
近所の40代の旦那が最近病死した。奥さん旦那に自分の臓器移植して、土地まで売って
治療費200万支払ったらしい。それほどまで、愛されてた旦那さんに合掌。
81 :
可愛い奥様:2005/08/04(木) 23:11:17 ID:FwUnEzL4
>>80 治療費、保険がきかなくて2000万掛かった。一桁違ってた。
82 :
可愛い奥様:2005/08/05(金) 00:09:06 ID:L6vaLDdN
>>72から読んでいるけど、みんなスレ違いじゃ…ないですか?
「感心した事」って言うんだからたとえば…
見るからに今時の若い子がお年寄りに親切にしてた。とかでは…
83 :
可愛い奥様:2005/08/05(金) 00:53:31 ID:kNfqKWHp
|ヽ ,,|,~'i、 .,_ ,ri、 .l゙‐'"'i、 ,, ,i、 ,、 vi、
| k, ヽ广 | | 'l''゙l┘ .`'グ/ |゙l.,ィ |.| )゙l /'゙l″、 r-,、 、 .:c、、
ッ┘`,l゙ ,ノ ヽ ,,,,,`'′ .,/,,,!‐'', ,ノ う゜.| | .,ノ ヽ ,,,,,`'′ |゙l ゙l,ヽ .|゙l ヾi、
゙i、/゙,-'''i、 .く, .,巛 ‘r\ /.'゚_ / ./‐I / | | .〈、,l]゙l `',\ | | ,。 .,i´゙l | | . il゙ ゙l
l゙.l゙ ゙lッ'" ././ | | .,,) ゙l .!/]/ 丿 | .l゙.|、 /丿| | .,,〉.) | ゙l .,リ .`-" .l゙ | .,l〕 .ヽ"
/.l゙ j,i´ l゙,E.,l゙.| `'''′ l゙{ /,,| | ゙l,ヽ .゙l,d,,l゙ | `'''゙ ゙l ゙‐'| ゙l ゙‐'|
/ l゙ ゙l,~゙'''i、 .゙l´丿 | ゙l, '(/|゜| .゙-゙l .゙l`丿 \.,} \.,}
∨ `''ー" ゙'" ヽ ゙l ヽ} `" `
84 :
可愛い奥様:2005/08/05(金) 06:39:19 ID:DxoMtte0
ここが「亡くなった人とのちょっといい話・悔やまれる話」でも別にいい。
コピペだろうが別にいい。
でも明らかに男が混じってるのだけは許せん。
いくらコピペでも「俺の彼女」とか書いてくれるな。
85 :
可愛い奥様:2005/08/05(金) 11:34:22 ID:kNfqKWHp
うん。行儀悪いよね。
86 :
可愛い奥様:2005/08/05(金) 21:13:16 ID:EpVxWRc1
俺は温泉とか銭湯がきらいだったんだけど、
それは包茎だったからだ。
仮性だけど、ずっとかたくなに温泉をこばんでいた。
自分の小さな皮かむりをみると、屈辱的な気持ちでいっぱいになる。
先日、家族旅行に行ったときに、親父と兄貴と一緒に風呂に入った。しぶしぶ。
親父も兄貴も包茎だった。
なんだか俺のこだわりなんて、どうでもいいことのような気がしてきて、
少しだけだが楽なった気がした。
87 :
可愛い奥様:2005/08/05(金) 21:41:56 ID:kNfqKWHp
性欲と嫌がる相手はねじふせてやるって指向しかないんだな。
88 :
可愛い奥様:2005/08/06(土) 14:57:25 ID:v0+hAfJ5
そいつは生まれつき腎臓が弱く人工透析なしではいきられない体だった。
知り合った時は年の割には老けてるがなぜか悟りを開いたような
高僧の雰囲気を持った奴だなと思っていた。
頼まれた仕事はイヤな顔ひとつせず、いつもニッコリ笑って
引き受けてくれた。
少しはのんびりしろよ、と言ってもいつも頑張ってた。
そいつが昨日死んだ。幼い子供2人残して・・・
安らかな死に顔だった。
もう透析しなくていい。もう重い体で働かなくてもいい。
死の恐怖に怯えて生きなくていい。
子供の事は心残りだろうが、ゆっくり休んでくれ。
自分より若い奴の死はつらい・・・・
89 :
可愛い奥様:2005/08/06(土) 22:14:47 ID:riAkrPmr
20歳の頃、一人暮らしをしている俺は遊びほうけていた。
たまに実家に帰ると、小学生の頃から飼っている老犬が気だるそうに顔を上げて
俺の帰りをよろこんでくれた。
尻尾をフリながら出迎えてくれていたが、繋がれた鎖はそのままで
散歩に行くことさえ俺は億劫になり、用事を済ませては、すぐに実家を後にした。
そんなことが1年くらい続き、21歳の誕生日に母から電話が入った。
誕生日のお祝いの電話と昨日、犬が死んだとの事の知らせだった。
なんだか不思議な運命を感じながら、しばしの間散歩に連れて行ってやれなかった
ことを悔やんで、泣いた。
90 :
可愛い奥様:2005/08/07(日) 01:05:56 ID:gZYEo8cW
俺俺俺俺の話を聞け〜♪
91 :
可愛い奥様:2005/08/07(日) 14:29:26 ID:HWUVl6FN
雨の日に親がインコを拾ってきた。どっかから逃げてきたらしい。
昆虫を入れてた結構大きい飼育箱の中に木とかを入れてその日は飼っていた。
次の日になると、もう死んでた。
近くに土手があったので、なるべく高い所から景色が見渡せるように、土手に埋めてやった。
その後、今度はスズメの子供を拾ってきた。ネットで情報を色々調べたけど、スズメの飼育は難しいらしい。
段ボールの中にタオルを何枚か重ねて、とりあえず、俺は寝た。
朝、いつもより早く目が覚めて段ボールを開けるともう死んでた。
インコを埋めたすぐ隣に埋めてやった。この日、朝練に逝くのがつらかった。
今はまた拾ってきたインコを4年ぐらい飼ってる。長生きしてもらいたいと思う。
92 :
可愛い奥様:2005/08/07(日) 16:52:31 ID:/Bjq9wIy
俺は、20才にしてHIVに感染していることを告知された。たしかに、性感染
だから自業自得かもしれないが、性なんて本能的なものだからあまりせめないで
ください。一番つらかったのは、母親に告知したときかな、今こそ元気に振舞っ
いるもの、やはり自分の腹を痛めた息子が辛い思いをしているのを考えると、落
ち込んでしまようである。俺は、昔のアルバムを見ていた、俺が0歳くらいのと
きに、お母さんの腕にだっこされている写真があるんだけど、自分で言うのもな
んだけど、すげー赤ちゃんってかわいいんだなーって思った。今まで、大切に
育ててきてもらったお母さんを悲しませたことを思うと自然と涙がででくるし、
とりあえず、今はHIVについては普通に寿命まっとうできる病気だからもう
お母さんからもらった大切な体を汚さないように、俺は、精一杯生きていこう
と思う。ごめんなさい、お母さんそしてお父さん・・・・。
93 :
可愛い奥様:2005/08/08(月) 09:01:22 ID:1clJZGgA
まだ俺が研修医だった頃の話・・・
ある1人の父親が入院していた、末期の癌だった。
家族(奥さんと小学生の息子)は毎日見舞いに来ていた。
その父親も自分が癌であることは知っていたが、家族の前では
気丈に、なるべく明るく振舞っていた。
しかし家族が帰った後、「先生、俺は本当は怖いよ・・死にたくないよ・・」
と弱音を吐いていた。
俺は末期の患者は初めてだったので、なんて言って
いいか分からなくて言葉が出なかった・・
全身状態が悪化し、いよいよという時、家族が呼ばれた。
彼は泣きじゃくる息子の頭をなでで
「男の子はめったな事で泣いちゃあだめだぞ、そんなことじゃ
ママを守れないぞ・・いいか、これからはお前がパパの代わり
にママを守るんだ・・約束できるか?」と言った
息子は言葉にならない声で「う・・ん・約・・する」
と、頷いていた。
3人はずっと手を握り合っていた・・
父親はその晩亡くなった。
最後まで彼は家族の前では「父親」として「男」として頑張った。
俺もあんなかっこいい男になりたいと思った。
94 :
可愛い奥様:2005/08/08(月) 11:37:59 ID:lciHnvS6
なんでこんなスレにまで嫌がらせするんだろう。
95 :
可愛い奥様:2005/08/08(月) 12:14:10 ID:vqAJDteH
「俺は」のオンパレードです
96 :
可愛い奥様:2005/08/08(月) 12:17:47 ID:lciHnvS6
他に「既女を俺のレスに感心させたいスレ」
っていうの立ててそちらに誘導すればいいかな。
97 :
可愛い奥様:2005/08/08(月) 19:41:39 ID:QZKjnayN
男以前に、スレタイほとんどシカトかい?
人の死が関わる話なんて…「感心」とは言えないよ。
98 :
可愛い奥様:2005/08/08(月) 19:55:42 ID:orYZqTU9
(家に来た布団訪問販売員の説明を聞いて)
「すばらしい!そんなにいい布団なら…
こうやってわざわざ訪問して回らなくても店頭に置いておくだけで売れますよ!」
99 :
可愛い奥様:2005/08/08(月) 20:03:55 ID:A/o3cMrM
高速の話。
ICって、24時間ばっちり営業してるんだね
いつもPAばっか寄ってるからちょっと感心というか感動しました〜
働いてる人ご苦労様です
100 :
可愛い奥様:2005/08/08(月) 20:24:19 ID:MRboL1W7
100ゲットォォォ⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
101 :
可愛い奥様:2005/08/08(月) 22:25:23 ID:kiY5Rv8W
悪魔「3つ願いをかなえてやろう」
男「よし、、、しっかり考えるからちょっと待っててくれ」
悪魔「よし、ちょっと待とう。あと2つ。」
男「へ?おい!ふざけんな、!」
悪魔「わかった。ふざけない。あと一つ」
男「待て待て待て待て!今のなし!」
悪魔「わかった。今のは無しにしよう。さらばだ」
102 :
可愛い奥様:2005/08/08(月) 22:47:24 ID:J5wMErMV
「...。」
103 :
可愛い奥様:2005/08/09(火) 08:59:08 ID:Mh/WnEQK
夫「なにか冷たいものないか?」
妻「わたしの視線じゃダメ?」
104 :
可愛い奥様:2005/08/09(火) 09:04:29 ID:thBxRExD
105 :
可愛い奥様:2005/08/09(火) 09:38:50 ID:a+CWSo32
小泉首相の演説。
信念貫く姿勢に関心。
106 :
可愛い奥様:2005/08/09(火) 12:27:24 ID:fqEgmxbK
「感動したこと」スレにしちゃいなよ。
107 :
可愛い奥様:2005/08/09(火) 12:35:09 ID:Hp8HLa0O
そういうのは他板にもあるし。
みんなが心に残ってること書きたいんならそれでもいいかと。
108 :
可愛い奥様:2005/08/09(火) 15:10:59 ID:tp98lNsr
風邪をひいた姉の看病で
姉「もういいよ、ずっと看病してくれてなくても
そろそろあんたの好きなテレビの時間だよ」
妹「テレビなんかどうでもいいよ
お姉ちゃんがつらそうにしてるのを見てると・・・
・・・テレビよりもおもしろい」
109 :
可愛い奥様:2005/08/09(火) 21:33:52 ID:m/fMLBZv
ある晩、夕食の席で妻が言った。
「新婚ホヤホヤだったころ、あなたはステーキの小さいほうを食べて、わたしには
大きいほうをくれたわ。なのに今はあなたが大きいほうを食べて、わたしには
小さいほうしか残してくれないじゃない。もう愛してないんだわ・・・」
「ばかいうなよ、ダーリン、」夫が答えた。
「ダーリンの料理の腕があがったんだよ」
110 :
可愛い奥様:2005/08/09(火) 22:02:28 ID:dHDkRqPt
ある村に一組の仲のいい夫婦がいた。
この夫婦は長いこと子宝に恵まれなかった。
それでも夫婦は仲むつまじく妻の年老いた両親と4人で暮らしていた。
ある日、妻が妊娠した。
夫はもちろん妻の両親も喜んだ。
やがて元気な子供が生まれた。
子供は元気に成長した。
しかし成長していくうちに家族は不安になる事があった。
子供が一切、しゃべらないのである。
話しかけても言葉は理解できているようなのだが
一言も言葉を発そうとはしなかった。
三歳のその子の誕生日。
その子が祖父に向ってたどたどしく「おじい・・さん。」と話しかけた。
あぁ神様、この子は話せるのだ。家族は喜んだ。
111 :
110続き:2005/08/09(火) 22:03:54 ID:dHDkRqPt
しかし悲しい出来事が起きた。
前の日、はじめて孫の声を聞き
「おじいさん」と話しかけられあんなに喜んでいた祖父が
急に亡くなったのである。
祖父の葬式の日、孫は今度は祖母に向って「おばあさん」と声をかけた。
すると翌日、なんとその祖母が亡くなってしまったのである。
村にその噂は一気に広まった。
「あの家の子が呼びかけられた人は翌日亡くなる」と。
祖母の葬式の日、今度はその子は母親に呼びかけた。
「おかあ・・さん。」家族もそして村人も恐れおののいた中
その子の母親は祖父や祖母がそうだったように翌日亡くなった。
さぁ怖れたのが残された父親である。
悪魔の子なのか・・・もしこの子が私に呼びかければ
私は翌日には死んでしまうのだ。
やがて怖れていた日が来た。
子供がとうとうつぶやいたのである。
「おとう・・・さん。」
そして翌日、隣の家のおじさんが亡くなった。
112 :
可愛い奥様:2005/08/10(水) 18:06:45 ID:XkYlA2Uz
>>109ダーリンじゃなくてハニーじゃないかと突っ込んでみる。
113 :
可愛い奥様:2005/08/10(水) 22:12:58 ID:dv/zMykr
分娩室では,赤ん坊が今にも生まれそうになっていた。
「頭が出ましたよ。頑張って」
看護婦がそうお母さんを励ましていると,ムクッと顔だけ出した赤ん坊は,看護婦を見て,こう聞いた。
「あんた。オレの親父かい?」
「い・いいえ。わたしは看護婦です・・・」
「あっそ」
赤ん坊は,また中に潜り込んでしまったのであった。
びっくりした看護婦は,医者を呼んだ。
すると,また急に陣痛が始まって,例の赤ん坊がヒョコッと顔を出したのである。
「あんた。オレの親父かい?」
「違う。医者だ」
「なんだ」
そしてまた,赤ん坊は,スルスルと戻ってしまったのである。
そして,会社から急いでかけつけた父親が分娩室に入ってきた。
またまた,陣痛が始まって・・・
「あんた。オレの親父かい?」
「そうだよ。おまえのパパだよ。我が愛しのベビー」
すると,赤ん坊は,モゾモゾとはい出してきて,ものすごい勢いで父親に殴りかかった。
「いつも,オレの頭をボコボコつつきやがってたのは,おまえだったんだな。こん畜生!」
114 :
可愛い奥様:2005/08/10(水) 23:18:10 ID:78W9BOwG
創作文芸板にあるブラックジョークスレをお薦めします。
115 :
可愛い奥様:2005/08/11(木) 01:33:39 ID:9ed+ao9O
>>112 愛しい人という意味なので男女共用>ダーリン
夫は妻をダーリンもしくはベイビーと呼び
妻は夫をダーリンもしくはハニーと呼んでるケースもある。
116 :
可愛い奥様:2005/08/11(木) 07:56:45 ID:mLBjhMEJ
チャーチルと対立している党派の女性議員が彼にこう言った。
「もしあなたが私の夫なら、あなたの紅茶に毒を入れるでしょう」
するとチャーチルはこう答えた。
「もしあなたが私の妻なら、私は喜んでその紅茶を飲みますよ」
117 :
可愛い奥様:2005/08/11(木) 08:19:11 ID:M4ctti3Q
人によって、感心するツボが違うんだなーと感心した。
他人のシッカリした行い、ウィットにとんだ会話、命のはかなさ、日常雑事の中での発見・・・。
118 :
可愛い奥様:2005/08/11(木) 18:03:57 ID:VcaHJ3nq
昔、樋口小平というラッパ兵がいました。
彼は、敵機が襲来したら、ラッパを吹いて味方の兵に警告する若い兵隊
でした。
敵機が頭上に襲来したのですから、突っ立ってラッパを吹くなんて状態
ではとってもありません。
普通だったらラッパを捨てても逃げたかったことでしょう。しかし、
彼は逃げませんでした。
そして遂に彼は死にました。ラッパを握ったままで。
「樋口小平。死んでもラッパをはなしません。」と。
これが使命に生きるということです。
皆さん、感心しませんか?
119 :
可愛い奥様:2005/08/12(金) 09:02:16 ID:Olzo6M6d
兵庫県宝塚市で陸上自衛隊の訓練中の部隊が進路を誤って、お寺に侵攻。
完全武装で迷彩服姿の集団の出現に参拝客はパニック、逃げ出したって。
そのあと、隊員一同、住職にこっぴどくお説教を受けたらしい。
120 :
可愛い奥様:2005/08/12(金) 10:40:51 ID:B5XPjIof
121 :
可愛い奥様:2005/08/12(金) 20:47:43 ID:dMYgpEkk
けさ、勤め先に行こうとしたら、電話が鳴りました。
もしもし○○です、と言うと相手は
「検便を提出するんですよね?」
私「は?」
相手「だから検便を提出するんですよね?」
私「あのーどちらにおかけでしょうか?」
結局、保健所と間違ってたみたいです。
世の中、あわてものが多いことに、感心しました。
122 :
可愛い奥様:2005/08/12(金) 22:32:16 ID:2s5s5wIq
なんだか作ったみたいな話だね。>>121
下ネタってか
123 :
可愛い奥様:2005/08/13(土) 11:00:10 ID:o+2TAU+C
平成13年12月12日に「保健婦助産婦看護婦法の一部を改正する法律」という
法律ができて、そこで従来の「看護婦、准看護婦、保健婦、助産婦」が
「看護師、准看護師、保健師、助産師」に正式名称が変わりました。
このことは皆さんよくご存じのことと思います。
このうち、「看護師、准看護師、保健師」は男女ともになれるのですが、
「助産師」だけは名称が変わっただけで男性はなれません。
英国やオーストラリアでは男性もなれるといいますから、
これは法の下の平等に反するような気がしますが、どうなのでしょう。
124 :
可愛い奥様:2005/08/13(土) 12:01:24 ID:0bbT4zCb
。>>123
男の助産師はどんびきじゃ、、、、おまいなりたいのか、、、、すけべが。
125 :
可愛い奥様:2005/08/13(土) 13:57:34 ID:nhOiZio7
>>123 公平に、と考えると男性がなれてもおかしくないと思う。
ただ患者の感情として受け入れがたいから
無理はあるんでないの?
126 :
可愛い奥様:2005/08/14(日) 13:15:03 ID:DrSKYucQ
黄門ちゃまを0回転から(朝一出目)回して
昼過ぎの時点で
ビック1バケ15
やめる時
5648回転でビック24バケ35
われながら感心した。
ルービック・キューブをやっていたら、夫が横から
「一色だけ揃えても、その一色の各側面が同じ色でなければ、
一面以降を完成させて行く事はできない」
と言った。
その通りだと思った。っていうかその通り。惚れ直し。
スゲ感心した。
128 :
可愛い奥様:2005/08/14(日) 14:09:57 ID:cXTBGL8k
>>115 何気にそれずっと疑問だった
教えてくれてありがと
129 :
可愛い奥様:2005/08/15(月) 14:54:51 ID:g3txyJAA
食べたいのなら上海へ行け
おしゃれしたいのなら香港へ行け
稼ぎたいのなら東京へ行け
叫びたいのならソウルへ行け
死にたいのなら平壌へ行け
130 :
可愛い奥様:2005/08/15(月) 21:36:16 ID:8F3JQCez
52才の主婦です。
驚いたことに、いまだに28才の男の子との関係が続いてますよ!
さらに驚いたことに、セクースの相性がとても良いことが
分かりました。こんなことは初めてです。
本当に、人生なにが待ってるか分かりません。
やせたし、皆にきれいになったと言われるし、自信がもてるようになったし、
恋っていいことづくめですね。今は一緒に暮らそうかという
ことまで話し合っています。
主婦のみんなも、がんばれー!
131 :
可愛い奥様:2005/08/15(月) 21:40:47 ID:EL3vq+Cu
教え子の女の子がさりげなくパンツ見せてきたり
すりよって来たりして反応に困った。
しかもヤンママ母子家庭だったので、母親の方も
ノーブラで俺に抱きついて「晩ご飯食べていきなさいよ。苦学生なんでしょ」
なんて誘ってくる始末
132 :
可愛い奥様:2005/08/16(火) 16:55:55 ID:1UPaX6G7
ある日、ヘリから地上を眺めておられた金正日主席様はこう仰られました。
「ここから百ウォンを落とせば民は喜ぶであろうな。」
すると側近が一言。
「主席様、千ウォンが落ちて来た方がもっと民は喜びますよ。」
するともう一人の側近が一言。
「主席様、あなたが落ちた方がもっと民は喜びますよ。」
133 :
可愛い奥様:2005/08/18(木) 09:21:13 ID:GC3tiTFG
数人の朝鮮人がこんな話をしていた。
「我々は、何かというとすぐ日本人のせいにしてしまう」
「うむ、その通りだ。いったいなぜなんだろう」
「私もわからない。なぜ日本人のせいにしてしまうのだろう」
答えが出ないまま、朝鮮人たちはしばらく話し合った。
そして次の瞬間、全員が同時に叫んだ。
「日本人のせいだ!」
134 :
可愛い奥様:2005/08/19(金) 20:57:59 ID:huzg6UZQ
高校野球準決勝の駒大苫小牧対大阪桐蔭戦。
駒大苫小牧が先制し5点を先取した。
ところが大阪桐蔭が7回に3点、8回に2点を返し、同点に追いついた。
しかし、延長10回、駒大苫小牧が1点をとり、それが決勝点となった。
球児たちの最後の最後まであきらめない戦いぶりには感心した。
135 :
可愛い奥様:2005/08/21(日) 22:09:56 ID:prVvIBwH
中日ドラゴンズの応援歌『燃えよドラゴンズ』は、一時、舟木一夫も歌っていた。
136 :
可愛い奥様:2005/08/23(火) 22:32:57 ID:3kk3gB8U
ことしの高校野球の優勝チームで、部長が選手に暴力をふるっていた事件があったらしい。
大問題になっていた。
137 :
可愛い奥様:
久しぶりに会った、中学時代の友達も
2ちゃんねらーだったこと。
ものすごく意気投合して、話に花が咲きました。
その後は、2人してネットカフェへw