470 :
いつかの13 その1:
みなさま、お待たせ(?)致しました。またもや全文うpでつ。
ちなみに私自身、アトピーなので怒りがふつふつと(w
加えて現在9ヶ月の子を持つ身として ゆ・る・せ・ん!(w
急いでキー叩いたので、誤字脱字あるやもしれませんがご容赦の程を。
すくすくネットワーク 12月号 P94-96
田口ランディ の すくすく日記
第二回
アトピー性皮膚炎との出会い
娘の肌の異常が気になり始めたのは生後6か月のころでした。
生後2か月のころからほっぺたが赤く荒れていましたが、
そのうちにからだの内側の皮膚がすれる部分にも湿疹が
出てきました。
「あせもだね」と言われて、あせもだと思ってました。いや、
そう思おうとしていた、と言うほうが正しいでしょう。
471 :
いつかの13 その2:02/11/17 22:38 ID:TguolKKJ
近所のお母さんから「アトピーかも」と言われたときは、
正直言ってムッとしました。自分の子どもが「アトピー」だと
思いたくなかった。あの当時の心境をいまようやく冷静に受け
止められます。私はものすごく突っ張っていたんだなあ……と。
自分の子どもに「問題がある」と思うのがイヤでした。
だから私は子どもが生まれてから2年くらいは、子どもへの
自分の感情をまったく自己分析できなかったのです。ずっと
「子育てについて書いてください」と言われてきたのに、それを
断り続けていたのも、冷静になれない自分を自覚していたから
だと思います。
生後6か月になると、娘は湿疹をむずかるようになっていました。
出産した産院に月1回の定期健診に通っていて、そこで先生に
相談すると塗り薬を出してくれました。それをもらってしのいで
いましたが、あまり回復しません。とはいえ、時々ふっと
よくなることもあって、そういうときは「ああ、やっぱりあせも
だったんだ」と安心しました。
472 :
いつかの13 その3:02/11/17 22:39 ID:TguolKKJ
でも、症状的には一歩進んで二歩下がる……という感じ。
着実に悪化しているのだけれど、悪化の仕方がゆっくりなので、
なんとなく現状維持をしているような気分になってしまうのです。
6か月の健診のときに、産院の看護師さんから「早めに皮膚科の
診療を受けたほうがいいかもしれないですよ」と言われました。
「皮膚科……って、どこがいいんでしょう?」
私は生まれてから一度も皮膚科というお医者さんにかかった
ことがないので、もう不安になっていました。
「A市にとても有名な皮膚科の先生がいるんですよ。漢方を処方
してくれて、ずいぶん遠くからも通ってくる人がいるのだけれど
……ただ……」
看護師さんは言葉をにごしました。
「ただ……?」
「すごく、その、厳しい先生なんです。田口さんと気があうかなあ」
厳しい先生。皮膚科の厳しい先生。どんな先生なんだろう。
でも、とりあえず私はその先生のクリニックの場所と連絡先を
看護師さんに教えてもらいました。
473 :
いつかの13 その4:02/11/17 22:40 ID:TguolKKJ
そして、それからさらに2か月があっという間に過ぎてしまい
ました。
ちょうど、娘が生後7か月のころに、私の母親が脳出血で
倒れました。病院に運ばれて生死の境をさ迷い、なんとか危機は
脱したものの意識は戻らずに植物状態になりました。
私は母の入院している病院に何日か泊まり込み、それからは
片道4時間かけて、母の病院に自宅から通う毎日が始まりました。
そういう時期に、娘の湿疹は急激に悪化したのです。
私は母のことがあったので、娘の湿疹の悪化にあまり気持ちが
向いていませんでした。母がもし回復したとしても半身不随に
なるのは確実で、そうなったとき、老いた父が母の面倒を
みられるのだろうか、とか、母の意識が戻ったときに在宅介護は
可能だろうか、とか、そういう問題を父と話しあうだけで
憂うつになりました。
474 :
いつかの13 その4:02/11/17 22:40 ID:TguolKKJ
母は昏睡したまままったく意識を取り戻さず、いったい
この状態がいつまで続くのか、担当医師もわからないと言います。
母が倒れたときの緊張と興奮はしだいに去って、あとは、意識の
戻らない母を見守るあまりにも単調な時間が流れるように
なりました。こういう変化の乏しい状態のほうが、人間の
精神状態は不安定になるのだと知りました。
私は疲れていたし、イライラしていました。
1か月もすると看護は父にまかせて、私は自宅で娘を相手に
いつもと変わらない生活を送るようになりました。私が疲れる
原因なんてないし、遠くに住んでいる私がイライラしても
しょうがないことです。でも、私はイライラしていました。
そういう気分になってしまっていて、そこから抜け出すことが
できなくなっていました。気持ちが切り換わらないのです。
475 :
いつかの13 その6:02/11/17 22:41 ID:TguolKKJ
いま思えば、娘はずいぶんとむずかって苦しそうにしていた
のだけれど、私はそれを見ていながら意識の外に置いていました。
よくあんな器用なまねができたものだと思います。
生後8か月目のある日、娘はかゆがってボリボリと全身を
かきむしりました。赤ちゃんなので手加減はなく、すぐに
皮膚がやぶけて血が出てきました。
「もう、かいちゃダメって言ったでしょう」
私は産院でもらった薬を塗りました。それからよく効くという
市販のかゆみ止めの薬も塗りました。それでもかゆみはまったく
おさまらないらしく、娘はしばらくするとまたボリボリと
かきむしります。私はその様子にだんだん耐えられなくなって
きました。
「また、かいてるの? いいかげんにしなさい」
そのときの気持ちをいまでもよく覚えています。なんだか
私は娘に責められているように感じました。娘が私を困らせよう
としてかいているような、そんな気分になっていました。
476 :
いつかの13 その7:02/11/17 22:42 ID:TguolKKJ
植物状態の母親のことで頭がいっぱいの私にこの子は追い討ちを
かけてくる。母の看病に行かないでのほほんとしてる私を
責めている。理不尽な怒りがこみあげてきました。
声を上げて叱ると、娘はわんわん泣き出しました。大粒の涙を
ボロボロ流して、それでも泣きながら内股とかをかきむしる
のです。なんだか頭の中でブチッという音がして、何かが切れて、
私はもっていた薬のケースを娘の前に投げつけました。
「もう、堪忍してよ、お母さんだってつらいのよ」
よく覚えていないけれど、そういうことを叫んだような気が
します。
私は、薬のケースを投げられたときの、娘の目を一生
忘れられないな、と思います。娘はビクッとからだを震わせて、
それでも懇願するように私の顔を見てしゃくりあげながら
泣いたのです。
477 :
いつかの13 その8:02/11/17 22:43 ID:TguolKKJ
さーっとからだから血の気が引きました。そのときようやく、
私に娘の言葉にならない言葉が届いたんだと思います。娘の目は
叫んでいました。
(お母さん、かゆいよ、助けて。助けて)
あのとき、我にかえれて本当に良かった。
どうして、この子がこんなに苦しんでいるのに、私は自分の
ことばかり考えていたんだろう。娘に抱きついて何度も謝りました。
ごめんね、ごめんね、お母さんが悪かったね。
それから大急ぎで教えてもらった皮膚科のクリニックに電話を
して、タクシーを呼んで、そこへ駆けつけました。
「こんなになるまでほっとくなんて、いまどきのお母さんは何を
考えてるんだか」
開口一番に看護師さんに言われました。
478 :
いつかの13 その9(最後):02/11/17 22:43 ID:TguolKKJ
本当に、厳しいというか……、患者さんを叱りつけるクリニック
でした。噂どおりだと思いました。でも、紫色の漢方の塗り薬を
湿布してもらったときの娘のほっとした顔。狭いクリニックの中は、
同じように湿疹に悩む大人や子どもでぎゅうぎゅう詰めでした。
こうして、私は娘のアトピーと初めて向きあいました。それは、
後には食生活や価値観をも揺るがす、大変な出会いとなるのでした。