蓮實信者の倒し方教えてください

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24名無シネマさん
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なにごとかに批判的な態度を表明しておきさえすれば、それだけでもう精神の健全さが保証され、
その態度の共有が、たがいの真摯さを納得しあう儀式として機能してしまうような怠惰な環境にあって、
人は、批評体験を生きる鬱陶しさを快く回避し、
そのなにごとかに関する姿勢をいくぶんなりとも修正することさえなく、
つまり自己検証の必要などまるで問題体系の一郭に浮上したりはしないかに振舞いながら、
自分は反対だとか、それは疑問だといってみたりするものだが、
そんなとき、そうした振舞いに徹底して欠けているのは批評、
すなわち賛成しても反対してもそれとの縁が切れず、
自分を変容させつつ世界の表情を変容させぬ限り息がつけなくなってしまうような事態との遭遇体験にほかならず、
事実、人は、自分がそのことで変化する気遣いのない場合だけに批判的になったりしてみるものであり、
その手の批判性はたやすく共感へと変質したりするものでもあるのだが、
批判的態度の表明と批評体験との甘美な疎隔現象は、
何よりもまず、外部の虚構化による曖昧な消滅、というよりその抽象化を導きだし、
納得と許容による内部の大がかりな特権化を肯定することになるのだが、
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